熟年の文化徒然雑記帳

徒然なるままに、クラシックや歌舞伎・文楽鑑賞、海外生活と旅、読書、生活随想、経済、経営、政治等々万の随想を書こうと思う。

国立劇場・・・幸四郎の「蝙蝠の安さん」

2019年12月09日 | 観劇・文楽・歌舞伎
   チャップリンの映画「街の灯」を脚色した素晴らしい歌舞伎。
   和製チャップリン宜しく、幸四郎が、泣き笑いのしみじみと心に染みる芸の新境地を開いた素晴らしい舞台で、チョビ髭を付けて、小さな帽子に大きな靴、ひょこひょこ歩く特異な姿で、世界中の人々を笑いの渦に巻き込んだチャップリンを彷彿とさせる至芸を披露している。

   「街の灯」は1931年1月にアメリカで公開され、この歌舞伎の原作の「蝙蝠の安さん」を、木村錦花が読売新聞に連載を始めたのは同年7月で、歌舞伎は8月で、この映画が日本で公開されたのは、権利金の折り合いがつかず、1934年だと言うから、実際に映画を見た15代市村羽左衛門や、2代目市川猿之助から、荒かたの筋を聞いて、それに基づいて書いたのだと言う。
   主人公は、歌舞伎の人気作「与話情浮名横櫛」の「蝙蝠の安五郎」とかで、映画「街の灯」の舞台を江戸に置き換えた形だが、放浪者の安さんが、街で出会った盲目の花売り娘お花に一目ぼれして、目の治療代を工面するために奔走する泣き笑いのラブコメディは、「街の灯」そのままである。

   放浪者の蝙蝠の安さんは、街角でひっそりと花を売る盲目の花売り娘のお花に出会って、一目惚れする。安さんが、橋の下のドヤで憩っていると、金持ちの上総屋新兵衛が、妻に先立たれて絶望し、酒に酔って身投げしようとしたので、止めて助ける。安さんを気に入った新兵衛は、友人として家に迎え入れ歓迎するのだが、酔いが醒めると酔っていた時の記憶を全く失う悪い癖がある。安さんは、酔っ払って機嫌が良くなった新兵衛から、お花の目の治療費の5両をもらうのだが、寝込んで入る隙に、泥棒が入って、正気に戻った新兵衛が5両がないと言い出し、泥棒と勘違いされたので、遁走する。 逃げながら、出会ったお花に、その5両を手渡す。
   その前に、お花の治療代欲しさに、賞金付き相撲に登場して負けると言う何とも締まらないドタバタ喜劇があって面白い。
   その後、目が治って立派な花屋を営んでいるお花の前に、相変わらず見すぼらしい風来坊姿の安さんが現れ、可哀そうにと、菊の花と小銭を貰うのだが、触れた手と声の感触で、お花は、その風来坊が、裕福な大人だと思い込んでいた恩人であることに気付いて、ハッとするが、安さんは、苦し紛れの微笑をお花に返して、静かに消えて行く。
   この何とも言えない悲しくも甘酸っぱい複雑な表情に、幸四郎は、万感の思いを込めて、チャップリンに思いを馳せたのであろう。

   花売り娘の坂東新悟、上総屋新兵衛の猿弥、大家勘兵衛の大谷友右衛門などの助演陣が、良い味を出していて楽しませてくれる。

   さて、チャップリンだが、色々、若い頃に観たが、最も印象深いのは、
   1940年『独裁者』The Great Dictator
   流石に、チャップリンで、あの時代に、反ヒトラー映画を、よく作ったと思う。
   初期の無声映画に何とも言えない懐かしさがあって、好きである。
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わが庭・・・椿エレガンス・スプレンダー咲き始める

