今月の文楽は、通し狂言「伊賀越道中双六」で、殆ど、歌舞伎でも文楽でも、「沼津」の舞台ばかりしか観ていないので、全編通して見られるのは幸せで、非常に密度の高い意欲的な公演であり、一日中、休憩を入れて10時間国立劇場小劇場に詰めていても、実に充実した時間を過ごすことが出来た。
それに、この国立劇場で、藤十郎主演で、11月に歌舞伎でも上演されると言うのであるから、日本芸術文化振興会の熱の入れ方も大変なものである。」
さて、「沼津」だが、六段目で、「沼津里の段」から、「平作内の段」、「千本松原の段」までで、実際の仇討に関わる人物は、誰も登場しないものの、物語としては非常に良く出来た芝居で、感動的なので人気が高い。
討たれる股五郎を九州へ落ち延びさせる手助けをする商人呉服屋十兵衛(和生)が、沼津の道中で、知らずに、雲助をしている生みの親平作(勘十郎)に出会って家に逗留し、平作の娘お米(簑助)が敵討の当人志津馬(清十郎)の妻であり、敵味方であることが分かるのだが、平作がお米のために命を賭けて十兵衛に、股五郎の落ち行く先を聞き出し、ラストシーンで父息子・親子の対面をすると言う涙の物語なのである。
私が、最初に見た「沼津」は、8年前の3月で、このブログでも書いたが、皇太子妃両殿下が御観劇になっていて、非常に、素晴らしい舞台であった。
十兵衛が玉男、お米が簑助、平作が文吾で、錦糸の三味線で、住大夫が浄瑠璃全編を語ったのだが、当時最高峰の布陣で、これ以上望めない会心の舞台であったと思う。
次に観たのが、5年前で、その時には、十兵衛が簑助、お米が紋壽、平作が勘十郎で、綱大夫と住大夫と言う人間国宝二人が浄瑠璃を語ったのだが、この時も、涙がこぼれる程感激した。
さて、「沼津」の段で、私が一番気になるのは、十兵衛の人物像である。
住大夫が、「文楽のこころを語る」のなかで、
”十兵衛は町人で男前の上に、腕が立つ。侍も及ばないほどの達人ですから、弱々しい男ではない。優男ですから、筋肉隆々の男でもない。”と言っている。
この言葉から分かるのは、玉男が遣ったり吉右衛門が演じると言うのは分かるとしても、簑助が遣っても、今回のように、和生が遣っても、不思議ではなく、むしろ、女形の人形を遣うことの多い人形遣いの十兵衛の方が、キャラクターとしての表現には、奥行きなり人間性の幅が出て良いのではないかと思うのである。
私は、和生の十兵衛に、非常に、親しみと親近感を感じて好ましく思ったし、この文楽の大詰めにも、十兵衛が登場して、股五郎と志津馬、両方への義理を立てるべく、わざと志津馬に斬られるのだが、そのあたりの表現も、和生は非常に上手く遣っていた。
この「沼津」では、冒頭、平作が、十兵衛の荷物担ぎを頼みながらも、年老いた身には荷が重くて、膝を曲げてよたよたと歩く「小揚」の場があり、先導して意気揚々と歩く十兵衛の後をよろけながらついて行く情景など、バックの舞台が後方に移動するので実に大らかな旅風景だし、平作が足を怪我して十兵衛が荷を担いで歩く道行も実に長閑で、その後に続く愁嘆場の前の静けさと言った感じで、実に懐かしさを感じさせてくれる良いシーンで、和生の十兵衛も味があっていいし、勘十郎の平作の上手さは抜群で、津駒大夫と寛治、寛太郎も冴えきっている。
この後、迎えに出て来たお米の美しさと実に色気のある女の魅力に、ゾッコン惚れ込んだ十兵衛が、ぼろ屋に泊まることになるのだが、玉男が足も真面に落として歩けないような汚さと言うところだから、平作が言うように身につくのは蚤虱だけ。
平作の述懐から、自分が幼い時に貰われて行った実子であることを知った十兵衛は、父親に金を残したいために、一計を案じて、お米に惚れたふりをして、嫁入の支度金として託すべく、「面目ないが、わしゃこなさんに惚れたわいの」と言ってしなだれかかる芸の細かさ。
