先日、BShiで、「屋根の上のバイオリン弾き」を放映していたので、録画しておいて、久しぶりに最後まで見た。
記憶と言うのは良い加減なもので、何回か見た、あんなにポピュラーな映画であるにも拘らず、話の概要や、ところどころのシーンや役者などを覚えている程度で、細かいことは殆ど忘れてしまっている。
しかし、今回見て、この映画が、素晴らしく感動的な作品であることをあらためて認識した。
これまで、世界中を歩きまわり、あっちこっちで色々な歴史や異邦人の生活などに触れながら経験し蓄積して来た私自身の人生の年輪が、そっと私の背中を押したのかも知れないが、しみじみとした人間賛歌が、感動を新たにしてくれたと言うことであろうか。
映画は、舞台となるアナテフカ村が、夜のしじまから少しずつ明るくなって行き、屋根の上のバイオリン弾きのメロディが聞こえると、夜明けとともに仕事に出かけようとする主人公のミルク売りテビエの独白から始まる。
”この村の住民は、みんな、あの屋根の上のバイオリン弾きと同じで、素朴で楽しいメロディをキイキイ掻き鳴らして生きている。何故高いところに上って危険なことをするのか、ここに居る理由は、このアナテフカ村がHOME(我が家)だからだ。
わしらの調和を保っているのは、すべてこれ、TRADITIONのお陰だ。
TRADITIONによって、自分が誰であるかをわきまえ、神のご意思を知るのだ。”
高らかに、TRADITIONの合唱が流れると、ユダヤ教を象徴する映像が流れ、やがて、賑やかなアナテフカ村のユダヤ人たちの生活が映し出されて、物語が始まる。
この映画を見ていて、最初に一寸違和感を感じたのは、この映画の最も重要なテーマであるTRADITIONを、「しきたり」と訳して押し通していることで、このようにしきたりと翻訳するとニュアンスも意味も全く皮相的になってしまって、出鼻から観客を固定観念に呪縛してしまうと言うことである。
電子辞書を開くと、伝統、慣例、ならわし、しきたり、伝承、口伝、伝説、そして、ユダヤ教では神からMosesに授けられ、口伝された不文律、と記されている。
信仰心に篤いユダヤ人にとっては、生活の総て(?)の根幹にユダヤ教のドクトリンがある筈で、その上に培われてきた長い間の伝統やならわし、しきたりなどが生活を統べていて、この映画のTRADITIONは、ユダヤ教を中心としたこれら総ての意味合いを持った総合的な概念であると思う。
尤も、そんな固いことを言わなくても、映画を見れば分かるので、蛇足だと言うことかも知れない。
この映画は、そのTRADITIONが少しずつ移り行く姿を描いた映画、すなわち、父親が一切を仕切って決定権を持っていた娘の結婚と言う伝統しきたりを、3人の娘が悉く破って父に逆らい、長女は、マッチメーカーの仲立ちを蹴って相思相愛の貧しい仕立て屋と、次女は、ロシア革命運動を首謀してシベリア送りにされた男の許に旅立ち、三女は、あろうことか異教徒のロシア青年と結婚すると言う型破りの展開を、
ユダヤ教の敬虔誠実な信者であるテビエが、時代の流れと娘たちの幸せには逆らえずに、TRADITIONに拘りながらも少しずつ受け入れて行くと言う感動的なヒューマン・タッチの物語になっている。
娘たちの愛の姿に目覚めて、妻に、私を愛しているか、とテビエが聞きながら近づき、何を今更と照れながら受け応えて唱和する夫婦のデュエットが、胸を打つ。
長女の結婚式の場面で流れるSUN RISE SUN SET! ユダヤ魂の輝きと誇りを何と神々しくも高らかに歌い上げていることか。
ロシア政府に故郷を追われて、僅かな家財道具を荷車に乗せて、夕闇迫る荒野を、ニューヨークに旅立っていくテビエ夫妻と幼い2人の娘を、バイオリン弾きが哀調を帯びたメロディを奏しながらついて行く姿を、遠方から広角レンズで追うラストシーンは、堪らなく感動的である。今も昔も、ユダヤ人は、千年王国を求めて世界中を根無し草のように彷徨い続けている。
私は、時代の流れに翻弄されながらも、時の流れに順応しながら必死に耐えながら雄雄しく生きて行くテビエの人生を見ていて、あの近代へのイタリアの転換期を貴族の没落を描きながら高らかに歌い上げた「山猫」のバート・ランカスターを思い出していた。
ところで、私は欧米で仕事をしていたので、ユダヤ人たちとの付き合いや経験が結構あるので、これまでにも書いたことがあるのだが、その思い出の片鱗を記してみたい。