2019年12月08日 | わが庭の歳時記
   エレガンス・スプレンダーが咲きだした。
   エレガンス系の八重咲きのピンクの豪華な花弁の椿で、昨年、苗木を二株買ったので、まだ、7~80センチの幼苗なので、鉢植えのままだが、今期の花が終われば、庭に移そうと思っている。
   まだ、完全開花ではないけれど、先日の嵐にやられて、繊細な花弁が痛んでしまって可哀そうだが、次の蕾の開花を楽しみにしている。
   仲間のエレガンス・シュプリームとエレガンス・シャンパンは、沢山、蕾を付けているが、まだ、蕾は固くてスタンドバイ常態である。
   
   
   

   咲いている椿は、曙、紅茜、ピンク加茂本阿弥。
   メジロが、凄い勢いで飛んできて、椿を直撃して花を落とす。
   
   
   
   
   

   急な寒気の来襲で、一気に、モミジ獅子頭が、紅葉し始めた。
   もう少ししたら、真っ赤に燃えるように色づくのだが、オレンジが勝った秋色の風情も捨て難い。
   一本は、千葉の庭から移植したので2メートル弱で少し大きく、もう一本は、鎌倉に来てから買ったので、1メートル一寸だが、成長が遅いわりには、存在感十分である。
   イロハモミジは、台風や嵐にやられて葉が無残な状態だが、まずまずである。
   鴫立沢と琴の糸は、幼木で、葉が落ちてしまって駄目であった。
   
   
   
   
   

   万両が色づき始めて、下草の雰囲気を締めている。
   万両は、小鳥の好物なので、結構、あっちこっちで発芽して、広がって行く。
   
   
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国立小劇場・・・玉男と勘十郎の「平家女護島」

2019年12月07日 | 観劇・文楽・歌舞伎
   12月文楽鑑賞教室のプログラムは、
   伊達娘恋緋鹿子(だてむすめこいのひがのこ)
     火の見櫓の段
   解説 文楽の魅力
   平家女護島(へいけにょごのしま)
     鬼界が島の段

   12月の東京公演には行かないのだと、初代玉男が語っていて、この公演には、人間国宝などトップ演者は上京しないのだが、最近の12月公演でも、本公演の文楽よりも、この文楽鑑賞教室の方に、人気演者が登場する。
   AとBの2公演立てになっていて、今回、私が鑑賞したのは、思うように席が取れる「社会人のための文楽教室」のBプロの方で、俊寛僧都は玉男、蜑千鳥は勘十郎であった。
   前座の「伊達娘恋緋鹿子」が上演されたが、やはり、1時間の凝縮された「平家女護島」の鬼界が島の段が、圧巻である。

   この平家女護島の鬼界が島の段の文楽は、随分前のことになるが、大阪の文楽劇場に行って、最晩年の初代玉男の俊寛僧都の舞台を観た。
   大詰めの岩山に這い上って、船影を追うラストシーンは、玉女(今の玉男)に代わったのだが、その後、初代は休演した。
   やはり、俊寛僧都は、初代の芸を継承した玉男の当たり役だが、勘十郎の俊寛僧都も魅せてくれる。
   蜑千鳥は、簑助の舞台を観続けていたが、今回は弟子の勘十郎で、両者とも至芸があたらしい時代に移ったのである。
   
   俊寛の物語は、文楽のみならず、能「俊寛」や歌舞伎の舞台でも、結構、観続けてきており、このブログにも随分書いてきたので、蛇足は、避けて、近松門左衛門の創作した蜑千鳥について、書いてみたい。

