熟年の文化徒然雑記帳

徒然なるままに、クラシックや歌舞伎・文楽鑑賞、海外生活と旅、読書、生活随想、経済、経営、政治等々万の随想を書こうと思う。

春の京都の旅(1)桜開花前の花

2013年03月23日 | 花鳥風月・日本の文化風物・日本の旅紀行
   昨日、京都の桜の開花宣言があったようなのだが、東京は満開だと言うのに随分遅い。
   同じ日に、清水寺を訪れたのだが、僅かに、枝垂れ桜がちらほら咲いている程度で、桜の蕾は固かった。
   この写真は、三条大橋から賀茂川の東岸を望遠した風景だが、殆ど桜は咲いていない。
   賀茂川の岸辺には桜並木が延々と続いているので、春の散策には非常に良いのだが、シーズン前の時期なので、河原で遊ぶ人影も少ないし、四条河原町近辺の人ごみは大変だが、他の観光地は比較的すいている。
   
   

   今回の京都旅は、孫の小学校卒業記念にと思って、卒業式の後、鎌倉を離れたので、一寸、タイミングがずれて、一番、花の少ない春のシーズンに当たってしまった。
   本当は、我々が住んでいたイギリスや母親が過ごしたオランダを見せたくてヨーロッパ旅を計画していたのだが、一週間続けて時間が取れなくて、4泊5日の京都旅に変わってしまったのだが、何回か両親とは訪れててはいるが、私が大学生活を送って最もよく知っている京都を、私自身で案内して、日本のことを教えたいと思ったのである。

   着いた日に、木屋町を歩いていて、秀次の墓所である瑞泉寺の門を入った正面の紅梅が実に美しかったので、翌日、梅の名所である北野天満宮を訪れたのだが、残念ながら、既に、満開時期からは大分経ってしまって、殆ど、散ってしまっていたのだが、同じ種類の八重の紅梅や何種類かの梅には、まだ、綺麗な花がついていたのでいくらか写真を撮ることが出来た。
   梅も桜も、花の時期は非常に短くて、非常に儚いのだが、それだけに、満開に咲くと美しくて感動的である。
   
   
   
   
   
   梅と言えば、清水寺の仁王門の右手前の紅梅が、鮮やかな朱塗りの仁王門に映えて輝いていた。
   この寺も、今は、殆ど花はなく、本堂横の椿や境内にちらほら植わっている藪椿の赤が目立つ程度で、彩がないとやはり、豪壮な舞台も映えず形無しである。
   清水の参道を下って、三年坂に入ると、急勾配の石段の左手に聳える枝垂れ桜の花が綺麗に咲いていて、夕映えに光輝いていた。
   通りかかった乙女のグループが写真を撮ってくれと携帯を渡されたのだが、石段が陰っていて、人物が暗くなっているので、白く輝く桜とのコントラストが強すぎて、フラッシュがないと上手く写らないので困った。
   
   
   
   

   今回は、美しい京都の桜を楽しめなかったのだが、ソメイヨシノが主体の東京とは違って、関西は、比較的桜の種類が多くて、御室のサトザクラまで、かなり、桜の時期が長いので、来月、機会を見て訪ねてみたいと思っている。
   ところで、帰りの車窓から、東京近辺の満開の桜を眺めていたのだが、東京から少し離れて成田に向かうと、まだ、満開には程遠く、私の近辺も、大分咲き出してはいるのだが、満開にはまだ時間がありそうである。
   昔、上野から仙台まで、常磐線で北上したことがあるのだが、東京では満開に咲き乱れていた桜が、ほんの30分刻みくらいで、少しずつ蕾の数が増えて行って、仙台に近づくにつれて、開花から少しずつ時期がずれていく桜開花模様を見て、面白いと思ったことがあるのだが、ほんの僅かな自然現象の違いで、花の動きが違ってくるのである。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする