角館は、武家屋敷通りの枝垂れ桜が美しいことは知っていたが、こまちで秋田まで行く途中で通過するだけで、訪れる機会はなかったので、是非、行ってみたいと思っていた。
角館は、秋田藩の枝藩として1620年に芦名義勝が造った城下町で、北辺の古城山を頂点に武家屋敷(80)群、商人家(350戸)群と連なる小規模の町だが、町並みは当時と殆ど変わっていないと言う。
しかし、武家屋敷の建物は、一番古いと言われている石黒家でさえ200年であるから、ビックリするほどのことはないのだが、私の味わいたかったのは、町並みと武家屋敷の佇まいであった。
武家屋敷沿いに植えられている枝垂れ桜の巨木には番号が打たれているのだが、ほんの数百メートルの道路左右に総数450本と言うのだから大変なボリュームである。
ことりっぷの説明では、この枝垂れ桜は、佐竹家へ嫁入りした時に、妻が京都三条西家から嫁入り道具として持ち込んだ3本の苗木が元だと言うから、やはり、この角館で同じく有名な桧木内川堤2キロメートルのソメイヨシノとは全く違うルートなのである。
正しくは、エドヒガンザクラが垂れたサクラと言うことのようだが、これだけ(写真でしか知らないが)素晴らしい枝垂桜は、京都や奈良にもないであろう。
尤も、今は、サクラの季節ではないのでサクラ並木は新緑一色だが、どうせ、季節には銀座通りのような雑踏なのであろうから、訪れたいとは思わないが、壮観だろうと思う。
ところで、この武家屋敷通りは、やはり、城下町の街道なので、真ん中に鍵の手があって、ここで道路が鍵状に折れていて一直線ではない。
それに、この通りは、薩摩の知覧や他の城下町の武家屋敷通りなどと比べてもかなり広いのだが、山が迫り川に面した謂わば地峡のような位置に、武家屋敷を一直線に並べて、その奥の山中に城を構えたと言う地割が面白い。
尤も、この城下町では、いざと言うときには、この程度では、殆ど、防衛機能は、果たせなかったであろうと思う。
結局、この日は、この武家屋敷町だけで時間を過ごして、角館観光を終了して家路についた。
角館武家屋敷資料館前の古風な麺処古泉堂で稲庭うどんを食べながら小休止したのだが、平日の午後であった所為もあってか、観光客はまばらで閑古鳥が鳴いていた。
暑い夏や寒い冬に観光客が来るのかどうか分からないが、この町は、まだ、純国産志向と言うか日本人相手の観光地であるようで、サクラの季節は別として、やはり、日本人だけでは、観光立国としても苦しいのではなかろうかと思う。
まず、訪れた武家屋敷は、書院造りの座敷を持つ河原田家で、そのまま、庭続きで、となりの小田野家に入る。
これまでに全国あっちこっちに行って、沢山の古建築を見て回っているので、正直なところ、特別に感慨もなく通り過ごす。
私には、家そのものよりも、緑豊かな広い庭の方に興味があり、植栽などを注意して見ていた。
日本の家屋は、寒い雪国であるこの地でも、もっと南の温かい地方と同じように、南方系の開放された構造を持っており、冬は寒かったであろうと思う。
庭は、京都の庭のように綺麗に整備されていないが、自然が息づいていて住宅にマッチしていて四季の変化を楽しめたであろうと思った。
次に訪れたのは、青柳家で、ここは、広い敷地に色々な展示スペースや売店食堂なども併設した総合博物館と言ったところで、角館や青柳家に縁の深い文物が主体なので、ごった煮と言うかそれ程質の高いものではないのだが、地方の息吹を感じて、それなりに面白かった。
興味深かったのは、先ほどの小田野家と関係のある小田野直武が、平賀源内に師事して、蘭学にも勤しみ、西洋画法を学んで洋画風の秋田蘭画を確立して、「解体新書」の挿絵を描いたと言うことで、邸内に彼の銅像があり、秋田蘭画が展示されていて、オランダとの関係が、こんなところにも及んでいるのが分かったことである。
ハイカラ舘には、平賀源内時代当時の時計や蓄音機などのアンティークが展示されていて、その地階が、コーヒーショップになっている。
この小田野直武が伝えたと言うコーヒーは南蛮茶と呼ばれたようで、ここでは、背後の源太寺山から流れる沢水・神明水を使って煎れているようだが、高い割には可もなく不可もなくで並みの味である。
ここでは、例の旧式のビーカーで煎れているのだが、オランダ・コーヒーなら、3年も現地で飲み続けたが、元より美味い筈がない。
ラテン系は一寸別だが、欧米のコーヒーが上手くなったのは、すべからく、スターバックスのお陰なのである。
さて、この青柳家の庭も広いが、本格的な庭師が入って作庭したとは思えない自然風な佇まいで、色々な植物や庭木、花木が混植されていて、無秩序な秩序を醸し出していて、丁度新緑に萌えて緑一色であり、それなりに、雰囲気があって面白い。
ところで、角館特産の桜皮細工だが、以前に、三越で角型のお盆を見つけて、私自身愛用すると同時に、イギリスの友人にも贈って喜ばれている。
1780年頃、藤村彦六と言う侍が始めたようで、秋田藩のバックアップもあり、それに、明治に入って武士が禄をなくしてから細工職人に変わる等、長い伝統と技術を継承しているとかで、みやげ物店には、安い日用品から芸術作品まで沢山ディスプレイされていて面白い。
