熟年の文化徒然雑記帳

徒然なるままに、クラシックや歌舞伎・文楽鑑賞、海外生活と旅、読書、生活随想、経済、経営、政治等々万の随想を書こうと思う。

わが庭の歳時記・・・春の息吹

2011年02月07日 | わが庭の歳時記
   わが庭には、殆ど毎日陽が当たっていて、乾いた地面から、少しずつ、春草花の緑の芽がのぞき初めて来た。
   プランターや庭のチューリップの球根のなかには、少し浅植えし過ぎたのか、霜に押し上げられて飛び出したものもある。
   水仙は芽を出し始めているが、チューリップは、まだ、芽が顔を出していない。

   昨日、初めて、黄色いクロッカスが、一輪だけ綺麗に咲いた。
   この花を見ると、いつも、オランダのクッロカス・ホリディを思い出す。
   日本では、田舎などに行くと、コスモスなどの季節の草花が、路傍に咲いていることがあるが、オランダでは、あっちこっちの道端や、公園の芝生のなかに、沢山のクロッカスが咲いているのを見て、最初の冬には、新鮮な驚きを感じた。
   まだ、非常に寒い2月にクロッカスが一斉に咲き始めるので、その頃に、クロッカス・ホリディがあって、学校などが休みになるのだが、寒くて暗いヨーロッパに、春の到来を告げるのである。

   春と言っても、まだ、日本で言えば真冬で、チューリップ公園で有名なキューケンホフ公園がオープンするのは、それから1か月以上も先の話だし、牧場に子羊が現れてメーメー鳴いたり、あぜ道の水路に白鳥の親子が戯れるのも、ずっと先の話だが、時折顔を出す陽の光には、春の息吹が感じられる。
   私は、どこへ行く道だか、あまり考えずに、気が向くとあてどもなく、オランダの田舎を車で走った。
   オランダは、全く、何処へ行ってもフラットな国で、延々と田園地帯が広がっており、特別なハイウエイは別だが、結構、道路網が整備されていて、それに、車の数が少ないので快適である。
   道に迷うとミシュランの地図を広げるのだが、1時間も走れば国境にたどり着く小さな国なので、道に迷うことは殆どなく、迷うとすれば、複雑怪奇なアムステルダムの街の中だけである。

   走っていると、やはり、古い歴史を持つ国なので、中々雰囲気のある田舎町に入ったり、港町に出たりするのだが、その時の印象で、レストランやパブで小休止したり、天気が良いと公園などでしばし憩うことにしていた。
   オランダは、水面下にある国土が4分の1はあるので、前方の道路の上空を大きな汽船が通り過ぎて行くのを見て感激したことがある。
   水面がはるかに上の方にあるので、トンネルの上の天上運河を船が運航して行くのである。
   それに、沢山の運河が通っていて、船の航路にもなっているので、いきなり前方の道路が持ち上がって、船が悠々と通過して行くこともあれば、通行止めになったかと思うと、急に、小型機が前方を横切ることもある。
   飛行場の中を道路が走っているのだが、とにかく、国土が狭いので、共存共栄、ところ変われば品変るである。
 
   さて、この口絵写真だが、私の庭に毎日のように訪れてくれるジョウビタキである。
   律儀な鳥で、シベリアからの飛来であろうか、毎年、必ず同じ場所に帰ってくると言われている。
   前に来ていた鳥とは違っていて、新しく来た別の鳥のような感じがするのだが、時々、このあたりを縄張りとしているオスの百舌鳥に追いかけられているが、小さいながらも非常に敏捷で、あざけるように逃げて、また、戻ってくる。

   今、牡丹の木に止まっているのだが、この木にも、新しい花芽が出始めている。
   最近は、バラの木が少なくなって、牡丹の木の方が多くなったのだが、この方が、手入れが楽で助かっている。
   クリスマス・ローズの花が見え始めたので、もうすぐに、楽しめるかも知れない。
   私の庭は、住宅街の一番はずれにあるので、寒いのか、花の咲き具合が、ワンテンポ遅れているような気がしている。
   ピンクで八重の枝垂れ梅の蕾も、まだ、固くて大分先のようである。

   ピラカンサや万両の実が、いつの間にか、完全になくなってしまって、ヒヨドリが訪れなくなって、代わりに、メジロが飛んできて、枇杷の花や椿の花をつつき始めた。
   陽が大分長くなり、随分明るくなってきたので、もう、春はそこまで来ているのであろう。
   
