メディアの報道によると、新潟大の女子学生2人が、夏休みを利用してトルコに入国して、カッパドキアのゼミ渓谷を散策中に襲われた。現場は当時、人けがなかったとみられ、倒れている2人を別の観光客が発見して通報した。と言うことである。
実に悲しい事件であり、被害にあわれたお二人そしてご家族の皆様には、心からお悔やみとお見舞いを申し上げたい。
詳細が分からないので、何とも言えないが、私自身の経験や娘たちの海外旅行のケースなどを参考に、日本人の若者たちの海外旅行が、如何に、危険と隣り合わせの状態にあるかについて、私見を綴ってみたいと思う。
結論から先に言うと、とにかく、日本人は、あまりにも恵まれた単一民族単一文化の日本と言う素晴らしい国に住んでいるので、異文化異文明、外国事情には全く免疫がなくて、どこもかしこも同じだと思って、日本にいるような感覚でものを考えて行動する、平和ボケだと言うのが最大の特徴であって、これが、外国で、あるいは、異文化との遭遇で、問題を起こす。
滝川クリステル嬢がブエノスアイレスで世界に宣言したように、日本ほど、全土に渡って、安全安心の行き渡った国は、世界何処にもないと言うことを努々忘れてはならないのである。
私自身、トルコは、イスタンブールに二回しか行っていないのだが、一度、仕事の関係で、イスタンブールから、タクシーで、マルマラ海沿いに回って、イズミットを経てプルサからかなり奥の田舎まで行ったことがある。
カッパドキアは、奇岩で有名なトルコの観光地であるが、まだ、行ったことはない。 しかし、私のイスタンブールなどの観光地での経験では、トルコは、新興国とは言っても、まだまだ、文明世界と非文明の混在した環境で、それに、イスラム教国であると言う特殊性が絡んで、日本人が容易に溶け込めるような雰囲気ではないし、第一、不測の事態には、適切な対応は無理である。
ハギア・ソフィアの大聖堂を訪れた時には一人だったので、カーペット商人に絡まれて振り切るのに大変な思いをしたし、とにかく、ヨーロッパの観光地を旅行するのとは違って、かなり、緊張感を要する。
海外生活に完全に慣れ異文化の遭遇にも違和感を感じないくらいの人なら、まず、問題ないところであっても、何度か海外へ行った程度の若い女性が二人で、それも、全く違った国で、ガイドや地元の人の同行がなくて、今回のように人気のないところを歩くなどと言うのは、考えられない暴挙と言う以外にない。
ヨーロッパが長かったので、その間に、多くの日本の若者の旅行者に会ったことがある。
殆どは、観光地や美術館、劇場などで、大概は、女子学生など若い女性であったが、一人旅もかなり多かった。
好奇心の強さと勇気に感心はしたものの、何処も危険に満ちていて、何時、不幸に遭遇するか分からないし、その防御ができるのか、私自身、そんな恐怖を絶えず感じながら海外生活を送っていたので、他人事ではなかった。
比較的安全な、イギリスやドイツ、オランダなどと言う国では、それ程気にはならなかったのだが、イタリアやスペイン、ギリシャなど、男性旅行客でさえ、頻繁に被害にあっている国では、何でも見てやろう風の若い女性が多かったので、特に一人旅では、好奇心本位で無理をしないか、心配ではあった。
ロンドンでは、何人かの友人や同僚の子女が旅行の途中に立ち寄ることがあったので、数日、預かることがあったが、大概二人旅の大学生で、大体、無難なスケジュールで動いていて、イギリスの場合には、無理をしなければ、問題はなさそうであった。
それでも、深夜になっても、ウエストエンドの歓楽街でうろうろする日本の若い観光客が結構多かったのには、旅のハイテンションがなせる業か、眉を顰めざるを得なかった。
中には、娘の大学の同級生だと言うことで、娘自身全く面識のない女学生が、ロンドンで泊めてくれと言うので、止む無く泊めたところ、言わなければ何日も居たり、また、アムステルダムの時には、失恋して男性を追っ駆けてヨーロッパに来て英語の研修を受けていて、同じ学校で娘と知り合って、娘の部屋にそのまま長逗留した女性もいたり、とにかく、よくも知らない女性をどう扱ってよいのか困ったことがあった。
もう一つ、アムステルダムへの帰途、KLMで会った夫人が、イスラエル人との結婚を反対された娘が、オランダに行って住んでいるので連絡を取ってくれと頼んだので、電話をしたら、その夜エルサレムへ飛ぶ寸前で、スキポール空港で二人は会えたが、止められなかったと言った経験もある。
海外旅行の動機はともかく、色々な若い日本女性が、外国に憧れて旅をしている。
しかし、ニュースにならないだけで、実際には、恐ろしい経験や事故に合っているケースは、かなりあるのではないかと思うのだが、どうであろうか。