   今回も、最前列の真ん中で舞台を観て、人形遣いの芸を具に観ていた。
   まず、玉男の俊寛の印象だが、非常に興味深い。
   平家物語の俊寛の足摺でも、能「俊寛」でも、本来、絶海の孤島に3年間も飲まず食わずに極貧生活に生きてきたので、末路は非常に悲惨で、弱弱しい俊寛が演じられることが多い。
   しかし、玉男の俊寛は、その衰弱した弱い俊寛を丁寧に描きながらも、やはり、時の権力者清盛を敵に回して謀反を画策した旗頭で、後白河法皇の側近で法勝寺執行と言う傑物であるから、随所に、その強さと気迫を表現すべく、剛直で迫力のある俊寛像を、隠し味のように垣間見せていて感激するのである。
   言い方は悪いが、腐っても鯛は鯛であることを、玉男は、俊寛像に籠めようとしたのだと感じている。
   妹尾との対決も真剣勝負での対決であるし、妹尾の首を掻き切る凄さ、岩山を蔦を必死に手繰り寄せながら上る気迫、
   エネルギーを凝縮して爆発させながら、表面には決して表さない抑えに抑えた丁寧な演技の凄さ、玉男の額は、汗びっしょりに輝いていた。
   玉男の俊寛のラストシーンは、絶海の孤島に一人残された乞食坊主の哀れな俊寛ではなく、人生を諦観しきった仙人のような風格さえ感じるのは、私だけであろうか。

   さて、蜑千鳥だが、
   近松門左衛門が、この鬼界ヶ島の海女で成経の妻千鳥と言う架空の女性を紡ぎ出したのだが、この舞台では準主役であり、都での成経との生活を夢見た喜びもつかの間、乗船を許されなくなって一人で島に取り残された千鳥の悲嘆のクドキのシーンが秀逸で、
   哀調を帯びた浄瑠璃と三味線の音に乗って、流れるように悲痛の絶頂を歌い上げながら舞う千鳥の姿は、まさに感動の舞台で、簑助譲りの芸を踏襲しながら新境地を見せる勘十郎の芸が凄い。

   この舞台では、俊寛は、限りなく愛していて今も思えば恋心と述懐する妻のあづまやが、瀬尾から、自害したと聞いて、生きる望みを完全に失って、帰郷への思いを断ち切って、千鳥に乗船権を譲って、自分は一人で絶海の孤島に残る。

   近松のこの「平家女護島」では、清盛が、俊寛僧都の美人妻あづまやにぞっこん惚れ込んで、義朝の愛妾常盤御前のように、邸内に囲って執拗に言い寄るのだが、潔しとせずに、あづまやは、自害することになっている。
   しかし、平家物語では、あづまやは、命を懸けて操を守り抜いたのではなく、鞍馬の奥に移り住み、鬼界が島に連れて行けと俊寛に纏わりついた幼女を亡くして悲嘆にくれて亡くなっており、
  「有王島下り」の章で、俊寛が可愛がっていた童・有王が、鬼界が島を訪れて、俊寛にこの話をすると、妻子にもう一度会いたいばっかりに生きながらえて来たのだが、たどたどしい文を書いてよこした12歳の娘を一人残すのは不憫だけれど、これ以上苦労をかけるのも身勝手であろうと、俊寛は、絶食して弥陀の名号を唱えながら息を引き取る。

   いずれにしろ、俊寛が、都に残した妻と幼い娘のことを思い続けながら鬼界が島にいたと言うことで、この俊寛の妻子への恩愛の情を、近松は、蜑千鳥と言う架空の女性を創作することによって、妻への思いを成経の妻千鳥に体現し、また、千鳥を自分の子供と認めて縁を結ぶシーンに託して、描こうとしたのだと思っている。
   蜑千鳥を紹介された俊寛が、にこにこと、「・・・俊寛も故郷にあずまやといふ女房、明け暮れ思ひ慕へば、語るも恋、夫婦の中も恋同前、聞くも恋、聞きたし聞きたし、語り給へ」と相好を崩して、二人の馴れ初めを聞こうとする。
   赦免船が到着する前の実に平穏無事な幸せ、
   近松は、恋、恋と言う台詞を、何度も詞章に書き込んだのである。