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二月花形歌舞伎~女殺油地獄

2011年02月06日 | 観劇・文楽・歌舞伎
   ル テアトル銀座で歌舞伎が見られるとは思わなかったのだが、短いながらも花道が作られており、舞台も変化の少ない芝居展開なので、全く異質観なく、近松門左衛門の「女殺油地獄」を楽しむことが出来た。
   これまでは、文楽でも、中之巻の「下向の場」から下之巻の「お吉殺しの場」までしか見る機会がなかったのだが、今回は、上之巻の「屋形船の場」から「豊島屋の場」で与兵衛が捉えられて引っ張って行かれる終幕まで、殆ど、近松のオリジナルの浄瑠璃の通りに演じられている。
   私も、初めて、岩波と小学館の近松全集の原作を読んで、出かけて行ったので、これまで、歌舞伎で2回、文楽で1回見た時と違って、大分、近松門左衛門の世界に近づいたような感じがして、舞台を見ていた。

   この浄瑠璃だが、親が甘やかし続けたので、徹頭徹尾ドラ息子に育ってしまって、実業に身が入らず道楽遊びが過ぎて、親の印判を無断借用して借りた借金の金策に万事窮したので、同業者のお内儀お吉に穴埋め借金の肩代わりを願うも断られて、殺して金を奪うと言う非道極まりない与兵衛の物語が主題なのだが、あまりにも殺伐として暗すぎるので、明治時代坪内逍遥が掘り起こすまで眠っていたと言う。
   両親や妹に振るう家庭内暴力あり、情け容赦なく殺人に及ぶ振る舞いありと、今様事件と寸分違わず、時代背景さえ変えれば、正に、現代劇に代わってしまうほど、インパクトが強烈である。
   こんな救い難い放蕩息子で、勘当したにも拘らず、義父と実母は、お互いに隠れて、与兵衛の生活費の小金を、お吉に託すべく訪れると言う涙ぐましい(?)挿話が彩りを添える。

   今回の「女殺油地獄」は、染五郎の与兵衛、亀治郎のお吉と言う若手きっての名優の登場の舞台なので、非常に若い女性ファンが多くて華やいでいた。
   近松門左衛門の浄瑠璃からの舞台なので、上方歌舞伎が得意とする演目なのだが、染五郎は仁左衛門から、亀治郎は秀太郎から、夫々、教えを受けたと言う。
   染五郎の与兵衛は、以前に、孝太郎のお吉で見ていて、あの時、東京ベースの染五郎ながら、仁左衛門のように、近松の世界を器用に演じるのを見て、新しい近松役者登場と言う感じがして、他の近松の浄瑠璃の大坂男をどのように演じ分けるのかと思いを馳せたのである。
   今回は、演じる立ち振る舞いだけではなく、非常に顔の表情に変化を持たせて、心の微妙な揺れやその軌跡を表現していて、例えば、仁左衛門を髣髴とさせるニヒルで不気味な笑みを浮かべるなど新境地に挑んでいて、芸域を広げるなど好演であった。
   文楽が大阪弁で大阪ベースの世界であり、近松の世界も、非常に上方文化の香りの強い浄瑠璃なので、何故かうまく説明できないが、上方歌舞伎役者でない人が演じると、私にはどこか異質感がありしっくり行かないのである。
   芝居は、世につれ人につれ、その時その時に、価値ある舞台であれば良いと言う考え方もあり、それはそうであろうが、私は、大坂、上方に拘る。

   亀治郎のお吉は、発散する色気を抑えて、非常に愛情豊かで人間味のある人物描写で、感動するほど実に素晴らしい。しかし、私には、どこか微妙だがイメージが違う。
   仁左衛門が、”『女殺油地獄』を現代版に書き換える方の中には、お吉と与兵衛は精神的な恋愛がなくてはいけないとおっしゃる方がいますが、私のやり方はそうではありません。私たちが子供の頃、関西に住んでいる近所のおばさんやお姉さんとは、それこそ家族のような付き合いをしていました。二人は特に油屋の仲間ですし、関西に住んでいる方ならそういった間柄も、よくおわかりになると思います。現代の青年にも通じるものの多いお芝居ですが現代劇ではやってはいけない、大阪のお芝居の芸とリアルの兼ね合いをいかに表現していくかが大切だと思っています。”と言っている。
   そんなお吉を与兵衛が、意地と世間体を保つ為にサディスティックに殺して金を奪うと言う異常な展開が、この芝居のテーマであり、事件記者よろしく、近松が駆けつけて芝居にした。この仁左衛門の言う「大阪のお芝居の芸」とリアルの兼ね合いと言うところこそ、近松の世界であり、上方文化が培ってきた上方の奥深い土壌でもある。

