60年前の小津安二郎監督の「東京物語」を、現在の日本に置き換えたらどんな作品になるのか。
随分、日本のみならず、世界全体が激変してしまったが、日本人の心と生きることへの思いをそのままに描ききった素晴らしい映画を、山田洋次監督が制作した。
それも、21世紀に入って最も日本人を震撼させた9・11への限りなき思いを込めて、しみじみと日本人であることの喜びと切なさを描いていて感動的であった。
東京物語が制作された1953年と言えば、1945年の終戦からまだ日が浅く、日本全体が日々の生活にも困っていた頃である。
尾道に住む年老いた夫婦周吉・とみ(笠智衆 東山千栄子)が東京の長男幸一(山村聡)と長女志げ(杉村春子)の家族を訪ねて来るのだが、医学博士の長男も長女の美容院も、思っていた程楽ではなく、親への思いは十分にあっても、それぞれの生活を守ることが精一杯で、熱海の旅行まで手配して貰いながらも、何か親身な温かさが欠けていてものたりなく、寂しさを感じて、熱海の海岸で、故郷へ帰ろうと話し合う。
熱海の宿が良くなくて一泊で切り上げて帰って来るのだが、志げに迷惑がられて居たたまれず、「宿無し」になったので、とみは次男の未亡人紀子(原節子)に会いに出かけて優しい心遣いを受け、周吉は、旧友沼田(東野英治郎)と会って昔を回顧しながら子供たちのつれなさを嘆く。
尾道に帰ってすぐに、妻が脳溢血で倒れて、静かにその一生を終る。駆けつけたみんなは悲嘆にくれたが、葬儀がすむとまたあわただしく帰って行き、形見分け騒動などで、次女(香川京子)が兄姉達の非人情を嘆くが、紀子が慰める。
最後まで残って周吉の面倒を見ていた紀子が東京へ発つ時、周吉は、「妙なもんじゃ、自分が育てた子供たちより、いわば、他人の貴方の方がよっぽど私たちに良くしてくれた。いやあ、ありがとう。」
志げの形見の時計を、紀子に手渡す。
一人残された周吉の後姿が寂しくも悲しい。
さて、新しい「東京家族」だが、小津安二郎へのオマージュと言うことでもあって、殆ど筋は、「東京物語」を踏襲している。
その違いと言うか、映画に込められた両監督の思いや、出演した映画俳優のキャラクターは勿論、60年の風月と時代の変遷などを色濃く反映しているのだろうが、やはり、家族と言う最も身近で最も貴重な人間関係の微妙な変化を、ニュアンスを変えて映し出しているような気がする。
「東京物語」予告編に、「命あるものの おしなべてさけがたい 親であり 子である つながりが生む かぎりなき よろこびと かなしみ」 「日常の 庶民の生活の中に ふつふつと かもされる 親愛感 」と言う字幕が流れる。
山田洋次監督は、非常に優しくてストレートな表現はしないのだが、小津安二郎監督は、前述した紀子への言葉でも分かるように、かなり、はっきりと、周吉に、子供たちへの不満を吐露させている。
子供に冷たくあしらわれている老友の沼田に対して、周吉は、「・・・わしも不満じゃ。じゃがのう、これは世の中の親の欲じゃ。欲張ったらきりがない。そりゃ 諦めにゃならん。そう わしゃ 思たんや。」と答えている。
私は、小津安二郎は、家族の親愛感を軸にして物語を紡ぎ上げながら、所詮は一人であの世に旅立って行かなければならない人間の悲しさ寂しさ、諦観のような思いを、笠智衆の孤独な後姿に、万感の思いを込めて描こうとしたような気がしている。
ところが、山田洋次監督の方は、制作にあたってのメッセージに、3・11以降の東京を、この国を描くためには、制作延期が必要であったこと、そして、長く続いた不況に重ねて大きな災害を経験し、新しい活路を見いだせないまま苦悩する今日の日本の観客が、大きな共感と涙で迎えてくれるような作品にしたい。と述べているように、この映画は、むしろ、未来への人間賛歌を意図して描かれた家族の物語だと言う気がしている。
そう思えば、小津映画のキーパーソンであった原節子の役割を、次男の冴えないフリーターの平山昌次(妻夫木聡 )とその恋人間宮紀子(蒼井優 )に振り向けて、若くて瑞々しい姿を描きながら、これからの日本を暗示させようとした意図が良く分かる。
宿無しとなったとみこ(吉行和子)が、次男昌次のアパートで泊まることになるのだが、そこで、恋人の紀子に会って、その優しさ素晴らしさに感激して至福の幸福を感じて帰り、周吉(橋爪功)が反対しても紀子とのことを説得すると約束するのだが、一言も語らずに亡くなってしまう。
この時、小津映画では、紀子がとみに小遣いを渡すのだが、山田映画では、逆に、生活力もないのに欲しいものは何でもすぐに買いたい昌次を慮ってか、とみこが紀子にお金を預ける。貧しい昌次の部屋に場違いの素晴らしいプラモデルのヘリがぶら下がっていて、相変わらず、山田監督は隅々まで芸が細かくて泣かせる。
