熟年の文化徒然雑記帳

徒然なるままに、クラシックや歌舞伎・文楽鑑賞、海外生活と旅、読書、生活随想、経済、経営、政治等々万の随想を書こうと思う。

春の京都の旅(2)京都の朝のコーヒー・タイム

2013年03月24日 | 花鳥風月・日本の文化風物・日本の旅紀行
   欧米での出張や旅行の時には、ホテルで朝食を取るのが普通で、行く先々の地方色豊かな朝食が楽しみであった。
   一番印象深いのは、やはり、イングリッシュ・ブレックファーストで、オーダーすれば色々な種類のディッシュが一挙に出て来るたっぷりとした朝食を取ると、昼食の時間がずれたり多少ミスっても心配なく旅が続けられたので、非常に重宝した。
   私がメンバーであったロイヤル・オートモビル・クラブのイングリッシュ・ブレックファーストは、トップクラスの英国人紳士の定番であるから、典型的なものであったのであろうが、とにかく、ロンドンでの定宿でもあったので、古色蒼然とした雰囲気総てが、私のイギリス生活の貴重な一部でもあった。
   
   ジュネーブ、ローマ、ウィーン、ベルリン、コペンハーゲン、オスロ、色々なところでのブレックファーストは、案外、上等なホテルだと、コンチネンタルやアメリカンと言ったコスモポリタンの朝食で、面白くなかったのだが、中には、その地方色豊かな朝食に出くわすことがあったりして、楽しみでもあった。

   さて、京都だが、出張の時には、河原町のホテルに宿泊することが多かったので、朝、河原町から三条通りを西に向かって、堺町通を下った所にあるイノダコーヒー店(口絵写真)に出かけて朝食を取ることにしていた。
   その手前の三条通りに少しモダンで綺麗な三条店があるのだが、開店時間が遅かったし、大正時代の倉庫を店舗にした本店の古い雰囲気の方が好きだったので、ここに通っていた。

   この店に入ったところに小さな坪庭があって、その奥がコーヒーショップになっているのだが、興味深いのは、入った一番最初の右手奥の大きな円形テーブルが、地元の常連客の指定席になっていて、列をなして待っている観光客を尻目に素通りして、顔見知りと挨拶を交わしている。
   今回行った時には、殆ど引退した老人客が大半で新聞を広げていたが、以前には、あのあたりの商売仲間の情報交換の朝会のような雰囲気で、一寸、緊張したような雰囲気があった。
   あのロンドンのシティのロイズの保険業務もコーヒーショップの集まりから始まったと言われているのだが、いわば、このイノダコーヒーが、旦那衆のミーティングの場を提供していたのであろう。
   その所為かどうかは知らないが、開店時間が朝の7時からで、喫茶店としては異例だが、私には好都合であった。
   
   
   私がオーダーを入れるのは、あまり拘る方でもないので、京の朝食(開店~11:00am)(ジュース・サラダ・タマゴ・ハム・パン・コーヒーまたは紅茶)と言った定食にしている。
   変わっているのは、コーヒーで、ミルクと砂糖をお任せにすると、これらをミックスした出来あがりのコーヒーを持ってくることで、最良のミックスと言う訳であろうが、コーヒーの味や風味など全く分からないことである。
   しかし、これが、”コーヒーは、開業当時より当社コーヒーにはミルク、砂糖を入れて お出ししております。”と言う のがこの店のポリシーであるから、堂々と、この店のブランドと言う訳である。
   面白いのは、スプーンに5ミリくらいの小さな角砂糖が一つ乗せられて出て来ることで、これが、結構味を左右する。
   この日はかなり混んでいて、広いメインルームではなく、離れの小部屋であったが、いずれにしろ、周りは観光客ばかりなのだが、室内に音楽などが流れていなくて静かなのが良い。
   

   もう一つ、京都の町で、見かけたら入るコーヒーショップが、小川珈琲で、今回も、ホテルからすぐの高瀬川沿いの三条店に出かけた。
   小さなモダンな感じの店で、カウンター後ろの棚が中々清楚ながらも美しいインテリアとなっていて、メニューに合わせてコーヒーカップを選んでいるのが良い。
   コーヒー店では、その店のブレンドコーヒーを頂くことにしているのだが、まず、ストレートで味わって、その後、クリーム、砂糖と言う順序で味を確認する。
   どのようにコーヒーを抽出するのか見ていないので分からないのだが、老年のマスターかマダムが、サイフォンを温めてことこととコーヒーを淹れる店が、地方に行かなければ見られなくなってしまったのも時代の流れであろうか。
   
