第一日目は、金閣寺を目指して、河原町のホテル前のバスストップで京都市営バスに乗った。
そこからは、石庭の竜安寺が近いので、仁和寺を経て、嵯峨野・嵐山に抜けようかと考えていた。
旅行前に、まんが日本の歴史全巻を渡して読んでおくようにと孫には言っておいたのだが、どこまで読んだか覚束ないが、とにかく、京都を見せることだと思った。
私自身、随分、世界中を歩いて来たのだが、ギリシャのパルテノン神殿やフィレンツエのルネサンス芸術など、教科書や図鑑などで見て、憧れて夢に描いた世界を、実地に反芻しながら歩いて来たようなもので、そんな思いの一端を、孫に見せれば、それが一番の勉強になると考えて、理屈を説明するよりは、まず、見せることだ思ったのである。
鎌倉に住んでいて、日本の歴史的な環境には接する機会も多いし、別な視点から、上方、それも、京都を感じることが大切であると言うことで、私なりに企画した孫の卒業旅行なのであった。
本来、禅宗のお寺でありながら、何故、全面に金箔をはって、マルコポーロのジパングの象徴のような金ぴかで、光り輝く煌びやかな金閣を、義満は作り上げてしまったのか。
将軍職を義持に譲った後も、この北山殿で、実質的に政治を取り仕切っていた義満の、いわば、御所であったのが、その死後に、義持が禅寺に変えてしまったために、寺には似つかわしくない(?)建物が残ったと言う訳である。
金ぴかでなければ、修行僧に放火されて焼失されずに残ったかも知れないと思うと、運命の皮肉が見え隠れして面白いが、京都でも最も豪壮な日本庭園に映える金閣の威風は、流石である。
そんな複雑な日本歴史の一面を、この風景を見ながら考えてくれれば良いと思ったのだが、孫は、角度を変えながら写真を撮り続けていた。


竜安寺の池畔を歩いていると、急に、雨が降り出してきた。
冷たい雨である。
金閣寺の時には、気づかなかったが、竜安寺の観光客の半数は外人で、中国人が多い他の寺院よりは、白人客が多い感じであった。
最近、能楽堂に通うことが多いのだが、結構、白人客が来ているのに驚くことがある。
日本文化の普遍性の一面を示しているのかも知れないと思っている。
この庭は、枯山水の日本独特の庭で、宇宙空間を表しているとか色々と神秘的な説明がなされているのだが、人夫々の思いで鑑賞することが肝要であろう。
庭の縦横や石の配置などが黄金律で表現されているとか、築地塀から本堂にかけて段々傾斜して低くなっているとかと言った西洋の技法が採用されていると思えば、また、どこから見ても15置かれた石が必ず一つは隠れていて見えないと言った、完全を嫌って十三夜を愛でる中国の美意識を体現するなど、極めて精神性の高い凄い庭なのである。
私など、学生時代から考えれば、随分、この竜安寺に通ってきて、この庭に座って、白砂と庭石と対話し続けているのだが、悲しいかな、雑念ばかりで、あられもないことばかりを考えているようで、寂しい限りである。
庭の手前に、小さな石庭の模型が置かれていたが、蛇足というものであろう。



娘、すなわち、孫の母が、太秦の東映映画村を見せたいと言うので、急遽、予定を変えて、嵐電に乗り換えて、太秦に向かった。
NHKの時代物の大河ドラマの多くが撮影される”えさし藤原の郷”などはかなり立派だと思うが、それでも、撮影用の仮設建物の上等なものと言った感じで、ホンモノの歴史的建造物と比べれば、雲泥の差があるので、この太秦の撮影所の疑似空間も、そうだろうと思って期待はしていなかった。
不思議なもので、同じディズニーランドであっても、本物の素晴らしい古城などの残っているフランスでは、パリのディズニーランドの建物も、他のディズニーランドと比べて、手抜きせずに、かなり、力を入れて本格的に建設されているように思うのだが、やはり、ディズニーは別格であろう。
入り口を入ったところに、昔懐かしいちんちん電車が展示されていたが、まず、その横に、吉原通り。
江戸の街では、長屋や旅籠など、庶民の生活を彷彿とさせるセットが並んでいて面白かった。
娘が、孫に、時代劇扮装の館で、時代劇の扮装をして写真を写そうとしきりに勧めていたが、嫌がって逃げていた。
世界最強の幽霊屋敷と言うのに入りたいと言ったので、仕方なく一緒に行ったが、いざ、真っ暗な場内に入ると、見たいが怖いと言った調子で私の後から恐々ついて来た。
中には、幽霊に扮した実際の役者が、異様な姿で飛び出してくるのであるから、気持ちの良いものではなかった。
沢山団体客や子供連れ客が来ていたが、入場料だけで2200円(子供1100円)と言うのは、どうであろうか。