   秀太郎の母おさわは定番と言うべきで、前にも記した様に近松が意図した役づくりそのものであろうと思うし、控えめながら実直そのものの兄太兵衛の亀鶴も実に上手い。
   父徳兵衛を演じた彦三郎のしみじみとした味のある舞台を初めて見たので感激したが、非常に重要な役どころで観客をほろりとさせるシーンをぶち壊す如く、プロンプターの大きな声が、最初から最後まで耳について感興を著しく害した。彦三郎自身は、台詞はかなりしっかり入っていたようで殆ど不必要だと思ったのだが、あんな大きな声でプロンプターが声を出せば、同席する役者が平常な神経で演じられれば奇跡であろう。 (私の席は、中央やや右より。初日で、休憩時に、松竹担当者に伝えた。)

   今回は、与兵衛の異常心理について関心を持って見ていた。
   舞台の最後の土壇場で、縄をかけられる前に、与兵衛は心情を吐露するのだが、この時の言葉で、近松門左衛門は、はっきりと与兵衛の悪行への思いを述べていることに気付いたのである。
   ”一生の間不幸をし、放蕩に耽ったが、僅かな金も盗んだことはなく、茶屋や女郎屋への払いは、1年半年遅れても気にしなかった。新銀一貫目の証文で借りた金が一夜過ぎると親の難儀となって、不幸の罪は勿体ないと思うことばかり気になって、人を殺せば人の嘆き、人の難儀と言うことに少しも気が付かなかった。20年来の不幸と無法の悪行が天魔となって、心の目をくらませ、お吉を殺し金を取った。お吉と自分への救いの願いをお許しくだされ。”
   また、お吉殺しの場の冒頭で、お吉の家・豊島屋の門口で、与兵衛は口入綿屋小兵衛に会って、金を返さねば、町役人に届けるぞと言われるのだが、近松は、小兵衛が「言葉で与兵衛の首を絞める」と表現していて非常に興味深い。
   私自身は、与兵衛の心の闇を知りたかったので、これらの表現は非常に参考になった。
   与兵衛の頭の中には、世間に借財の返済を実行できなかったと言う事実が露見して、親に不幸をかけることが耐えられないと言う世間体を憚る意識はあったが、悪行の限りを尽くした放蕩人生で善悪のモラルは喪失してしまって、人殺しについては、関係する人々を苦しめ難儀をかけると言う意識は全くなくて、お吉殺害に及んだと言うことであった。
   すなわち、世間体は憚り男の体面を保ちたいが、それを避けるためには手段を選ばずに人殺しをしても金を工面することだと考えて、日頃持たない脇差を隠し持ってお吉を訪れており、確信犯だったのである。

   染五郎は、与兵衛の演技について仁左衛門を踏襲している。
   お吉殺しについては、読売の記事によると、染五郎は「おどおどしていた与兵衛が一変してお吉を追い回して殺す。主人公のサディズムが表れている。単なる陰惨な場面ではない」と考え、無意識に殺しを楽しんでしまう人物像を演じたいという。
   仁左衛門もこれに似たようなことを語っている。
   ”与兵衛は、殺しの間の心理の変化をいかに演じていくかというところが面白いんです。最初は無我夢中で震えている、そのうち段々と落ち着いてきて、そうすると今度は殺しを楽しみ出す、最後にお吉が死んでしまうと逆に怖がり出す。”
   実際の舞台だが、染五郎は、最初は、我ここに在らずと言た表情で目の焦点が合わずに宙を舞い決死の形相でお吉に向かうが、一太刀加えてお吉が仰け反ると凄惨の限りを尽くして殺害に及び、お吉がこと切れると、手がガタガタ震えて脇差が鞘に収まらない程の動転。