   

   JTBのガイドに、三条通りから寺町を上がると老舗のスマート珈琲店があると出ていたので、出かけてみた。
   開店一時間後くらいで、タイミングが悪くて、寒中を待たされたので帰ろうと思ったのだが、店先には、古いコーヒーミルや焙煎機などが置かれていてそれなりの雰囲気があったし、家族が待とうと言うので辛抱した。
   入り口を入れば、奥の厨房を見渡せる小さな店で、客は総て観光客のようであった。
   オーダーを取りに来た中年の女性ウエイトレスは、まちまちのメニューをメモも取らずに受け答えして、間違いなしに品物を持ってきたので、今の日本では珍しいと思って見ていた。
   ここも同じなのだが、何故か、コーヒーが後で遅れて出て来るので、一寸、フレンチトーストを食べてしまった後の写真になってしまったのだが、癖のないコーヒーであった。
   この店は、特にモーニングメニューがあるわけでもなく、コーヒーは、スマート・オリジナル・ブレンド一本で、店もこの寺町の本店だけと言うイノダや小川と違った老舗珈琲店のようである。
   少し離れたところに上島珈琲店があったが、私は、毎朝、UCCのブルーマウンテン・ブレンドをメリタで淹れて飲んでいるので、ここが合ったのかも知れない。
   
   

   都合4泊したので、最終日には、河原町を三条通りに入ったところにある進々堂に行くことにした。
   京大時代に、北門のそばにあった進々堂のコーヒー店で、だべったり本を読んだりして過ごした時期があったので、今回は、行けなかったこともあって、懐かしさも手伝って出かけたのである。
    1930年 3月に、京都大学北門前に京都で初めての本格的フランス風喫茶店「カフェ進々堂」(現在別法人)を建築したと社歴にあるので、あの店は、もう、80年以上の歴史があるのである。
   知らなかったのだが、初代はパンつくりの修業のためにパリへ渡ったとかで、パン屋が最初らしく、店の半分は、パンの販売コーナーになっていて、色々な珍しいパンが沢山並んでいた。
   それに、セットメニューをオーダーすると、ウエイトレスが、色々カラフルなパンの入った籠を持ってきて好きなパンをトレーに置いてくれるので、興味深かったし、コーヒーのお替り自由も有難いサービスである。
     
   

   さて、今回の京都旅で、4か所の珈琲店で、朝食を取ったのだが、一緒した孫はコーヒーが飲めないのでジュースで通していたのだが、珈琲店での朝食の雰囲気は分かったと思う。
   私も、随分色々なところで、コーヒーを味わってきたが、スターバックスが生まれるまでは、アメリカにもヨーロッパにも、日本のように気楽にお茶を楽しむことが出来る喫茶店やコーヒーハウスなどはなかった。
   大概は、ホテルのコーヒーショップやロビーなどで、あるいは、ファーストフードの店で飲むくらいであったが、ウィーンやブダペストなどハプスブルグ王朝の都市では、カフェ文化が育まれていたので、素晴らしいカフェがあって、憩いのひと時を存分に楽しむことが出来た。
   私は、出張でも旅行でも、ウィーンでは、切符が手に入れば必ずウィーン国立歌劇場に行ってオペラを見ることにしていたので、ホテルは、すぐ隣のザッハーなどにしていた。
   そのために、これも並びのカフェ・モーツアルトに良く出かけて、世紀末の良き時代のウィーンの香りを楽しんでいた。
   最初は、ザッハートルテにウィンナ・コーヒーと言った定番だったが、慣れて来ると一寸変わったメニューを楽しめるようになった。
   ブダペストでも、随分素晴らしいカフェに、地元の仕事仲間が連れて行ってくれたのだが、どこへ行ったのか記憶さえ薄れてしまったのだけれど、やはり、コーヒー文化は、良き文化の香りの象徴なのである。
   
   勿論、いくら雰囲気があると言っても京都の珈琲店は、雰囲気と言い格調の高さと言い、これらハプスブルグのカフェとは雲泥の差ではあるのだが、旅の途中に、非日常の雰囲気を味わうのには貴重な存在である。
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