尤も、ひとつあれば十分である。何故なら、殆ど同じパターンと意匠の繰り返しでマンネリ化してしまっており、斬新さなり目新しい魅力を感じられないのが残念でもある。
角館は、秋田藩の枝藩として1620年に芦名義勝が造った城下町で、北辺の古城山を頂点に武家屋敷(80)群、商人家(350戸)群と連なる小規模の町だが、町並みは当時と殆ど変わっていないと言う。
しかし、武家屋敷の建物は、一番古いと言われている石黒家でさえ200年であるから、ビックリするほどのことはないのだが、私の味わいたかったのは、町並みと武家屋敷の佇まいであった。
武家屋敷沿いに植えられている枝垂れ桜の巨木には番号が打たれているのだが、ほんの数百メートルの道路左右に総数450本と言うのだから大変なボリュームである。
ことりっぷの説明では、この枝垂れ桜は、佐竹家へ嫁入りした時に、妻が京都三条西家から嫁入り道具として持ち込んだ3本の苗木が元だと言うから、やはり、この角館で同じく有名な桧木内川堤2キロメートルのソメイヨシノとは全く違うルートなのである。
正しくは、エドヒガンザクラが垂れたサクラと言うことのようだが、これだけ(写真でしか知らないが)素晴らしい枝垂桜は、京都や奈良にもないであろう。
尤も、今は、サクラの季節ではないのでサクラ並木は新緑一色だが、どうせ、季節には銀座通りのような雑踏なのであろうから、訪れたいとは思わないが、壮観だろうと思う。
ところで、この武家屋敷通りは、やはり、城下町の街道なので、真ん中に鍵の手があって、ここで道路が鍵状に折れていて一直線ではない。
それに、この通りは、薩摩の知覧や他の城下町の武家屋敷通りなどと比べてもかなり広いのだが、山が迫り川に面した謂わば地峡のような位置に、武家屋敷を一直線に並べて、その奥の山中に城を構えたと言う地割が面白い。
尤も、この城下町では、いざと言うときには、この程度では、殆ど、防衛機能は、果たせなかったであろうと思う。
結局、この日は、この武家屋敷町だけで時間を過ごして、角館観光を終了して家路についた。
角館武家屋敷資料館前の古風な麺処古泉堂で稲庭うどんを食べながら小休止したのだが、平日の午後であった所為もあってか、観光客はまばらで閑古鳥が鳴いていた。
暑い夏や寒い冬に観光客が来るのかどうか分からないが、この町は、まだ、純国産志向と言うか日本人相手の観光地であるようで、サクラの季節は別として、やはり、日本人だけでは、観光立国としても苦しいのではなかろうかと思う。
まず、訪れた武家屋敷は、書院造りの座敷を持つ河原田家で、そのまま、庭続きで、となりの小田野家に入る。
これまでに全国あっちこっちに行って、沢山の古建築を見て回っているので、正直なところ、特別に感慨もなく通り過ごす。
私には、家そのものよりも、緑豊かな広い庭の方に興味があり、植栽などを注意して見ていた。
日本の家屋は、寒い雪国であるこの地でも、もっと南の温かい地方と同じように、南方系の開放された構造を持っており、冬は寒かったであろうと思う。
庭は、京都の庭のように綺麗に整備されていないが、自然が息づいていて住宅にマッチしていて四季の変化を楽しめたであろうと思った。
次に訪れたのは、青柳家で、ここは、広い敷地に色々な展示スペースや売店食堂なども併設した総合博物館と言ったところで、角館や青柳家に縁の深い文物が主体なので、ごった煮と言うかそれ程質の高いものではないのだが、地方の息吹を感じて、それなりに面白かった。
興味深かったのは、先ほどの小田野家と関係のある小田野直武が、平賀源内に師事して、蘭学にも勤しみ、西洋画法を学んで洋画風の秋田蘭画を確立して、「解体新書」の挿絵を描いたと言うことで、邸内に彼の銅像があり、秋田蘭画が展示されていて、オランダとの関係が、こんなところにも及んでいるのが分かったことである。
ハイカラ舘には、平賀源内時代当時の時計や蓄音機などのアンティークが展示されていて、その地階が、コーヒーショップになっている。
この小田野直武が伝えたと言うコーヒーは南蛮茶と呼ばれたようで、ここでは、背後の源太寺山から流れる沢水・神明水を使って煎れているようだが、高い割には可もなく不可もなくで並みの味である。
ここでは、例の旧式のビーカーで煎れているのだが、オランダ・コーヒーなら、3年も現地で飲み続けたが、元より美味い筈がない。
ラテン系は一寸別だが、欧米のコーヒーが上手くなったのは、すべからく、スターバックスのお陰なのである。
さて、この青柳家の庭も広いが、本格的な庭師が入って作庭したとは思えない自然風な佇まいで、色々な植物や庭木、花木が混植されていて、無秩序な秩序を醸し出していて、丁度新緑に萌えて緑一色であり、それなりに、雰囲気があって面白い。
ところで、角館特産の桜皮細工だが、以前に、三越で角型のお盆を見つけて、私自身愛用すると同時に、イギリスの友人にも贈って喜ばれている。
1780年頃、藤村彦六と言う侍が始めたようで、秋田藩のバックアップもあり、それに、明治に入って武士が禄をなくしてから細工職人に変わる等、長い伝統と技術を継承しているとかで、みやげ物店には、安い日用品から芸術作品まで沢山ディスプレイされていて面白い。
尤も、ひとつあれば十分である。何故なら、殆ど同じパターンと意匠の繰り返しでマンネリ化してしまっており、斬新さなり目新しい魅力を感じられないのが残念でもある。