最初に、このTRADITIONとも関係あるのだが、ウォートン・スクール留学時代、インターナショナル・ハウスと言う寮にいたのだが、隣にユダヤ人の数学者が住んで居て、「今日はエレベーターを使えない日なので、階段を歩いて下りて行くから、先に下りて、地下の非常口を開けて待っていて欲しい。」と頼まれたことがある。
同じ日だったと思うが、フィラデルフィアの某ホテルも、このユダヤの風習に従ってか、エレベーターを各階止まりの自動に切り替えて、ボタンを押さなくても、好きな階で乗り降り出来るようにしていた。
良く分からないが、ユダヤ教で機械に頼っては駄目だと決められた日だったのであろうか。
もうひとつ貴重なウォートン時代の経験だが、ジェイコブ・メンデルスゾーンと言うユダヤ人の友人が居て、パス・オーバーの日に、彼の故郷の親元に招待されて、老いも若きも一族郎党の男たちが集まって行われた儀式に参加して、あの小さな帽子を被って席についてgood bookの輪読に加わったり、一緒に過ぎ越しの食卓に着いたことがある。
何故、異教徒の私が招待されたのか今だに疑問だが、あの時、ジェイの部屋で見せられた額縁に入った楠木の絵のような家系図が忘れられない。
太い幹から枝分かれした分枝毎に祖先の名前が書かれていて、びっしりと書かれた最先端のジェイと言うところを示して、これが自分だと言った。
家系図にサークルを描きながら、ここはアメリカ、ここはオランダ、ここはイギリス、ここはブラジル等々と世界中に分散した親族の模様を語ったが、一箇所だけ、中央あたりで枝が途切れて束になっているところがあり、これは何だと聞いたら、ナチスにやられたドイツだと応えて顔を曇らせた。
もうひとつ、これもフィラデルフィアでの思い出だが、ソ連政府が、ユダヤ人のイスラエルへ移住を認めなかった頃で、丁度、ムラビンスキー指揮レニングラード・フィルの演奏会が、アカデミー・オブ・ミュージックで行われたのだが、当時、興行界を握っていたのがユダヤ人社会で、劇場前でのデモの激しさは勿論だが、客席を半分に真っ二つに仕切って、一方が完全に空席と言う異常な演奏会が始まり、私自身、その異様さにびっくりしたのを覚えている。
あの「栄光への脱出」も、ユダヤ人のイスラエル建国の物語だが、故国を追われて何世紀もの間放浪の旅に明け暮れたユダヤ民族の歴史は壮絶だが、私の好きな音楽家の大半も、経済学者の多くも、ユダヤ人であり、ユダヤの偉大さには疑問の余地はない。
記憶と言うのは良い加減なもので、何回か見た、あんなにポピュラーな映画であるにも拘らず、話の概要や、ところどころのシーンや役者などを覚えている程度で、細かいことは殆ど忘れてしまっている。
しかし、今回見て、この映画が、素晴らしく感動的な作品であることをあらためて認識した。
これまで、世界中を歩きまわり、あっちこっちで色々な歴史や異邦人の生活などに触れながら経験し蓄積して来た私自身の人生の年輪が、そっと私の背中を押したのかも知れないが、しみじみとした人間賛歌が、感動を新たにしてくれたと言うことであろうか。
映画は、舞台となるアナテフカ村が、夜のしじまから少しずつ明るくなって行き、屋根の上のバイオリン弾きのメロディが聞こえると、夜明けとともに仕事に出かけようとする主人公のミルク売りテビエの独白から始まる。
”この村の住民は、みんな、あの屋根の上のバイオリン弾きと同じで、素朴で楽しいメロディをキイキイ掻き鳴らして生きている。何故高いところに上って危険なことをするのか、ここに居る理由は、このアナテフカ村がHOME(我が家)だからだ。
わしらの調和を保っているのは、すべてこれ、TRADITIONのお陰だ。
TRADITIONによって、自分が誰であるかをわきまえ、神のご意思を知るのだ。”
高らかに、TRADITIONの合唱が流れると、ユダヤ教を象徴する映像が流れ、やがて、賑やかなアナテフカ村のユダヤ人たちの生活が映し出されて、物語が始まる。
この映画を見ていて、最初に一寸違和感を感じたのは、この映画の最も重要なテーマであるTRADITIONを、「しきたり」と訳して押し通していることで、このようにしきたりと翻訳するとニュアンスも意味も全く皮相的になってしまって、出鼻から観客を固定観念に呪縛してしまうと言うことである。
電子辞書を開くと、伝統、慣例、ならわし、しきたり、伝承、口伝、伝説、そして、ユダヤ教では神からMosesに授けられ、口伝された不文律、と記されている。
信仰心に篤いユダヤ人にとっては、生活の総て(?)の根幹にユダヤ教のドクトリンがある筈で、その上に培われてきた長い間の伝統やならわし、しきたりなどが生活を統べていて、この映画のTRADITIONは、ユダヤ教を中心としたこれら総ての意味合いを持った総合的な概念であると思う。
