Project Syndicateが、Oct 2, 2020に、JOSEPH E. STIGLITZのコラム「The Republican Threat to the Republic」を掲載した。
アメリカの民主主義が危機に直面しており、今回の大統領選挙でも、上下両院選挙でも、民主党が、地滑り的大勝をしないと、民主主義を守れないと、国民に極めて激烈な檄を飛ばした。
スティグリッツ教授が、これほど厳しい口調で、トランプや共和党を攻撃をしたのを、これまでに聞いた覚えがない。
当然、アメリカに学術会議があれば、排除されるのは必然であろう。
冒頭から辛辣で、ネロがローマが大火で炎上しているのに浮かれ遊んでいたように、トランプは、カリフォルニアが大火に見舞われ、それに、新型コロナウイルスで国民の20万人以上が亡くなっているのに、自分の赤字まみれのゴルフ場でゴルフに興じている。トランプは、疑いもなく、ネロのように、例を見ないほど残酷な、非人間的な、そして、おそらく狂人政治家として記憶されるであろう。これまで、世界中の多くの人々は、断片的であろうとも、トランプが、イブニングニュースやメディアで、ポンポン嘘やナンセンスな発言を連発しているのを見聞きして、アメリカの悲劇に慣れっこになって居るであろう。先の大統領選挙 のテレビ討論で、トランプは、疑いの余地なく、大統領に値しないことを自ら示し、多くの人々に、メンタルヘルスを疑わせた。と書いている。
ワシントン・ポストによると、過去四年間7月中旬までに、トランプは、病的な欺瞞や誤解を招く発言を二万回という記録破りだと言う。
ニューヨーク・タイムズが報じた脱税と750ドルの所得税や、討論会での白人至上主義者や the Proud Boysへの発言などに言及して、トランプの振る舞いは、アメリカの民主主義への直接的な脅威だとスティグリッツは、言うのである。
トランプの問題もそうだが、スティグリッツ教授の問題とするのは、トランプと共和党が、民主主義の危機を益々増幅させているという現実のアメリカの政治である。
子供の頃は、アメリカ憲法が保障する自由平等原理や三権分立が有効に働き、誇りに思っていて、1990年代に世銀で働いていた頃には、アメリカが世界の模範であると人々に説き続けてきた。
今や、そうではなくなった。
トランプと同僚共和党員たちが、アメリカのプロジェクトに陰を落とし、米国の組織や憲法の秩序が、如何にひ弱で欠陥があるかを思い知らせた。
アメリカは、法治国家である。
しかし、システムを動かしているのは政治的規範(norms)である。規範は、柔軟性があるが、また、脆弱である。
ジョージ・ワシントンが、大統領二期制を敷き憲法にも規定され、ルーズベルトを例外にして踏襲されてきた。トランプと共和党は、これに手をつけようとしている。トランプは、脱税が怪しくなると検察官を罷免し、利益相反はやるは、独立の科学者や批判勢力を排除するは、政敵を排除するために外国政府を利用するは、やりたい放題をしている。
今、我々アメリカ人は、わが民主主義が存続できるかどうかを疑問視している。建国時代の人々の最大の懸念は、デマゴーグ(煽動的民衆指導者)が出現して内部からシステムを破壊することであった。そのために、選挙人団を保持する間接民主主義体制を取り、チェック&バランスを強化するシステムを構築した。しかし、233年後の今、この制度的構造が、最早、十分強力ではなくなった。共和党、特に上院は,トランプが、米国憲法の秩序や選挙プロセスに公然と戦争を仕掛けてきたのに、危険で間違った人物をチェックする責任を全くミスっている。
眼前には、パンデミックのコントロール、格差の拡大、気候変動の危機などが横たわっているが、緊急課題は、民主主義を救うことである。共和党が、任務を怠ってきたので、民主主義基準が、法律に置き換わることになろう。しかし、これは容易なことではない。遵守されるときには、基準は、法律よりも、将来の事情に容易に適応されるので、法律より望ましいのである。特に、アメリカのように、訴訟好きな社会では、精神を無視して、法律を掻い潜ろうとする。
一方が法を無視すれば、規制が必要であるが、朗報として、最近成立した民主的な選挙などへのthe People Act of 2019が役に立っており、また、銃規制、最低賃金アップ、環境保全、財政の健全化、健康保険、就学前教育補助、大学入学振興、政治への金銭の制限等々多くの重要課題において、米国国民の要望が強くなって、共和党は、少数派になりつつある。
共和党は、既に、悪魔と取引をしているので、アメリカの民主主義を改善して保護するためにサポートするとは絶対に思えないので、アメリカに残された唯一の選択肢は、来月の大統領選挙において、民主党が、大統領は勿論、上下両院、州知事等総ての分野の選挙で、圧倒的な勝利を収めることである。もし、これに失敗すれば、世界中の民主主義の敵が、勝利して、民主主義が危機に陥てしまう。
