熟年の文化徒然雑記帳

徒然なるままに、クラシックや歌舞伎・文楽鑑賞、海外生活と旅、読書、生活随想、経済、経営、政治等々万の随想を書こうと思う。

映画:シェイクスピア「ジュリアス・シーザー (1953年)」

2019年04月05日 | 映画
   野口悠紀雄の「世界史を創ったビジネスモデル」を読んでいて、ローマ時代を主題にしており、丁度、録画していたシェイクスピアの映画版「ジュリアス・シーザー (1953年)」があったので、小田島雄志訳のシェイクスピア本を読みながら、見てみた。
   最近、昔よく来たRSCなどの欧米の著名な劇団のシェイクスピア戯曲公演に、出かけなくなったので、懐かしく見たのだが、舞台公演の録画ではない別な面白さがあって、楽しませてもらった。
   30年ほど前に、ロンドンにいた時、BBCで、オペラ「トスカ」が、ローマの実際の現場で、それも、実際の時間に合わせて、上演されて、その実況オペラを観たくて、早朝や深夜に、合わせて観たことを思い出す。DVDで出ているが、ズービン・メータの指揮でオーケストラはRAI, Rome、そして、プラシド・ドミンゴとキャサリン・マルフィターノ、ルッジェロ・ライモンディと言ったトップスターの共演で、感激して、ロイヤル・オペラの舞台とは違った、新たな感動を覚えたのだが、それに似た思いである。  

   ジュリアス・シーザーの訳本のなかに、1994年のヤング・ヴィック・シアターCの、そして、2000年のRSCの、夫々のジュリアス・シーザーのチケットの半券が挟まっており、かすかに、東京グローブ座だったと思うのだが、客席を群衆に見立てて、ブルータスとアントニーが、演説をぶったシーンを思い出した。5年間のロンドン在住期間を含めて、RSCの舞台などに通い詰めたので、このジュリアス・シーザーの舞台は、何回か、鑑賞していたのだろうと思う。

   映画は、シェイクスピアの戯曲に、忠実で、ウィキペディアを多少修正して要約すると、ストーリーは、次の通り、
   紀元前44年のローマで、ジュリアス・シーザーは、市民の圧倒的支持を得て終身独裁官となったのだが、共和派のカシアスたちは、シーザーの独裁制の進行に危機感を募らせる。シーザーは、競技場に向かう途中、占い師から「3月15日に気をつけろ」と忠告されるが無視するも、前日の嵐の夜、ブルータスの元にカシアスたち仲間が押しかけて、シーザー暗殺計画を明かし加担すべく示唆する。迷い呻吟するブルータスを妻のポーシャが気遣う。 3月15日の朝、シーザーは、悪夢を見た妻カルプルニアに止められるのだが、反対を押し切って元老院に行き、ブルータスたちに刺殺される。ブルータスは、ローマ市民に、暗殺の正当性を訴え支持されるが、その後、アントニーがシーザーの偉大さと業績を称えて、熱弁をふるうと、一気に、市民たちはアントニー側についたので、ブルータスたちはローマから逃げ去り、シーザーの養子オクタビアスとアントニーたちが政治の実権を握る。ブルータスとカシアスは謀反人となり二人の関係も険悪となるが、ポーシャの自殺の報に接して、団結し直す。 アントニーは、討伐のために兵を進め、フィリッピの戦いで勝利し、ブルータスは従者に命じて命を絶つ。ブルータスの遺体を前にして、アントニーは、彼の高潔な人格を称えて手厚く葬ることを誓う。

   75年前の映画なので、私など、アントニーを演じている若い頃のマーロン・ブランドの姿や、ポーシャのデボラ・カーの美しさに感激なのだが、キャストは、次の通り。
ジュリアス・シーザー - ルイス・カルハーン
アントニー - マーロン・ブランド
ブルータス - ジェームズ・メイソン
カシアス - ジョン・ギールグッド
ポーシャ - デボラ・カー
カルプルニア - グリア・ガーソン
カスカ - エドモンド・オブライエン
   私は、ブルータスのジェームズ・メイソンについては、殆ど記憶はないのだが、やはり、この戯曲では主役であり、愁いを帯びたストレートな演技で、渋い雰囲気の良い味を醸し出していて素晴らしい。
   さすがに、英国の俳優で、「建築家を目指してケンブリッジ大学で建築を専攻し学位も取った」と言うから、芸に深みのあるのも当然なのであろう。

   このジュリアス・シーザーについては、事実とシェイクスピアの創作とが入り混じっていて真偽のほどは測りかねるのであるが、未亡人となっていたブルータスの母親セルウィリアが、シーザーの愛人でもあり、ブルータスが、シーザーの実の子供だと言うような話があり、子供のように接していたと言うので、シーザー暗殺時に、「ブルータス。お前もか。」という最後のセリフの意味も良く分かる。

   シーザーの亡骸を抱えて、元老院前の広場に集まった群衆の前に現れたアントニーが、感動的なシーザー追悼演説を行って、先のブルータスの演説をひっくり返して、群衆を蜂起させるのだが、マーロン・ブランドは、流石に上手い。
   ゴッド・ファーザーのマーロン・ブランドの圧倒的な存在感は感激であったが、栴檀は双葉より芳しで、このアントニーの雄姿は、正に、名優としての証でもあり、輝いていた。

   舞台で観るシェイクスピア戯曲は、聴きに行く、映画のシェイクスピアは、観に行く、
   丁寧に時代考証をして、ストーリーを展開する、このジュリアス・シーザーは、感動的な映画である。
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