尤も、そんな固いことを言わなくても、映画を見れば分かるので、蛇足だと言うことかも知れない。
この映画は、そのTRADITIONが少しずつ移り行く姿を描いた映画、すなわち、父親が一切を仕切って決定権を持っていた娘の結婚と言う伝統しきたりを、3人の娘が悉く破って父に逆らい、長女は、マッチメーカーの仲立ちを蹴って相思相愛の貧しい仕立て屋と、次女は、ロシア革命運動を首謀してシベリア送りにされた男の許に旅立ち、三女は、あろうことか異教徒のロシア青年と結婚すると言う型破りの展開を、
ユダヤ教の敬虔誠実な信者であるテビエが、時代の流れと娘たちの幸せには逆らえずに、TRADITIONに拘りながらも少しずつ受け入れて行くと言う感動的なヒューマン・タッチの物語になっている。
娘たちの愛の姿に目覚めて、妻に、私を愛しているか、とテビエが聞きながら近づき、何を今更と照れながら受け応えて唱和する夫婦のデュエットが、胸を打つ。
長女の結婚式の場面で流れるSUN RISE SUN SET! ユダヤ魂の輝きと誇りを何と神々しくも高らかに歌い上げていることか。
ロシア政府に故郷を追われて、僅かな家財道具を荷車に乗せて、夕闇迫る荒野を、ニューヨークに旅立っていくテビエ夫妻と幼い2人の娘を、バイオリン弾きが哀調を帯びたメロディを奏しながらついて行く姿を、遠方から広角レンズで追うラストシーンは、堪らなく感動的である。今も昔も、ユダヤ人は、千年王国を求めて世界中を根無し草のように彷徨い続けている。
私は、時代の流れに翻弄されながらも、時の流れに順応しながら必死に耐えながら雄雄しく生きて行くテビエの人生を見ていて、あの近代へのイタリアの転換期を貴族の没落を描きながら高らかに歌い上げた「山猫」のバート・ランカスターを思い出していた。
ところで、私は欧米で仕事をしていたので、ユダヤ人たちとの付き合いや経験が結構あるので、これまでにも書いたことがあるのだが、その思い出の片鱗を記してみたい。
最初に、このTRADITIONとも関係あるのだが、ウォートン・スクール留学時代、インターナショナル・ハウスと言う寮にいたのだが、隣にユダヤ人の数学者が住んで居て、「今日はエレベーターを使えない日なので、階段を歩いて下りて行くから、先に下りて、地下の非常口を開けて待っていて欲しい。」と頼まれたことがある。
同じ日だったと思うが、フィラデルフィアの某ホテルも、このユダヤの風習に従ってか、エレベーターを各階止まりの自動に切り替えて、ボタンを押さなくても、好きな階で乗り降り出来るようにしていた。
良く分からないが、ユダヤ教で機械に頼っては駄目だと決められた日だったのであろうか。
もうひとつ貴重なウォートン時代の経験だが、ジェイコブ・メンデルスゾーンと言うユダヤ人の友人が居て、パス・オーバーの日に、彼の故郷の親元に招待されて、老いも若きも一族郎党の男たちが集まって行われた儀式に参加して、あの小さな帽子を被って席についてgood bookの輪読に加わったり、一緒に過ぎ越しの食卓に着いたことがある。
何故、異教徒の私が招待されたのか今だに疑問だが、あの時、ジェイの部屋で見せられた額縁に入った楠木の絵のような家系図が忘れられない。
太い幹から枝分かれした分枝毎に祖先の名前が書かれていて、びっしりと書かれた最先端のジェイと言うところを示して、これが自分だと言った。
家系図にサークルを描きながら、ここはアメリカ、ここはオランダ、ここはイギリス、ここはブラジル等々と世界中に分散した親族の模様を語ったが、一箇所だけ、中央あたりで枝が途切れて束になっているところがあり、これは何だと聞いたら、ナチスにやられたドイツだと応えて顔を曇らせた。
もうひとつ、これもフィラデルフィアでの思い出だが、ソ連政府が、ユダヤ人のイスラエルへ移住を認めなかった頃で、丁度、ムラビンスキー指揮レニングラード・フィルの演奏会が、アカデミー・オブ・ミュージックで行われたのだが、当時、興行界を握っていたのがユダヤ人社会で、劇場前でのデモの激しさは勿論だが、客席を半分に真っ二つに仕切って、一方が完全に空席と言う異常な演奏会が始まり、私自身、その異様さにびっくりしたのを覚えている。
あの「栄光への脱出」も、ユダヤ人のイスラエル建国の物語だが、故国を追われて何世紀もの間放浪の旅に明け暮れたユダヤ民族の歴史は壮絶だが、私の好きな音楽家の大半も、経済学者の多くも、ユダヤ人であり、ユダヤの偉大さには疑問の余地はない。