朝方の5時前に眼が覚めて、テレビをつけたら、ブエノスアイレスでの2020オリンピックの開催地の投票が終わった時だった。
決選投票は、東京とイスタンブールだと言うことで、下馬評で優勢であったマドリードの落選は意外であったが、あれだけ、経済情勢が悪くて、立ち上がれそうにもなければ、仕方がないと思った。
クルーグマンも、スペインが一番心配だと言っていたが、現在でも失業が26%で、若者の失業が50%をはるかに超えるており、名にし負うドン・キホーテの国である。
5時20分頃だったと思うが、ローゲ会長が、東京と言って、口絵写真のカードを掲げた時には、思わず大きな拍手をしたら、ワイフが飛んで来て、一緒にテレビを見ながら、喜びを噛みしめた。
その日の朝は、どのチャンネルをプッシュしても、東京オリンピックの話ばかり。
当分、日本中が幸せで包まれる。
東京の最大の勝因は、元々、すべての条件を満たしているので勝って当然だった筈で、欧米のメディアが報じているように、一番ネガティブな要因であった福島原発問題を、安倍首相が自ら会場に乗り込んで、不安を一気に一蹴したと言う快挙であろう。
トルコのイスタンブールも、昨今の激しい若者たちのデモや中東やイスラム圏での政情不安は勿論のこと、準備に不安視されているブラジルのリオデジャネイロでも懸念されているように、不安定な新興国の経済財政問題が、大きな足かせになったのであろう。
スポーツの祭典と言うだけではなく、日本にとっては、2020オリンピックは、一世一代の大事業であり、世界に冠たる一等国の誇りを示す最大の好機となるであろう。
日本の経済力は世界有数であろうが、歴史や伝統、文化文明と言った高度なソフトパワーにおいては、何処の国にも負けないくらいの実力が備わっている稀有な国であるから、正に、今こそ、世界に打って出る好機であり、そのような周到な準備が必要であろう。
朝10時には、国立能楽堂の10月公演のチケットのあぜくら会の発売が開始される。
早速、パソコンに向かって、ログインして、10時00分きっかりに、企画公演のプログラムを叩いた。
627席の内、あぜくら会メンバーのインターネット用に用意されたチケットが何枚あるか分からないが、とにかく、凄いスピードで、ソールドアウト。
結局、3公演はインターネットで取れたが、後の2公演は、電話予約した。
ところが、夜遅くインターネットで調べたら、3公演チケットが残っていると言う状態で、本来のファースト・カム・ファースト・サーブ・ベースのチケット販売手法を踏襲せずに、後出しジャンケンと言うか、販売方法が不明朗な感じがする。
9月は、国立能楽堂会場30周年記念公演であり、10月も、世阿弥生誕650年特集で素晴らしいプログラムが続いているので、どうせ完売するであろうから、買える時に買うしか仕方がない。
午後から、都響のプロムナード・コンサートで、サントリーホールに向かった。
小林研一郎指揮で、メンデルスゾーンの「フィンガルの洞窟」と「ヴァイオリン協奏曲ホ短調作品26」、それに、チャイコフスキーの「交響曲第4番ヘ短調作品36」
何時もの通り、凄い熱演で、若きヴァイオリニスト三浦文彰の素晴らしい美音とエネルギッシュなボーイング捌きの魅力は圧倒的で、アンコールで演奏したパガニーニの爪弾きながら甘美なサウンドを奏でる超絶技巧(?)には、聴衆も舌を巻く。
小林のチャイコフスキーは、都響のフルサウンドを如何なく引き出して、金管木管と打楽器の強烈なサウンドが、サントリーホールを圧倒、上気した小林への拍手喝采は長く続いた。
東京オリンピックのお祝いを述べた後、アンコールは、ブラームスの「ハンガリー舞曲5番」。
哀調を帯びた懐かしいブダペストでの小林のハンガリアン・サウンドが蘇って来て、ドナウ河畔の真珠のように美しい街の夜景が、走馬灯のように私の脳裏を駆け巡る。
帰って来てからは、オリンピックのテレビも見なければならないし、何時も見ている「八重の桜」と「半沢直樹」も見なければならない。
遊んでばかりだが、経済書を読んでいたのは、電車の中だけ。