先日、イタリア人男性と結婚して長くイタリアに住んでいたハイセンスの女性に聞いたのだが、ローマなどに在住する若い日本女性が、結構いるようだが、必ずしも、しっかりとした目的を持って住んでいるのではなく、何となく、住み着いていると言う人が、かなり、いると言う。
何かに憧れて、あるいは、日本に居辛くなって、イタリアに来たが、帰るに帰れないと言うのである。
それに、仕事をするにしても勉強するにしても、あるいは、趣味に生きるとしても、一所懸命に、現地に溶け込んだ生活をしない限り、外国に住んでいると言うだけでは、海外経験は、何のプラスにならない筈である。
私の娘の場合には、殆ど家族旅行で各地を回り、次女の英国での大学・大学院卒業を記念してアメリカと中国を回った時も、私が連れて歩いた。長女は、一度同級の女子大生とポルトガルとスペインを旅したことがあるが、英語も問題なく海外生活も長いし外国での教育も受けているので、十分注意して行かせたのだが、いずれにしろ、夫々、同居ないし単独で海外で生活していたので、自分自身で十分に注意して、身を持って危険予知を身に着ける以外にないと思いながら、細心の注意は怠らなかった。
ところで、私自身、海外生活14年の経験者だが、これは、自分の希望も多少加味されたとしても、会社命令の留学であり赴任であり、幾分恵まれた海外生活ながら、それでも、望郷の念醒めやらず、異国で生活すると言うのは、楽しいことばかりではなく辛いことも結構多い。
やはり、日本に住んでいて、時おり、計画を立てて、好きな時に好きな外国へ行くのが、一番良いと思うのだが、絶えず心しなければならないのは、日本ではない、異国なんだと言う認識を絶えず持って、旅の安全に心掛けることである。
海外旅行は、楽しいであろうし有益ではあろうが、同じくらい、辛くて苦しいものでもあると言う思いを、頭のどこかに置いて置く必要があることも事実なのである。
これまで、かなり、海外旅行について、辛口の私見を述べて来たが、私の本意は、ここになく、世界に飛び出すことが、如何に素晴らしいことであり、そこでの経験は、人類が営々として築き上げてきた文化文明の遺産の凄さ素晴らしさに感激感動することであり、どんな苦しい努力をしてでも、得るもの感じるものは、無限であると言うことである。
この素晴らしい人間賛歌を感じることなく、人生を送ることが如何に無味乾燥であることか。
私が、知盛の心境になり、「見るべきものは見つ」と何度か感じたのは、海外での経験であったことを記して、地球を歩くことは、愛することと同様に、人生における最も素晴らしいことの一つであることを、強調しておきたい。
実に悲しい事件であり、被害にあわれたお二人そしてご家族の皆様には、心からお悔やみとお見舞いを申し上げたい。
詳細が分からないので、何とも言えないが、私自身の経験や娘たちの海外旅行のケースなどを参考に、日本人の若者たちの海外旅行が、如何に、危険と隣り合わせの状態にあるかについて、私見を綴ってみたいと思う。
結論から先に言うと、とにかく、日本人は、あまりにも恵まれた単一民族単一文化の日本と言う素晴らしい国に住んでいるので、異文化異文明、外国事情には全く免疫がなくて、どこもかしこも同じだと思って、日本にいるような感覚でものを考えて行動する、平和ボケだと言うのが最大の特徴であって、これが、外国で、あるいは、異文化との遭遇で、問題を起こす。
滝川クリステル嬢がブエノスアイレスで世界に宣言したように、日本ほど、全土に渡って、安全安心の行き渡った国は、世界何処にもないと言うことを努々忘れてはならないのである。
私自身、トルコは、イスタンブールに二回しか行っていないのだが、一度、仕事の関係で、イスタンブールから、タクシーで、マルマラ海沿いに回って、イズミットを経てプルサからかなり奥の田舎まで行ったことがある。
カッパドキアは、奇岩で有名なトルコの観光地であるが、まだ、行ったことはない。 しかし、私のイスタンブールなどの観光地での経験では、トルコは、新興国とは言っても、まだまだ、文明世界と非文明の混在した環境で、それに、イスラム教国であると言う特殊性が絡んで、日本人が容易に溶け込めるような雰囲気ではないし、第一、不測の事態には、適切な対応は無理である。
ハギア・ソフィアの大聖堂を訪れた時には一人だったので、カーペット商人に絡まれて振り切るのに大変な思いをしたし、とにかく、ヨーロッパの観光地を旅行するのとは違って、かなり、緊張感を要する。
海外生活に完全に慣れ異文化の遭遇にも違和感を感じないくらいの人なら、まず、問題ないところであっても、何度か海外へ行った程度の若い女性が二人で、それも、全く違った国で、ガイドや地元の人の同行がなくて、今回のように人気のないところを歩くなどと言うのは、考えられない暴挙と言う以外にない。
ヨーロッパが長かったので、その間に、多くの日本の若者の旅行者に会ったことがある。
