熟年の文化徒然雑記帳

徒然なるままに、クラシックや歌舞伎・文楽鑑賞、海外生活と旅、読書、生活随想、経済、経営、政治等々万の随想を書こうと思う。

トルコ中部カッパドキアでの女子大生事故に思う

2013年09月10日 | 海外生活と旅
   メディアの報道によると、新潟大の女子学生2人が、夏休みを利用してトルコに入国して、カッパドキアのゼミ渓谷を散策中に襲われた。現場は当時、人けがなかったとみられ、倒れている2人を別の観光客が発見して通報した。と言うことである。
   実に悲しい事件であり、被害にあわれたお二人そしてご家族の皆様には、心からお悔やみとお見舞いを申し上げたい。
   
   詳細が分からないので、何とも言えないが、私自身の経験や娘たちの海外旅行のケースなどを参考に、日本人の若者たちの海外旅行が、如何に、危険と隣り合わせの状態にあるかについて、私見を綴ってみたいと思う。

   結論から先に言うと、とにかく、日本人は、あまりにも恵まれた単一民族単一文化の日本と言う素晴らしい国に住んでいるので、異文化異文明、外国事情には全く免疫がなくて、どこもかしこも同じだと思って、日本にいるような感覚でものを考えて行動する、平和ボケだと言うのが最大の特徴であって、これが、外国で、あるいは、異文化との遭遇で、問題を起こす。
   滝川クリステル嬢がブエノスアイレスで世界に宣言したように、日本ほど、全土に渡って、安全安心の行き渡った国は、世界何処にもないと言うことを努々忘れてはならないのである。

   私自身、トルコは、イスタンブールに二回しか行っていないのだが、一度、仕事の関係で、イスタンブールから、タクシーで、マルマラ海沿いに回って、イズミットを経てプルサからかなり奥の田舎まで行ったことがある。
   カッパドキアは、奇岩で有名なトルコの観光地であるが、まだ、行ったことはない。   しかし、私のイスタンブールなどの観光地での経験では、トルコは、新興国とは言っても、まだまだ、文明世界と非文明の混在した環境で、それに、イスラム教国であると言う特殊性が絡んで、日本人が容易に溶け込めるような雰囲気ではないし、第一、不測の事態には、適切な対応は無理である。
   ハギア・ソフィアの大聖堂を訪れた時には一人だったので、カーペット商人に絡まれて振り切るのに大変な思いをしたし、とにかく、ヨーロッパの観光地を旅行するのとは違って、かなり、緊張感を要する。

   海外生活に完全に慣れ異文化の遭遇にも違和感を感じないくらいの人なら、まず、問題ないところであっても、何度か海外へ行った程度の若い女性が二人で、それも、全く違った国で、ガイドや地元の人の同行がなくて、今回のように人気のないところを歩くなどと言うのは、考えられない暴挙と言う以外にない。


   ヨーロッパが長かったので、その間に、多くの日本の若者の旅行者に会ったことがある。
   殆どは、観光地や美術館、劇場などで、大概は、女子学生など若い女性であったが、一人旅もかなり多かった。
   好奇心の強さと勇気に感心はしたものの、何処も危険に満ちていて、何時、不幸に遭遇するか分からないし、その防御ができるのか、私自身、そんな恐怖を絶えず感じながら海外生活を送っていたので、他人事ではなかった。
   比較的安全な、イギリスやドイツ、オランダなどと言う国では、それ程気にはならなかったのだが、イタリアやスペイン、ギリシャなど、男性旅行客でさえ、頻繁に被害にあっている国では、何でも見てやろう風の若い女性が多かったので、特に一人旅では、好奇心本位で無理をしないか、心配ではあった。
   

   ロンドンでは、何人かの友人や同僚の子女が旅行の途中に立ち寄ることがあったので、数日、預かることがあったが、大概二人旅の大学生で、大体、無難なスケジュールで動いていて、イギリスの場合には、無理をしなければ、問題はなさそうであった。
   それでも、深夜になっても、ウエストエンドの歓楽街でうろうろする日本の若い観光客が結構多かったのには、旅のハイテンションがなせる業か、眉を顰めざるを得なかった。

   中には、娘の大学の同級生だと言うことで、娘自身全く面識のない女学生が、ロンドンで泊めてくれと言うので、止む無く泊めたところ、言わなければ何日も居たり、また、アムステルダムの時には、失恋して男性を追っ駆けてヨーロッパに来て英語の研修を受けていて、同じ学校で娘と知り合って、娘の部屋にそのまま長逗留した女性もいたり、とにかく、よくも知らない女性をどう扱ってよいのか困ったことがあった。   
   もう一つ、アムステルダムへの帰途、KLMで会った夫人が、イスラエル人との結婚を反対された娘が、オランダに行って住んでいるので連絡を取ってくれと頼んだので、電話をしたら、その夜エルサレムへ飛ぶ寸前で、スキポール空港で二人は会えたが、止められなかったと言った経験もある。
   海外旅行の動機はともかく、色々な若い日本女性が、外国に憧れて旅をしている。
   しかし、ニュースにならないだけで、実際には、恐ろしい経験や事故に合っているケースは、かなりあるのではないかと思うのだが、どうであろうか。

   先日、イタリア人男性と結婚して長くイタリアに住んでいたハイセンスの女性に聞いたのだが、ローマなどに在住する若い日本女性が、結構いるようだが、必ずしも、しっかりとした目的を持って住んでいるのではなく、何となく、住み着いていると言う人が、かなり、いると言う。
   何かに憧れて、あるいは、日本に居辛くなって、イタリアに来たが、帰るに帰れないと言うのである。
   それに、仕事をするにしても勉強するにしても、あるいは、趣味に生きるとしても、一所懸命に、現地に溶け込んだ生活をしない限り、外国に住んでいると言うだけでは、海外経験は、何のプラスにならない筈である。

   私の娘の場合には、殆ど家族旅行で各地を回り、次女の英国での大学・大学院卒業を記念してアメリカと中国を回った時も、私が連れて歩いた。長女は、一度同級の女子大生とポルトガルとスペインを旅したことがあるが、英語も問題なく海外生活も長いし外国での教育も受けているので、十分注意して行かせたのだが、いずれにしろ、夫々、同居ないし単独で海外で生活していたので、自分自身で十分に注意して、身を持って危険予知を身に着ける以外にないと思いながら、細心の注意は怠らなかった。

   ところで、私自身、海外生活14年の経験者だが、これは、自分の希望も多少加味されたとしても、会社命令の留学であり赴任であり、幾分恵まれた海外生活ながら、それでも、望郷の念醒めやらず、異国で生活すると言うのは、楽しいことばかりではなく辛いことも結構多い。
   やはり、日本に住んでいて、時おり、計画を立てて、好きな時に好きな外国へ行くのが、一番良いと思うのだが、絶えず心しなければならないのは、日本ではない、異国なんだと言う認識を絶えず持って、旅の安全に心掛けることである。
   海外旅行は、楽しいであろうし有益ではあろうが、同じくらい、辛くて苦しいものでもあると言う思いを、頭のどこかに置いて置く必要があることも事実なのである。

   これまで、かなり、海外旅行について、辛口の私見を述べて来たが、私の本意は、ここになく、世界に飛び出すことが、如何に素晴らしいことであり、そこでの経験は、人類が営々として築き上げてきた文化文明の遺産の凄さ素晴らしさに感激感動することであり、どんな苦しい努力をしてでも、得るもの感じるものは、無限であると言うことである。
   この素晴らしい人間賛歌を感じることなく、人生を送ることが如何に無味乾燥であることか。
   私が、知盛の心境になり、「見るべきものは見つ」と何度か感じたのは、海外での経験であったことを記して、地球を歩くことは、愛することと同様に、人生における最も素晴らしいことの一つであることを、強調しておきたい。
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「実質GDP上方修正で消費増税に追い風」と言うけれど 

2013年09月09日 | 政治・経済・社会
   実質経済成長率が年率換算3.8%と比較的高い推移を確認したことで、消費増税への環境は一段と整いつつある。と毎日は報じているのだけれど、本当に、経済が、回復基調に乗ったのであろうか。
   浜田宏一内閣官房参与が、平成26年4月の8%、27年10月の10%への消費税率引き上げについて、「増税は経済に対し大きなショックを与える」と懸念を表明するなど慎重な姿勢を示して、成長率4%を2期くらい続けて安定してからの方が良いのではないかと言っていたが、私は、どちらかと言えば、この考え方の方が正論だと思っている。