お米の登場から、簑助の遣うお米の魅力は全開で、掃き溜めに鶴、場違いながらそこはかと香る一世を風靡した吉原の遊女瀬川の醸し出す色香は隠しようがなく、女形の得意な和生の十兵衛との相性は実に良い。
志津馬の病気を治したいばっかりに、平作の怪我を瞬時に治した十兵衛の薬を盗むべく、寝静まった十兵衛の枕元から印籠を盗ろうとして、見つかり、騒ぎに目を覚ました平作が貧乏ゆえに盗みを働いたと思ってお米を詰るのだが、そこから、お米が印籠に手を掛けた事情を語る「お米のクドキ」の場が始まり、哀切極まって聴衆の肺腑を抉る。
簑助お米の独壇場で、このシーンを聴き観るだけでも、沼津を観る価値があると思えるほどのもので、呂勢大夫の浄瑠璃と清治の三味線が、聴衆を泣かせる。
先を急ぐ十兵衛は、それとなく仏壇の母親の位牌に手を合わせて、門口にお米を呼んで平作への孝行を頼んで旅立つのだが、残された石塔寄進の石塔代と薬の入った印籠を見た平作とお米は、その印籠の紋が志津馬の仇・股五郎の家紋であり、書付が平作夫妻が息子平三郎を養子に出した時のものだと分かって、実の親子兄妹だと悟って、仇股五郎の在処を聞き出すべく、平作が、十兵衛を追って、まろびころびつ夜道を駆け出すのが、物語のクライマックス「千本松原」。
ここからが、住大夫の浄瑠璃と錦糸の三味線。
親子だと知り合いながらも、平作が敵の在処を十兵衛の袖にしがみ付いて懇願すれども左右に振り払い、しかし、親子の情、雨が降り始めるので道中合羽を平作の肩にかけて笠を頭上にかかげるが、十兵衛は、恩ある股五郎を裏切れば義理が立たない。
清公の弾く哀切極まりない胡弓の音が、胸を締め付ける。
思い余った平作が、十兵衛の脇差を抜いて自らの腹に突き立てる。自分の命で、十兵衛の股五郎への恩を立て、その代わりに、冥途の土産に仇の行方を教えてくれと今わの際で迫る平作。
ことここに至っては、十兵衛の気持ちには迷いはなく、親が子を案じ、子が親を思いやる気持ちはだれも同じ、初めは平作に口をつけて、次には、笠を左頬に当ててて、お米と孫八に聞こえるように、「落ち行く先は、九州相良。」と叫ぶ。
玉男が、「親子一世の逢い初めの逢い納め」と言うクライマックスで、孫六が打った火影をたよりの一瞬の顔合わせで、遂に親子の名乗りとなる。
平作はこと切れ、十兵衛は笠で顔を隠して泣くうちに幕。
情愛の世界だと言う住大夫は、平作が腹を切った後からは、吐く息だけで語り続け、お米に聴かせるために、「股五郎が落ち行く先は九州相良、九州相良」と言う言葉だけは声を張り上げると言う。胡弓の哀切極まりない音色が相和して、正に断腸の悲痛。
通し狂言だと言いながら、やはり、沼津ばかりについて書いてしまったが、
股五郎が、和田行家の所有する名刀正宗が欲しくて、行家を殺害し、その子供の志津馬が、股五郎を仇とする経緯や、志津馬の姉のお谷(和生)が、許しを得ずに浪人の唐木政右衛門(玉女)と夫婦になったので、政右衛門にとって、行家が、実の義父に成り得ず、婿舅の関係になって助太刀出来ないので、お谷を離縁して、妹のおのちと結婚する話など伏線が分かって非常に興味深くなった。
「円覚寺の段」で、股五郎を九州相良に落ち延びさせるために、道案内に、股五郎の従兄弟城五郎家に出入りしている呉服屋十兵衛が呼び出されて、その時に、今回、お米が手を付けた印籠を、股五郎が、十兵衛に沢井家伝来の妙薬だとして託して、一命を預けると言う設定になっている。
この第一部の舞台では、沼津以外では、「唐木政右衛門屋敷の段」が、非常に見ごたえがあって、玉女の豪快な唐木政右衛門と和生のお谷との関わりなど、非常に面白く、これだけでも、十分に一幕ものの芝居になると思っている。
