熟年の文化徒然雑記帳

徒然なるままに、クラシックや歌舞伎・文楽鑑賞、海外生活と旅、読書、生活随想、経済、経営、政治等々万の随想を書こうと思う。

老後の海外移住は幸せなのであろうか

2014年07月14日 | 生活随想・趣味
   先日、インターネットを叩いていたら、プレジデント誌の「海外経験なし! 老後に日本を脱出しても大丈夫か」と言う記事に目がついた。
   ”Webサイト「海外移住情報」主宰 安田 修 ”の記事であり、結論としては、 
   ”海外在住経験がなく、移住まで踏み込む勇気のない人も多いだろう。だが、楽しむことに貪欲であれば何ら問題はない。なまじ海外経験があると、すぐに日本や他の国と比較し、それが不満につながることもある。言葉についても覚えることを目標に生活すれば、「退屈だから帰国する」ということにはならないだろう。”と言うことのようである。
   私の正直な気持ちだが、異文化異文明の遭遇の中でのカルチュア・ショックが如何に強烈か、その環境での人間の適応力が如何に拙劣かを無視した暴言であるとさえ思える。

   以前から、リタイア後の年金生活に入っても、生活費の安い東南アジアの国で、適当なコンドミニアムでも購入して移住すれば、かなり裕福な老後を送ることが出来ると言った誘い文句で、海外移住を薦める旅行社などがあって、確か、オーストラリアで生活している移住者の泣き笑いの生活を視察する団体旅行をテーマにしたテレビ・ドラマが放映されていた。
   実際にも、アジアの国では、ある程度の資産を持ち生活能力のある老年の日本人移住者を積極的に歓迎し、そのような施策を国家政策として掲げている国がある。

   この記事でも、「居住用の査証取得」については、現在、40を超える国々が、退職者や年金受給者を対象にした「リタイアメント査証制度」を実施。長期滞在に必要な手続きが簡素化され、取得しやすいように配慮されている。と紹介しており、
   アジアの申請条件では、タイが預金または年間年金収入の合算で約240万円以上。永住権付きのフィリピンは約162万円の預金をするだけという手軽さが魅力だ。として、
   リタイアメント査証を実施していない国では、シニアの技術力を必要とし、就労許可も優遇されている中国に就職する人も多い。日本で培った経験を現地移入することが、彼らの「老後の生きがい」となっている。と言うのである。

   私の結論は、前述したように、余程の人でない限り、老後の海外移住、それも、老夫婦なり、単独での移住は、止めておいた方が良いと言うことである。

   この記事に、”大震災以降、人気が高まっているのがマレーシア。住環境も比較的よく、政府が外国人の誘致に積極的だ。旧英国領のイスラム国であり、イランやバングラデシュ、近隣の中国の富裕層も集まる。”などと書かれており、私の英国人の友人夫妻など毎夏2週間ほどマレーシアでバカンスを送っているのだが、これは、元英領であったし、また、イランやバングラデシュは同じイスラム圏のより豊かで安全な国であり、中国人は、多くの華僑が住み着く中華文化圏の一部であるから移住するのは当然であろう。
   しかし、日本人にとっては殆ど未知のイスラム教国であり、言葉も話せなければ、異文化異文明の遭遇する人種の坩堝のような国で、どうして、生活適応力の劣化した老人が安心して生活が出来ると考えられるのであろうか、大いに疑問である。

   更に、”移住先として人気があるのは、タイ、マレーシアといった東南アジアの国々。生活費目安は月10万円ほどで、一般市民は5万円ほどの月収で暮らしている。・・・アジア並みに物価が安いのは中南米諸国、それ以外では北アフリカのモロッコ。欧州や南太平洋の島々は総じて高い。”と書かれている。
   中南米と言っても、日系移民が生活しているので多少親近感はあろうが、それなりの生活を送ろうとすれば、今や、ブラジルやアルゼンチン、ペルーなどになると、場合によっては、日本より生活費が高くなる筈であろうし、このブログでも書いているが世界一治安の悪いカントリーリスクの高い地域である。
   それに、東南アジアの国だが、物価上昇率の高さと政情不安定やカントリーリスクの高まりをどう考えるのか、今の物価水準が何時まで持つか大いに疑問であり、とにかく、発展途上国では、言葉が分からなくて、土地勘と生活適応力が不十分であれば、まず、安心した生活などは送れない筈である。

   まず、真っ先に考えるべきは、病気になったらどうするのか。
   日本の国民皆保険制度は、極めて恵まれた世界屈指の幸せなシステムで、欧米の先進国であろうと、新興国や発展途上国であろうと、総て医療サービスは金の世界で、日本並の医療保護を受けようとすれば、遥かに高額の医療費が必要であることは間違いない。
   それに、医療の程度の低さとアクセスの困難さは、日本の無医村状態の地方医療の比ではなく、どうひっくり返っても、日本ほど普通の日本人にとって医療制度が整った国はない。
   言葉が話せなければ、体の痛みを、例えば、どこがどのように何時から痛いのかなど、医者に正確に説明できるであろうか。
   医療は、その最たるケースだが、外国では、何でも、日本並に便益を享受できるなどと、断じて、考えたり期待すべきではないと肝に銘じるべきである。

   もっと重要なことは、日本であろうと海外であろうと、老後をどう生きるかと言う自分自身の生き甲斐生き様をどのようにプロジェクトするかと言うことである。
   それによって、殆ど生きるべき道は、はっきりと見えて来る筈である。

   かって、働いたり生活した経験のある国に移住して老後を全うしたいと言う気持ちがあるのなら、いわば、夢でもあり本懐を遂げるのだから大いに結構。
   大切なことは、自分のアイデンティティの問題で、長い人生で培ってきた日本人気質なり日本人としての心からは絶対離れられない筈であり、余程のことがなければ、異文化異文明の海外生活への同化は無理であり、それに、第一に、水も違えば食べ物も違うし、空気も風土も違うところで、並の日本人の老人が幸せに生きて行けるのか、私には、「海外経験なし! 老後に日本を脱出しても大丈夫か」などと言うのは、正気の沙汰とは思えない。

   昔、海外移住を決断した夫が妻に相談したら、殆どの妻が、「友人知人や孫たちと離れて生活する気などは全くないので、あなたお一人でどうぞ」と言われたと言うアンケート結果を見たことがあるが、これが常識人の答えであろう。
   パリのアパートや、ホノルルのコンドミニアムなどは、暴動や何かの不都合で取り上げられても惜しくない、嫌になったら何時でも帰って来ると言った経済的に恵まれた人には、移住大いに結構だが、年金生活で生活費を浮かして豊かな生活をしたいなどと考えての海外移住なら、断じてやるべきではない。
   「年金だけでも優雅に暮らせる老後の海外移住」と言うキャッチフレーズが踊っているが、「海外経験なし! 老後に日本を脱出しても大丈夫か」と言った甘い王道などある筈がない。