   確かに、日本にとっては、財政再建は急務であって、法律通りに4月に増税しないと、国際的な信用に関わり、株価などの下落を招くであろう。
   しかし、20年以上も続いたデフレ不況の後遺症は極めて深く、これまでに、何度か、経済に明るさが見え始めたところで、金利を上げたり、税を操作して成長の芽を摘んで来たことを思えば、成長軌道に、はっきりと乗ったことを確認してから、消費税を上げないと、また、経済の失速を招きかねないと思っている。
   

   米国国家情報会議のGlobal Trends 2030を読んでいると、「危機を頻発する世界経済」の項で、「最も不安な国・日本」と名指しされている。
   2025年までに年金暮らしの高齢者1人を労働人口2人で支える社会が到来し、高齢者福祉に多くの国家予算を取られると、別の分野への予算の割り当てが当然ながら少なくなって、財政的に支えるのは簡単ではなく、日本が、長期的に経済成長を実現させる潜在力は極めて限定的だと言う。
   そのためには、IMFは、一時的な政治的混乱を招いたとしても、「財政上のバランスを長期的に保つ大規模な政策転換を実施すべきで、短期的に成長を犠牲にしないと、」膨らむ一方の負債を解決することは出来ないと見ていると言うのである。

   この見解については、前半の認識は同じにしても、最後の結論は、増税して財政再建を図れと言うことであるから、全く、私の考えとは違う。
   私自身は、幸いにも、不安定ながらも、経済が回復基調にあるのなら、このトレンドを持続して、一定の安定成長の軌道に乗ってから、財政再建を考えるべきだと言うことである。
   GDPの240%と言う異常な国家債務については、既に、日本経済崩壊への序章だと思うくらいに心配しているので、経済成長が実現できなければ、徳政令的な荒療治や異常な増税を実施するなど国民から収奪しない限り、解決策はないと思っている。
   しかし、少しでも、日本経済が成長軌道に乗るのなら、それを死守してでも持続すべきであって、財政赤字の最も有効な解決策は経済成長による税収増なのである。
   動き始めた日本経済にとって、千載一遇のチャンスとも言うべき虎の子の経済成長の胎動を、絶対に見殺しにしてはならないと思っている。

   東京オリンピックは、確かに朗報で、日本経済の浮揚効果は大きいと思うが、アベノミクスで浮かれ騒ぐほど、日本経済の足腰は、まだまだ、強くなっていないことも事実であり、ここは、じっくりと、日本経済の底入れを待ってから、動くべきであろう。
   GDPの70%近くは個人消費であって、国民生活が少しでも潤い始めて増加しなければ、経済成長は、一気に頓挫してしまう。
   その本丸を攻める消費税は、経済成長さえ軌道に乗れば、ついて来る筈である。
   
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東京オリンピックが決まった日

2013年09月08日 | 今日の日記
   朝方の5時前に眼が覚めて、テレビをつけたら、ブエノスアイレスでの2020オリンピックの開催地の投票が終わった時だった。
   決選投票は、東京とイスタンブールだと言うことで、下馬評で優勢であったマドリードの落選は意外であったが、あれだけ、経済情勢が悪くて、立ち上がれそうにもなければ、仕方がないと思った。
   クルーグマンも、スペインが一番心配だと言っていたが、現在でも失業が26%で、若者の失業が50%をはるかに超えるており、名にし負うドン・キホーテの国である。

   5時20分頃だったと思うが、ローゲ会長が、東京と言って、口絵写真のカードを掲げた時には、思わず大きな拍手をしたら、ワイフが飛んで来て、一緒にテレビを見ながら、喜びを噛みしめた。
   その日の朝は、どのチャンネルをプッシュしても、東京オリンピックの話ばかり。
   当分、日本中が幸せで包まれる。

   東京の最大の勝因は、元々、すべての条件を満たしているので勝って当然だった筈で、欧米のメディアが報じているように、一番ネガティブな要因であった福島原発問題を、安倍首相が自ら会場に乗り込んで、不安を一気に一蹴したと言う快挙であろう。
   トルコのイスタンブールも、昨今の激しい若者たちのデモや中東やイスラム圏での政情不安は勿論のこと、準備に不安視されているブラジルのリオデジャネイロでも懸念されているように、不安定な新興国の経済財政問題が、大きな足かせになったのであろう。

   スポーツの祭典と言うだけではなく、日本にとっては、2020オリンピックは、一世一代の大事業であり、世界に冠たる一等国の誇りを示す最大の好機となるであろう。
   日本の経済力は世界有数であろうが、歴史や伝統、文化文明と言った高度なソフトパワーにおいては、何処の国にも負けないくらいの実力が備わっている稀有な国であるから、正に、今こそ、世界に打って出る好機であり、そのような周到な準備が必要であろう。