   舞台では、このお吉殺しの場が、山場となって有名であり、油塗れになった与兵衛とお吉がくんずほぐれつ派手に滑りながら殺しの修羅場を演じるのだが、ところが、実際の近松の原文では、この部分の描写は非常に簡潔で短い。
   喉笛を刺されて悩乱するお吉が、年端も行かぬ3人の子が路頭に迷うので死にたくないと訴えるのに対して、お前がそうなら、おれも可愛がってくれる親父が愛しい、男を立てねばならないので死んでくれと言って、お吉を引き寄せて、右方から左方の腹へ、さしては抉り、抜いては切る。のである。
   美文調の情景描写が展開されるが、真っ暗闇の中で、
   ”うち撒く油、流れる血、踏み滑り、全身血潮で赤鬼が、非道な角を振り立てて、お吉の体を引き裂く剣、剣の山は目の前で油の地獄の苦しみ”
   実質的には、これだけの凄惨極まりない描写だが、文楽や歌舞伎になると、あのように見せ場の多い流れるようなスペクタクルとも言うべきシーンが展開される。舞台芸術のなせる業である。
   文楽に至っては、舞台の端から端まで、すーっと与兵衛は滑って行くし、人形だから、人間の役者には出来ないような演技も披露する。
   
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Why Obama has to get Egypt right~ジョージ・ソロス

2011年02月04日 | 政治・経済・社会
   昨夜、ジョージ・ソロスからのメールで、ワシントン・ポストへの投稿「Why Obama has to get Egypt right」記事が送信されてきたのだが、本日、同じ記事が、ヘッドラインとして、ワシントンポストからも送られてきた。
   オバマ大統領に、全面的に、エジプトのプロテターたちを、即座にサポートして民主主義革命を実現させようと言う趣旨の論文だが、今、ニューヨーク・タイムズの電子版を開くと、「White House, Egypt Discuss Plan for Mubarak’s Exit」と言うトップニュースで、「 The Obama administration is discussing with Egyptian officials a proposal for President Hosni Mubarak to resign immediately and turn over power to a transitional government headed by Vice President Omar Suleiman with the support of the Egyptian military, administration officials and Arab diplomats said Thursday.」ソロス案に沿った記事が掲載されていた。
   ムバラク大統領は、即刻退陣して、エジプト軍の支持を得たオマール・スレイマン副大統領を長とする暫定移行政府に政権を譲り渡すように、ホワイトハウスは、エジプト政府に提議したと言うのである。
   ムバラク側近のエジプト政府高官に対して、憲法の改正は勿論、ムバラク大統領に、今、退陣するよう説得せよ high-level Egyptian officials around Mr. Mubarak in an effort to persuade the president to step down now. と言うのであるから、一挙に、米国は、対エジプト政策を変更して、民主化実現へと外交政策の舵を切ったのである。

   ソロスの論文は、かなりトーンが控えめだが、冒頭で次のように説く。
   革命は、大抵の場合は熱狂で始まり涙で終わるのだが、この中東のケースは、オバマ大統領が、何故自分が大統領に選ばれたのか、その価値にしっかりと立脚しさえすれば、涙は避けられる。
   確かに、アメリカン・パワーとその影響力は弱体化したが、わが同盟とその軍隊は、法と秩序を維持し、この革命を平和裏に実現する力を持っており、アメリカ合衆国が、成すべきことは、堕落した圧政者を追放して、自由で公正な選挙で新しいリーダーを選ばせることである。

   エジプトは複雑で影響力ある国であり、正常化すことが必須だが、ターリル広場の群衆は、高学歴の一般人もおれば、老いも若きも、絶望的に貧しい人も居るなど雑多な人々の集合で、理論的なアジェンダさえなく集まっており、組織化されており唯一生き残れる組織と言えば、ムスリム同胞団だけである。
   選挙をすれば、このムスリム同胞団が、主要政党として躍り出るのは間違いないであろうから、その結果、エジプト軍も選挙結果を改ざんするとか、イスラエルが政権交代に反抗するとか、急進的な政治がドミノ倒して他国へ蔓延するとか、中東からの石油の供給に障害が生じるとかの恐れが生じてくると心配する向きがある。
   しかし、ソロスは、この考え方は、中東に関する古い伝統的な考え方であって、今こそ変える必要があり、ワシントンは、抵抗を試みたりせず、エジプトの政変への支援を躊躇すべきではないと言う。

   オバマ大統領は、個人的にも米国の為にも、威厳と民主主義を希求する民衆の側に立って、今こそ、不人気で圧政的な政権にばかり肩入れして築き上げてきた同盟関係をきっぱりと捨て去って名誉を挽回して、アメリカのリーダーシップを確立すべきであって、最も重要なことは、この地域に平和な前進への道を切り開くことである。
   ムスリム同胞団と次期大統領を目指すノーベル賞受賞者のエルバラダイ氏との協力は、民主主義的な政治体制の確立のために建設的な役割を果たすであろう望ましい兆候である。
   この波及効果は、米国の敵であるシリアやイランを更に窮地に追い込むこととなろう。と言う。
   
