先に論じたR. ターガート マーフィーの「日本‐呪縛の構図」の中で、マーフィーは、日本の戦後の経済成長の代償として、日本の伝統文化の軽視などを論じていて、最も深刻な問題の一つは、芸術や文化の世界だけではなく、もっと広範な意味での日本文化で劣化と荒廃が進んでいることだ。と言う。
・・・きわめて人目を引く例は、京都の景観を損なう白い円筒状の異物と言う具体的な形をとって目の前に現れた。として、京都駅前に立つ京都タワーを糾弾している。
応仁の乱で、荒廃して廃墟のようになった京都を、秀吉や徳川歴代将軍が復興に多大の努力を費やし、ルーズベルト大統領も、京都の建築物と文化遺産がいかに貴重であるかの指摘に耳を傾け、空襲で破壊されることを思いとどまって、せっかく、人類文明の最も重要な遺産を必死に守り、古い街並みは傾斜した屋根が見渡す限り続き、ところどころ優美な五重塔や寺院の門で途切れているだけで、素晴らしく均整の取れた景観を形作っていたのを、京都タワーは台無しにしてしまった。と慨嘆し、
それをきっかけに、最早破壊行為に歯止めが効かなくなり、何ブロックにもわたって続く美しい町家や商家は次々に取り壊され、近代建築の粋を凝らしたとは言い難い醜悪で凡庸なビルや、電信柱と絡み合う電線の束に取って代わられた。として、
美的感覚や歴史を重視する人々の意思を無視して、日本政府の無策や国民の無関心などによって、どんどん、日本文化と歴史が営々と築き上げてきた景観や美観を破壊し続けていると、説き続けるのである。
ウィキペディアによると、京都タワーは、ル・コルビュジェ、ヴァルター・グロピウス、エーリヒ・メンデルゾーン等に影響を受けたモダニズム建築を実践した山田守の設計で、
政財界中心の建設推進派と、学者や文化人主導の反対派が世論を二分して議論されたが、これは都市の美観論争として日本で初めてのことだったと言う。
その前後に京都で学生生活を送り、工事中にタワーの中にも入って見ているので、知らないわけでもなく、超保守的で、逆に、強烈な左翼勢力の強い京都で、よく、このような奇天烈な塔が建ったなあと不思議に思ったのを覚えている。
しかし、 ターガート マーフィーの見解は、分からない訳ではないが、やや、独善的気味で言い過ぎだとは思う。
世界の歴史的な都市を見ても、 例えば、ドイツの街を筆頭にして、ターガート マーフィー流の見方をすれば、旧市街は、中々、雰囲気があって美しいが、その外側の戦後復興建設された新市街の開発は、日本の場合と同じで、決して美しくもモダンで感興をもよおすような景観美を備えたものではないことは、周知の事実であろう。
ただ、欧米のように、新築及び増改築などについては、許可基準が厳格で美観も考慮され近隣の同意条件も厳しいのと比べて、日本の建築許可は、景観美などを殆ど顧慮せずに建築基準を満たして居れば簡単におりているようで、街並みは無茶苦茶であるし、安普請の建築物の景観などは相当ひどいことは事実である。
それに、電信柱や電線、それに、無秩序な看板やネオンなどの存在は致命的で、欧米と比べて、都市景観が、美しくないことは事実であろう。
さて、都市景観であるが、今ではパリの象徴のように有名なエッフェル塔でさえも、当時は、あまりにも奇抜な外見のために、賛否両論に分かれ、建設反対派の芸術家たちが連名で陳情書を提出したと言われており、ギー・ド・モーパッサンなどは、反対派の最右翼だったと言う。
突然出現した斬新なデザインの建築物が、賛否両論を巻き起こしながら出現し、その後、長い歴史に風化しながら都市景観を醸成して行き、都市美を形成して行く、
それを、我々現在の人間が評価して、楽しんでいると言うことであるから、歴史の風雪に耐えて生き抜いてきた建造物には、文化財の価値があると言うことであろう。
ところで、興味深いのは、ノートルダムの再建についての動向で、
NHK BS朝のフランス放送局のニュースで、火災で崩れ落ちたノートルダム寺院の新しい屋根と尖塔のデザインを公募する計画を発表したことを受けて、超モダンな尖塔絵を合成したデザインを放映していた。
AFPBB Newsの「寄付と再建方法で論争 ノートルダム火災、仏社会結束ならず 」にも、このトピックスに触れて、次のようなコメントが記されていた。
保守派の政治家らは18日、大聖堂に近代的な建築物が加わる可能性に懸念を示した。政府はこれに先立ち、新しい屋根と尖塔のデザインを公募する計画を発表。マクロン氏は再建を5年で完了する目標を定め、「近代建築の要素も想像できる」と述べていた。極右政党「国民連合(National Rally)」のジョルダン・バルデラ(Jordan Bardella)氏は仏ニュース専門局LCIに、「この狂気の沙汰を止めよう。私たちはフランスの文化財を絶対的に尊重する必要がある」と述べ、「現代アートとやら」が加えられるかもしれないとの考えを一蹴した。
斬新で奇抜なデザインの建造物には、賛否両論が渦巻き続けるのは、必然の推移。
フランスでも、ルーブル美術館の中庭に、巨大なガラスのピラミッドが建設されるなど、木に竹を繋いだような歴史的建造物が生まれている。