   さて、この蜑千鳥だが、清盛が、厳島への御幸途中に、後白河法皇に入水を迫った挙句、海に突き落としたので、それを見た千鳥が、泳ぎ着いて法皇を救い、有王に都へと託すと、怒った清盛は、千鳥を海から引き揚げて殺害し、海に蹴落とす。
   天下を掌にした巨悪の権化然とした清盛は、御座船の舳先に立って海を睥睨して、不敵に高笑いするのだが、あたりが暗くなって二つの人魂が飛び交い、忽然と、御座船の舳先にあずまやと千鳥の怨霊が現れる。
   俊寛は、早々に鬼会が島で舞台から退場したが、二人の女性が最後に登場するのも、近松門左衛門の思いやりであろうか。
   
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国立小劇場・・・12月文楽「一谷嫩軍記」

2019年12月05日 | 観劇・文楽・歌舞伎
   「一谷嫩軍記」は、並木宗輔の作だが、宗輔は、三段目までを執筆して病没したので、浅田一鳥らが四段目以降を補って上演したと言うことだが、歌舞伎や文楽で、良く上演されるのは、二段目の「陣門の段」「須磨浦の段」「組討の段」と三段目の「熊谷陣屋の段」で、歌舞伎などは、みどりで、ぶつ切りの舞台が主体で、フラストレーションを感じる。
   しかし、今回は、エッセンスとも言うべき「陣門」から「熊谷陣屋」までの通し舞台なので、筋が通っていて楽しめる。
   あまり見る機会のない「熊谷桜の段」が「熊谷陣屋の段」の前に上演されていて、よく分かって面白い。

   何よりも、今回の文楽で楽しめるのは、熊谷桜から熊谷陣屋にかけての2時間の舞台、特に、熊谷陣屋である。
   この熊谷陣屋は、何回観たであろうか。
   文楽では、玉男襲名披露公演で観たし、勘十郎の舞台も、今は亡き文吾の舞台も観ている。
   歌舞伎では、幸四郎(白鷗))の熊谷次郎直実の舞台が一番多いのだが、仁左衛門、吉右衛門、團十郎、染五郎(幸四郎)、襲名披露での芝翫の熊谷次郎直実を観ており、このブログでも、ずっと、観劇記を書いてきた。
   蛇足を避けて、熊谷の妻の相模の印象記だけにとどめる。

   やはり見せ場は、熊谷(玉志)が義経(玉佳)にさしだす敦盛の首検分。
   熊谷は義経の前に首桶と義経より託された制札を置き、制札の文言に従って首を討ったと述べて首桶を開けた時、その首の顔を見た相模(簑二郎)が、我が子小太郎の首と知って仰天して首に駆け寄ろうとするのを、熊谷は右足で組伏して物も言わせず、わが子の顔見たさに駆け寄ろうとする藤の方(勘彌)を、右手に握った制札で抑え込む。
   お騒ぎあるなと二人を右手右足で静止して、左手で首桶に乗せた首をすっくと伸ばして、義経に見せる。
   義経は首を検分し、よくぞ討った、縁者にその首を見せて名残を惜しませよと述べるのだが、階から蹴落とされた相模と、まだ敦盛の首だと思っていて制札に抑え込まれて身動きの取れない藤の方の断腸の悲痛はいかばかりか。
   
   熊谷は、相模に、藤の方に敦盛卿の首を見せよと首を渡すのだが、この相模の愁嘆場が涙を誘う
   「・・・あへなき首を手に取り上げ、見るも涙に塞がれて、変はる我が子の死に顔に、胸はせき上げ身は震はれ、持つたる首の揺るぐのを頷くように思われて・・・」
   変わり果てた愛しい我が子の小さくなった首を丁寧に拭ってしっかりと抱きしめて、嗚咽を押し殺して慟哭の限りを尽くして舞うように悲しさを表現する簑二郎の芸の上手さは感動的、私は拍手を送った。
   靖太夫と錦糸の義太夫と三味線が泣かせる。
   相模は嘆き悲しみながら藤の方に見せると、藤の方は首を見て驚く。それは敦盛ではなかったからである。