   まず、経済的や発展上日本より遅れていると思われる国での生活は、安全安心で世界に冠たる日本ほど恵まれた国はなく、遥かに不便で不都合なことが多く、実際に生活して見れば、不満の連続であろうと言うことを認識しておくことである。
   それに、日本でもそうだが、頼りにならない外国では、瞬時に目論みが狂ってくると考えて間違いない。
   ほんの前の世紀末に、一人あたりの国民所得が日本の20分の1であった中国だが、今や、北京や上海の高級アパートは日本よりはるかに高くなっていて、金持ちの中国人が世界を闊歩している。
   グローバリゼーションと言うことは、そう言うことであり、時空の進歩と変化が激烈な現在において、日本でさえ5年先など見通せないし、まして、未知の外国での政治経済社会環境など、推測判断の埒外であろう。


   何度も書いているので、蛇足だが、昔のこととは言え、私自身は、アメリカ、ブラジル、オランダ、イギリスに都合14年在住し、1泊以上した国は40か国以上であり、世界中をあっちこっち歩いてきており、異文化異文明にはかなりの洗礼を受けて来たと思っている。
   それに、かっては、ブラジルとイギリスの永住権を持っていた。
   そして、名うてのグローバル・ビジネス相手に斬った張ったの熾烈な戦場で闘い続けてきた。
   アメリカ製MBAであるから、まず、英語には、それ程不自由はないし、かなり、海外生活には慣れているつもりだが、それでも、この記事で紹介されているところは、実際に行って殆ど知ってはいるが、私自身、永住したいとは思わない。
   海外で生活している多くの日本人とも接触し、その生活を見て来たが、日本人の大半は、海外で仕事をしたり勉強したりした人でも、帰国して日本で生活しており、母国回帰の比率は、恐らく、何処の国よりも、日本が最高であろうと思う。
   

   ところで、安田さんは、結論として、次の意味深な文章で記事を締め括っているのが興味深い。
   ”気をつけるべきは、すぐに人を頼ろうとしないこと。「海外で一番信用できないのは日本人」とも言われ、日本人に騙されることは珍しくない。同じ日本人だからといって、警戒を解かぬようにしたいものだ。”
   同族の日本人を食い物にしなければ生きて行けないような信頼できない日本人がいる、そんな国に、行って幸せになれるであろうか。

(追記)口絵写真は、フェルメールの「デルフト遠望」である。
美しいオランダの風景画だが、何百年前から、少しも変わっていない風景が、今でも展開されている。世界中には、素晴らしい風物が沢山あって、それはそれで、歩けば、凄い人生や経験に遭遇する。
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わが庭:朝顔咲き始める

2014年07月12日 | わが庭の歳時記
   種を蒔いて発芽させて、行燈仕立てにしていた朝顔が、やっと、咲き始めた。
   何時もは、庭の片隅に植えて、そばの庭木に這いあがらせて、秋口まで楽しんでいたのだが、今年は、鉢植えと庭植えを、両方やることにした。
   毎年のように、西洋アサガオを植えたかったのだが、良い種が店になくて、良さそうな日本アサガオの種を二種買って種を蒔いたのである。
   今回の朝顔は、花の寿命が長くて、午後のかなり遅くまで、綺麗な花形を保っていて良い。
   
   
   

   ミニひまわりが、遅咲きの花が咲き始めている。
   背丈は、4~50センチだが、日陰に植えたものは、20センチくらいで小さいのだが、これにも背丈に合った小さな花が咲いていて面白い。
   
   

   夜、何となくテレビを見ていたら、寅さんをやっていた。
   第38作 「男はつらいよ 知床慕情」である。
   知床の素晴らしい自然風景が展開されていて、背後に流れる知床旅情の歌声が無性に懐かしくなって、最後まで見てしまった。
   14年の海外生活の中で、8年間のヨーロッパ時代は、寅さん映画の末期頃で、出張などで帰国する度毎に、ダビングしたり、ビデオやレーザーディスクを買って持ち帰っていたので、寅さん映画48巻総てが、娘たちにとっては、正に、日本との貴重な接点であり、心の故郷でもあった。

   私が、花を好きになってガーデニングに親しむ切っ掛けになったのは、このヨーロッパでの生活のお蔭で、オランダのキューケンホフのチューリップ公園、イギリスのキュー・ガーデンなど素晴らしい英国庭園、それに、ヨーロッパを歩きながら感動した花が生きている風物の豊かさでもあった。
   
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アダム・グラント著「GIVE & TAKE 「与える人」こそ成功する時代」

2014年07月11日 | 書評(ブックレビュー)・読書
   この本「Give and Take: A Revolutionary Approach to Success 」、すなわち、成功への革命的なアプローチ、として、GIVE & TAKEを、徹底した行動科学と実証研究で裏打ちして論じられた、近年稀に見る人気絶頂の経営学書である。
   著者のアダム・グラントは、the Wharton School of the University of Pennsylvaniaによると、
   Adam Grant is Wharton's youngest full professor and top-rated teacher. He is the author of Give and Take, a New York Times and Wall Street Journal bestselling book that is being translated into more than two dozen languages and has been named one of the best books of 2013 by Amazon, Apple, the Financial Times, and the Wall Street Journal・・・Adam has been recognized as the single highest-rated professor in the Wharton MBA program three times, and as one of BusinessWeek's favorite professors and the world's top 40 business professors under 40.
   全米トップ・ビジネススクール「ウォートン校」の史上最年少終身教授でもあり、
気鋭の組織心理学者が教えるビジネスの成功の秘訣。
   2013年度のベスト・ビジネス書、20数か国で翻訳・・・

   大きな成功を収める人々には三つの共通点がある。
   それは、「やる気」「能力」「チャンス」であり、成功は、勤勉であり、才能が有り、かつ幸運な人びとによって達成されるものである。
   しかし、極めて重要でありながらないがしろにされる第四の要因、人とどのように「ギブ・アンド・テイク」するかによって、成功するかしないかは、大きく左右される。
   私たちが働く社会は、人々が密接に結び付き、そこでは、人間関係と個人の評判が益々重要になってきており、ビジネスで誰かと関わる度に、相手から出来るだけ多く価値あるものを受け取るべきか、それとも、見返りを気にせず価値あるものを与えるべきか、こんな選択に迫られることがある。「GIVE & TAKE」である。

   アダム・グラント教授は、組織心理学者として、もう10年以上も、グーグルから米空軍に至るまで、組織におけるこうした選択を研究しており、この選択こそが成功に決定的な影響を及ぼしていることに気付いたと言う。
   その成功如何を、相互関係、「GIVE & TAKE」の関係において、どのくらい与え、どのくらい受け取るのが望ましいかは、人によって全く異なっており、この座標軸の両極端に位置する二種類の人びとに典型化して、詳細に分析して論じており非常に興味深い。