そこからは、石庭の竜安寺が近いので、仁和寺を経て、嵯峨野・嵐山に抜けようかと考えていた。
旅行前に、まんが日本の歴史全巻を渡して読んでおくようにと孫には言っておいたのだが、どこまで読んだか覚束ないが、とにかく、京都を見せることだと思った。
私自身、随分、世界中を歩いて来たのだが、ギリシャのパルテノン神殿やフィレンツエのルネサンス芸術など、教科書や図鑑などで見て、憧れて夢に描いた世界を、実地に反芻しながら歩いて来たようなもので、そんな思いの一端を、孫に見せれば、それが一番の勉強になると考えて、理屈を説明するよりは、まず、見せることだ思ったのである。
鎌倉に住んでいて、日本の歴史的な環境には接する機会も多いし、別な視点から、上方、それも、京都を感じることが大切であると言うことで、私なりに企画した孫の卒業旅行なのであった。
本来、禅宗のお寺でありながら、何故、全面に金箔をはって、マルコポーロのジパングの象徴のような金ぴかで、光り輝く煌びやかな金閣を、義満は作り上げてしまったのか。
将軍職を義持に譲った後も、この北山殿で、実質的に政治を取り仕切っていた義満の、いわば、御所であったのが、その死後に、義持が禅寺に変えてしまったために、寺には似つかわしくない(?)建物が残ったと言う訳である。
金ぴかでなければ、修行僧に放火されて焼失されずに残ったかも知れないと思うと、運命の皮肉が見え隠れして面白いが、京都でも最も豪壮な日本庭園に映える金閣の威風は、流石である。
そんな複雑な日本歴史の一面を、この風景を見ながら考えてくれれば良いと思ったのだが、孫は、角度を変えながら写真を撮り続けていた。


竜安寺の池畔を歩いていると、急に、雨が降り出してきた。
冷たい雨である。
金閣寺の時には、気づかなかったが、竜安寺の観光客の半数は外人で、中国人が多い他の寺院よりは、白人客が多い感じであった。
最近、能楽堂に通うことが多いのだが、結構、白人客が来ているのに驚くことがある。
日本文化の普遍性の一面を示しているのかも知れないと思っている。
この庭は、枯山水の日本独特の庭で、宇宙空間を表しているとか色々と神秘的な説明がなされているのだが、人夫々の思いで鑑賞することが肝要であろう。
庭の縦横や石の配置などが黄金律で表現されているとか、築地塀から本堂にかけて段々傾斜して低くなっているとかと言った西洋の技法が採用されていると思えば、また、どこから見ても15置かれた石が必ず一つは隠れていて見えないと言った、完全を嫌って十三夜を愛でる中国の美意識を体現するなど、極めて精神性の高い凄い庭なのである。
私など、学生時代から考えれば、随分、この竜安寺に通ってきて、この庭に座って、白砂と庭石と対話し続けているのだが、悲しいかな、雑念ばかりで、あられもないことばかりを考えているようで、寂しい限りである。
庭の手前に、小さな石庭の模型が置かれていたが、蛇足というものであろう。



娘、すなわち、孫の母が、太秦の東映映画村を見せたいと言うので、急遽、予定を変えて、嵐電に乗り換えて、太秦に向かった。
NHKの時代物の大河ドラマの多くが撮影される”えさし藤原の郷”などはかなり立派だと思うが、それでも、撮影用の仮設建物の上等なものと言った感じで、ホンモノの歴史的建造物と比べれば、雲泥の差があるので、この太秦の撮影所の疑似空間も、そうだろうと思って期待はしていなかった。
不思議なもので、同じディズニーランドであっても、本物の素晴らしい古城などの残っているフランスでは、パリのディズニーランドの建物も、他のディズニーランドと比べて、手抜きせずに、かなり、力を入れて本格的に建設されているように思うのだが、やはり、ディズニーは別格であろう。
入り口を入ったところに、昔懐かしいちんちん電車が展示されていたが、まず、その横に、吉原通り。
江戸の街では、長屋や旅籠など、庶民の生活を彷彿とさせるセットが並んでいて面白かった。
娘が、孫に、時代劇扮装の館で、時代劇の扮装をして写真を写そうとしきりに勧めていたが、嫌がって逃げていた。
世界最強の幽霊屋敷と言うのに入りたいと言ったので、仕方なく一緒に行ったが、いざ、真っ暗な場内に入ると、見たいが怖いと言った調子で私の後から恐々ついて来た。
中には、幽霊に扮した実際の役者が、異様な姿で飛び出してくるのであるから、気持ちの良いものではなかった。
沢山団体客や子供連れ客が来ていたが、入場料だけで2200円(子供1100円)と言うのは、どうであろうか。


