熟年の文化徒然雑記帳

徒然なるままに、クラシックや歌舞伎・文楽鑑賞、海外生活と旅、読書、生活随想、経済、経営、政治等々万の随想を書こうと思う。

朝日新聞世論調査:抜かれる日本、日本に不安95%

2010年06月13日 | 政治・経済・社会
   6月11日の朝日新聞に、現在の日本や生活についてどう思うのか、「いまとこれから」と言うテーマの興味深い世論調査の結果が掲載されていた。
   第一印象は、たった半世紀くらいの間に、日本人の考え方が、全く変わってしまったと言うショックに似た思いである。
   記事のサブタイトルを列挙すると、次のとおり。
   一面は、「日本に不安95%、73%格差小さい国を望む」
   特集ページは、抜かれる日本 冷静な目
    自信:経済力誇れない65%
    将来像:大きな政府望む58%
    自画像:勤勉さ自負せず 求める自立心
    国際社会で:大国化必要なし55%

   この結果をコメントする前に、私自身が、いかに青春・学生時代を過ごし、企業戦士として世界で戦ってきたかを振り返ってみれば、同年代の日本人の考え方なり生き方が良く分かり、良いか悪いかは別にして、その落差の大きさが見えてくるような気がする。

   私の学生時代は、戦後の荒廃から立ち直って、日本経済が上り調子に転じて、神武景気や岩戸景気を謳歌して自信を取り戻しつつあり、安保反対運動に日本が騒然としていた頃で、その後、東京オリンピック開催で新幹線が走り、大阪万博開催で、とうとう、日本が国際社会の桧舞台に登場し、一等国への道を驀進し始めた。
   私が、京大経済学部でテーマに選んだのも、経済成長論で、シュンペーターやロストウなど片っ端から読んで経済成長と経済循環論を勉強した。
   1970年に、アメリカの未来学者ハーマン・カーンが、「超大国日本の挑戦」を著して、「21世紀は日本の世紀」として、世紀の変わり目には、一人当たりの国民所得もアメリカを抜くとぶち上げた。
   「ほんまかいな」と思ったのを覚えているが、その後、フィラデルフィアに発って、ウォートン・スクールでビジネスの勉強を始めたのだが、まだ、繊維交渉程度だったが、授業での日本の経済や経営への関心の高まりを身近に感じ、日本の工業力が、少しずつ、アメリカ産業の脅威になりつつある現実を垣間見た思いであった。

   1979年に、エズラ・ヴォーゲルの「Japan as No.1」が出版されるに至って、日本ブームと世界中の日本への関心が一挙にスパークして、実際にも、1990年代初期のバブル崩壊まで、日本経済の快進撃が継続し、世界中の経済や産業を圧倒し、正に、Japan as No.1の世界を現出した。
   この間、私自身は、世界中を飛び回ってビジネス・チャンスを追及し、ブラジルやヨーロッパににも駐在して実際に開発や建設事業に携わってきたので、日本企業が、如何に世界中を舞台にして活躍していたかを具に見て経験している。
   あの頃、世界のトップ10大銀行の内8行は日本の銀行だと言うほど羽振りが良かったのだが、今ではその栄華は跡形もなく無傷の銀行は1行も残っておらず、その諸行無常と言うか落差の激しさが、当時の現実を物語っている。

   漣舫大臣が、仕分けで、「何故一番でなければならないのですか。二番では駄目なんですか。」と質問していたが、こんな愚問は、元よりなく、当時の日本人の頭には、Japan as No.1しか念頭になかったのである。
   実際に、某大メーカーの重役が、進出先の従業員の仕事振りを見て、アメリカ人だから、あるいは、イギリス人だから駄目なんだと豪語していたし、悪く言えば、傲慢極まりないし、良く言えば、自信が漲っていたと言うことであろうか。

   私の世界観なり人生観は、このブログで何度も触れているので蛇足は止めるが、良かれ悪しかれ、そんな時代が、ほんの少し前に日本にもあったと言うことを述べるにとどめたい。

   私が、今回の世論調査で注目したのは、バブルの崩壊した90年代初頭以降に青春時代を送ってきた世代、すなわち、日本が成長を謳歌してバブルに浮かれていた時代を全く経験したことのない世代、豊かさを全く享受できなかった世代の世論で、それ以前の世代との時代感覚が全く違ってしまっていると言うことである。
   これらの若い世代は、その多くが、長期の経済不況のために、学校を出ても満足な職に有り付けず、フリーターやパラサイト・シングルを通すなど、生活設計が思うように立てられずに自立に困難を来たし、格差社会の犠牲となっている。
   私が、失われた10年、あるいは、失われたこの20年の間に、日本が未来の世代に残した最大の罪は、これら次代を背負って行く若い人々に、勇気と夢と希望を与えられずに、人生設計をズタズタにしてしまったことだと思っている。

   若い世代の人々が、日本の経済力についても、誇れるとは思わないと考え、経済的豊かさはそれ程でもないが格差は小さい国が良く、仕事優先よりも生活優先と感じ、税負担が重いが、社会保障などの行政サービスが手厚い「大きな政府」が望ましいと考え、日本が国際社会の中で、責任や負担が大きい「大国」である必要がないと思うのも当然であろう。
   このような考え方は、われら壮老年世代の生き方人生観とは、かなり対極にあると思うのだが、今の中国人のような、欲しい欲しいで、より良い明日を信じて、我武者羅に突っ走ってさえいれば明るい明日があった、そんなかっての日本人の生活と精神構造は、最早、過去の遺物になって忘却の彼方に消え去ってしまったのであろう。

   日本も、成長は停滞したが、古い文化や伝統を愛し、民度の高い市民社会の息づくヨーロッパのような普通の国になって行くのだと言う人も居るが、実際に、かなり長くヨーロッパで暮らしてきて、そのヨーロッパも、外野から見る程、ハッピーではないことを知っているので、明日の日本を描きながら、複雑な気持ちになっている。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする