熟年の文化徒然雑記帳

徒然なるままに、クラシックや歌舞伎・文楽鑑賞、海外生活と旅、読書、生活随想、経済、経営、政治等々万の随想を書こうと思う。

ポール・クルーグマン著「そして日本経済が世界の希望になる」

2013年09月28日 | 書評(ブックレビュー)・読書
   これは、大野和基氏が、クルーグマンとのインタビューやブログで編集した日本のみの発売を企図した本だが、非常に時宜を得たアベノミクスに対するクルーグマン経済学の現時点での集大成と言った感じで、非常に興味深くて面白い。

   2008年の金融危機後の世界経済は、1930年代以降、見られない「恐慌型経済」であると言うのがクルーグマンの基本的な認識である。
   「恐慌型経済」とは、この数十年で初めて、経済の需要サイドにおける欠陥、つまり、利用可能な生産能力に見合うほどの十分な個人消費が存在しないことが、世界経済の足かせになっていると言うことで、クルーグマンは、再び経済の生産能力を活用するためには、いかに需要を十分に刺激するかが決定的な問題だとして、ケインズ政策の重要性をことあるごとに説き続けてきた。 
   

   産業革命以降、150年以上の歴史から学んだことは、残念ながら危機を放っておくと、更なる大きな苦痛を生み出す可能性があり、一つの金融機関が傾けば全体に伝播して悪影響が伝染する。
   したがって、景気を回復させるためには、自律的な経済成長に至るまで、出来ることは、何でもやり続ける。それが十分でなければ、信用が拡大し始め、経済全体にその拡大が広がるまで更に多くを実行し、それとは違う施策も打つべきで、絶対に、中途半端に手を緩めてはならない。と言うのである。
   しかしながら、リーマン・ショック後のリセッションから抜け出しつつあるものの、依然、欧米先進国の慢性的な不振状態が続いているのは、総ての間違いは引き締めにあると言う考え方であるから、FRBやオバマ政権、そして、ECBやEU諸国の金融および財政政策の不適切・不十分さによるものだと、強烈に糾弾している。
   日本のデフレ不況を長引かせたのは、大規模なバブル崩壊の後、日本の金融政策と財政政策は、常に一歩遅かったことにより、日銀の行動はあまりにも控えめで、そのタイミングを見誤ったからだと述べている。 

 
   財政政策については、問題が危機に直面した時には、リアルタイムで積極的な財政政策に打って出ることが最も有効な解決策だとケインズ理論の重要性を強調している。

   日本の財政出動については、雇用維持などに使われて、どうすればそれを一時的な支え以上のものにできるのかと言う枠組みが欠けていた。
   政府が、金融政策を伴わない財政出動を実施すれば、長期金利の上昇を引き起こし、海外資金が国内に流入し、円高を招き、輸出の減少が財政内需拡大効果を相殺し、デフレ経済からの脱却を阻害して来た。
   この場合、高いインフレ目標を掲げる必要性を同時に受け入れることが必要で、そのためには、出来るだけ規模の大きな金融緩和と実際に牽引力のある財政刺激策を組み合わせることで、国民に「インフレ率が上がる」と実感させ、そのインフレ率を維持する意図を、当局が公表して堅持し続けることが大切だと言う。
   その意味でも、アベノミクスと言うコーディネートされた政策パッケージに大いに期待していると言うのである。

   ここでは、詳述を避けるが、インフレについては、「ファントム・メナス(目に見えない恐怖)」だと一蹴しており、金融緩和だけでハイパー・インフレなど起こるわけがなく、戦時ならいざ知らず、現状の日本では考えられない。
   国家債務については、重要なことは、日本が自国の通貨を持ち、公的債務を自国通貨で有していることであり、日本国債の空売りは、売り手を破産に追い込む「未亡人製造機」であって、心配することはないと、すべての間違いは金融緩和ではなく、過剰引締めだと何度も強調している。
   黒田日銀の大胆な金融緩和政策による、円安は、経済拡大要因となって大いに結構であり、2%のインフレターゲットは、非常に良いが、むしろ、4%を目指すべきで、少し高めのインフレが、公的債務の軽減や雇用効果などでも、日本経済にとっては更に望ましいと言う。

   さて、この本で興味深いのは、世界的な経済不況脱出策として、欧米ともに、景気刺激策か緊縮財政かと言う問題については、絶えず問題になっているのだが、ケインズ流の景気刺激策を強力に説いているクルーグマンであるから、当然、アルベルト・アレシナ・ハーバード大教授や、緊縮財政の御旗であったカーメン・ラインハートとケネス・ロドフ教授を、緊縮政策派の学者はいまや冷笑の的だと、強烈に批難している。
   私は、カーメン・M・ラインハート&ケネス・S・ロゴフの大著「国家は破綻する」を読んでレビューを昨年書いたのだが、当時、経済書で専門家の間で最も評価の高かった本で、誰もが推薦していており、一世を風靡した本である。
   読み返さないと、クルーグマン説を、すんなりと認めるわけには行かず、今でも、EUの経済政策では、ドイツの緊縮論が有力だし、アメリカでも、保守派や共和党は、クルーグマン流の大胆な経済刺激策には極めて批判的だし、結論が出るわけではない。

   クルーグマンが、歴史上、国家債務が、GDP比200%を越えた国で、危機から脱出できた例としてイギリスを挙げている。
   戦後の1946年のイギリスの国家債務は、238%だったが、年率で名目GDP成長率は7%、実質は3%、インフレ率で4%の上昇を継続させて、すなわち、借金を返済せずに、穏やかなインフレと経済成長を両立させて、少しずつ均衡策を実施して、1970年代には、50%まで下げたと言うのだが、これは、戦後で異常に低下したGDPを基準にして、尚かつ、戦後経済の復興需要に支えられた経済拡張期と言う特別な事情によるケースであって、常態ではない。
   まして、今日のように、成熟して老成化した先進国、そして、日本が、熾烈なグローバル競争下の経済において、このような恵まれた経済成長軌道に再び乗れるなどと考えるのは、夢の夢ではなかろうか。

   私は、クルーグマンが説く如く、経済成長こそが、殆ど総ての経済問題を解決すると言うのなら、経済成長の最大の牽引力は、強力なイノベーション、すなわち、産業革命だと思っているので、如何に、経済を活性化させるか、需要サイドよりも、生産サイド、すなわち、サプライ・サイドの経済を如何に活性化して起動させるかを考えるべきだと思っている。
   ケインズ経済学の需要サイドの効力は、十二分に認めたとしても、丁度、馬を水際まで連れて行っても必ずしも水を飲ませられるとは限らないように、過剰な需要ドライブだけでは、経済を不況から脱出させ得ても、自律的な経済成長を導くと言う保証はない筈である。
   経済は、特に、長期的な展望においては、需要と供給の両面からのアプローチが必須であり、経済が成長軌道に乗るまでは中断なき十分な需要創出が必要だとの見解には異論はないのだが、サプライ・サイドを殆ど無視しているとしか思えないクルーグマンの見解には、いつも、違和感を感じている。

   
   クルーグマンは、アベノミクスは、大きな挑戦であり、成功すれば、アメリカやヨーロッパに対して、今のスランプを国民が受け入れる必要はない、積極的な対策を取れば必ずデフレから脱却できると言う強いメッセージになり、世界経済の新しいモデルとなる。と期待と称賛でエールを送っている。
   久しぶりに、強力なビジョンとリーダーシップを備えた首相の登場であり、再び日本経済の復活の胎動を感じさせてくれているアベノミクスに大いに期待しているが、私の懸念は、第三の矢(クルーグマンは、構造改革と言う捉え方をしていて、重要な矢ではないと言うが)、成長戦略であり、サプライ・サイドをドライブするイノベーション戦略が、上手く行くかどうかである。
   これが、動き出して日本経済を成長軌道に乗せない限り、日本経済の将来は暗いと思っている。

   余談ながら、クルーグマンは、安倍政権が実施に踏み切ろうととしている消費税増税に反対している。
   経済が成長軌道に乗ったと確認できない段階では、経済の腰折れを誘うような政策は絶対に慎むべしと言う考え方であるので、当然だが、私が9月9日に、このブログで”「実質GDP上方修正で消費増税に追い風」と言うけれど”で増税延期を提言したのだが、その見解と殆ど同じことをクルーグマンが言っているので、私自身間違っていなかったかも知れないと、内心ほっとしている。
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