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今、東京上野の文化会館で、チェコのプルゼーニュ・オペラが公演をしているが、イル・トロヴァトーレを観たくて出かけた。
このオペラ劇場は、チェコのプラハの郊外・ビールのピルゼンの街にある国立オペラで、日本人から見れば二戦級、したがって、一番高い席でも13,000円。
しかし、水準は、可なり高く、オペラを楽しむには、全く不足はない。
日本では、興行者が悪いのか、ファンが悪いのか、兎に角、メトロポリタン、スカラ、ロイヤル、ウイーン、キーロフ、そして、今秋のバイエルンと言ったトップ・オペラのチケットは、5万円を越えるなど異常に高いが、それ以外は、スーパースターが参加すれば別だが、グンと安くなって、時には空席が目立つ。2極分化が甚だしい。
私自身、欧米を回りながら、機会があればオペラ劇場に足を運んでオペラを楽しんできたが、ヨーロッパ、特に、東欧圏のオペラの水準は非常に高い。
2001年のヴェルディ・イヤーには、プラハを訪問して、昼は古都散策、夜は、ヴェルディ・オペラ鑑賞と素晴らしい休暇を楽しんだ。
ハンガリーやドイツなど、素晴らしい田舎町の劇場の雰囲気に感激することもあれば、感動的なスターや公演に出くわす喜びがある。
トップクラスのオペラ劇場の公演は、やはり、その地に行ってホームグランドで観るのが一番良いと思っている。引越し公演等と言っても、所詮ヨソ行き、旅回りである。もっとも、スーパースターは、全世界を歩いておりホームグラウンドが無きに等しいので別だが。
これは、あのフィラデルフィア管弦楽団の演奏を聴いていて、何度も楽屋にオーマンディを訪ねて行き、彼と地元の人々との交流を見ていてつくづく、そう思った。やはり、巨神戦は、後楽園か甲子園で見ないと面白くないのと同じである。
ところで、昨夜のピルゼン・オペラの「トロヴァトーレ」であるが、それなりに素晴らしい公演で、2時間、存分に楽しませて貰った。
特に、ジプシーの老婆アズチェーナを歌ったメゾソプラノのガリャ・イブラギモヴァの熱唱は特筆モノで、やはり、観客の拍手が一番多かった、尤も、このオペラは、ジプシーがテーマだから、主役を食っても仕方がないのかも知れない。
このオペラは、随所に美しいアリアが鏤められていて、素晴らしいヴェルディ節を堪能させてくれる。
マンリーコのテノール・ヤン・アダメッツ、レオノーラのソプラノ・ヴァレンティナ・チャヴダロヴァー、ルーナ伯爵のバリトン・イージー・ライニッシュ、等歌手は上手い。
それに、指揮のイージー・シュトルンツが、やや重いオーケストラを縦横に歌わせていた。
ところで、単眼鏡で見ていたが、コーラスの女性陣だが、北朝鮮の美女軍団にも引けをとらないくらいチャーミングであったことを付記しておきたい。
15世紀のスペインのアラゴン王国を舞台にしたジプシーの吟遊詩人の話を元にしているとか。
前伯爵が、呪いをかけたとしてジプシーの老婆を処刑したために、その娘のジプシーが復讐を誓い、伯爵の赤子・次男をさらう。怒りに任せて火の中に赤子を投げ入れ焼き殺す。
実は、焼き殺したのは間違って投げ入れた自分の実の子、慟哭するが代わりに伯爵の子を実の子として育てる。
成人して吟遊詩人となった次男マンリーコは、王妃の女官レオノーレと恋仲、しかし、実の兄ルーナ伯爵がこのレオノーラに横恋慕して、兄弟は争う。
マンリーコは、囚われの身となった母親アズチェーナを救いに行くが、逆に囚われて死刑を待つ身に。それを知ったレオノーラは、自分の身と引き換えにルーナ伯爵にマンリーコの釈放を願う。
レオノーラが牢獄に入って逃亡を促すがマンリーコは疑いを持つ、しかし、彼女の死を賭けた取引だと悟る。毒を煽っているレオノーラは瀕死の状態になり、それを見て騙されたこと知った伯爵は、マンリーコを断頭台に送って処刑する。
朦朧としていたアズチェーナは、伯爵からマンリーコの刑死を聞き、「死んだのはお前の弟だ。お母さん、敵をとりました。」と絶叫して絶命する。
シェイクスピよりは、ギリシャ悲劇に近い舞台展開だが、ヴェルディは、スペインを舞台に美しくも激しい悲劇を作曲した。
ヨーロッパには差別されていたジプシーが多かった。
一度、ジプシーたちの大きなバザールをブダペストで見たことがある。
しかし、このオペラのジプシーたちの歌う素晴らしいアンビル・コーラスは何時までも耳について離れない。