まさに、民主主義が、岐路に立っていると言う指摘で、スティグリッツの危機意識は強い。
私は、スティグリッツの経済学については、このブログで何度も書いており、リベラルな見解については全く異存はない。
3年前に、アメリカの100名以上の精神科医や精神衛生の専門家で構成される団体Duty to Warn PACは、「トランプ大統領は危険なナルシストであり、大統領を辞任すべきだ」とトランプ大統領の精神面での問題について警告するため、アメリカ全域での抗議デモを開催した。と報道されていた。
また、直近では、
創刊175年の「サイエンティフィック・アメリカン」誌が、米最古の雑誌で不偏不党の伝統を破ってバイデン氏支持を表明した、 反科学のトランプ氏に我慢の限界だと言う。
200年以上の伝統を持ち世界的に知られるアメリカの医学雑誌「ニューイングランド・ジャーナル・オブ・メディシン」は、新型コロナウイルスをめぐるトランプ政権の対応によってアメリカは危機的な状況に追い込まれているとする論説記事を掲載し、トランプ政権の新型コロナウイルスをめぐる対応は不適切だと批判したうえで、政権交代を訴える論説記事を掲載した。
また、
トランプが、如何に、大統領として不適切か、ジョン・ボルトンの『THE ROOM WHERE IT HAPPENED』 姪のメアリー・トランプ『TOO MUCH AND NEVER ENOUGH』を筆頭に何冊か暴露本が出ており、私は、その何冊かを読み始めたのだが、途中で止めてしまった。
私が疑問に思うのは、これだけ問題の多いトランプが、どんなにマスコミに悪事を暴露され叩かれても、米国国民の40%近くが、トランプの岩盤支持者であって、トランプ人気が崩れないと言う不思議である。
逆に考えれば、これこそ、アメリカの民主主義が息づいていると言うことであろうか。と皮肉も言いたくなる。
トランプは、私と同じウォートン・スクールの同窓であり、アメリカ最古のUniversityであるそのペンシルバニア大学を創立したベンジャミン・フランクリンは、米国の建国に最大の貢献をした民主主義の権化とも言うべき大偉人であり、大学には民主主義の精神が脈々と流れていた筈なのだが、どこで、どう道を間違ったのか。スティグリッツが憧れてやまない我々の願いであるアメリカ建国と独立の魂が横溢していたフィラデルフィアのキャンパスを忘れたのであろうか、そんなことをフッと思うことがある。
アメリカの民主主義が危機に直面しており、今回の大統領選挙でも、上下両院選挙でも、民主党が、地滑り的大勝をしないと、民主主義を守れないと、国民に極めて激烈な檄を飛ばした。
スティグリッツ教授が、これほど厳しい口調で、トランプや共和党を攻撃をしたのを、これまでに聞いた覚えがない。
当然、アメリカに学術会議があれば、排除されるのは必然であろう。
冒頭から辛辣で、ネロがローマが大火で炎上しているのに浮かれ遊んでいたように、トランプは、カリフォルニアが大火に見舞われ、それに、新型コロナウイルスで国民の20万人以上が亡くなっているのに、自分の赤字まみれのゴルフ場でゴルフに興じている。トランプは、疑いもなく、ネロのように、例を見ないほど残酷な、非人間的な、そして、おそらく狂人政治家として記憶されるであろう。これまで、世界中の多くの人々は、断片的であろうとも、トランプが、イブニングニュースやメディアで、ポンポン嘘やナンセンスな発言を連発しているのを見聞きして、アメリカの悲劇に慣れっこになって居るであろう。先の大統領選挙 のテレビ討論で、トランプは、疑いの余地なく、大統領に値しないことを自ら示し、多くの人々に、メンタルヘルスを疑わせた。と書いている。
ワシントン・ポストによると、過去四年間7月中旬までに、トランプは、病的な欺瞞や誤解を招く発言を二万回という記録破りだと言う。
ニューヨーク・タイムズが報じた脱税と750ドルの所得税や、討論会での白人至上主義者や the Proud Boysへの発言などに言及して、トランプの振る舞いは、アメリカの民主主義への直接的な脅威だとスティグリッツは、言うのである。
トランプの問題もそうだが、スティグリッツ教授の問題とするのは、トランプと共和党が、民主主義の危機を益々増幅させているという現実のアメリカの政治である。
子供の頃は、アメリカ憲法が保障する自由平等原理や三権分立が有効に働き、誇りに思っていて、1990年代に世銀で働いていた頃には、アメリカが世界の模範であると人々に説き続けてきた。
今や、そうではなくなった。
トランプと同僚共和党員たちが、アメリカのプロジェクトに陰を落とし、米国の組織や憲法の秩序が、如何にひ弱で欠陥があるかを思い知らせた。
アメリカは、法治国家である。