   朝10時には、国立能楽堂の10月公演のチケットのあぜくら会の発売が開始される。
   早速、パソコンに向かって、ログインして、10時00分きっかりに、企画公演のプログラムを叩いた。
   627席の内、あぜくら会メンバーのインターネット用に用意されたチケットが何枚あるか分からないが、とにかく、凄いスピードで、ソールドアウト。
   結局、3公演はインターネットで取れたが、後の2公演は、電話予約した。
   ところが、夜遅くインターネットで調べたら、3公演チケットが残っていると言う状態で、本来のファースト・カム・ファースト・サーブ・ベースのチケット販売手法を踏襲せずに、後出しジャンケンと言うか、販売方法が不明朗な感じがする。
   9月は、国立能楽堂会場30周年記念公演であり、10月も、世阿弥生誕650年特集で素晴らしいプログラムが続いているので、どうせ完売するであろうから、買える時に買うしか仕方がない。

   午後から、都響のプロムナード・コンサートで、サントリーホールに向かった。
   小林研一郎指揮で、メンデルスゾーンの「フィンガルの洞窟」と「ヴァイオリン協奏曲ホ短調作品26」、それに、チャイコフスキーの「交響曲第4番ヘ短調作品36」
   何時もの通り、凄い熱演で、若きヴァイオリニスト三浦文彰の素晴らしい美音とエネルギッシュなボーイング捌きの魅力は圧倒的で、アンコールで演奏したパガニーニの爪弾きながら甘美なサウンドを奏でる超絶技巧(?)には、聴衆も舌を巻く。
   小林のチャイコフスキーは、都響のフルサウンドを如何なく引き出して、金管木管と打楽器の強烈なサウンドが、サントリーホールを圧倒、上気した小林への拍手喝采は長く続いた。
   東京オリンピックのお祝いを述べた後、アンコールは、ブラームスの「ハンガリー舞曲5番」。
   哀調を帯びた懐かしいブダペストでの小林のハンガリアン・サウンドが蘇って来て、ドナウ河畔の真珠のように美しい街の夜景が、走馬灯のように私の脳裏を駆け巡る。

   帰って来てからは、オリンピックのテレビも見なければならないし、何時も見ている「八重の桜」と「半沢直樹」も見なければならない。
   遊んでばかりだが、経済書を読んでいたのは、電車の中だけ。
   とにかく、いつの間にか、一日が終わっている。
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「2013年版世界競争力報告」 日本は第9位

2013年09月05日 | 政治・経済・社会
   世界経済フォーラムが、「2013年版世界競争力報告」を発表し、日本は、昨年より一つ上がって9位にランクされた。
   日経によると、
   政治への信頼や、資金の借り入れやすさなどが大幅に改善したのを反映した。個別の評価項目では昨年の政権交代を受けて「政治家への信頼度」が57位から33位になった。教育や健康の水準に加え、技術革新力や顧客優先度の評価が高い一方、財政関連が低いのは従来と同じ構図。政府債務残高の国内総生産(GDP)比は前年に続き最下位だった。と言うことである。
   安倍政権の経済政策「アベノミクス」の影響が反映されているのは今年実施した聞き取り調査に限られると言うのだが、「政治家への信頼度」がアップしたと言うのなら、安倍政権のお蔭であろう。

   The World Economic Forumの「Global Competitiveness 2013 - 2014」を開けば、詳細が分かる。
   世界競争力指数を、12の項目に分けて指数化し、その内、政治経済社会構造やマクロ経済、基礎教育などの項目を「基礎要件」、更なる教育訓練、経済市場や労働市場や金融市場などの効率性・発展状況、テクノロジー要件、市場サイズなどを「効率向上要件」、そして、ビジネスの高度洗練性やイノベーションを、「イノベーションおよび洗練性要件」として、夫々、評価をしている。
   本来なら、国家経済は、最後の要件の充実に向かって発展する筈なのだが、現実には、先進国における政治情勢や国家財政の破綻懸念などの問題が錯綜していて、興味深い結果が出ている。