   ここで、ソロスは、エジプトの政変によるイスラエルへの影響について、言及している。
   イスラエルは、中東が米国のようにより民主主義的になればなる程、得るものが多いはずなのだが、変化が急激であり、多くのリスクが発生するので嫌うであろうし、米国のイスラエル支持派も非常に頑ななので、オバマ政権が、この急激な変化に如何に間髪を入れずに適応した政策を取れるかがカギだと言う。

   私自身は、ソロスほど楽観的にはなれないが、根本的な問題は、火薬庫を抱えた中東での力のバランス、それも、アメリカの覇権で支えられてきた非常に危険かつ脆弱な均衡状態が、今、音を立てて崩れ去ろうとしていることで、これまで、アメリカが中東の同盟国において、民主主義や国民生活の平安をないがしろにし、政治や権力者の腐敗などによる民衆の生活を犠牲にしてでも強権的な権力者を支持して維持してきた中東の政治体制が、どのような変化を来して、どのような形で解決を見て新しい平衡状態に到達するのかと言うことであろうと思う。
   アメリカが築き上げて来た中東のバランス オブ パワーは、謂わば、あくまで、イスラエルの安全、石油資源の確保などアメリカにとって良かれとした国益優先の人為的な平衡状態であって、現実との乖離が甚だしくなって、今や、民衆の自由と民主主義への希求が、巨大なマグマとして爆発したのである。
   チッピングポイントを突破して、新しい均衡状態に移行しようとするエネルギーが、イスラム原理主義的な危険性を秘めていたとしても、ソロスは、恐れる必要はない言うのだが、故国ハンガリーの民主化の課程を熟知しているからかも知れない。

   ソロスは、最後に、
   原則的には、革命には慎重な質だが、このエジプトの場合には、成功するチャンスがある。
   オバマ大統領が、エジプトの人々を、いますぐにサポートすることを望む。
   民主主義とオープン・ソサエティの熱烈な擁護者として、中東に吹き荒れる熱狂に賛同して、ソロス・ファンドは、法の支配、憲法改革、汚職の撲滅、民主主義的組織の確立等の民主化に対してリソース・センターを設置する用意がある。と言っている。

   さて、この口絵で使わせ貰っているアニメは、ワシントンポストからの借用だが、砂時計から滑り落ちるムバラクや、エジプトのミイラにされかかっているムバラクなど、非常に機知にとんだ色々面白いアニメがスライド風に掲載されていて面白い。
   もう、ムバラクは、漫画になって揶揄されるディクテーター。叩き落とされるのは、すでに、秒読みの段階に入ったと言うことである。
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エジプトの民衆の蜂起は、21世紀のベルリンの壁の崩壊

2011年02月02日 | 政治・経済・社会
   チュニジアでの革命騒ぎが伝播して、エジプトを揺るがせている。
   20年遅れたが、正に、21世紀のベルリンの壁の崩壊である。
   私は、ヨーロッパに居て、ベルリンの壁崩壊前後に、東西ヨーロッパを行き来して、東欧世界が、一挙に資本主義と民主主義の世界へ傾れ込んで行った姿を見ているので、今回の中東の民衆の蜂起と民主化への大きな怒涛は、止めることのできない大きな歴史の潮流だと思っている。
   また、アメリカの栄光を再びと、オバマ大統領が、スプートニク・モーメントの再来を訴えたが、やはり、歴史は繰り返されるということである。

   この革命を引き起こしたのは、正に、ICT革命のなせる業。
   大きなイノベーションの大波が社会経済革命を触発して、グローバリゼーションの巨大な潮流に呼応して、グローバルベースの政治革命を引き起こしているのである。
   マルクスの説く如く、下部構造が上部構造を変革させようとしているのだが、フリードマンのフラット化した世界のICT革命による情報伝播の途轍もない破壊力の威力は、人智を超えてしまったと言うことであろうか。

   このICT革命に裏打ちされた虐げられ続けて来た民衆の民主化への渇望は、止まることなく、途轍もない勢いで世界中を駆け巡るであろう。
   独裁的政治体制や、非民主義政治体制が、ベルリンの壁崩壊後のグローバリゼーションの時代に、存在していることこそが、天然記念物的現象だが、パソコンがあってインターネットを叩きさえすれば、アマゾンの奥地からでも地球上のどこからでも、アメリカ大統領にさえアクセスできるそんな時代に、そのような人間の尊厳を圧殺するような体制が持続できる筈がない。
   この巨大な民衆の民主化への渇望の潮流は、サウジアラビアなどに飛び火して、経済大国になったけれども天安門事件で積み残した政治の民主化には程遠い中国を巻き込み、ビルマなどの非民主主義国家、そして、まだ眠りから覚めないアフリカの国々へと、怒涛のような勢いで伝播して行く。その勢いが、エジプト革命で、一挙に加速するであろう。
   もし、たとえ、中休みしても、休火山や間歇温泉のように、マグマやエネルギーが充満すれば、再び勢いを取り戻して爆破する不可逆的革命現象である。
   しかし、いずれにしても、平衡状態に収束するであろうが、これまでのように、アメリカの覇権が作り出していたような価値観がグローバル社会を占めるかどうかは、全く不透明であろうと思う。
   
   さて、私が子供の頃の日本は、戦後の混乱で政治経済社会体制も不安定で、国民すべてが非常に貧しかったが、日本人みんなが、必死になって、明日を信じて、国づくりと生活の再興を目指して頑張っていた。
   今のように、閉塞感など殆ど感じずに、頑張って居さえすれば、今日よりは明日は良くなると信じて疑わなかったし、それに、何よりも自由があり、民主主義があって、将来に希望と夢を描くことが出来た。
   
   国技である相撲の八百長がけしからん、比例選挙区から出た議員が寝返って反対党の大臣になるのは許せない、振り込み詐欺でまた老人が1200万円だまし取られた、等々、世界中のあっちこっちで革命騒ぎが勃発し、1日2ドル以下で生活し飲み水さえまともに飲めない人々が10億以上もいると言うのに、正に、日本は太平天国。
   これが幸せなのかどうかは分からないが、世界中が、巨大なマグマの中で激動していることだけは事実である。

(追記)写真は、NYTホームページより借用。
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上野東照宮の冬牡丹

2011年02月01日 | 花鳥風月・日本の文化風物・日本の旅紀行
   冬牡丹の季節である。
   日本各地では大雪で大変だが、関東平野の南部は、寒いけれど、殆どの日が晴天で、春の草花も少しずつ春の準備を始めている。
   何時ものように、風が穏やかで少し暖かくなった日に、上野東照宮の冬牡丹を見に出かけた。

   相変わらず妍を競って美しいが、今年は、花の咲き具合が早かったのか、殆どの花が盛りを過ぎていて、大分くたびれていた。
   それに、晴天続きで水が切れたのか、かなり葉っぱが萎れてしまった木があるなど、見ごろを失した牡丹見物で、少し、写真の意欲も削がれてしまった感じであったのが、一寸、残念であった。
   昨年は、幸いにも、珍しく降った雪が、地面に少し残っていて風情があったので、そう感じるのかも知れない。
   上野東照宮のぼたん苑は、商売気がないのかサービス精神が不足しているのか、他の花園や植物園などのように、花の咲き具合の情報など、ホームページに載せないので、訪れるタイミングが難しい。

   苑内には、牡丹以外に、色々な花木や草花が植えられているので、ところどころで、花を添えていて面白い。
   紅千鳥と言う名の濃いピンクの鮮やかな八重咲きの梅が美しく咲いていて、冬の弱い陽を浴びて逆光に輝く黄色い蝋梅や、厚ぼったい蝋のようなミツマタ、そして、下草の可憐な水仙。
   花ではないが、万両、それに、黄色と赤の千両。
   今年は、小鳥の声が聞こえなかった。

   昨年は、修復の為か、東照宮の本殿は、建設用の覆いに囲われていたが、今回は、唐門だけ、綺麗になって鮮やかな美しい姿を現していた。
   日光東照宮の方がはるかに立派で美しいが、多少、わびさびファンにとっては、このごてごてした彩色の鮮やかな装飾過多の建物を嫌う傾向があるのだが、私自身は、これはこれで、立派な日本の文化遺産だと思っている。
   歌舞伎の世界は、正に、この世界で、元々、奈良や京都の寺社建築も、赤や緑や金色に光り輝いていたのだし、第一、仏像などは、黄金色であったり極彩色で荘厳されていたのである。

   上野は、東大も近いし、芸大や多くの立派な博物館、それに、東京文化会館など文化の香りの高いところでもあるが、公園のあっちこっちには、ブルーのテント。
   池もあり公園もあり動物園もあり、それに、アメ横。
   上野駅も大分ショッピング・スペースが広がって便利になったが、やはり、まだ、石川啄木の世界が残っている。
   観光客が沢山集まっている賑やかで不思議な街が、上野である。
   
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