   さて、この相模は、舞台大詰めで、熊谷に向かって、「どうして、敦盛と小次郎を取り換えたのか」問い詰めて、熊谷が、「手負いと偽って敦盛を連れ去り、平山を追っかけて駆け出した小次郎を呼び返して首を討った、知れた事」と答えたのに、「胴慾な熊谷殿。こなた一人の子かいなう。」逢うのを楽しみに千里の道を尋ね来たのに、訳も話さず、首討ったのは小次郎さ知れた事をと没義道に叱るばかりが手柄かと、と声を上げて泣き口説く。
   これを道理なりと言う浄瑠璃。

   宝暦元年(1751年)11月に大坂豊竹座にて初演と言う太平天国とはいえ、封建制度の最たる価値観が世相を支配していた時代に、忠君愛国、主君に絶対服従のサムライ社会で、独りよがりの価値観で滅私奉公が当然だと信じて生きていた武士たちをどこかで笑い飛ばしながら、この浄瑠璃を書いた並木宗輔のしたたかさに、私は、感じ入った。

   最近、人形遣いの芸を鑑賞したくて、文楽は最前列で観ている。
   この日も、やや下手側の席であったので、相模と藤の方の人形振りは至近距離である。

   玉志の熊谷次郎直実の素晴らしさは、言うまでもないが、今回は、女一谷嫩軍記と言うか、相模と藤の方に注目して鑑賞させてもらった。
   勘彌の藤の方は、非常に風格があって、美しく、この二人はダブルキャストで、後半入れ替わるようだが、簑助師匠の凄さを改めて垣間見た舞台であった。
   
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わが庭・・・タマグリッターズの実生苗の花

2019年12月04日 | わが庭の歳時記
   3年前に椿タマグリッターズの実を蒔いて育てた実生苗が、花を咲かせた。
   まだ、ほんの10数センチの小さな苗で、花芽を付けたので、可哀そうと思ったのだが、どんな花が咲くか見たくて、花を咲かせた。
   先日の嵐にやられて、花弁は無残に傷んでしまったが、親木のタマグリッターズとは、全く違った花が咲いた。
   獅子咲きでも、牡丹咲きでも、八重咲きでもなく、むしろ、花形は、先祖返りと言うか、一重咲きで筒蕊の玉之浦に近い感じである。
   違うのは、赤花がベースで、白縁の覆輪であるのだが、赤い部分が、赤い静脈のような葉脈の筋が、淡く色付けていて、先端に行くほど白くなっていくグラデュエーションが美しい。
   新種だと考えても良いと思うのだが、美しい花なので、花後肥培して、本格的に花を咲かせると面白いと思っている。
   実生苗は、雄蕊の花粉がどこから来るのか分からない雑種なので、思いがけないような花を咲かせるので、楽しみである。
   
   
   
   

   秋から春にかけて咲く桜:エレガンスみゆきが、咲き始めた。
   植えて5年なのだが、一気に大きくなって、今年は、沢山の花、と言っても、5ミリくらいの小花だが、咲きそうで、色彩に乏しい厳寒には、嬉しい花となろう。
   
   
   
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国立能楽堂・・・組踊「銘苅子」: 能「羽衣」

2019年12月03日 | 能・狂言
   11月の国立能楽堂企画公演は、本年玉城朝薫が創始上演してから300周年を迎える組踊に注目して、朝薫が作った組踊とその基となった能を同時に、二日間、上演することになった。
   第1日目のタイトルは、
組踊上演300周年記念実行委員会共催事業
◎組踊上演300周年記念 能と組踊
演目: 組踊 銘苅子 (めかるしー) 宮城 能鳳
    能  羽衣(はごろも) 和合之舞(わごうのまい)  坂井 音重(観世流)

   この組み合わせで、私が最初に鑑賞したのは、2016年1月に、横浜能楽堂で、組踊も初めて観たのだが、優雅でおおらかな雰囲気が気に入って、ファンになった舞台である。
  組踊の天女は、今回と同じく、人間国宝の宮城能鳳であったが、能は、同じ観世流で、シテ(天人)は、浅見真州であった。