   その二種類の人びととは、
   「テイカ―」:競争社会であるから、人より上に行かなければならないと考えるので、相手の必要性より多くを受け取ろうとする。自分を売り込み、費やした努力を必ず認めさせようとするなど、自己防衛的。
   「ギバー」:いつ何時も、損失より「相手」の利益の方が上回るように手を差し伸べ、自分が払う犠牲をあまり気にせず、見返りを一切期待することなく相手を助ける。

   しかし、実際の職場では、「GIVE & TAKE」関係はもっと複雑なもので、ギバーとテイカ―に峻別出来ることは殆どなく、与えることと受け取ることのバランスを取ろうとする、常に、公平と言う観点に基づいて行動する第三のタイプが存在し、大抵の人がこのタイプで、これを「マッチャ―」と称する。

   勿論、総てをこの3タイプに峻別することは不可能ではあるが、夫々、メリットとデメリットはあるものの、実際の調査分析の結果、どのタイプであるかによって、成功の可能性は、はっきりと違っていて、グラント教授の結論は、邦訳タイトルの如く、「与える人」こそ成功する時代なのである。
   自分のことをそっちのけで、相手のことばかり気にして行動し、徹底的に「テイカ―」に踏みつけにされて利用されっぱなしで、何時もワリを食っている筈の鈍くさいギバーが、この熾烈なビジネス社会においては最大の成功者だと言うのであるから面白い。

   例えば、「テイカー」が勝つ場合には、必ず敗者がおり、周囲からねたまれ引き下ろされようとするが、ギバーが勝つとやんやの喝采で周囲の人びとの成功を増幅するなど、ギバーは、成功から価値を得るだけではなく、更に価値を生みだし、どんどん好循環が進展して成功して行くと言うことは、一般的にも何となく理解できるのだが、
   グラントは、ギバーの成功の秘訣について、ギバーが生み出す独自のコミュニケーション法を四つの重要な分野、すなわち、人脈づくり、協力、人に対する評価、影響力について、実際の多くのケースを例示しながら、ギバーが如何に効果的に対処して成功を勝ち得ているかを論述していて、非常に興味深く読ませてくれる。

   また、才能ある有能な人たちが、なぜ凋落して行くのかなどネガティブな・ケースなどをも含めて、「GIVE & TAKE」のビジネス模様を、非常にビビッドに活写しており、高度な学術書でありながら、正に、目に鱗、楽しみながら読ませるところが素晴らしい。
   実際に、身近な人物を想定しながら読むと、面白さ倍増である。

   さて、ウォートン・スクールは、わが母校。
   あのフィラデルフィアのキャンパスでの、グラント教授の授業を想像しながら読ませて貰ったのだが、さて、自分自身は、ギバーであったのか、テイカーであったのか。
   しかし、もう、実際のビジネス界から離れてしまった今では、グラント教授の教えを実行できないので、読んでニコニコしているしか仕方がないのが、一寸寂しい。
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トマト・プランター栽培記録2014(14)ボンリッシュ&ルンゴ色付き始める

2014年07月10日 | トマト・プランター栽培記録2014
   残っていたイタリアン・トマトのボンリッシュとルンゴが色づき始めた。
   ボンリッシュは、普通の中玉トマト。
   ルンゴは、かなり大きな細長いトマトで、一房に数個の実がぶら下がっていて面白い。
   
   

   もう一つ、遅れていた大玉トマトの桃太郎ファイトも色づき始めたのだが、写真を撮る前に、カラスにやられて、地面に叩きつけられて食い散らされてしまっていた。
   ネットを張ろうかと思っているのだが、2メートル以上の高さになっているし、防ぎきれそうにないので、今年は、木で完熟するのを諦めて、未熟なままに収穫して、味は大分落ちるのだが、台所で暫く熟するのを待とうと思っている。
   

   桃太郎ゴールドのように黄色いトマトは、色が浅い所為か、カラスのアタックからは、多少、逃れられているようである。
   特定のカラスしか来ていないようなので、実成りのよい中玉トマトを囮にして、当分、カラスとリスからの被害対策は、止めて置こうと思っている。
   昨年までの千葉では、鳥などのアタックはなかったので、問題は、病虫害と真夏の高温多湿であり、ここ数年、高温のために8月で、トマト栽培を止めてしまっているのだが、今年は、何時まで、トマトが持つか、と考えている。
   

   早朝、台風8号が、このあたりを通過しそうである。
   トマトの支柱を多少補強した程度だが、どれだけ、この台風に持ちこたえられるか、多少のダメッジは、仕方がないと思っている。
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七月大歌舞伎・・・「悪太郎」

2014年07月09日 | 観劇・文楽・歌舞伎
   狂言の「悪太郎」が、松羽目ものの歌舞伎になった。
   酒飲みで、飲むと酒乱状態になる悪太郎が、酔っ払って暴れ回るのだが、伯父の計略にまんまと引っかかって、仏道修行の道に入ると言う面白い話で、バックの長唄囃子連中の楽に乗って繰り広げられる舞踊劇である。

   私が、初めて狂言の「悪太郎」を観たのは、一昨年の四月国立能楽堂で、シテ悪太郎/万蔵、アド伯父/萬、アド出家/祐丞の野村万蔵家の舞台で、非常に面白かった。

   大酒のみの悪太郎は、その行状を批難する伯父が気に入らず、薙刀を持って押しかけて行って振り回し、散々悪態をついて大酒を飲み、泥酔して帰る途中に道端に寝込んでしまう。心配して追っかけて来た伯父は、この態を見て何とか改心させようと、寝ているうちに髭や頭を剃って法体にし、「今後は南無阿弥陀仏と名付ける」と言い渡して帰って行く。目を覚ました悪太郎は、変わり果てた自分の姿に気付いて、さっきのことは夢のお告げだと信じてしまい、そこへ出家が、「南無阿弥陀仏」と念仏を唱えながら通りかかったので、名前を呼ばれたと思って返事をしながらついて行く。出家から念仏のいわれを聞いて、心から改心し、唯一心に弥陀を頼んで後世を願おうと決心する。

   実に、単純と言えば単純な話だが、万作の会の説明では、
   悪人正機(悪人こそが仏に救われる対象であるということ)をユーモラスに描きます。前半の大酒を呑むところも、終末の悟りに至る様態とともに見どころの一つです。と言うことである。
   狂言にも、歌舞伎にも、同じ主題の「宗論」と言う面白い狂言があるが、いずれにしろ、鎌倉初期には踊念仏が盛んであったし、いくら「悪太郎」でも、「南無阿弥陀仏」を知らないなどとは考えられない筈だが、そこは、狂言の狂言たる面白さかも知れないのだが、また、暗示に罹って、すぐに、改心する能天気ぶりも特筆ものであろう。

   さて、歌舞伎の方の「悪太郎」だが、この演目は、『猿翁十種の内 悪太郎』と言うことで、初代市川猿翁がロシアンバレエの動きをも取り入れて演じたと言う澤瀉屋のお家芸で、右近が、その至芸を見せるのも当然であろう。
   右近の悪太郎は、歌舞伎座のビラから借用した写真によると次の通りで、これが、寝込んでいる間に、髭も頭もそられてしまい衣をまとって出家姿となる。
   