   第一位のスイスや第三位のフィンランドなどは、各項目とも非常に安定した優良国ではあるが、第二位のシンガポールや第7位の香港などは、前2項目は秀でてはいるが、最後のイノベーションや経済的なソフィスティケーション項目では、大分後れを取っている。
   一方、政治経済に問題山積で覇権国から凋落しつつある第五位のアメリカは、「効率向上要件ではダントツであり、洗練性要件でも高位につけながらも、基礎要件が第36位で新興国並である。

   さて、第9位の日本であるが、夫々のランク付けが、第28位、第10位、第3位となっていて、経済の効率向上要件やイノベーション・洗練性など、ミクロ的な側面では高評価を受けながらも、如何せん、マクロ経済の惨状が、一気に、日本のグローバル競争力のランクを落としている。

   ビジネスのソフィスティケーションにおいては、5年間ダントツの第一位で、イノベーション第5位、High R&D支出第2位、タレント保有第4位、世界水準の研究機関第9位、イノベーション能力第6位と言った世界屈指の最高水準の経済資源を保有しており、特許保有率も高く、企業は、最高水準のバリューチェーンを構築して事業活動を行っており、高度な付加価値製品やサービスを生み出していると、べた褒めである。
   しかし、如何せん、殆ど最下位にランクされている深刻なマクロ経済の弱体性(148中第127位)が、足を引っ張っていて、、このレポートは、切先鋭く日本経済の暗部を抉り出す。

   過去4年間、国家予算の赤字は、世界最高水準のGDPの10%を彷徨い、公的債務は、GDPの240%と言う高水準。今年度、大胆な金融政策や種々の財政出動によってこの傾向を逆転させようと試みられてはいるが、実現しそうにない。
   労働市場の硬直性と非効率も問題であり、特に、女性労働就業率は、OECD中最低である。
   劣悪な規制も問題で、特に、起業、高い税金、種々の貿易障害(第111位)、海外投資や外人所有や外人タレントの流入制限規制や閉鎖、などが、日本の国際競争力涵養を妨げている。
   政府が、これらの構造的な問題に如何に対処して、日本経済の活性化を図るかが問題であろうと、レポートは報じている。

   
   この世界経済フォーラムのレポートが、報じている日本の分析には、殆ど異存がない。
   茹でガエル状態の日本をどうするのかと言う問題だが、私には、丁度、日本がかって経験した明治維新や敗戦時代のような激動の時代が、すぐ、そこまで近づいているような足音が聞こえている。

   半沢直樹が、今、人気絶頂である。
   今様水戸黄門物語を見るようなつもりで、視聴率が高いのなら、何をか況やである。
   金融に詳しい知人に聞いてみたら、あの話は、多少誇張はあるが、真実に近いと言う。あまりにも悲しい、後ろ向きの日本。
   私たちが、企業戦士として、世界を相手に奮闘していたJapan as No.1の頃には、攻撃に次ぐ攻撃、後ろを振り返っている余裕などはなかった。

   半沢直樹が、あのようにお粗末極まりない愛之助演じる金融庁や中車演じるメガバンクのトップと対峙しなければならない、それが、真実の日本だとするならば、あまりにもマイナスのベクトルが強すぎて、進歩など程遠い世界となる。
   このレポートが、素晴らしい日本の資質や強みを称賛しながらも、それを生かし切れない悲しい日本の姿を活写しながら訴えている真実を、
   今こそ、日本全体が、自分たちの運命だと真摯に受け止めて、対処すべきだと思っている。
   

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九月花形歌舞伎・・・陰陽師

2013年09月04日 | 観劇・文楽・歌舞伎
   今月の歌舞伎座は、花形歌舞伎であると同時に、非常に意欲的な舞台が展開されているので、チケットは即完売で、大変な賑わいである。
   それに比べれば、幸四郎主演で、はるかに格上の筈の新橋演舞場の舞台は、空席が目立つようで、いくら名場面を連ねた大作でも、マンネリと化してしまった歌舞伎上演が、如何に、観客に飽きられてしまっているかが良く分かって興味深い。

   今月の夜の部は、夢枕獏作の「陰陽師 滝夜叉姫」と言う新歌舞伎座始まっての新作歌舞伎で、今、絶頂期にある花形歌舞伎俳優が、殆ど総出で、華麗な舞台が展開されると言うのであるから、人気の出ない筈がない。

   私は、源氏物語や平家物語を通して平安時代を感じることが多かったので、魑魅魍魎の跋扈する陰陽師の世界には全く興味がなく、安倍清明と言っても、精々、人形浄瑠璃や歌舞伎 『蘆屋道満大内鑑』「葛の葉」の世界程度であったのだが、今回は、真っ先に、歌舞伎座へ行くことにした。

   20年前に討伐された筈の平将門を復活させて、天下を手中に収めようと目論む興世王(愛之助)が、将門の忘れ形見滝夜叉姫(菊之助)を唆して、将門の遺体を集めて甦らせようと目論むために都で起こる奇怪な事件を、安倍清明(染五郎)が、解き明かして解決すると言う物語である。
   この興世王は、承平天慶の乱で同盟したと言う死んだ筈の藤原純友だと言う設定が面白いのだが、半沢直樹の金融庁エリート黒崎を演じるおねえキャラの愛之助とは一寸ニュアンスの違った灰汁の強い悪役ぶりが、また見もので面白い。

   この歌舞伎のサブタイトルである菊之助の美しい滝夜叉姫が、百鬼夜行に遭遇する陰陽師の安倍晴明と源博雅(勘九郎)の前を通り過ぎる冒頭のシーンが、印象的なのだが、博雅の奏する華麗で荘重な笛の音が、二人の淡い恋心を象徴しながら、時に及んで福与かな雰囲気を醸し出して、この歌舞伎を陰惨なイメージから救っているのが良い。
   この歌舞伎には、作曲者き乃はち氏の演奏による新作歌舞伎『陰陽師』主題曲が、新歌舞伎場の素晴らしい音響効果で奏されていて、そのサウンドの素晴らしさは、特筆ものである。
   これから始まる物語の大きさを予感させるオープニング曲は「月光波」で、エンディング曲は「夜明」だと言うのだが、聞き惚れていたので、よく覚えていない。

   最近、シェイクスピアの舞台でも、舞台袖や上階で、古楽器が演奏される古典的な演出から離れて、大劇場などの舞台では、新しいサウンドや照明を駆使して、劇的効果をいや増す演出が行われることが多くなったのだが、これも、新芸術の発展形態であろう。
   視覚的にも、現代感覚を十二分に発揮して、創意工夫を凝らしたバックや華麗な衣装が紡ぎだす王朝物語の艶やかさと夢幻の世界は、非常に魅力的で、新作歌舞伎の魅力満開であった。

   この歌舞伎の怪異さは、平貞盛(市蔵)が患った原因不明の瘡が、将門の首の繋ぎ目だと言う設定で、その首を維持するために、貞盛が、夜ごと妊婦を襲って生血を吸うと言う怪事件が起こっているのだが、最後に、興世王が、首を掻き切って将門の遺体を繋いで復活させるも、清明と俵藤太(松緑)に追い詰められ、再生した将門とともに黄泉の世界に消えて行く。

   以前に、幸四郎の曾孫たちが素晴らしい舞台を復活して話題になったが、今回は、海老蔵が将門、松緑が藤太で、華麗な立ち回りを演じ、染五郎が水も滴る素晴らしい貴公子清明を演じて、はるかに、素晴らしい魅せて見せる舞台を展開しているて、伝統の凄さを証明している。
   そこに、三之助の一人菊之助の天下一品の美女滝夜叉姫が加わり、更に、今回は実に役周りの良い身分高く技芸に秀でた貴公子を演じた勘九郎と気品のある将門の妻桔梗の前を演じた七之助の中村屋兄弟が脇を固め、関西切っての名花形愛之助が素晴らしい性格俳優ぶりを見せたのであるから、非常に充実した新作歌舞伎に出来上がっている。
   
   興味深かったのは、蘆屋道満の描き方で、蝶をバックによい所で登場する陰陽師を、メリハリの利いた魅力的な声音で、亀蔵が熱演していた。
   それに、何時も悪役が多い團蔵が格調高き小野好古を演じ、市蔵が、個性的で難しい貞盛を器用に演じていて面白かった。

   
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ゲイリー・ハメル著「経営は何をなすべきか」

2013年09月03日 | 書評(ブックレビュー)・読書
   情け容赦なき激変、熾烈極まりない競争、止まることなきイノベーション、そのような経営を取り巻く激烈な世界の中で、勝ち抜いて行く為には、何が喫緊の問題なのか、生き残るための経営を、最も重要だと考えている5つの課題、すなわち、理念、イノベーション、適応力、情熱、イデオロギーに焦点を当てて論じたゲイリー・ハメルの最新経営組織論が、この本。
   