とにかく、いつの間にか、一日が終わっている。
決選投票は、東京とイスタンブールだと言うことで、下馬評で優勢であったマドリードの落選は意外であったが、あれだけ、経済情勢が悪くて、立ち上がれそうにもなければ、仕方がないと思った。
クルーグマンも、スペインが一番心配だと言っていたが、現在でも失業が26%で、若者の失業が50%をはるかに超えるており、名にし負うドン・キホーテの国である。
5時20分頃だったと思うが、ローゲ会長が、東京と言って、口絵写真のカードを掲げた時には、思わず大きな拍手をしたら、ワイフが飛んで来て、一緒にテレビを見ながら、喜びを噛みしめた。
その日の朝は、どのチャンネルをプッシュしても、東京オリンピックの話ばかり。
当分、日本中が幸せで包まれる。
東京の最大の勝因は、元々、すべての条件を満たしているので勝って当然だった筈で、欧米のメディアが報じているように、一番ネガティブな要因であった福島原発問題を、安倍首相が自ら会場に乗り込んで、不安を一気に一蹴したと言う快挙であろう。
トルコのイスタンブールも、昨今の激しい若者たちのデモや中東やイスラム圏での政情不安は勿論のこと、準備に不安視されているブラジルのリオデジャネイロでも懸念されているように、不安定な新興国の経済財政問題が、大きな足かせになったのであろう。
スポーツの祭典と言うだけではなく、日本にとっては、2020オリンピックは、一世一代の大事業であり、世界に冠たる一等国の誇りを示す最大の好機となるであろう。
日本の経済力は世界有数であろうが、歴史や伝統、文化文明と言った高度なソフトパワーにおいては、何処の国にも負けないくらいの実力が備わっている稀有な国であるから、正に、今こそ、世界に打って出る好機であり、そのような周到な準備が必要であろう。
朝10時には、国立能楽堂の10月公演のチケットのあぜくら会の発売が開始される。
早速、パソコンに向かって、ログインして、10時00分きっかりに、企画公演のプログラムを叩いた。
627席の内、あぜくら会メンバーのインターネット用に用意されたチケットが何枚あるか分からないが、とにかく、凄いスピードで、ソールドアウト。
結局、3公演はインターネットで取れたが、後の2公演は、電話予約した。
ところが、夜遅くインターネットで調べたら、3公演チケットが残っていると言う状態で、本来のファースト・カム・ファースト・サーブ・ベースのチケット販売手法を踏襲せずに、後出しジャンケンと言うか、販売方法が不明朗な感じがする。
9月は、国立能楽堂会場30周年記念公演であり、10月も、世阿弥生誕650年特集で素晴らしいプログラムが続いているので、どうせ完売するであろうから、買える時に買うしか仕方がない。
午後から、都響のプロムナード・コンサートで、サントリーホールに向かった。
小林研一郎指揮で、メンデルスゾーンの「フィンガルの洞窟」と「ヴァイオリン協奏曲ホ短調作品26」、それに、チャイコフスキーの「交響曲第4番ヘ短調作品36」
何時もの通り、凄い熱演で、若きヴァイオリニスト三浦文彰の素晴らしい美音とエネルギッシュなボーイング捌きの魅力は圧倒的で、アンコールで演奏したパガニーニの爪弾きながら甘美なサウンドを奏でる超絶技巧(?)には、聴衆も舌を巻く。
小林のチャイコフスキーは、都響のフルサウンドを如何なく引き出して、金管木管と打楽器の強烈なサウンドが、サントリーホールを圧倒、上気した小林への拍手喝采は長く続いた。
東京オリンピックのお祝いを述べた後、アンコールは、ブラームスの「ハンガリー舞曲5番」。
哀調を帯びた懐かしいブダペストでの小林のハンガリアン・サウンドが蘇って来て、ドナウ河畔の真珠のように美しい街の夜景が、走馬灯のように私の脳裏を駆け巡る。
帰って来てからは、オリンピックのテレビも見なければならないし、何時も見ている「八重の桜」と「半沢直樹」も見なければならない。
遊んでばかりだが、経済書を読んでいたのは、電車の中だけ。
とにかく、いつの間にか、一日が終わっている。