これからも、どんどん、近代的なモダンで技術の粋を体現した建物が生まれてくるのだろうと思うと、わくわくする半面、歴史的文化財とは、一体何であろうかと、考えざるを得なくなる。
・・・きわめて人目を引く例は、京都の景観を損なう白い円筒状の異物と言う具体的な形をとって目の前に現れた。として、京都駅前に立つ京都タワーを糾弾している。
応仁の乱で、荒廃して廃墟のようになった京都を、秀吉や徳川歴代将軍が復興に多大の努力を費やし、ルーズベルト大統領も、京都の建築物と文化遺産がいかに貴重であるかの指摘に耳を傾け、空襲で破壊されることを思いとどまって、せっかく、人類文明の最も重要な遺産を必死に守り、古い街並みは傾斜した屋根が見渡す限り続き、ところどころ優美な五重塔や寺院の門で途切れているだけで、素晴らしく均整の取れた景観を形作っていたのを、京都タワーは台無しにしてしまった。と慨嘆し、
それをきっかけに、最早破壊行為に歯止めが効かなくなり、何ブロックにもわたって続く美しい町家や商家は次々に取り壊され、近代建築の粋を凝らしたとは言い難い醜悪で凡庸なビルや、電信柱と絡み合う電線の束に取って代わられた。として、
美的感覚や歴史を重視する人々の意思を無視して、日本政府の無策や国民の無関心などによって、どんどん、日本文化と歴史が営々と築き上げてきた景観や美観を破壊し続けていると、説き続けるのである。
ウィキペディアによると、京都タワーは、ル・コルビュジェ、ヴァルター・グロピウス、エーリヒ・メンデルゾーン等に影響を受けたモダニズム建築を実践した山田守の設計で、
政財界中心の建設推進派と、学者や文化人主導の反対派が世論を二分して議論されたが、これは都市の美観論争として日本で初めてのことだったと言う。
その前後に京都で学生生活を送り、工事中にタワーの中にも入って見ているので、知らないわけでもなく、超保守的で、逆に、強烈な左翼勢力の強い京都で、よく、このような奇天烈な塔が建ったなあと不思議に思ったのを覚えている。
しかし、 ターガート マーフィーの見解は、分からない訳ではないが、やや、独善的気味で言い過ぎだとは思う。
世界の歴史的な都市を見ても、 例えば、ドイツの街を筆頭にして、ターガート マーフィー流の見方をすれば、旧市街は、中々、雰囲気があって美しいが、その外側の戦後復興建設された新市街の開発は、日本の場合と同じで、決して美しくもモダンで感興をもよおすような景観美を備えたものではないことは、周知の事実であろう。
ただ、欧米のように、新築及び増改築などについては、許可基準が厳格で美観も考慮され近隣の同意条件も厳しいのと比べて、日本の建築許可は、景観美などを殆ど顧慮せずに建築基準を満たして居れば簡単におりているようで、街並みは無茶苦茶であるし、安普請の建築物の景観などは相当ひどいことは事実である。
それに、電信柱や電線、それに、無秩序な看板やネオンなどの存在は致命的で、欧米と比べて、都市景観が、美しくないことは事実であろう。
さて、都市景観であるが、今ではパリの象徴のように有名なエッフェル塔でさえも、当時は、あまりにも奇抜な外見のために、賛否両論に分かれ、建設反対派の芸術家たちが連名で陳情書を提出したと言われており、ギー・ド・モーパッサンなどは、反対派の最右翼だったと言う。
突然出現した斬新なデザインの建築物が、賛否両論を巻き起こしながら出現し、その後、長い歴史に風化しながら都市景観を醸成して行き、都市美を形成して行く、
それを、我々現在の人間が評価して、楽しんでいると言うことであるから、歴史の風雪に耐えて生き抜いてきた建造物には、文化財の価値があると言うことであろう。
ところで、興味深いのは、ノートルダムの再建についての動向で、
NHK BS朝のフランス放送局のニュースで、火災で崩れ落ちたノートルダム寺院の新しい屋根と尖塔のデザインを公募する計画を発表したことを受けて、超モダンな尖塔絵を合成したデザインを放映していた。
AFPBB Newsの「寄付と再建方法で論争 ノートルダム火災、仏社会結束ならず 」にも、このトピックスに触れて、次のようなコメントが記されていた。
保守派の政治家らは18日、大聖堂に近代的な建築物が加わる可能性に懸念を示した。政府はこれに先立ち、新しい屋根と尖塔のデザインを公募する計画を発表。マクロン氏は再建を5年で完了する目標を定め、「近代建築の要素も想像できる」と述べていた。極右政党「国民連合(National Rally)」のジョルダン・バルデラ(Jordan Bardella)氏は仏ニュース専門局LCIに、「この狂気の沙汰を止めよう。私たちはフランスの文化財を絶対的に尊重する必要がある」と述べ、「現代アートとやら」が加えられるかもしれないとの考えを一蹴した。
斬新で奇抜なデザインの建造物には、賛否両論が渦巻き続けるのは、必然の推移。
フランスでも、ルーブル美術館の中庭に、巨大なガラスのピラミッドが建設されるなど、木に竹を繋いだような歴史的建造物が生まれている。
これからも、どんどん、近代的なモダンで技術の粋を体現した建物が生まれてくるのだろうと思うと、わくわくする半面、歴史的文化財とは、一体何であろうかと、考えざるを得なくなる。