政右衛門とお谷との再会とその乳飲み子の悲劇が、第二部の「岡崎」の段で、山場となり、感動的な舞台が展開される。
それに、この国立劇場で、藤十郎主演で、11月に歌舞伎でも上演されると言うのであるから、日本芸術文化振興会の熱の入れ方も大変なものである。」
さて、「沼津」だが、六段目で、「沼津里の段」から、「平作内の段」、「千本松原の段」までで、実際の仇討に関わる人物は、誰も登場しないものの、物語としては非常に良く出来た芝居で、感動的なので人気が高い。
討たれる股五郎を九州へ落ち延びさせる手助けをする商人呉服屋十兵衛(和生)が、沼津の道中で、知らずに、雲助をしている生みの親平作(勘十郎)に出会って家に逗留し、平作の娘お米(簑助)が敵討の当人志津馬(清十郎)の妻であり、敵味方であることが分かるのだが、平作がお米のために命を賭けて十兵衛に、股五郎の落ち行く先を聞き出し、ラストシーンで父息子・親子の対面をすると言う涙の物語なのである。
私が、最初に見た「沼津」は、8年前の3月で、このブログでも書いたが、皇太子妃両殿下が御観劇になっていて、非常に、素晴らしい舞台であった。
十兵衛が玉男、お米が簑助、平作が文吾で、錦糸の三味線で、住大夫が浄瑠璃全編を語ったのだが、当時最高峰の布陣で、これ以上望めない会心の舞台であったと思う。
次に観たのが、5年前で、その時には、十兵衛が簑助、お米が紋壽、平作が勘十郎で、綱大夫と住大夫と言う人間国宝二人が浄瑠璃を語ったのだが、この時も、涙がこぼれる程感激した。
さて、「沼津」の段で、私が一番気になるのは、十兵衛の人物像である。
住大夫が、「文楽のこころを語る」のなかで、
”十兵衛は町人で男前の上に、腕が立つ。侍も及ばないほどの達人ですから、弱々しい男ではない。優男ですから、筋肉隆々の男でもない。”と言っている。
この言葉から分かるのは、玉男が遣ったり吉右衛門が演じると言うのは分かるとしても、簑助が遣っても、今回のように、和生が遣っても、不思議ではなく、むしろ、女形の人形を遣うことの多い人形遣いの十兵衛の方が、キャラクターとしての表現には、奥行きなり人間性の幅が出て良いのではないかと思うのである。
私は、和生の十兵衛に、非常に、親しみと親近感を感じて好ましく思ったし、この文楽の大詰めにも、十兵衛が登場して、股五郎と志津馬、両方への義理を立てるべく、わざと志津馬に斬られるのだが、そのあたりの表現も、和生は非常に上手く遣っていた。
この「沼津」では、冒頭、平作が、十兵衛の荷物担ぎを頼みながらも、年老いた身には荷が重くて、膝を曲げてよたよたと歩く「小揚」の場があり、先導して意気揚々と歩く十兵衛の後をよろけながらついて行く情景など、バックの舞台が後方に移動するので実に大らかな旅風景だし、平作が足を怪我して十兵衛が荷を担いで歩く道行も実に長閑で、その後に続く愁嘆場の前の静けさと言った感じで、実に懐かしさを感じさせてくれる良いシーンで、和生の十兵衛も味があっていいし、勘十郎の平作の上手さは抜群で、津駒大夫と寛治、寛太郎も冴えきっている。
この後、迎えに出て来たお米の美しさと実に色気のある女の魅力に、ゾッコン惚れ込んだ十兵衛が、ぼろ屋に泊まることになるのだが、玉男が足も真面に落として歩けないような汚さと言うところだから、平作が言うように身につくのは蚤虱だけ。
平作の述懐から、自分が幼い時に貰われて行った実子であることを知った十兵衛は、父親に金を残したいために、一計を案じて、お米に惚れたふりをして、嫁入の支度金として託すべく、「面目ないが、わしゃこなさんに惚れたわいの」と言ってしなだれかかる芸の細かさ。