   さて、能「羽衣」は、
   春の日に、漁師・白龍(ワキ)は、三保浦で一枚の美しい衣を拾うのだが、天女(シテ)が自分の大切な衣だから返してくれと言うので、天人の羽衣と知った白龍は渋る。衣が無くては天界へ帰れないと嘆き、月の都を懐かしんで涙する天女の姿に同情した白龍は、名高き“天人の舞楽”を舞うことを条件に衣を返す。天女は、羽衣を身にまとい、富士山を背に、緑美しい三保浦で天人の舞を舞い戯れ、天の舞楽を人間界へと伝えて、数々の宝を地上に降らせて、天に帰って行く。
   実に、美しい舞台である。

   しかし、羽衣伝説は、他の動物譚と同じように、バリエーションがあって、
   組踊「銘苅子」では、天女は、衣を返してもらえず、仕方なく 銘苅子の妻となって二人の子供を儲けるも、羽衣を見つけて、子供たちを残して天に帰って行くと言うストーリーになっている。

   文化デジタルライブラリを要約すると、ストーリーは、
   農夫の銘苅子は、泉の周辺全体が明るくなってよい匂いがするので、様子を見ていると、美しい天女が現れ、髪を洗い出したすきに、羽衣を取ってしまう。天女は羽衣を取られ、天に帰ることもできないので、仕方なく銘苅子の妻となる。
   2人は女の子と男の子に恵まれたのだが、ある日、天女[母]は、子どもが歌う子守歌から、羽衣が米蔵の中に隠されていることを知り、羽衣が見つかったからには天界へ戻らなければならないと決心する。天女は、子ども達を寝かしつけ、羽衣を身にまとって天に昇り、子ども達は目が覚めて母がいなくなったことを知って、泣き叫び、飛天する母を追う。姉弟は毎日母を捜し歩くのだが、銘苅子は「母はこの世の人ではないから諦めるように」と諭す。
   そこへ首里王府の使者がやって来て、使者は「銘苅子の妻である天女が2人の子ども達を残して天に昇ってしまったという噂が首里城まで届いた。それを聞いた王は、姉は城内で養育し、弟は成長したら取り立て、銘苅子には士族の位を与えることにした」と伝達する。それを聞いた銘苅子親子は喜ぶ。

   ストーリーとしては、この方が面白いのだが、私は、どうしても、芦屋道満大内鑑の葛の葉の子別れの舞台を思い出して、切ない。
   大府からの有難いお達しだけれど、しかし、これが、ハッピーエンドと言えるのかどうか、やや、俗っぽい結末に、世相を感じるのである。

   口絵写真は、母が二人の子供を寝かせつけているシーンで、次の写真は、天に上る母を子供たちが見上げるシーンだが、能楽堂では、立体的な舞台が取れず、天女の飛翔は、橋掛かりが利用されている。
   

   組踊は、せりふ、音楽、踊りの3つの要素で構成される歌舞劇で、日本の古典芸能と違った、むしろ、オペラに近い独特なパーフォーマンス・アーツである。
  
   組踊の立方の唱えるせりふは、沖縄の古語や日本の古い言葉も使われていて殆ど分からないのだが、能楽堂の字幕ディスプレィでは、現代語訳なので助かる。
   せりふは、8音・6音で構成された沖縄独自のリズムがある詞章で表現され、緊迫した場面では、7音・5音で構成された詞章を使って、心情の変化を表現すると言うのだが、歌うように抑揚をつけて語るサウンドは、やはり、沖縄のオペラである。