このオペラ、あの源氏の頼朝と義経の兄弟殺しを思い出させるセツナイ話である。
このオペラ劇場は、チェコのプラハの郊外・ビールのピルゼンの街にある国立オペラで、日本人から見れば二戦級、したがって、一番高い席でも13,000円。
しかし、水準は、可なり高く、オペラを楽しむには、全く不足はない。
日本では、興行者が悪いのか、ファンが悪いのか、兎に角、メトロポリタン、スカラ、ロイヤル、ウイーン、キーロフ、そして、今秋のバイエルンと言ったトップ・オペラのチケットは、5万円を越えるなど異常に高いが、それ以外は、スーパースターが参加すれば別だが、グンと安くなって、時には空席が目立つ。2極分化が甚だしい。
私自身、欧米を回りながら、機会があればオペラ劇場に足を運んでオペラを楽しんできたが、ヨーロッパ、特に、東欧圏のオペラの水準は非常に高い。
2001年のヴェルディ・イヤーには、プラハを訪問して、昼は古都散策、夜は、ヴェルディ・オペラ鑑賞と素晴らしい休暇を楽しんだ。
ハンガリーやドイツなど、素晴らしい田舎町の劇場の雰囲気に感激することもあれば、感動的なスターや公演に出くわす喜びがある。
トップクラスのオペラ劇場の公演は、やはり、その地に行ってホームグランドで観るのが一番良いと思っている。引越し公演等と言っても、所詮ヨソ行き、旅回りである。もっとも、スーパースターは、全世界を歩いておりホームグラウンドが無きに等しいので別だが。
これは、あのフィラデルフィア管弦楽団の演奏を聴いていて、何度も楽屋にオーマンディを訪ねて行き、彼と地元の人々との交流を見ていてつくづく、そう思った。やはり、巨神戦は、後楽園か甲子園で見ないと面白くないのと同じである。
ところで、昨夜のピルゼン・オペラの「トロヴァトーレ」であるが、それなりに素晴らしい公演で、2時間、存分に楽しませて貰った。
特に、ジプシーの老婆アズチェーナを歌ったメゾソプラノのガリャ・イブラギモヴァの熱唱は特筆モノで、やはり、観客の拍手が一番多かった、尤も、このオペラは、ジプシーがテーマだから、主役を食っても仕方がないのかも知れない。
このオペラは、随所に美しいアリアが鏤められていて、素晴らしいヴェルディ節を堪能させてくれる。
マンリーコのテノール・ヤン・アダメッツ、レオノーラのソプラノ・ヴァレンティナ・チャヴダロヴァー、ルーナ伯爵のバリトン・イージー・ライニッシュ、等歌手は上手い。
それに、指揮のイージー・シュトルンツが、やや重いオーケストラを縦横に歌わせていた。
ところで、単眼鏡で見ていたが、コーラスの女性陣だが、北朝鮮の美女軍団にも引けをとらないくらいチャーミングであったことを付記しておきたい。
15世紀のスペインのアラゴン王国を舞台にしたジプシーの吟遊詩人の話を元にしているとか。
前伯爵が、呪いをかけたとしてジプシーの老婆を処刑したために、その娘のジプシーが復讐を誓い、伯爵の赤子・次男をさらう。怒りに任せて火の中に赤子を投げ入れ焼き殺す。
実は、焼き殺したのは間違って投げ入れた自分の実の子、慟哭するが代わりに伯爵の子を実の子として育てる。
成人して吟遊詩人となった次男マンリーコは、王妃の女官レオノーレと恋仲、しかし、実の兄ルーナ伯爵がこのレオノーラに横恋慕して、兄弟は争う。
マンリーコは、囚われの身となった母親アズチェーナを救いに行くが、逆に囚われて死刑を待つ身に。それを知ったレオノーラは、自分の身と引き換えにルーナ伯爵にマンリーコの釈放を願う。
レオノーラが牢獄に入って逃亡を促すがマンリーコは疑いを持つ、しかし、彼女の死を賭けた取引だと悟る。毒を煽っているレオノーラは瀕死の状態になり、それを見て騙されたこと知った伯爵は、マンリーコを断頭台に送って処刑する。
朦朧としていたアズチェーナは、伯爵からマンリーコの刑死を聞き、「死んだのはお前の弟だ。お母さん、敵をとりました。」と絶叫して絶命する。
シェイクスピよりは、ギリシャ悲劇に近い舞台展開だが、ヴェルディは、スペインを舞台に美しくも激しい悲劇を作曲した。
ヨーロッパには差別されていたジプシーが多かった。
一度、ジプシーたちの大きなバザールをブダペストで見たことがある。
しかし、このオペラのジプシーたちの歌う素晴らしいアンビル・コーラスは何時までも耳について離れない。
このオペラ、あの源氏の頼朝と義経の兄弟殺しを思い出させるセツナイ話である。