   さて、単純明快で一寸ほろ苦いアイロニーに満ちた狂言の「悪太郎」が、実際の歌舞伎の舞台では、どうなるか。
   何時もの松羽目ものと一寸違うのは、バックの松が、舞台中央に飛び出していて置きもののように立っていて、長唄連中が、後方上手に控えており、下手のバックには大きな三日月が架かっていることである。

   ストーリーは、狂言冒頭の悪太郎が伯父宅に押しかけて散々飲んで酩酊すると言うシーンは省略されていて、伯父の安木松之丞(亀鶴 )と太郎冠者(弘太郎 )との悪太郎対策の話から始まり、酔っ払った千鳥足の悪太郎の登場から本舞台がスタートする。
   道中、酔っ払って行く先が分からなくなった悪太郎の前を、後半に会う出家の修行者智蓮坊(猿弥)が通りかかる。
   同行すると言う悪太郎を不審に思うが、智蓮坊は、薙刀を振り回して暴れるのでしかたなく許すのだが、悪太郎は、同じ事を何度も尋ねたり薙刀を振り回したりし、仏道修行の話を聞きたいと言うので、智蓮坊は同行を断る事を条件に仏道修行の話をする。智蓮坊の話が終わると、去ろうとする智蓮坊を薙刀を振り回して止め、悪太郎は弁慶などの物語を話し、話を聞き終わると智蓮坊は急いで立ち去る。
   そこへ、松之丞と太郎冠者が戻って来る。二人は、酔った悪太郎に踊れと言われ、仕方なく連舞を舞うが、途中で、悪太郎は寝てしまう。
   松之丞と太郎冠者は悪太郎を懲らしめるために、髭を落とし頭髪を丸坊主にして数珠と鐘、衣を置いて木の陰に隠れ、「南無阿弥陀仏と名付ける」と暗示をかけて去る。
   しばらくして目を醒ました悪太郎は丸坊主になっていることに気付いてびっくり。この後は、狂言と殆ど同じで、悪太郎が、智蓮坊の後について鐘をつきながら念仏を唱えるところに、松之丞と太郎冠者がやって来て、4人で踊りながら幕となる。

   歌舞伎は、舞踊に比重が置かれているので、ストーリーは二の次だが、眼目は、酔っ払って酩酊気味の右近悪太郎の踊りであろう。
   長刀を杖代わりにしながら、器用に踊っていたが、やはり、舞踊となると、狂言の様に芸にものを言わせて酒のみの本領発揮と言う訳には行かず、長刀を振り回しているだけでは、長丁場の舞台を、メリハリをつけて持たせるのが難しい。
   歌舞伎に変えられて、増幅された舞台、すなわち、智蓮坊の猿弥との掛け合いで、右近は、リズムを付けていたが、やはり、このあたりの間合いや呼吸は、上手いと思う。
   俄か坊主になって、鉦鼓を叩きながら智蓮坊の後を追うとぼけた調子の右近が面白い。

   ところで、狂言と違った登場人物は、太郎冠者だけだが、眠っている悪太郎に向かって、木陰から「南無阿弥陀仏」の暗示をかけるのも、太郎冠者で、やはり、大きな松羽目ものの舞台で、長唄囃子連中の派手な音曲豊かなバックを背負っては、シンプルな狂言の演出とは違って、登場人物にも色が添えられるのも、当然なのであろう。

   能からよりも、狂言から脚色されて生まれた歌舞伎、それも、舞踊劇が多いのだが、笑いや滑稽さが、舞踊の舞台に向くのであろうか。
   同じ歌舞伎でも、能を原点とした、澤瀉屋のお家芸でもある「黒塚」の質の高さと奥深さは、格別なのかも知れない。
   
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七月大歌舞伎・・・「修善寺物語」

2014年07月08日 | 観劇・文楽・歌舞伎
   岡本綺堂が、修禅寺の温泉で遊んでいた時に、修禅寺の宝物を見て、その中に、頼家の大きな仮面を見つけて、舞楽の面だと思った。頼家の仮面と言っても、頼家所蔵の面という意味か、あるいは頼家その人に肖せたる仮面か、それははっきり解らないが、多分前者であろうと察したと言う
   寺を出て、秋の暮色に染まった薄の靡く桂川河畔で、川の流れを眺めながら、この修善寺で幽閉されながら逝った悲劇の主人公頼家と仮面に、ギリシャ悲劇を重ね合わせながら、真っ暗に沈んだ修禅寺の山門に、何とも知れぬ悲哀を感じて悄然として、ふと、この「修善寺物語」の着想を得たのだと、左團次のために書いて主演した明治座五月公演に寄せた文章に書いている。

   頼家の修善寺での死と、仮面があったと言うことだけは真実だが、面打ち夜叉王も、妹娘楓や姉娘桂も架空ならば、頼家と桂の恋も、要するに、この物語総てが、岡本綺堂の創作なのである。

   物語の筋は、概略次の通り。
   修善寺に幽閉の身の頼家(月之助)は、自分の顔を残すために、夜叉王(中車)に、面を作るように命じたのだが、半年経っても出来ないので、痺れを切らして、ある秋の晩、夜叉王を訪れた。夜叉王は、何度打っても面に死相が現われ作品を渡せなかったと理解を求めるが、頼家は激怒して夜叉王を斬ろうとする。切羽詰った夜叉王の娘桂(笑三郎)がその死相の現れている面を頼家に差し出すと、見事な出来映えに頼家は感嘆して、この面を受け取り、娘桂を気に入って連れ帰り、御殿に出仕させ側女とすることにする。しかし、その夜、北条の家来たちに襲われた、面を付けて頼家の身代わりとなって戦った桂が瀕死の状態で夜叉王宅に帰り着く。頼家が殺されたと聞くと、夜叉王は、打った面が将軍の運命を暗示する会心の作であったことを知り喜ぶ。夜叉王は、断末魔に喘ぐ娘桂の死顔を凝視して、その表情を写しとろうと筆を走らせる。

   物語としては、面白いのだが、芸術至上主義に徹した能面打ち夜叉王を、どのような人物と解釈して、この歌舞伎を観るのか、非常に興味深いところである。

   まず、綺堂の原作だが、
   頼家が死んだと知った後の夜叉王の最後の台詞が凄い。
   ”幾たび打ち直してもこの面に、死相のありありと見えたるは、われ拙きにあらず。鈍きにあらず。源氏の将軍頼家卿がかく相成るべき御運とは、今という今、はじめて覚った。神ならでは知ろしめされぬ人の運命、まずわが作にあらわれしは、自然の感応、自然の妙、技芸神しんに入るとはこのことよ。伊豆の夜叉王、われながらあっぱれ天下一じゃのう。(快げに笑う)”
   更に、断末魔の娘桂に向かって、
   ”やれ、娘。わかき女子が断末魔の面、後の手本に写しておきたい。苦痛を堪こらえてしばらく待て。春彦、筆と紙を……。”娘、顔をみせい。”
   楓夫婦に体を支えられて渾身の力を振り絞って顔を上げる桂を、決死の形相で睨みつけて筆を走らせる夜叉王。
   静かに幕が下りる。