   冒頭、金融危機や経営者の強欲など近年の経済経営環境の堕落について言及し、グローバルな行動を取る人々の意思決定は、比類ない重要性を持つために、彼らは他に類例のないほど模範的な倫理基準にしたがなければならないと論じているが、金融危機は、資本主義の失敗ではなく、資本主義の番人たちの失敗だとして、資本主義の倫理が地に落ちるのを防ぐ責任は、私たち全員が責任を負わなければならないと言っているのが面白い。

   5つの課題のうち、理念、イノベーション、適応力、情熱、について、多くの企業のケースを交えながら論じた部分は、ハメルの経営学のエッセンスとも言うべき非常に充実した興味深い理論が展開されていて、示唆に富んでいて面白いが、
   今回は、最後のイデオロギーについて論じている「いまイデオロギーが重要である」で、階層も肩書もない、中核事業さえもないW・L・ゴアがイノベーションを連発して快進撃する様子や、マネージャーが居なくて上司さえ置かないミッションステートメントだけで自主管理して好業績を続けるモーニング・スターと言うトマト会社のピラミッドを逆さにしたようなガラス張りの組織を紹介し、官僚機構型の階層組織からネットワーク組織を垣間見せながら、未来の企業組織論を展開していて、ハメルの新境地が見えて非常に興味深い。


   この章の最後に、「さらなる高みを目指して」で、36人のマネジメントの専門家が一堂に会して、世界各地の産業界の革新者たちに奮起を促すような、起死回生、いわば逆転ホームランが期待出来そうな課題を抽出したと言う25の課題が提示されていて、異彩を放っている。
   殆ど箇条書きなので、その課題を読み解き精神を体得して、如何に血肉として活用するかは、夫々の経営者の問題であろうが、グローバルリーダーにとっては最高の指標であろうと思う。

   
   さて、本筋から離れるかもしれないが、私が、特に興味を感じたのは、ハメルのイノベーション論である。
   私たちの存亡は、私たちの繁栄は、私たちの幸福は、私たちの未来は、須らく、イノベーションにかかっていると言うハメルのイノベーション論である。

   「アップルを解剖する」での、アップル分析が面白いので、今回は、これだけに止めて、イノベーション論は、後日に譲りたい。
   インスピレーションと先見性に溢れ、妥協を嫌うスティーブ・ジョブズに注目すべきだと言う意見があり、確かに、彼が居なければ、間違いなくアップルは存在しなかったであろうが、ただし、アップルの比類なき業績は、たったひとりの創造性溢れる人物の力で達成されたわけでもないのは明らかであろう。たとえジョブズが睡眠時間をすべて削ったとしても、アップルを最も革新的な企業に押し上げた独創的なアイデアをひとりですべて思いつくのは不可能な筈である。
   アップルのアップルたる所以は、特定の戦略や人物によるものではないと考えており、カギはむしろ、特定の理想に向かってひたすら邁進する姿勢にあるだろう。発明家、芸術家、デザイナーなどの世界ではこの理想は決して特別なものではないが、フォーチュン500社の世界には、ゴビ砂漠の水のように稀有である。と言うのである。
   

   勿論、ハメルは、卓越したアップルのアップルたるゆえんである戦略の特殊性について、詳細に論じていて、類書のアップル論よりはるかに詳しくて面白い。
   最後に、アップルの比類なき成功は顧客中心の発想に根差していて、イノベーションに適した独特の理念の賜物だと結論付けているのだが、
   いずれにしろ、このようなコーポレートカルチャーと経営戦略を打ち立てたのは、スティブ・ジョブズであって、ジョブズあってのアップルであったことには間違いがない。
   このあたりのアップル論をもう少し掘り下げて行くと、今回説こうとしていたハメルの経営組織論が、もう少し、はっきりと浮かび上がってくるのかも知れない。
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国立能楽堂・・・狂言と落語・講談

2013年09月01日 | 能・狂言
   8月の国立能楽堂の公演は、何時ものように、ほぼ4回の能・狂言の舞台ではなくて、夏スペシャルと言うことで、狂言と落語・講談と言う面白い組み合わせの公演である。
   落語や講談は、国立演芸場で聞くことが多いのだが、能楽堂の松をバックにした舞台正面真ん中に置かれた釈台を叩きながらの講談や、場違いのような場所にぽつんと置かれた紫色の座布団で語る落語の一寸変わった雰囲気も、中々面白い。
   やはり、客層が、能楽堂に通っている人の方が多いようなので、笑いの雰囲気が、落語などでは、一寸、演芸場のお客さんとは微妙に違っている感じがして興味深かった。

