昨夜、トリフォニー・ホールで、新日本フィルの第400回定期演奏会があり、出かけた。
指揮はクリスティアン・アルミンク。途中で、当初予定していたヒンデミット作曲交響曲「画家マティス」を、急遽、ブラームスの「悲劇的序曲」と「交響曲第4番ホ短調」に変更しての演奏会であった。
理由は良く分からないが、小澤征爾が指揮する予定であった5月定期公演が、小澤の病気でアルミンクに代わったのだが、そのプログラムがブラームスの「ヴァイオリン協奏曲ニ長調」と「交響曲第1番」であるから、これを意識してのブラームス選曲であろう。
ウィーンで育ったアルミンクにとっては、ブラームスは骨の髄まで知り尽くした作曲家で、満を持してのブラームスで小澤の代役としてシーズンを締め括りたいのであろう。
小澤征爾には、サイトーキネンを振った素晴しいブラームス交響曲全集が残っているので、是非、聴きたかったが、12月の定期公演まで待とう。
少し早く会場に着いたので、2階のバーラウンジでコーヒーを飲んでいたら、アルミンクのプレコンサート・トークが始まった。
少し、遅れて席に着いたので全部は聞けなかったが、プログラムのシューマンのヴァイオリン協奏曲について説明していた。
休憩時間に、英字紙ヘラルド・トリビューンの朝日特約記事でアルミンクの特集が載っていて、このプレコンサート・トークについて書いてあり、アルミンクは聴衆が楽曲について知ることは必要なことだと思ってこの新日本フィルのコンサートでは意欲的にやっているのだと紹介していた。
私は、開演ぎりぎりに入るので、今までに一度しか聞いた事がない。
このHT紙にアルミンクについて面白い記事が出ていた。
ウィーン音楽院の学生の時、ムジークフェラインザールでのカルロス・クライバーのリハーサルに潜り込んで座席の後に隠れて聴いていたこと。クライバーは立ち入り厳禁指令を出して居たが、学生がクライバーのリハーサルになると教室から居なくなるので指揮科の教授が苦情を言ったとか。
アルミンクは大指揮者のリハーサルもさることながら、素晴しいウィーンの大演奏家に接する機会を楽しんだとも言う。
また、父上がドイツ・グラマフォンだったので、カラヤンやショルティを知っていたと言う。
ところで、シューマン晩年のヴァイオリン協奏曲を、ミュンヘン生まれのヴァイオリニスト・ヴィヴィアン・ハーグナーが演奏した。
13歳で、ズービン・メータ指揮のイスラエル・フィルとベルリン・フィルのジョイント・コンサートでソリストで演奏したと言うから大変な逸材。
ソリストとして室内楽奏者として多くの偉大な音楽家との共演を経験、煌びやかなキャリアのヴァイオリニストだが、演奏は非常にオーソドックス。
アルミンクは、ブラームスはロマン派だが、この曲はフレンチ色の強いバロック調だと言って居たが、全編、何となく暗い陰鬱な雰囲気。澄んだ胸に響くハーグナーの素晴しいヴァイオリンの音色と新日本フィルの何となく柔らかくて暖かいような音色が救いだったが気の所為であろうか。
この曲は、シューマンが晩年精神不安定になり演奏から引退し、妻クララやヨアヒムから譜面を公開に値せずと葬り去られて、実際に演奏されたのは1937年のナチス政権下のベルリンでのことだと言う。
評価は区々で、まともに対応した大家は、シェリングとメニューヒンだけだと言うが、あまり演奏されない曲だと言う。
しかし、ハーグナーの演奏が素晴しかった所為か、私には、嫌な感じは全くせず、素晴しいと思った。
ブラームスの交響曲第4番は、フランソワ・サガンの『ブラームスはお好き』で有名な曲。
私は、クラシックは最初にベートーヴェンから入って、次に、ブラームスに行ったので、学生時代には、レコードを何回も回し4曲の交響曲とヴァイオリン協奏曲、ピアノ協奏曲等は聞き飽きるほど聴いた記憶があり、懐かしい。
ところどころ、管のソロが不安定になるのが気になったが、しかし、大変な熱演で、アルミンクは、新日本フィルから素晴しいサウンドを引き出し、感動的なブラームスをプレゼントしてくれた。
5月のヴァイオリン協奏曲と交響曲第1番の演奏が今から楽しみである。