   その直前の台詞だが、頼家が討たれたと聞いて、
   かえで ついにやみやみ御最期か。
    (桂は失望してまた倒る。楓は取りつきて叫ぶ。)
   かえで これ、姉さま。心を確かに……。のう、父様。姉さまが死にまするぞ。
    (今まで一心に仮面をみつめたる夜叉王、はじめて見かえる。)
   夜叉王 おお、姉は死ぬるか。姉もさだめて本望であろう。父もまた本望じゃ。
   
   娘の死など、運命だと思っており、その死よりも、死相を面に打ち込んだ自分の面打ちとしての腕の匠に感激して、更に、芸のために娘の死顔まで写し取ろうとする非情この上もない父親の仕打ち。
   果たして、綺堂は、仕事の鬼として、芸術至上主義の極致として、夜叉王を描こうとしたのであろうか。

   この物語で、興味深いのは、二人の娘を登場させながら、姉娘の桂を、夜叉王の妻が殿上人に仕えた由緒正しい京女で、その血を受けて、上昇志向の強い虚栄心に富んだ近代式の娘として描いており、”半時一時でも、将軍家のおそばに召され、若狭の局という名をも給わるからは、これで出世の望みもかのうた。死んでもわたしは本望じゃ。”と言わせており、頂点を目指そうとした夜叉王の対極に置いた人物として描き出していることである。

   この物語の主人公が、夜叉王と桂であることは、間違いなく、
   ”この夜叉王は徹頭徹尾芸術本位の人で、頼家が亡びても驚かず、娘が死んでも悲しまず、悠然として娘の断末魔の顔を写生するというのが仕所”だと綺堂が言う為にも、権威の象徴である将軍と関わりを持たせた桂の登場が必要だったのであろう。

   この物語のストーリー展開において、弟子である楓の夫春彦(亀鶴)や楓に対する夜叉王は、ごく普通の優しい父親として接しているのだが、将軍に対しても言いたいことを言うし、面打ちと言う芸術魂の発露には、一切権威や情の入り込む余地のない芸術至上主義の姿勢を貫き通しているのは、昭和一桁時代の世相を反映しての綺堂の思い入れがあるのであろうか。

   私は、中車の夜叉王は、娘二人と春彦との諍いの仲裁のような形で、仕事場の蔭から声をかけて登場するのだが、新歌舞伎である所為か、歌舞伎役者と言うよりは、現代劇の舞台を観ているような感じで、それ故に、実にリアルに演じていて、非常に好感を持って観させて貰った。
   芝居そのものもストレートで、あまり、感情移入をせずに淡々と演じている感じで、私には、その淡白さが、綺堂の夜叉王として描きたかった意図を体現しているようで、好ましかった。

   この芝居を、芸術至上主義だとか、田舎の娘にしか過ぎない娘が頂点を目指して夢を見て実現したとか、あまり、高みを目指した物語としてみると、中途半端となるので、要は、そのような面打ちがあり、桂と言う娘があったと言う程度に、数奇な運命を辿った人たちの物語として、舞台を楽しめば良いのだと思っている。

   桂を演じた笑三郎は、やはり、澤瀉屋組のトップ役者として、流石の出来で、実に、重厚な演技に終始していて骨太の人物像の描写が、出色であった。
   楓の春猿と、春彦の亀鶴は、素直で好感の持てる演技が爽やかで、主役二人と好対照であった。
   源頼家の月乃助の嫋やかで優雅な物腰、 修禅寺の僧の寿猿の軽妙なタッチ。
   澤瀉屋一門の非常に質の高い現代劇を楽しませて貰った。

   なお、「天守物語」については、5年前、旧歌舞伎座で上演されたこの公演について書いた私のブログ、
   七月大歌舞伎・・・玉三郎の「天守物語」
   を、結構、お読み頂いており、それ程、感想なり印象も違ってはいないので、もう少し、勉強してから書こうと思っている。
   
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国立演芸場、そして、歌舞伎座

2014年07月07日 | 今日の日記
   久しぶりの朝からの雨、梅雨とは言え、やはり、鬱陶しくて外出は苦痛である。
   しかし、今日の観劇は、午後1時から、国立演芸場で、講談師神田京子の真打襲名披露公演、その後、4時半から歌舞伎座での夜の部の鑑賞である。
   平河町の国立演芸場終演から、木挽町の歌舞伎座開演まで、30分も間がないのだが、このようなことは何時ものことなので、どちらかを多少ミスるだけなので気にはならないが、今回は、国立演芸場での席が、一番前でもあり、真打の神田京子がトリで演じるので、最後まで残ったので、歌舞伎座には少し遅れた。

   永田町からメトロ駅に入って赤坂見附で銀座線に乗り、銀座で日比谷線に乗り換えて東銀座へ、30分少しで歌舞伎座に着いた。
   既に幕が開いていて、「悪太郎」の市川右近が、花道で演じている途中だったので、席には着くのは遠慮して、暫く待っていた。
   この演目は、狂言の「悪太郎」を脚色した松羽目もの舞踊。
   この日の歌舞伎は、「修善寺物語」と「天守物語」で、現代歌舞伎なので、ストーリー性豊かな芝居であり、私の好きな舞台であったので、楽しませて貰った。

   さて、神田京子の公演だが、当然、口上があり、やはり、噺家や講談師の登場なので、話が面白くて、歌舞伎や文楽などの口上とは一寸違っているが、実に愉快なところが良い。
   新真打の挨拶があれば良いと思うのだが、演芸の場合も、確か、文楽の場合にも、頭を下げているだけである。
   この真打襲名披露公演は、上席や中席で行われているのだが、当然、口上には、師匠や協会の役員噺家などが登場するので、結構、力の入った舞台が続いて興味深い。

   神田京子の講談は、「大名花屋」で、その後、かっぽれを披露した。
   若くて、非常に溌剌としたパンチの利いた語り口で、スタイル良くチャーミングで中々魅力的。15年の経験だと言うから、この世界も修業が大変だと、いつも思っている。
   あの文楽の人形遣いも、足遣い10年、左遣い10年と言うくらいだから、日本の古典芸能で一人前の芸人・芸術家になるのには、大変な努力と修業が必要なのであるから、真打と言っても、実に、芸達者で上手いのである。
   