   講談は、人間国宝一龍齋貞水の「鉢の木」。
   能の「鉢木」を踏まえた作品で、執権北条時頼が、佐野源左衛門尉常世が傑出した人物であることを聞き、旅僧に身をやつして雪中を上野国佐野を訪れ、常世が、秘蔵の鉢木の梅、松、桜を、薪代わりに切って火にくべて暖を取らせると言う話である。

   幸いにも、昨年12月に、この能楽堂で、能「鉢木」を鑑賞する機会があった。
   シテ/佐野常世・野村四郎、ワキ/最明寺時頼・福王茂十郎。
   一度は妻が宿りを断るのだが、能では、常世が、講談では、妹が連れ戻すところが違っているが、領地を一族に横領されて極貧生活に喘ぎながらも、貧しい中から粟飯炊いて供し秘蔵の鉢木を薪として僧を持て成す折り目正しい感動的なシーンはそのまま同じ。
   諸国の武士が鎌倉に召集され、講談では、二階堂信濃守に迎えられて常世が時頼御前に案内されるところで終わっていたようだが、能では、痩せ馬にまたがり錆びた長刀を持ち、千切れた腹巻を着た常世が、時頼に召されて、梅・桜・松に因む新領を与えられると言う晴れ舞台で終わっていて、非常に清々しい。

   貞水の講談は、本格的な講釈で、大部分、読み聞かせを主体にした流麗な文体ながらも古語調であったので、能楽堂の音響効果の所為か、やや、後方に座っていた所為か、私には、残念ながら、十分に聞き取れなかった。
   この鉢の木の話は、子供の頃から聞いていて知っている話なので、能と講談で、鑑賞出来て幸運であった。

   落語は、柳家さん喬の「死神」。
   金の工面が出来なくて死のうと思っていた男が、死神に出会って金儲けの方法を指南されると言う話。
   医者になり、病人の枕もとで、死神が枕元にいる時には寿命でダメで、足元にいる時には死神の教えた呪文を唱えれば死神が消えて回復させられると教えて、その通りに診断して大金持ちになる。
   ところが、ある時、大金持ちの病気を治すことになったのだが、死神が枕元にいて助けることが出来ない。多額の礼金を積まれた男は、死神が眠っている間に、病人の布団をくるりと回して死神を退散させて大金を受け取る。
   しかし、死神に、自分の命と交換にして命を助けたのであるから、お前の命は風前の灯の蝋燭だと消えかけた蝋燭を示されて、とうとう、誤って吹き消してしまう。
   冒頭から、橋掛かりで演技を始めて、蝋燭を持って橋掛かりに消えると言う、舞台の照明をも小道具に使った面白い落語で、国立演芸場では見られない落語シーンであった。

   狂言は、シテ/新発意・山本則俊、アド/住持・山本東次郎の「花折」。
   能「西行桜」をパロディ的狂言に仕立てたと言う花見の話である。
   寺の庭の桜が満開だが、何時も留守の時に、花見客で庭を荒らされるので、今回は、新発意(新米の僧)に、花見禁制だと言って出かける。
   しかし、何時ものように、花見客がやって来たが断るのだが、門前で花見を始めたので、新発意は、仲間に加わりたくて、花にお神酒を上げよと言って、皆寺内に入れてしまって酒盛りを始める。花は神ではないと言われて、鼻紙(ハナガミ)と言うではないかと言うあたりの屁理屈が面白い。
   酔った勢いで、帰り客に桜花を手折って土産にして持って帰らせ、寝込んでしまったところに、住持が帰って来て、散々荒らされた庭を見て、新発意を怒る。

   あの棒縛や附子の話も同じだが、主人が、ダメだと言うことを、裏をかいて行い、太郎冠者や次郎冠者が、何かと理屈をつけて逃げまわると言う狂言の常套の話なのだろうが、とにかく、大名にしろ権威者にしろ上司にしろ、悪智慧を働かせてやり込めて笑い飛ばすと言う、逆転劇と言うか、ある意味では、下克上が面白い。
   
   正味二時間程度で、バリエーションに富んだ夏の夜の催しとして面白いのだが、9時前の終演でも、能楽堂の外の夜風は、まだまだ、うだるように蒸し暑い。
コメント
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