(追記)椿は、羽衣。
指揮はクリスティアン・アルミンク。途中で、当初予定していたヒンデミット作曲交響曲「画家マティス」を、急遽、ブラームスの「悲劇的序曲」と「交響曲第4番ホ短調」に変更しての演奏会であった。
理由は良く分からないが、小澤征爾が指揮する予定であった5月定期公演が、小澤の病気でアルミンクに代わったのだが、そのプログラムがブラームスの「ヴァイオリン協奏曲ニ長調」と「交響曲第1番」であるから、これを意識してのブラームス選曲であろう。
ウィーンで育ったアルミンクにとっては、ブラームスは骨の髄まで知り尽くした作曲家で、満を持してのブラームスで小澤の代役としてシーズンを締め括りたいのであろう。
小澤征爾には、サイトーキネンを振った素晴しいブラームス交響曲全集が残っているので、是非、聴きたかったが、12月の定期公演まで待とう。
少し早く会場に着いたので、2階のバーラウンジでコーヒーを飲んでいたら、アルミンクのプレコンサート・トークが始まった。
少し、遅れて席に着いたので全部は聞けなかったが、プログラムのシューマンのヴァイオリン協奏曲について説明していた。
休憩時間に、英字紙ヘラルド・トリビューンの朝日特約記事でアルミンクの特集が載っていて、このプレコンサート・トークについて書いてあり、アルミンクは聴衆が楽曲について知ることは必要なことだと思ってこの新日本フィルのコンサートでは意欲的にやっているのだと紹介していた。
私は、開演ぎりぎりに入るので、今までに一度しか聞いた事がない。
このHT紙にアルミンクについて面白い記事が出ていた。
ウィーン音楽院の学生の時、ムジークフェラインザールでのカルロス・クライバーのリハーサルに潜り込んで座席の後に隠れて聴いていたこと。クライバーは立ち入り厳禁指令を出して居たが、学生がクライバーのリハーサルになると教室から居なくなるので指揮科の教授が苦情を言ったとか。
アルミンクは大指揮者のリハーサルもさることながら、素晴しいウィーンの大演奏家に接する機会を楽しんだとも言う。
また、父上がドイツ・グラマフォンだったので、カラヤンやショルティを知っていたと言う。
ところで、シューマン晩年のヴァイオリン協奏曲を、ミュンヘン生まれのヴァイオリニスト・ヴィヴィアン・ハーグナーが演奏した。
13歳で、ズービン・メータ指揮のイスラエル・フィルとベルリン・フィルのジョイント・コンサートでソリストで演奏したと言うから大変な逸材。
ソリストとして室内楽奏者として多くの偉大な音楽家との共演を経験、煌びやかなキャリアのヴァイオリニストだが、演奏は非常にオーソドックス。
アルミンクは、ブラームスはロマン派だが、この曲はフレンチ色の強いバロック調だと言って居たが、全編、何となく暗い陰鬱な雰囲気。澄んだ胸に響くハーグナーの素晴しいヴァイオリンの音色と新日本フィルの何となく柔らかくて暖かいような音色が救いだったが気の所為であろうか。
この曲は、シューマンが晩年精神不安定になり演奏から引退し、妻クララやヨアヒムから譜面を公開に値せずと葬り去られて、実際に演奏されたのは1937年のナチス政権下のベルリンでのことだと言う。
評価は区々で、まともに対応した大家は、シェリングとメニューヒンだけだと言うが、あまり演奏されない曲だと言う。
しかし、ハーグナーの演奏が素晴しかった所為か、私には、嫌な感じは全くせず、素晴しいと思った。
ブラームスの交響曲第4番は、フランソワ・サガンの『ブラームスはお好き』で有名な曲。
私は、クラシックは最初にベートーヴェンから入って、次に、ブラームスに行ったので、学生時代には、レコードを何回も回し4曲の交響曲とヴァイオリン協奏曲、ピアノ協奏曲等は聞き飽きるほど聴いた記憶があり、懐かしい。
ところどころ、管のソロが不安定になるのが気になったが、しかし、大変な熱演で、アルミンクは、新日本フィルから素晴しいサウンドを引き出し、感動的なブラームスをプレゼントしてくれた。
5月のヴァイオリン協奏曲と交響曲第1番の演奏が今から楽しみである。
(追記)椿は、羽衣。