この頼りなくて生活力の欠如した昌次ととみことの何とも言えない親子の心の交流と、紀子とともこのほのぼのとした出会いが実に良い。
いくら魅力的で素晴らしくても、原節子の熟成した未亡人像では、閉じられた世界に終わってしまうので尚更である。
「東京家族」は、周吉の橋爪功が、東京へ去ろうとする紀子を呼び止めて、感謝の気持ちを込めて、昌次をよろしくお願いしますと頭を下げて、妻とみこの形見の時計を渡す。
「東京物語」には、非常に優しくて素晴らしい次女京子が登場していて、香川京子が実に魅力的であったが、一番だらしがなくて心配であった次男の昌次が、実は、妻に似た非常に心の優しい真っ当な子供であったことを周吉が悟る終幕で十分であって、東京へ帰ることを自分で周吉に言えなくて、紀子に言わせるところなど二人の心の触れ合いが実に感動的である。
ところで、「東京物語」の登場映画俳優は、前述以外にも、三宅邦子、中村伸郎、 大坂志郎、十朱久雄など錚々たる面々だが、「東京家族」の方も、 長男平山幸一( 西村雅彦)、妻文子(夏川結衣)、 長女金井滋子 (中嶋朋子)、夫庫造(林家正蔵)が、小津組に負けず劣らず素晴らしい演技を見せており、沼田三平の小林稔侍 や飲み屋の女将かよの風吹ジュン なども達者な芸を見せてくれていて素晴らしい。
林家正藏は、少し前に、国立演芸場で、「林家正藏を語る」と言う舞台で、正藏の落語を2話聞いたのだが、既に、功成り名を遂げて花形噺家の重鎮としての貫録十分で楽しませて貰った。
その正藏が、この映画では、実に軽妙洒脱なタッチで中々貴重で面白いキャラクターを演じて熱演しており、面白かった。
山田洋次監督については、寅さん映画を、全編くまなく、そして、ビデオやDVDを何回も、家族と観ながら生きてきたようなものであり、沢山の山田洋次映画を鑑賞し続けているので、感想など書くのは、おこがましいのでやめる。
小津映画のローアングルで固定したカメラ位置からの撮影と違って、同じローアングルでも、やや、高めになったのは、卓袱台からテーブル椅子席に変わったからであろうか。
家族や庶民に対する限りなく優しくて温かい眼差しの監督の息吹がふつふつと湧き上がってくるような感動的な映画であった。
(追記)口絵写真は、公式サイトから借用。
随分、日本のみならず、世界全体が激変してしまったが、日本人の心と生きることへの思いをそのままに描ききった素晴らしい映画を、山田洋次監督が制作した。
それも、21世紀に入って最も日本人を震撼させた9・11への限りなき思いを込めて、しみじみと日本人であることの喜びと切なさを描いていて感動的であった。
東京物語が制作された1953年と言えば、1945年の終戦からまだ日が浅く、日本全体が日々の生活にも困っていた頃である。
尾道に住む年老いた夫婦周吉・とみ(笠智衆 東山千栄子)が東京の長男幸一(山村聡)と長女志げ(杉村春子)の家族を訪ねて来るのだが、医学博士の長男も長女の美容院も、思っていた程楽ではなく、親への思いは十分にあっても、それぞれの生活を守ることが精一杯で、熱海の旅行まで手配して貰いながらも、何か親身な温かさが欠けていてものたりなく、寂しさを感じて、熱海の海岸で、故郷へ帰ろうと話し合う。
熱海の宿が良くなくて一泊で切り上げて帰って来るのだが、志げに迷惑がられて居たたまれず、「宿無し」になったので、とみは次男の未亡人紀子(原節子)に会いに出かけて優しい心遣いを受け、周吉は、旧友沼田(東野英治郎)と会って昔を回顧しながら子供たちのつれなさを嘆く。
尾道に帰ってすぐに、妻が脳溢血で倒れて、静かにその一生を終る。駆けつけたみんなは悲嘆にくれたが、葬儀がすむとまたあわただしく帰って行き、形見分け騒動などで、次女(香川京子)が兄姉達の非人情を嘆くが、紀子が慰める。
最後まで残って周吉の面倒を見ていた紀子が東京へ発つ時、周吉は、「妙なもんじゃ、自分が育てた子供たちより、いわば、他人の貴方の方がよっぽど私たちに良くしてくれた。いやあ、ありがとう。」
志げの形見の時計を、紀子に手渡す。
一人残された周吉の後姿が寂しくも悲しい。
さて、新しい「東京家族」だが、小津安二郎へのオマージュと言うことでもあって、殆ど筋は、「東京物語」を踏襲している。
その違いと言うか、映画に込められた両監督の思いや、出演した映画俳優のキャラクターは勿論、60年の風月と時代の変遷などを色濃く反映しているのだろうが、やはり、家族と言う最も身近で最も貴重な人間関係の微妙な変化を、ニュアンスを変えて映し出しているような気がする。
「東京物語」予告編に、「命あるものの おしなべてさけがたい 親であり 子である つながりが生む かぎりなき よろこびと かなしみ」 「日常の 庶民の生活の中に ふつふつと かもされる 親愛感 」と言う字幕が流れる。
山田洋次監督は、非常に優しくてストレートな表現はしないのだが、小津安二郎監督は、前述した紀子への言葉でも分かるように、かなり、はっきりと、周吉に、子供たちへの不満を吐露させている。
子供に冷たくあしらわれている老友の沼田に対して、周吉は、「・・・わしも不満じゃ。じゃがのう、これは世の中の親の欲じゃ。欲張ったらきりがない。そりゃ 諦めにゃならん。そう わしゃ 思たんや。」と答えている。
私は、小津安二郎は、家族の親愛感を軸にして物語を紡ぎ上げながら、所詮は一人であの世に旅立って行かなければならない人間の悲しさ寂しさ、諦観のような思いを、笠智衆の孤独な後姿に、万感の思いを込めて描こうとしたような気がしている。
ところが、山田洋次監督の方は、制作にあたってのメッセージに、3・11以降の東京を、この国を描くためには、制作延期が必要であったこと、そして、長く続いた不況に重ねて大きな災害を経験し、新しい活路を見いだせないまま苦悩する今日の日本の観客が、大きな共感と涙で迎えてくれるような作品にしたい。と述べているように、この映画は、むしろ、未来への人間賛歌を意図して描かれた家族の物語だと言う気がしている。
そう思えば、小津映画のキーパーソンであった原節子の役割を、次男の冴えないフリーターの平山昌次(妻夫木聡 )とその恋人間宮紀子(蒼井優 )に振り向けて、若くて瑞々しい姿を描きながら、これからの日本を暗示させようとした意図が良く分かる。
宿無しとなったとみこ(吉行和子)が、次男昌次のアパートで泊まることになるのだが、そこで、恋人の紀子に会って、その優しさ素晴らしさに感激して至福の幸福を感じて帰り、周吉(橋爪功)が反対しても紀子とのことを説得すると約束するのだが、一言も語らずに亡くなってしまう。
この時、小津映画では、紀子がとみに小遣いを渡すのだが、山田映画では、逆に、生活力もないのに欲しいものは何でもすぐに買いたい昌次を慮ってか、とみこが紀子にお金を預ける。貧しい昌次の部屋に場違いの素晴らしいプラモデルのヘリがぶら下がっていて、相変わらず、山田監督は隅々まで芸が細かくて泣かせる。
この頼りなくて生活力の欠如した昌次ととみことの何とも言えない親子の心の交流と、紀子とともこのほのぼのとした出会いが実に良い。
いくら魅力的で素晴らしくても、原節子の熟成した未亡人像では、閉じられた世界に終わってしまうので尚更である。
「東京家族」は、周吉の橋爪功が、東京へ去ろうとする紀子を呼び止めて、感謝の気持ちを込めて、昌次をよろしくお願いしますと頭を下げて、妻とみこの形見の時計を渡す。
「東京物語」には、非常に優しくて素晴らしい次女京子が登場していて、香川京子が実に魅力的であったが、一番だらしがなくて心配であった次男の昌次が、実は、妻に似た非常に心の優しい真っ当な子供であったことを周吉が悟る終幕で十分であって、東京へ帰ることを自分で周吉に言えなくて、紀子に言わせるところなど二人の心の触れ合いが実に感動的である。
ところで、「東京物語」の登場映画俳優は、前述以外にも、三宅邦子、中村伸郎、 大坂志郎、十朱久雄など錚々たる面々だが、「東京家族」の方も、 長男平山幸一( 西村雅彦)、妻文子(夏川結衣)、 長女金井滋子 (中嶋朋子)、夫庫造(林家正蔵)が、小津組に負けず劣らず素晴らしい演技を見せており、沼田三平の小林稔侍 や飲み屋の女将かよの風吹ジュン なども達者な芸を見せてくれていて素晴らしい。
林家正藏は、少し前に、国立演芸場で、「林家正藏を語る」と言う舞台で、正藏の落語を2話聞いたのだが、既に、功成り名を遂げて花形噺家の重鎮としての貫録十分で楽しませて貰った。
その正藏が、この映画では、実に軽妙洒脱なタッチで中々貴重で面白いキャラクターを演じて熱演しており、面白かった。
山田洋次監督については、寅さん映画を、全編くまなく、そして、ビデオやDVDを何回も、家族と観ながら生きてきたようなものであり、沢山の山田洋次映画を鑑賞し続けているので、感想など書くのは、おこがましいのでやめる。
小津映画のローアングルで固定したカメラ位置からの撮影と違って、同じローアングルでも、やや、高めになったのは、卓袱台からテーブル椅子席に変わったからであろうか。
家族や庶民に対する限りなく優しくて温かい眼差しの監督の息吹がふつふつと湧き上がってくるような感動的な映画であった。
(追記)口絵写真は、公式サイトから借用。