お米の登場から、簑助の遣うお米の魅力は全開で、掃き溜めに鶴、場違いながらそこはかと香る一世を風靡した吉原の遊女瀬川の醸し出す色香は隠しようがなく、女形の得意な和生の十兵衛との相性は実に良い。
志津馬の病気を治したいばっかりに、平作の怪我を瞬時に治した十兵衛の薬を盗むべく、寝静まった十兵衛の枕元から印籠を盗ろうとして、見つかり、騒ぎに目を覚ました平作が貧乏ゆえに盗みを働いたと思ってお米を詰るのだが、そこから、お米が印籠に手を掛けた事情を語る「お米のクドキ」の場が始まり、哀切極まって聴衆の肺腑を抉る。
簑助お米の独壇場で、このシーンを聴き観るだけでも、沼津を観る価値があると思えるほどのもので、呂勢大夫の浄瑠璃と清治の三味線が、聴衆を泣かせる。
先を急ぐ十兵衛は、それとなく仏壇の母親の位牌に手を合わせて、門口にお米を呼んで平作への孝行を頼んで旅立つのだが、残された石塔寄進の石塔代と薬の入った印籠を見た平作とお米は、その印籠の紋が志津馬の仇・股五郎の家紋であり、書付が平作夫妻が息子平三郎を養子に出した時のものだと分かって、実の親子兄妹だと悟って、仇股五郎の在処を聞き出すべく、平作が、十兵衛を追って、まろびころびつ夜道を駆け出すのが、物語のクライマックス「千本松原」。
ここからが、住大夫の浄瑠璃と錦糸の三味線。
親子だと知り合いながらも、平作が敵の在処を十兵衛の袖にしがみ付いて懇願すれども左右に振り払い、しかし、親子の情、雨が降り始めるので道中合羽を平作の肩にかけて笠を頭上にかかげるが、十兵衛は、恩ある股五郎を裏切れば義理が立たない。
清公の弾く哀切極まりない胡弓の音が、胸を締め付ける。
思い余った平作が、十兵衛の脇差を抜いて自らの腹に突き立てる。自分の命で、十兵衛の股五郎への恩を立て、その代わりに、冥途の土産に仇の行方を教えてくれと今わの際で迫る平作。
ことここに至っては、十兵衛の気持ちには迷いはなく、親が子を案じ、子が親を思いやる気持ちはだれも同じ、初めは平作に口をつけて、次には、笠を左頬に当ててて、お米と孫八に聞こえるように、「落ち行く先は、九州相良。」と叫ぶ。
玉男が、「親子一世の逢い初めの逢い納め」と言うクライマックスで、孫六が打った火影をたよりの一瞬の顔合わせで、遂に親子の名乗りとなる。
平作はこと切れ、十兵衛は笠で顔を隠して泣くうちに幕。
情愛の世界だと言う住大夫は、平作が腹を切った後からは、吐く息だけで語り続け、お米に聴かせるために、「股五郎が落ち行く先は九州相良、九州相良」と言う言葉だけは声を張り上げると言う。胡弓の哀切極まりない音色が相和して、正に断腸の悲痛。
通し狂言だと言いながら、やはり、沼津ばかりについて書いてしまったが、
股五郎が、和田行家の所有する名刀正宗が欲しくて、行家を殺害し、その子供の志津馬が、股五郎を仇とする経緯や、志津馬の姉のお谷(和生)が、許しを得ずに浪人の唐木政右衛門(玉女)と夫婦になったので、政右衛門にとって、行家が、実の義父に成り得ず、婿舅の関係になって助太刀出来ないので、お谷を離縁して、妹のおのちと結婚する話など伏線が分かって非常に興味深くなった。
「円覚寺の段」で、股五郎を九州相良に落ち延びさせるために、道案内に、股五郎の従兄弟城五郎家に出入りしている呉服屋十兵衛が呼び出されて、その時に、今回、お米が手を付けた印籠を、股五郎が、十兵衛に沢井家伝来の妙薬だとして託して、一命を預けると言う設定になっている。
この第一部の舞台では、沼津以外では、「唐木政右衛門屋敷の段」が、非常に見ごたえがあって、玉女の豪快な唐木政右衛門と和生のお谷との関わりなど、非常に面白く、これだけでも、十分に一幕ものの芝居になると思っている。
政右衛門とお谷との再会とその乳飲み子の悲劇が、第二部の「岡崎」の段で、山場となり、感動的な舞台が展開される。