熟年の文化徒然雑記帳

徒然なるままに、クラシックや歌舞伎・文楽鑑賞、海外生活と旅、読書、生活随想、経済、経営、政治等々万の随想を書こうと思う。

四月大歌舞伎・・・新版歌祭文 座摩社・野崎村

2019年04月29日 | 観劇・文楽・歌舞伎
   今月の歌舞伎座には、昼の部に出かけた。
   プログラムは、次の通り。
   
   平成代名残絵巻
   新版歌祭文  座摩社・野崎村
   寿栄藤末廣 鶴亀
   御存 鈴ヶ森

   「平成代名残絵巻」は、平成最後の歌舞伎座公演の幕引きを飾る新作の華やかな舞台とかで、平家の建礼門院や時子や徳子、知盛が登場したかと思うと、源氏方の遮那王や常盤御前が登場して白旗が・・・
   何故、これが、平成の世を讃える一幕なのか、私には良く分からない舞台であった。
   福助が、座ったままだが常盤御前で元気な姿を見せて、遮那王(義経)の児太郎と親子共演。

   「寿栄藤末廣 鶴亀」は、藤十郎の米寿を祝う絢爛な舞台で、女帝の長寿と弥栄を願って舞う祝儀舞踊。
   猿之助が、亀で、鴈治郎の鶴とともに、色を添えていた。

   「御存鈴ヶ森」は、夜の鈴ヶ森が舞台で、白井権八(菊五郎)と幡随院長兵衛(吉右衛門)とが運命的な出会いを交わす一連のシーン。
   任侠の大親分幡随院長兵衛はともかくとして、前髪の美少年と言う設定の白井権八を、大勢の雲助たちを見事な刀さばきで次々と切り倒して、その様子を見ていた幡随院長兵衛が感服して見とれると言う肝心の筋書きだが、いくら決定版だとしても、果たして、歌舞伎界最高峰の人間国宝二人が・・・
   隣に座っていた二人連れの婦人は、何時も見慣れた舞台なのか、幕開き前に帰ってしまった。

    私が観たかったのは、新版歌祭文 座摩社・野崎村 であった。

   今回の「新版歌祭文」は、「野崎村」の前段の「座摩社」の場が、約40年ぶりに上演されたとかで、錦之助の丁稚久松が、雀右衛門の油屋の娘お染との忍び逢い、しっぽりと濡れた後で、久松を追い出して油屋を我が物にしようと企む又五郎の手代小助に、集金してきた商い銀を贋金とすり替えられて、紛失した罪を着せられて油屋を追われると言う経緯が描かれていて、次の場で、何故、久松が「野崎村」に帰えされてきたのかが良く分かる。歌六の育ての親久作のもとに帰ってきた久松は、久松に思いを寄せていた時蔵の久作の娘お光と祝言を挙げようとした直前に、お染が、久松を追ってやって来る。久作に意見されて分かれる決意した二人だが、心中する決心であることを見抜いたお光は、出家を決めて嫁入り衣装ではなく尼姿で登場する。そこへ、秀太郎のお染の母である後家お常がやって来て、事情を呑み込んで二人を連れ帰ることにして、お染が舟で、久松は駕籠で、大坂に帰っていく。お光と久作は、断腸の悲痛で、去り行く二人を見送り、お光は、崩れ落ちて久作にしがみ付き親子で慟哭する。

   養い子の久松と妻の連れ子お光とを夫婦にしたいと思っていた久作は、なくした金と同額を小助に突き出して叩き出し、久松の帰りを幸いと、二人の祝言を進め、また、お染が久松恋しさにて来た時にも、お染と久松に、お夏清十郎の話をして別れるべく説得するのだが、このあたりの義理と人情の鬩ぎあいや親子の情愛の辛さ悲しさなどを掻き口説いて泣かせる名優は、歌六が最右翼であろうと思う。
   それに、この舞台の主役は、何と言ってもお光を感動的に演じた時蔵で、健気で真実一路の哀切極まりない乙女の奥ゆかしさと固い心根、しかし、弱くて儚い女心を覗かせながら切々と演じぬいた至芸。
   お染の雀右衛門と久松の錦之助は、誠心誠意、純愛を貫けばよい役柄で、地を行く熱演、
    真山青果 の「元禄忠臣蔵」の、「大石最後の一日」での、浪士の磯貝十郎左衛門とその許婚のおみのの純愛を演じた二人の素晴らしい舞台を思い出して観ていた。
   悲劇でありながら、前半、この舞台を面白くするのは、惚けた調子の小賢しく悪知恵の働く手代小助の又五郎のコミカルタッチの演技、凛々しい侍をやらせれば天下一品の役者でありながら、ぬけ作をやらせても、実に上手い。

   ところで、今回の野崎村は、省略版で、お光が髪を切って尼姿になって登場した後に、別室で病気で寝ていた何も知らない母が出てきて、目が見えないので取り繕うとするのだが、ばれてしまう、悲しくも切ない愁嘆場のシーンが省略されている
   その様子に耐えらなくなったお染や久松が死のうとする。
   お光の心が分からなければ自分が死ぬと久作、そして、久作が死ぬのなら自分もとお光と母も一緒に死ぬと取り乱す。義理と人情と恩愛の板挟みで死ぬことも出来ず窮地に立ったお染久松・・・そこへ、お園の母お勝が登場する。
   このシーンは、そのまま、今回の舞台の終幕へも繋がって行く。

   ところで、お染久松の浄瑠璃で別バージョンがある。
   5年前に見た文楽の菅原専助の「染模様妹背門松」。
   その時のブログを引用すると、
    油屋の娘お染(清十郎)が、主家筋の山家屋清兵衛(玉志)への嫁入が決まっているのだが、丁稚の久松(勘彌)と相思相愛で、久松の子を身籠っていて、切羽詰っている。
   お染の母おかつ(簑二郎)や久松の父百姓久作(和生)の説得で、久松は在所へ帰り、お染は嫁ぐことを了承したのだが、心中を恐れて閉じ込められた蔵の中で久松が、座敷でお染が、夫々命を絶つ。
   大恩あるお主の家に疵を付けた身は死ぬしかないと久松、久松を死なせて嫁入して生き恥を晒すよりは、一緒に死んで未来で契りを交わした方が良いとお染、世に出ることのないお腹の子を不憫に思いながら、二人はあの世へ旅立つのである。
   今回、「座磨社」の舞台で、二人が、山伏法印(松之助)の留守宅に忍んで逢引き中に、覗き見た法印が、床を擦るような音がすると言っていたから、お染が身籠る可能性を示唆してはいたが、そこまでは踏み込んではいない。
   とにかく、近松の世界同様、積極的でまっすぐな大坂女お染の爽やかさが、一服の清涼剤で良い。
   
   
コメント
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