   楽器は、能狂言や歌舞伎と違って、沖縄独特で、三線、箏、胡弓、笛、太鼓で、三人で奏する三線の演奏者は、地謡に似た役割も兼ねて、歌も担当するので「歌・三線」。

   随所に登場する立方の踊りは、琉球舞踊の型が基本と言うことだが、この琉球舞踊だけの舞台を観ても、日本舞踊とは違った趣があって大いに楽しめる。

   この「銘苅子」で胸を打つのは、飛天する母を追う子供たちの「やあ、母上よ、母上よ」悲痛な叫びに、天女が、顔を曇らせて、「これ迄よと思ば 飛びも飛ばれらぬ、産い子振別れの 百の苦れしや。」と抑えきれないやるせなさを吐露するシーン。
   人間国宝宮城能鳳の迫真の演技、余人をもって代えがたい舞台なのであろう。

   能「羽衣」も、白龍は、天女の舞との交換条件で、簡単に、羽衣を返すが、この「銘苅子」の方も、天女は、「羽衣を取られて、もはや、自由にならない。御意のままになりましょう。」と応え、銘苅子も、「ああ、天の引き合わせ、神の引き合わせよ、今日から一緒に契る嬉しさ。」と、いとも簡単に夫婦になる。
   浮世では、切った張ったどろどろした世界の筈だが、美しい物語は、シンプルであるべきなのであろうか。

   組踊の舞台展開で面白いのは、とんとんと、ストーリーが変わるごとに、演者が舞台から退場して、また、新しく登場することである。
   舞台展開が多いシェイクスピア戯曲では、RSCなど、同じ舞台上で、スポットライトを移しながら舞台を変えていたのと比べると、組踊は、能狂言のように、小劇場向きかも知れない。
   シェイクスピア戯曲でも、こじんまりとした木造の古い芝居小屋のようなクラシックな雰囲気の、ストラトフォード・アポン・エイボンの「スワン・シアター」で聴くと、格別な感興を覚えるのである。
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METライブビューイング・・・マスネ―「マノン」

2019年12月02日 | クラシック音楽・オペラ
   プッチーニの「マノン・レスコー」がポピュラーで、同じ、アベ・プレヴォーの長編小説『騎士デ・グリューとマノン・レスコーの物語』(Histoire du chevalier Des Grieux et de Manon Lescaut )を題材にしながら、マスネ―の「マノン」は、割を食った感じだが、素晴らしいオペラである。
   と言っても、私は、一度だけしか、実際の舞台を見ておらず、それも、1988年12月2日、31年前で、ロンドンのロイヤル・オペラである。
   指揮は、マイケル・プラッソン、マノンは、ルーマニアの新生レオンティナ・ヴァドゥヴァで、ロイヤル・オペラデビューであった。
   
   この舞台については何も覚えていないが、プッチーニの「マノン・レスコー」の方は、何度か鑑賞しており、このブログで、2008年のニューヨーク紀行で、METの舞台のレビューを書いているのだが、この時のマノンは、フィンランド出身の名ソプラノ・カリタ・マッティラの凄い舞台であった。
   マッティラは、悪女マノンのイメージではなく、貧しい乙女が思いのままに生きようとして運命に翻弄される姿を演じようとしたとして、
   初々しい乙女、成り上がりの淑女、恋に目覚めた女、生きようと必死になる女、運命を悟った女。変わり行く女性の変容を実に豊かに抑揚をつけながら演じ切った。

   さて、今回の「マノン」を歌ったのは、今もっとも注目されるオペラ界のライジング・スター:リセット・オロぺーサ。リリカルで澄んだ美声、伸びやかな高音、美しい容姿を併せ持つ。ニューオーリンズ生まれのキューバ系アメリカ人で、METのリンデマン・ヤングアーティストプログラムで育ったMETの優等生で、ヨーロッパでキャリアを積み、METへ帰ってきた。36歳で、匂うように美しく、感動的。
   天は二物を与えずは、彼女にとっては当てはまらない。
   尤も、マノンが、不実な悪女の典型だと言う捉え方をするならば、望みどおりに爛熟した豪華な生活に溺れながら、それさえにも満足できずに崩れて行くマノンのイメージは、キャリアを積んだ熟女のカリタ・マッティラの方が適役であろうが、もう少し経つと、M・ボンジョヴァンニが語っていたように、ビクトリア・デ・ロス・アンヘレス、アンナ・モッフォ、ビヴァリー・シルズ、ルネ・フレミング等に並ぶ凄いマノン歌手となるであろう。
   私は、これらの歌手の舞台を観ているので、何となく、マスネ―の「マノン」歌手の雰囲気なりイメージが分かるような気がする。
   とにかく、修道女行きの田舎娘として舞台に登場した瞬間から、観客を魅了したリセット・オロぺーサの凱旋舞台は、インタビューしていたゲルブ総裁の喜びでもあろう。