      
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友の逝去を悼みつつあの世の幸せを祈りたい

2014年07月06日 | 生活随想・趣味
   昨日、知人の通夜に行ってきた。
   ブラジル時代からの知人で、家族ぐるみの付き合いであったから、亡くなったのは、長女の年長の幼馴染で、サンパウロにいた頃には、頼まれて、私が数学を見ていた。
   立派なエンジニアになって、会社関係の研究で、生体磁界測定装置の開発で博士号を取得した直後であったが、オートバイ事故に巻き込まれて、50歳の命を絶ってしまった。
   我が家に来た時に、研究の話をしていたのだが、文系の私には、イノベーションの片鱗には気付いたが、その程度の理解であった。
   男女の二人の子供と妻を残して逝ったのだが、幸いと言うべきか、子供が成人していたのが、せめてもの慰めであった。

   不幸は、集中して重なるもので、3年前に、夫の赴任先の上海で頑張っていた姉が、公害の所為だと思うのだが病気で帰国しながら薬石効なく亡くなってしまい、義兄と数日前に、姉の三回忌の法要の段どりを話していたところだと言うのである。
   10年ほど前に、父が亡くなっていて、残された母親は、脳卒中に倒れて、介護老人ホームで暮らしているのだが、面倒は、義理の子供二人と4人の立派に育った孫が見てくれるようなので、少しは安心ではある。
   車椅子で近づき、棺の窓に顔を近づけて、放心したように「○○、目を開けて」とぽつりと呟いて絶句した姿が、忘れられない。
   なぜ、一家に不幸ばかりが集中するのか。

   父母たちは亡くなってしまってはいるが、幸い、私たちの家族には、今のところ異変はなく、元気に暮らしている。
   しかし、私自身についてだけを考えてみても、これまで、手術入院を3回も経験しているし、何度か事故などで、死地を彷徨っていても不思議ではないような経験をしてきており、偶々、今現在、死や大病に見舞われずに、元気に生を全うさせて頂けていると言うことである。

   人生、僅か50年と言った昔から比べれば、もう、遥かに人生を歩んで来ており、終戦の廃墟から立ち上がり、必死になって頑張って、ロンドンパリを又にかけて歩いて来たのだから、実に、想像を絶するような多くの経験をして来たものだと、感に堪えない。
   しかし、今は元気でも、もう、20%近くの友人たちがこの世を去っている以上、どう頑張ってみても、近い将来に、私の生が終幕を迎えるのは間違いなく、要は、時間の問題だと言う気にはなっており、その心の準備はしているつもりだが、実際にどうなるかは分からない。
   晴耕雨読に勤しみ、能や狂言を楽しみ、毎日を平穏に送ってはいるのだが、いつ、体のどこかに激痛が走るかも知れないのである。

   生老病死、四苦を考える時に、何時も考えるのは、自分がこの世に生を得て、生きていることの不思議である。
   自分の肉体は、突き詰めれば、原子や分子の集合体であって、分解すれば、路傍の石や傍らの机などと少しも違わない筈なのに、自分と言う自意識を持って、この世に、独立の生命体として生きている。この奇跡と言うべき不思議さ有難さ。
   使命や生き甲斐や、あるいは、喜びや悲しみや、と言いながら、何の疑問も感じずに生きていることの有難さに感動して、戦慄に似た感慨を覚えることさえある。

   人を愛する目くるめくような幸せ、茫然自失感動に胸打ち震わせて仰ぎ見る自然界の美しさ、人知と人工の匠が生み出した途轍もない人類の文化遺産の素晴らしさ、・・・、どれほど、多くの苦難や苦痛とともに、感動しながら生きる幸せを噛みしめて来たことか、生あればこそであった。

   友の逝去を悔やみつつ、あの世にも、幸せがあることを、切に祈り続けたい気持ちで一杯である。
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トマト・プランター栽培記録2014(13)桃太郎ゴールド色付き始める

2014年07月05日 | トマト・プランター栽培記録2014
   桃太郎ゴールドの一つが、やっと、色付き始めた。
   実の大きさは、夫々違っていて歪なのだが、大玉トマトの育て方は難しいのである。
   桃太郎ファイトも、少し、色が載って来たので、来週くらいには、綺麗に赤く色づくかもしれない。
   

   もう一つ、イタリアン・トマトのズッカの実も色づき始めた。
   まだ、橙色に色づいたところだが、隣の完熟したロッソロッソの実を、カラスにやられて、無残に地面に叩きつけられて突かれてしまったので、もう少し色付いたところで、収穫しようと思っている。
   カラスもリスも、能率よく、大きなトマトを狙うようで、中玉トマトが大分被害を受けているのだが、どんどん、実が熟して来るので、収穫にはそれ程害はないものの、無残に食いちぎられたトマトが散乱しているのを見るのは苦痛である。
   しかし、養生網を張るなどするのは大変なので、今年は、動物たちのアタック対策は、追い払う程度で、放置しておこうと思っている。
   

   ミニトマトは、結構、実成りが良くて、最近では、スーパーで、トマトを買わなくて良くなった。
   この写真のトマトは、小桃とゴールドバニーだが、味は、まちまちで、市販のトマトよりは甘味があるようだが、いまのところ、イエローアイコが一番美味しいようである。
   このトマトは、ミニトマトながら、長楕円形で大きくて、中玉より少し小さいくらいであり、中々、良いトマトだと思っている。
   
   

   桃太郎ファイトやイタリアン・トマトなど、表庭に置いてあるプランターのトマト苗の葉に、白い斑点状の麩が浮き始めたので、うどんこ病の前駆であろう。
   とりあえず、市販の野菜用の薬剤を散布しておいたら、止まったようである。
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ディズニー映画「アナと雪の女王」

2014年07月04日 | 映画
   久しぶりに、ディズニー映画を見て、感動した。
   私が興味を持ったのは、スティーブ・ジョブズとともに、ピクサー・アニメーション・スタジオで、トイ・ストーリーやファインディング・ニモなど多くの名作CGを駆使して3Dアニメを生み出したジョン・ラセターがプロデュースしたことだった。
   ピクサーの作品は、ストーリーと言うよりもCGで造形された見せるアニメが多かったのだが、ディズニー・アニメには、夢や希望、憧れと言った物語性を重視したアニメが多かったので、アンデルセンの童話「雪の女王」から想を得たストーリーが、どのようにドラマチックに展開されるのか、非常に興味を持ったのである。

   このアニメのストーリーは、原作、
   少女ゲルダが、雪の女王にさらわれた少年カイを探して彷徨い女王の宮殿に辿りつく。カイを見つけて涙を流して喜び、その涙がカイの心に突き刺さった悪魔の鏡の欠片を溶かして、カイは元の優しい少年に戻り、二人は手を取り合って故郷に帰る。
   と全く違っていてディズニーの創作と言うべき作品となっていて面白い。

   女王エルサが雪の女王とカイの役割を演じていて、妹のアナが、ゲルダを演じていると言えば単純すぎるのだが、アナをめぐる二人の青年:勇敢でワイルドな山男のクリストフとサザンアイルズ王国の王子ハンス・ウェスターガード(悪役で、謂わば悪魔の鏡)との淡い恋物語が、物語を豊かにしていて楽しませてくれる。