しかし、システムを動かしているのは政治的規範(norms)である。規範は、柔軟性があるが、また、脆弱である。
ジョージ・ワシントンが、大統領二期制を敷き憲法にも規定され、ルーズベルトを例外にして踏襲されてきた。トランプと共和党は、これに手をつけようとしている。トランプは、脱税が怪しくなると検察官を罷免し、利益相反はやるは、独立の科学者や批判勢力を排除するは、政敵を排除するために外国政府を利用するは、やりたい放題をしている。
今、我々アメリカ人は、わが民主主義が存続できるかどうかを疑問視している。建国時代の人々の最大の懸念は、デマゴーグ(煽動的民衆指導者)が出現して内部からシステムを破壊することであった。そのために、選挙人団を保持する間接民主主義体制を取り、チェック&バランスを強化するシステムを構築した。しかし、233年後の今、この制度的構造が、最早、十分強力ではなくなった。共和党、特に上院は,トランプが、米国憲法の秩序や選挙プロセスに公然と戦争を仕掛けてきたのに、危険で間違った人物をチェックする責任を全くミスっている。
眼前には、パンデミックのコントロール、格差の拡大、気候変動の危機などが横たわっているが、緊急課題は、民主主義を救うことである。共和党が、任務を怠ってきたので、民主主義基準が、法律に置き換わることになろう。しかし、これは容易なことではない。遵守されるときには、基準は、法律よりも、将来の事情に容易に適応されるので、法律より望ましいのである。特に、アメリカのように、訴訟好きな社会では、精神を無視して、法律を掻い潜ろうとする。
一方が法を無視すれば、規制が必要であるが、朗報として、最近成立した民主的な選挙などへのthe People Act of 2019が役に立っており、また、銃規制、最低賃金アップ、環境保全、財政の健全化、健康保険、就学前教育補助、大学入学振興、政治への金銭の制限等々多くの重要課題において、米国国民の要望が強くなって、共和党は、少数派になりつつある。
共和党は、既に、悪魔と取引をしているので、アメリカの民主主義を改善して保護するためにサポートするとは絶対に思えないので、アメリカに残された唯一の選択肢は、来月の大統領選挙において、民主党が、大統領は勿論、上下両院、州知事等総ての分野の選挙で、圧倒的な勝利を収めることである。もし、これに失敗すれば、世界中の民主主義の敵が、勝利して、民主主義が危機に陥てしまう。
まさに、民主主義が、岐路に立っていると言う指摘で、スティグリッツの危機意識は強い。
私は、スティグリッツの経済学については、このブログで何度も書いており、リベラルな見解については全く異存はない。
3年前に、アメリカの100名以上の精神科医や精神衛生の専門家で構成される団体Duty to Warn PACは、「トランプ大統領は危険なナルシストであり、大統領を辞任すべきだ」とトランプ大統領の精神面での問題について警告するため、アメリカ全域での抗議デモを開催した。と報道されていた。
また、直近では、
創刊175年の「サイエンティフィック・アメリカン」誌が、米最古の雑誌で不偏不党の伝統を破ってバイデン氏支持を表明した、 反科学のトランプ氏に我慢の限界だと言う。
200年以上の伝統を持ち世界的に知られるアメリカの医学雑誌「ニューイングランド・ジャーナル・オブ・メディシン」は、新型コロナウイルスをめぐるトランプ政権の対応によってアメリカは危機的な状況に追い込まれているとする論説記事を掲載し、トランプ政権の新型コロナウイルスをめぐる対応は不適切だと批判したうえで、政権交代を訴える論説記事を掲載した。
また、
トランプが、如何に、大統領として不適切か、ジョン・ボルトンの『THE ROOM WHERE IT HAPPENED』 姪のメアリー・トランプ『TOO MUCH AND NEVER ENOUGH』を筆頭に何冊か暴露本が出ており、私は、その何冊かを読み始めたのだが、途中で止めてしまった。
私が疑問に思うのは、これだけ問題の多いトランプが、どんなにマスコミに悪事を暴露され叩かれても、米国国民の40%近くが、トランプの岩盤支持者であって、トランプ人気が崩れないと言う不思議である。
逆に考えれば、これこそ、アメリカの民主主義が息づいていると言うことであろうか。と皮肉も言いたくなる。
トランプは、私と同じウォートン・スクールの同窓であり、アメリカ最古のUniversityであるそのペンシルバニア大学を創立したベンジャミン・フランクリンは、米国の建国に最大の貢献をした民主主義の権化とも言うべき大偉人であり、大学には民主主義の精神が脈々と流れていた筈なのだが、どこで、どう道を間違ったのか。スティグリッツが憧れてやまない我々の願いであるアメリカ建国と独立の魂が横溢していたフィラデルフィアのキャンパスを忘れたのであろうか、そんなことをフッと思うことがある。