   騎士デ・グリューは、アメリカが期待する気鋭のテノール:マイケル・ファビアーノ。
   甘く情熱的な声、役柄に没入する迫真の演技で聴衆を魅了すると言う、マノンのリセット・オロぺーサと同年代の情熱的に切々と思いを歌う好男子。
   ヨーロッパ出身の歌手の多いMETの舞台で、アメリカ出身の新生同士のカップルの初々しい溌溂とした舞台である。

   その他、キャストは次の通り、凄い布陣である。

   指揮:マウリツィオ・ベニーニ
   演出:ロラン・ペリー
   出演:
   マノン:リセット・オロペーサ、
   騎士デ・グリュー:マイケル・ファビアーノ、
   レスコー:アルトゥール・ルチンスキー、
   プレティーニ:ブレット・ポレガート、
   レスコーの父:クワン チュル・ユン
   
   ところで、この二つのオペラは、同じ小説をベースにしながら、演出が微妙に違っていて、その差が面白く、物語の奥行きを深くしていて興味が尽きない。
   例えば、「マノン・レスコー」では、マノンが、デ・グリューの情熱にほだされて恋におち駆け落ちするが、貧しさに耐え切れず分かれて大蔵大臣ジェロンテ(マノンでは、プレティーニ)の愛人になるまでは同じだが、
   二人が奈落に突き落とされる原因が違っていて、その生活にも飽き足らず憂鬱を囲っている所に、デ・グリューが来て口説き落とすので、宝石や身の回り品を掻き集めて逃げようとする所に、ジェロンテが帰って来て逮捕される。
   一方、「マノン」の方は、デ・グリューが、レスコーとマノンに唆されて、貧苦から抜け出すために、賭場に入って大勝ちして歓喜の絶頂で、負けた老貴族ギヨー・ド・モルフォンテーヌが、腹いせに、イカサマ博奕だと因縁をつけて警官を引き連れて帰って来て逮捕される。

   ラストシーンも一寸違っていて、父の努力で、デ・グリューは解放されるところは同じだが、「マノン・レスコー」では、マノンは、船に乗せられてアメリカ送りとなるが、堪りかねたデ・グリューが一緒に乗船を願い出て、最後には新世界の荒野に果てるのだが、「マノン」の方は、マノンが売春婦としてアメリカに売り飛ばされて護送中に、レスコーが流刑船の関係者を買収してマノンを奪還し、二人は再会するのだが、マノンの衰弱は既に極に達していて、デ・グリューに抱かれて息絶える。

   しかし、「マノン」の舞台では、「マノン・レスコー」にはないのだが、マノンに去られたデ・グリューが、サン・シュルピスの神学校で信仰に身を捧げているところに、絶えず、デ・グリューの自分への愛情を気にしているマノンが現れて、デ・グリューが拒絶するも、頽れて愛情を確かめ合うシーン。デ・グリューのアリア「消え去れ、優しい幻影よ」、マノンの「あなたの手を握ったことを思い出してください」という「誘惑のアリア」が、胸に迫る。
   このシーンだけでも、「マノン」は、若い二人のカップルには、格好の舞台である。

   泥棒を捕らえて縄を綯うではないが、カルメンでもそうだったが、フランス・オペラは、原作の小説を読むと数倍面白くなるので、アベ・プレヴォーの「マノン・レスコー」を読もうと思っている。
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