   話題を呼んだ主題歌「Let It Go~ありのままで~」の素晴らしさは格別で、一面真っ白の雪の高原を登って行くエルサを、丁度、「サウンド・オブ・ミュージック」の冒頭のシーンのように一気にカメラをズームアップして大写しにして、氷の宮殿へ上って行く姿を活写しながら、エルサの孤高に生きざるを得ない心境を切々と歌うのである。
   私は吹き替え版で見たので、雪の女王/エルサは、松たか子が歌っていたが、HPで、イディナ・メンゼルの歌うオリジナルを聞いてみても、実に美しく感動的である。
   一方、主人公のアナは、神田沙也加が歌っていて、この二人の人気女優を起用した価値は十二分にあり、全編に流れる二人の歌声は、正に、ミュージカル・アニメの本領発揮であろう。
   私自身は、松たか子の舞台は数回、神田沙也加の舞台は1回しか、見ていないのだが、やはり、映画劇場の音響効果はまた別な迫力と奥行きがあって素晴らしい。
   映画と実際の舞台の差かもしれないが、リアル性と原体験としての臨場感には欠けるが、IMAXでは、TVで大画面を見るのとは、一寸違ったダイナミックス性が良い。

   さて、CGの迫力だが、縦横無尽に絵作りが出来る威力と機動性を発揮して、エルサが、魔法使いのように氷の宮殿を手玉にとって繰り広げる造形美の素晴らしさや、迫力とスピード感に満ちた舞台展開など、流石であり、半世紀前のシンデレラや白雪姫のディズニーのアニメ世界とは、大変な違いである。
   しかし、あまりにもモダンにダイナミックになってしまったために、あの何とも言えないほんわかとして詩情豊かだったお伽噺の世界が消えてしまった感じで、寂しい気もしている。

   
   
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ダニ・ロドリック・・・脱工業化を避け得たのは政府の介入

2014年07月03日 | 政治・経済・社会
   先日レビューしたロドニックの「グローバリゼーション・パラドックス」の中で、興味深かったのは、19世紀のグローバリゼーションが、産業革命時点で、世界経済が、工業化を進める中核地域と、原材料を生産する周辺地域に分裂させたと言う論評である。
   したがって、このタイトルの脱工業化と言う表現は、ポスト産業化社会への脱工業ではなくて、かって持っていた産業もすべて失ったと言う経済後進地域の現象である。

   まず、産業革命を受け入れ得た地域には、新しい工場を満員にする比較的高水準の教育を受けた熟練労働者が沢山いて、民間による投資のインセンティブと市場の拡大を生み出すための優れた制度――良く機能する法体系、安定した政治、国家による収容の制限等、工業を促進する前提条件が揃っていて、生産技術を吸収する準備が出来ていた。
   また、西洋の分家と言われた北米なども、大量の移民のお蔭で、工業の中核地域となれたと言うのである。

   一方、周辺地域は、住環境が良くなかったので、欧州人が、「収奪するための制度」を導入して、大量の肉体労働者を必要とする天然資源の開発を始め、植民地化した。
   中核地域向けの原材料を出来るだけ安く入手する制度を確立し、膨大な数の先住民と奴隷を支配する一部の特権階級が富と権力を独占し、あらゆる経済社会を活性化するための方策は圧殺されてしまった。
   もっと深刻なのは、これら周辺地域は、工業化に失敗したのみならず、実際には、かって持っていた産業をすべて失うと言う脱工業化に見舞われてしまったのである。
   欧州の工業製品、特に繊維製品などが現地の工業を駆逐するなど、当時のインドや中国でも起こっていたのである。
   植民地経済体制は、カリブ海のプランテーション経済やアフリカの天然資源経済などは、その典型で、現在でも、中南米やアフリカにこの後遺症が色濃く残っている。

   このように、第一次のグローバリゼーションの時代においては、地理的ないし自然の初期条件が、その国の経済が辿る運命を決める重大決定要素だが、呪いを切り抜けようと躍起になっているすべての一次産品依存国にとって最後の励みとなった例外は、日本だとして、1914年に工業化を実現した唯一の非西洋社会だと紹介している。

   日本は、1854年にペリー提督に押し付けられて自由貿易を開始したが、当時、工業製品と交換に主に原材料――生糸、紡績糸、茶、魚――を輸出しており、このままだと周辺地域に成り下がるのだったが、1868年に成立した政府は、政治経済の近代化にひたすら邁進した。更に重要なのは、明治新政府は、当時西洋の政治決定者に広まっていた自由放任主義に基づいて行動せずに、個人の自由や投機筋の利益に干渉しても、世界で最初とも言うべき開発計画によって、強引に政府の方針で経済発展を進めたのが功を奏したと言うのである。

   ロドリックの論点は、自由放任市場経済のハイパーグローバリゼーションが、このまま野放しでは、グローバル経済にとって、如何に、危険であるか、個々の国民国家は、夫々、自国の国民経済を、国家の統治システムによって守るべきであると言う、グローバリゼーションのコントロールにあるので、当然の論理展開ではある。
   しかし、注目すべきは、同じく周辺地域とは違った形で、自由市場経済に逆らって、独自の手法で製造業や他の現代的な貿易可能製品を強引に生み出して経済開発を推進してきた韓国や台湾、中国のように、経済の多角化に傾倒し、民間部門のダイナミズムを活用して活性化することのできる政府があればこそ、更に、グローバリゼーションの波に乗って成長率を引き上げることが出来るのだと言う指摘である。

   これまで、経済発展論などについては、このブログでも、随分、考えて来たが、やはり、経済主体である国家の統治機構が如何にしっかりしているかが核であろう。
   しかし、その核が如何に機能して、調和を保ちながら、グローバリゼーションに対応して行くのか、難しい問題ではある。
   
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ダニ・ロドリック著「グローバリゼーション・パラドクス」

2014年07月02日 | 書評(ブックレビュー)・読書
   グローバリゼーションが、良いのか悪いのか、政治経済学のみならず、人類にとって、極めて重要な問題であり、論争が絶えないが、トルコ生まれの経済学者ダニ・ロドリックが、過去現在を見据えて、大胆な未来提言をしたのがこの本「グローバリゼーション パラドクス The Globarization Paradox Democracy and the Future of the World Economy」である。
   この本、アマゾンUSAでは、33人の書評中、28人が高評価をしており、かなり、緻密に著された経済学書であり、少なくとも、TPPについて論陣を張りたければ、読むべきであろうと思う。

   フリードマンが「フラット化した世界」で高らかに宣言した経済のグローバル化は、先進国にはかってなかったような繁栄を齎し、中国などのアジア諸国やBRIC'sなどの振興国の数億人の貧しい労働者たちに恩恵を与えたが、逆に、サブプライムに源を発した金融グローバリゼーションによる世界的な金融危機によって、世界経済を壊滅的な状況に陥れた。