殆どは、観光地や美術館、劇場などで、大概は、女子学生など若い女性であったが、一人旅もかなり多かった。
好奇心の強さと勇気に感心はしたものの、何処も危険に満ちていて、何時、不幸に遭遇するか分からないし、その防御ができるのか、私自身、そんな恐怖を絶えず感じながら海外生活を送っていたので、他人事ではなかった。
比較的安全な、イギリスやドイツ、オランダなどと言う国では、それ程気にはならなかったのだが、イタリアやスペイン、ギリシャなど、男性旅行客でさえ、頻繁に被害にあっている国では、何でも見てやろう風の若い女性が多かったので、特に一人旅では、好奇心本位で無理をしないか、心配ではあった。
ロンドンでは、何人かの友人や同僚の子女が旅行の途中に立ち寄ることがあったので、数日、預かることがあったが、大概二人旅の大学生で、大体、無難なスケジュールで動いていて、イギリスの場合には、無理をしなければ、問題はなさそうであった。
それでも、深夜になっても、ウエストエンドの歓楽街でうろうろする日本の若い観光客が結構多かったのには、旅のハイテンションがなせる業か、眉を顰めざるを得なかった。
中には、娘の大学の同級生だと言うことで、娘自身全く面識のない女学生が、ロンドンで泊めてくれと言うので、止む無く泊めたところ、言わなければ何日も居たり、また、アムステルダムの時には、失恋して男性を追っ駆けてヨーロッパに来て英語の研修を受けていて、同じ学校で娘と知り合って、娘の部屋にそのまま長逗留した女性もいたり、とにかく、よくも知らない女性をどう扱ってよいのか困ったことがあった。
もう一つ、アムステルダムへの帰途、KLMで会った夫人が、イスラエル人との結婚を反対された娘が、オランダに行って住んでいるので連絡を取ってくれと頼んだので、電話をしたら、その夜エルサレムへ飛ぶ寸前で、スキポール空港で二人は会えたが、止められなかったと言った経験もある。
海外旅行の動機はともかく、色々な若い日本女性が、外国に憧れて旅をしている。
しかし、ニュースにならないだけで、実際には、恐ろしい経験や事故に合っているケースは、かなりあるのではないかと思うのだが、どうであろうか。
先日、イタリア人男性と結婚して長くイタリアに住んでいたハイセンスの女性に聞いたのだが、ローマなどに在住する若い日本女性が、結構いるようだが、必ずしも、しっかりとした目的を持って住んでいるのではなく、何となく、住み着いていると言う人が、かなり、いると言う。
何かに憧れて、あるいは、日本に居辛くなって、イタリアに来たが、帰るに帰れないと言うのである。
それに、仕事をするにしても勉強するにしても、あるいは、趣味に生きるとしても、一所懸命に、現地に溶け込んだ生活をしない限り、外国に住んでいると言うだけでは、海外経験は、何のプラスにならない筈である。
私の娘の場合には、殆ど家族旅行で各地を回り、次女の英国での大学・大学院卒業を記念してアメリカと中国を回った時も、私が連れて歩いた。長女は、一度同級の女子大生とポルトガルとスペインを旅したことがあるが、英語も問題なく海外生活も長いし外国での教育も受けているので、十分注意して行かせたのだが、いずれにしろ、夫々、同居ないし単独で海外で生活していたので、自分自身で十分に注意して、身を持って危険予知を身に着ける以外にないと思いながら、細心の注意は怠らなかった。
ところで、私自身、海外生活14年の経験者だが、これは、自分の希望も多少加味されたとしても、会社命令の留学であり赴任であり、幾分恵まれた海外生活ながら、それでも、望郷の念醒めやらず、異国で生活すると言うのは、楽しいことばかりではなく辛いことも結構多い。
やはり、日本に住んでいて、時おり、計画を立てて、好きな時に好きな外国へ行くのが、一番良いと思うのだが、絶えず心しなければならないのは、日本ではない、異国なんだと言う認識を絶えず持って、旅の安全に心掛けることである。
海外旅行は、楽しいであろうし有益ではあろうが、同じくらい、辛くて苦しいものでもあると言う思いを、頭のどこかに置いて置く必要があることも事実なのである。
これまで、かなり、海外旅行について、辛口の私見を述べて来たが、私の本意は、ここになく、世界に飛び出すことが、如何に素晴らしいことであり、そこでの経験は、人類が営々として築き上げてきた文化文明の遺産の凄さ素晴らしさに感激感動することであり、どんな苦しい努力をしてでも、得るもの感じるものは、無限であると言うことである。
この素晴らしい人間賛歌を感じることなく、人生を送ることが如何に無味乾燥であることか。
私が、知盛の心境になり、「見るべきものは見つ」と何度か感じたのは、海外での経験であったことを記して、地球を歩くことは、愛することと同様に、人生における最も素晴らしいことの一つであることを、強調しておきたい。