ミラノ・スカラ座のヴェルディ、それも、シェイクスピア原作の「ファルスタッフ」であるから、文句なしに観劇に出かけた。
最近、ファルスタッフを観たのは、7年前のフィレンツェ歌劇場のライモンディの凄い「ファルスタッフ」と、作曲者は違うが、昨年ウィーン・フォルクスオーパーで、オットー・ニコライの「ウインザーの陽気な女房たち」。
現地では、随分前に、ウィーン国立歌劇場やロンドンのロイヤル・オペラで素晴らしい舞台を観ているのだが、ロンドンのロイヤル・シェイクスピア・カンパニー(RSC)で、2度、シェイクスピア劇でも鑑賞しているので、私にとっては、かなり、お馴染みのオペラである。
イギリスに赴任して、初めて、ロンドンのバービカン劇場で、RSCのシェイクスピア劇を観たのが、「ヘンリー4世」で、
この時の重要登場人物が、怪しげなロンドンの下町で家来として仕えて、ハル王子に追剥強盗あらん限りの悪行を教え込む太鼓腹の放蕩無頼の巨漢がファルスタッフで、ハル王子がヘンリー五世になると即座にお払い箱となって野に下る、そんな無頼漢であった。
肩書こそ騎士だが、国家の運命などわれ関せず、欲と言う欲はひとつ残らず味わい尽くし名誉心など一かけらもない勝手気ままな自由人で、居酒屋猪首亭に入り浸り。
このヴェルディのオペラは、台本作者のヴォイトが、この「ヘンリー4世」と落ちぶれたファルスタッフを描いた「ヘンリー5世」のイメージを加味して、シェイクスピアの喜劇「ウインザーの陽気な女房たち」を下敷きにして書いたファルスタッフのオペラで、喜劇を書きたくてウズウズしていたヴェルディが、喜んで書いた80歳間近の最晩年の作品である。
エリザベス女王も、このヘンリー4世をご覧になったのであろう。
陛下は痛くご執心で、シェイクスピアに、ファルスタッフを主人公にして恋の物語を書けとお命じになって生まれたのがこの戯曲で、何故か、イギリスでは、ファルスタッフが、シェイクスピアの登場人物で、最も愛されているキャラクターだと言うから面白い。
この口絵写真(旅行中に撮影)のスカラ座の前に立つヴェルディと同じように、シェイクスピアの故郷ストラトフォード・アポン・エイヴォンのRS劇場前広場にファルスタッフ像が立っている。
さて、ヘンリー5世に追放されて流れ着いたのがウインザー。元より羽振りが良くないので、質の悪い子分を連れて来たが、彼らが窃盗や狼藉で静かな田舎町に騒動を巻き起こす。
そんなところから、このオペラは始まるのだが、シェイクスピアの原作よりも、かなり、シンプルにして、
ファルスタッフ(アンブロージョ・マエストリ)が、金蔓にしようと目論んで、名家で富裕なフォード夫人アリーチェ(バルバラ・フリットリ)とページ夫人メグ(ラウラ・ポルヴェッレッリ)に、同文のラブレーターを送り、ものにしようとするが、口説こうと訪問中に、逆に、夫フォード(マッシモ・カヴァレッティ)が帰って来たと大きな洗濯籠に入れられて、テムズ川に放り投げられ、これに懲りずに、また、夜の森でのデートに誘われて、妖精や化け物に変装した一同に散々とっちめられると言う話になっている。
これに、フォードが、娘ナンエッタ(イリーナ・ルング)を医師カイウス(カルロ・ボージ)と結婚させようとするのだが、相思相愛のフェントン(アントニオ・ポーリ)との恋物語や、アリーチェからの逢引きの使者として口八丁手八丁の陽気なクイックリー夫人(バニエラ・バルチェッローナ)を登場させ、また、嫉妬深いフォードが、アリーチェの浮気を確かめるために、フォンターナと名乗ってファルスタッフを訪問し、アリーチェを口説いてくれと頼むと言う挿話が加わっている。
この最後の件だが、ファルスタッフは、クイックリー夫人の色よいアリーチェからの誘いを聞いた後だから、もう、良いところまで行っていると返事するので、フォードは錯乱状態。舞台が一瞬暗くなって、フォードが歌いだすモノローグが、「夢か、うつつか・・・」悲劇「オテロ」のパロディだと言うから、晩年のヴェルディの冴えも流石である。
このオペラの舞台は、ファルスタッフが逗留するイン・ガーター亭、フォード邸のDK、そして、最後は、ウインザーの森とペイジ邸の広間。
ガーター亭は、どちらかと言えば、ロンドンのジェントイルマン・クラブを模した感じで一寸豪華過ぎる雰囲気で、フォード亭は至ってモダン。
最後の妖精たちの舞う夜のウインザーの森は、それなりに雰囲気があって面白かったが、今まで、非常に美しくて幻想的な素晴らしい舞台を観ているので、一寸、印象が違った。
「人々は、すべて、騙されて生きている」。「この世はすべて冗談、人間はみな道化」と言ったシェイクスピアの透徹した人生訓が、このオペラのエンディング。
このオペラは、ベルカント風のアリアはなく、正に、音楽が奏でる演劇なのだが、夜の森の冒頭シーンで歌われるフェントンのソロ「唇をついて舞う喜びの歌」や、妖精の女王に扮したナンエッタのソロ「夏のそよ風に乗って」の美しさは、格別である。
さて、前回は、イタリアの至宝ライモンディのファルスタッフだったが、
今回は、1970年イタリアのパヴィア生まれで、ヴェルディの諸役を中心に世界の舞台で活躍中。なかでもファルスタッフは最大の当たり役だと言うマエストリ。豊かな声、自身も認めるファルスタッフそのもの(?)の堂々たる体躯、コミカルさをもちながらも人生の“哲学”を感じさせる奥深い表現など、当たり役として極められたファルスタッフが、聴衆をうならせるはず。 とHPで広報されているように、一寸、英国流シェイクスピア劇の雰囲気とは多少違う感じがするものの、理想的なファルスタッフで、最初から最後まで、楽しませてくれる。
興味深いのはHPのインタビューで、
「カーセンの演出ではファルスタッフをイタリアンではなく、ブリティッシュとしてとらえているという点で随分と考え方の違いがあった。カーセン演出はコミックでありながら、マリンコニック(哀愁)なところも大変意識していて、とても詩的に仕上がっていることを納得。第3 幕冒頭で、馬と対話するシーンで、それまでやりたい放題行動してきたファルスタッフがコミカルな表現からマリンコニックな表現に変わるところは人生を省みるようで、ファルスタッフを自分自身の作品だと言ったヴェルディ自身の人生にも重ねているように感じる。」と言っており、最晩年になって、ヴェルディが、何故、喜劇作品に挑戦したのか、その謎が解けそうで興味深い。
普通は、前述のライモンディのように、ファルスタッフのイメージに合わせるべく、体躯や衣装に工夫をこらすのだが、ブッツケ本番、生身の体で、ファルスタッフを歌い演じきれる役者・歌手は稀有である。
ヴェルディは、テノールではなく、バリトンを主役にオペラを書いており、もう一人の主役のバリトンが、フォードのカヴァレッティ。2004年にベルガモのドニゼッティ劇場でデビューして、スカラ座で「セビリャの理髪師」のフィガロも歌ったと言うから、まだ、若くて非常にエネルギッシュで、ガーター亭でのフォンターナになって、マエストリを相手に互角に渡り合うなど、将来が楽しみである。
私が最も期待していたのが、アリーチェのフリットリで、前回のフィレンツェ歌劇場公演でも、ライモンディを相手に素晴らしい舞台を見せていた。
その時の私の感想が、「フリットリのアリーチェだが、歌の上手さは抜群であり、その上に品があって実に優雅でコケテッシュ。何回か、RSCやオペラで他のフォード夫人を見ているが、これほどぴったりした役者は少ない。」
クイックリー夫人のバルチェッローナ、注目の若手ルングとポーリが演じる若い恋人たちなど素晴らしい歌手たちも加わって繰り広げた珠玉のような、最高峰のスカラ座のファルスタッフ。
何よりも、1975年イギリスのオックスフォード生まれで、サイモン・ラトルやクラウディオ・アッバードに薫陶を受けて、今や飛ぶ鳥を落とす勢いのダニエル・ハーディングの素晴らしい指揮が、華を添えたことは間違いない。
最近、ファルスタッフを観たのは、7年前のフィレンツェ歌劇場のライモンディの凄い「ファルスタッフ」と、作曲者は違うが、昨年ウィーン・フォルクスオーパーで、オットー・ニコライの「ウインザーの陽気な女房たち」。
現地では、随分前に、ウィーン国立歌劇場やロンドンのロイヤル・オペラで素晴らしい舞台を観ているのだが、ロンドンのロイヤル・シェイクスピア・カンパニー(RSC)で、2度、シェイクスピア劇でも鑑賞しているので、私にとっては、かなり、お馴染みのオペラである。
イギリスに赴任して、初めて、ロンドンのバービカン劇場で、RSCのシェイクスピア劇を観たのが、「ヘンリー4世」で、
この時の重要登場人物が、怪しげなロンドンの下町で家来として仕えて、ハル王子に追剥強盗あらん限りの悪行を教え込む太鼓腹の放蕩無頼の巨漢がファルスタッフで、ハル王子がヘンリー五世になると即座にお払い箱となって野に下る、そんな無頼漢であった。
肩書こそ騎士だが、国家の運命などわれ関せず、欲と言う欲はひとつ残らず味わい尽くし名誉心など一かけらもない勝手気ままな自由人で、居酒屋猪首亭に入り浸り。
このヴェルディのオペラは、台本作者のヴォイトが、この「ヘンリー4世」と落ちぶれたファルスタッフを描いた「ヘンリー5世」のイメージを加味して、シェイクスピアの喜劇「ウインザーの陽気な女房たち」を下敷きにして書いたファルスタッフのオペラで、喜劇を書きたくてウズウズしていたヴェルディが、喜んで書いた80歳間近の最晩年の作品である。
エリザベス女王も、このヘンリー4世をご覧になったのであろう。
陛下は痛くご執心で、シェイクスピアに、ファルスタッフを主人公にして恋の物語を書けとお命じになって生まれたのがこの戯曲で、何故か、イギリスでは、ファルスタッフが、シェイクスピアの登場人物で、最も愛されているキャラクターだと言うから面白い。
この口絵写真(旅行中に撮影)のスカラ座の前に立つヴェルディと同じように、シェイクスピアの故郷ストラトフォード・アポン・エイヴォンのRS劇場前広場にファルスタッフ像が立っている。
さて、ヘンリー5世に追放されて流れ着いたのがウインザー。元より羽振りが良くないので、質の悪い子分を連れて来たが、彼らが窃盗や狼藉で静かな田舎町に騒動を巻き起こす。
そんなところから、このオペラは始まるのだが、シェイクスピアの原作よりも、かなり、シンプルにして、
ファルスタッフ(アンブロージョ・マエストリ)が、金蔓にしようと目論んで、名家で富裕なフォード夫人アリーチェ(バルバラ・フリットリ)とページ夫人メグ(ラウラ・ポルヴェッレッリ)に、同文のラブレーターを送り、ものにしようとするが、口説こうと訪問中に、逆に、夫フォード(マッシモ・カヴァレッティ)が帰って来たと大きな洗濯籠に入れられて、テムズ川に放り投げられ、これに懲りずに、また、夜の森でのデートに誘われて、妖精や化け物に変装した一同に散々とっちめられると言う話になっている。
これに、フォードが、娘ナンエッタ(イリーナ・ルング)を医師カイウス(カルロ・ボージ)と結婚させようとするのだが、相思相愛のフェントン(アントニオ・ポーリ)との恋物語や、アリーチェからの逢引きの使者として口八丁手八丁の陽気なクイックリー夫人(バニエラ・バルチェッローナ)を登場させ、また、嫉妬深いフォードが、アリーチェの浮気を確かめるために、フォンターナと名乗ってファルスタッフを訪問し、アリーチェを口説いてくれと頼むと言う挿話が加わっている。
この最後の件だが、ファルスタッフは、クイックリー夫人の色よいアリーチェからの誘いを聞いた後だから、もう、良いところまで行っていると返事するので、フォードは錯乱状態。舞台が一瞬暗くなって、フォードが歌いだすモノローグが、「夢か、うつつか・・・」悲劇「オテロ」のパロディだと言うから、晩年のヴェルディの冴えも流石である。
このオペラの舞台は、ファルスタッフが逗留するイン・ガーター亭、フォード邸のDK、そして、最後は、ウインザーの森とペイジ邸の広間。
ガーター亭は、どちらかと言えば、ロンドンのジェントイルマン・クラブを模した感じで一寸豪華過ぎる雰囲気で、フォード亭は至ってモダン。
最後の妖精たちの舞う夜のウインザーの森は、それなりに雰囲気があって面白かったが、今まで、非常に美しくて幻想的な素晴らしい舞台を観ているので、一寸、印象が違った。
「人々は、すべて、騙されて生きている」。「この世はすべて冗談、人間はみな道化」と言ったシェイクスピアの透徹した人生訓が、このオペラのエンディング。
このオペラは、ベルカント風のアリアはなく、正に、音楽が奏でる演劇なのだが、夜の森の冒頭シーンで歌われるフェントンのソロ「唇をついて舞う喜びの歌」や、妖精の女王に扮したナンエッタのソロ「夏のそよ風に乗って」の美しさは、格別である。
さて、前回は、イタリアの至宝ライモンディのファルスタッフだったが、
今回は、1970年イタリアのパヴィア生まれで、ヴェルディの諸役を中心に世界の舞台で活躍中。なかでもファルスタッフは最大の当たり役だと言うマエストリ。豊かな声、自身も認めるファルスタッフそのもの(?)の堂々たる体躯、コミカルさをもちながらも人生の“哲学”を感じさせる奥深い表現など、当たり役として極められたファルスタッフが、聴衆をうならせるはず。 とHPで広報されているように、一寸、英国流シェイクスピア劇の雰囲気とは多少違う感じがするものの、理想的なファルスタッフで、最初から最後まで、楽しませてくれる。
興味深いのはHPのインタビューで、
「カーセンの演出ではファルスタッフをイタリアンではなく、ブリティッシュとしてとらえているという点で随分と考え方の違いがあった。カーセン演出はコミックでありながら、マリンコニック(哀愁)なところも大変意識していて、とても詩的に仕上がっていることを納得。第3 幕冒頭で、馬と対話するシーンで、それまでやりたい放題行動してきたファルスタッフがコミカルな表現からマリンコニックな表現に変わるところは人生を省みるようで、ファルスタッフを自分自身の作品だと言ったヴェルディ自身の人生にも重ねているように感じる。」と言っており、最晩年になって、ヴェルディが、何故、喜劇作品に挑戦したのか、その謎が解けそうで興味深い。
普通は、前述のライモンディのように、ファルスタッフのイメージに合わせるべく、体躯や衣装に工夫をこらすのだが、ブッツケ本番、生身の体で、ファルスタッフを歌い演じきれる役者・歌手は稀有である。
ヴェルディは、テノールではなく、バリトンを主役にオペラを書いており、もう一人の主役のバリトンが、フォードのカヴァレッティ。2004年にベルガモのドニゼッティ劇場でデビューして、スカラ座で「セビリャの理髪師」のフィガロも歌ったと言うから、まだ、若くて非常にエネルギッシュで、ガーター亭でのフォンターナになって、マエストリを相手に互角に渡り合うなど、将来が楽しみである。
私が最も期待していたのが、アリーチェのフリットリで、前回のフィレンツェ歌劇場公演でも、ライモンディを相手に素晴らしい舞台を見せていた。
その時の私の感想が、「フリットリのアリーチェだが、歌の上手さは抜群であり、その上に品があって実に優雅でコケテッシュ。何回か、RSCやオペラで他のフォード夫人を見ているが、これほどぴったりした役者は少ない。」
クイックリー夫人のバルチェッローナ、注目の若手ルングとポーリが演じる若い恋人たちなど素晴らしい歌手たちも加わって繰り広げた珠玉のような、最高峰のスカラ座のファルスタッフ。
何よりも、1975年イギリスのオックスフォード生まれで、サイモン・ラトルやクラウディオ・アッバードに薫陶を受けて、今や飛ぶ鳥を落とす勢いのダニエル・ハーディングの素晴らしい指揮が、華を添えたことは間違いない。