   一国の国内市場は、規制や政治制度によって支えられているのに対して、グローバル経済では、市場の独占を防ぐ公取も存在せず、最後の貸し手の規制当局中銀もセイフティネットもなければ、世界規模の民主主義もなく、グローバル経済を支え統治する制度的基盤が極めて乏しい。
   政府の力が一国内に限定されているのに対して、市場規模はグローバルに広がっており、健全なグローバル経済を構築するための、政府と市場経済との絶妙なバランスを取るシステムが欠如しているのである。
   したがって、ハイパーグローバリゼーションが暴走するのは当然だと言うことである。

   政府に力を当てすぎると、保護主義や自給自足経済に陥ってしまうし、市場に自由を与えすぎると、世界経済は本来必要な社会的ないし政治的な支持を失い不安定になる。
   このグローバル化した市場と、一国単位に限定されている統治システムの不整合のジレンマをどう解決して人類の未来を築き上げるのか。
   これが、本書の課題である。

   興味深いのは、ロドリックは、「世界経済の政治的トリレンマの原理」を提示して、ハーパーグローバリゼーション、民主主義、国民国家(国民的自己決定)の三つは、当然のことだが、同時には満たすことが出来ない、三つのうち二つしか実現できない。として、三つの選択肢を提示して、検討を加えている。
   1.国際取引費用を最小化する(ハイパーグローバリゼーション)を取って、民主主義を制限して、グローバル経済が時々生み出す経済的、社会的な損害は無視する
   2.グローバリゼーションを制限して、民主主義の正統性を維持する
   3.国家主権を犠牲にしてグローバル民主主義を目指す

   1は、完全にグローバル化した経済で、あらゆる取引費用が削減され、国境が財やサービス、資本の取引に何の制限もない世界である。政府は、市場の信頼を得、貿易や資本を引き付けるために、金融引き締め、小さな政府、低い税率、流動的な労働市場、規制緩和、民営化、全世界に開かれた経済を志向する、正に、市場原理主義、弱肉強食の世界が展開される。
   3は、グローバル化された世界経済下ではあるが、グローバル・ガバナンスを徹底させて政治をグローバルな水準に置き換える、いわば、グローバル連邦主義、世界連邦の構築を目指す道であり、国民国家としての国家主権は大きく削減される。
   ロドリックは、このグローバル・ガバナンスについては、理想的かも知れないが、仮にルールが民主的につくられたとしても、世界は、共通のルールによって押し込めるには国による多様性があり過ぎて懐疑的だと一蹴しているのだが、現実的にも、実現化の薄い選択肢であろうと思われる。
   

   ロドリックの選択する道は、ハイパーグローバリゼーションを犠牲にして、民主政治の中心の場として国民国家を維持し、ブレトンウッズ体制を再構築することだと言う。
   貿易における国境の数々の制約は取り除く、すべての貿易相手を平等に扱うと言うブレトンウッズ体制下の緩いルールのお蔭で、各国は自分たちの曲で踊ることが出来、西欧も日本も中国もダイナミックな成長を遂げたのであるから、この体勢に戻すことだと言うのである。
   グローバリゼーション推進のWTOではなく、グローバル化の制限によって、ブレトンウッズ=GATT体制は、世界経済と国民民主主義を共に花を咲かせた。グローバル化を適度に調整して適切なグローバルなルールに基づいた体制を作り上げ、国民国家を維持しながら、より水準の高い国民民主主義を築き上げるべきだと言うのである。

   いずれにしろ、ロドリックのグローバリゼーションを制限してでも、民主主義と国民国家を守るべきだと言う見解には、賛成である。

   この本を読んでいて、パンカジ・ゲマワットの「コークの味は国ごとに違うべきか」で展開されていたセミグローバリゼーション論を思い出した。
   ”世界はフラット化したと言うグローバリゼーション津波論の台頭で、国際的な標準化と規模の拡大を重視しすぎた、国際統合が完成した市場を想定した行き過ぎた企業戦略論が、幅を利かせ始めていることに対して、国ごとの類似性と同時に、差異が如何に企業戦略の可否に大きな影響を与えているかを示しながら、
   セミ・グローバリゼーションの現実においては、少なくとも、短・中期的には、国ごとの類似点と差異の両方を考慮した戦略こそが、より効果的なクロスボーダー戦略だ。”と言うのである。
   これは、経営戦略論で、ロドリックの説く世界とは次元が違うが、要は、グローバリゼーション論に、引っ張りまわされるべきではないと言う視点の維持である。

   ロドリックは、「国際経済制度の目的は、国によって異なる制度の間に交通ルールを制定することである」として、国際経済ルールにおける「適用除外」や「免責条項」の役割を考えるべきで、免責条項を規範からの逸脱、すなわち、ルールを踏みにじるものとして見なすべきではなく、国際経済制度を維持可能な本来あるべき内容にするもので、優先順位を民主的に再設定すべきだと言う。
   どんな多国間体制なら、世界中の国が、独自の価値や発展目標を追求し、独自の社会制度の下で繁栄できるかを考えるべきだと説くのであるから当然であろう。

   これで、気になるのは、TPP問題だが、私自身は、原則的に日本のTPP参加には賛成ではあるが、スティグリッツの指摘により、要するに自由市場経済が拡大するだけであって、弱肉強食の市場原理が働くので、無防備では問題があると言う気になっている。
   その意味でも、今回のロドリックの見解は、もっと明瞭であり、はっきりと、日本の国民国家の国益を維持できるように、最善の努力を傾注して当たるべきで、好い加減な妥協をすべきではないと言うことである。

   いずれにしろ、わが道を行って成功した中国と、経済を開放してグローバリゼーションに振り回されて崩壊したアルゼンチンのケースを説きながら、国民国家と民主主義を維持しながら緩いグローバリゼーションに乗れと言うロドニックの理論展開が示唆に富んで面白い。
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トマト・プランター栽培記録2014(12)ロッソロッソ色付く

2014年07月01日 | トマト・プランター栽培記録2014
  イタリアン・トマトのロッソロッソが、色付き始めた。
  4種類植えたうちの最初の色付きだが、特異な形をしているので、面白い。
  大きさは、大玉トマト級で、受粉は自然に任せたのだが、順調に結実している。
  

  もう一つ、色付き始めたのは、ミニトマトの小桃で、今回、タキイからは、他に大玉の桃太郎ファイトと桃太郎ゴールドを買ったので、この2種類よりは早かった。
  
  

  まだ、色づいていないのは、他のイタリアン・トマトと大玉トマトだけである。
  色付き始めたミニトマトや中玉トマトは、収穫期に入っていて、毎朝、適当に実を取って楽しんでいる。
  プランター植えしたトマトは、大体、果肉が、市販されているトマトより、やや、固くて厚いのだが、甘くて美味しい分、良かろうと思っている。
  以前に、園芸店で、果肉の薄いミニトマト苗を探して植えたのだが、都合よく、苗が手に入ることは少ない。

   鎌倉山からのカラスが、トマトを狙っている。
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