歌丸が、晩年に高座にかけた八つの噺のはなしが、収容されている。
「井戸の茶碗」から始まって、「紺屋高尾」までで、私が、歌丸を聞いたのは、晩年の5年くらいで、噺を聞いたのは、この二つと、「竹の水仙」だけだが、圓朝ものなども結構聞いており、国立演芸場へは、歌丸が登場すると殆ど間違いなしに聴きに行った。
まず、冒頭の「井戸の茶碗」は次のような噺、
正直者のくず屋の清兵衛が、清正公脇の裏長屋で、身なりは粗末だが、品のある娘に呼び止められ、浪々の身で赤貧芋を洗うがごとしのその父千代田卜斎から、仏像を200文で買い受ける。仏像を荷の上に乗せ、細川邸の下を通りかかると、若い家来の高木佐久左衛門が仏像を見つけ300文で買いとる。
高木が、あまりにもすすけて汚れているので、ぬるま湯で仏像を洗っていると、台座の紙が破れ中から50両が出てきた。高木は、清兵衛に、「仏像は買ったが50両は買った覚えはない」と、50両を卜斎に返せと言われて、清兵衛は、50両を卜斎の家に届けに行くが、「売った仏像から何が出ようとも自分の物ではない。その金は受け取れぬ」という。再び高木の所へ行くが高木も受け取らない。困った清兵衛は、卜斎の長屋の家主に相談し、その仲裁で、卜斎と高木に20両づつ、清兵衛に10両とし、卜斎は20両のカタに普段使っている汚い茶碗を高木に渡す。この話を聞いた細川の殿様に、高木が茶碗を見せると、丁度居合わせていた目利きが「井戸の茶碗」という世の名器だと言ったので、殿様は300両でこれを買い上げる。高木が、清兵衛に半分の150両を卜斎に届けさせるが、卜斎は「その金は受け取れぬ」。清兵衛が、「高木にまた何かを差し上げて150両もらえばよい」と言ったので、卜斎には、もう高木に渡す物がないので、150両を支度金として娘を高木氏に貰ってもらいたいと言う。喜んだ清兵衛が、早速この話を高木に伝えると、高木は、母から嫁を貰えとせっつかれており、卜斎の娘なら間違いないと承諾する。
清兵衛 「今は裏長屋に住んでますからくすぶってますけどね、こちらに連れてきて磨いてご覧なさい、いい女になりますよ」
高木 「いや、もう磨くのはよそう。また小判が出るといけない」
このように書いてしまうと味も素っ気もなくなってしまうが、歌丸のしっとりとした滋味のある温かい語り口の人情噺は格別で、歌丸の声音と語りを反芻しながら、これらの噺を読んでみると、自然と、じわっと、笑いがこみ上げてきて、人情の温かさがじんわりと滲み出てきて、実に懐かしいのである。
この噺のように、登場人物がすべて善人で、まっすぐな人たちばかりの何との言えない会話と交流に触れると、一層、落語の人情噺の良さが感じられて気持ちが良い。
高木が、金を返すために清兵衛を探そうと、通るくず屋の首実検をするのに、あるくず屋に、「お前の先祖は小遊三か、その顔で表を歩くのか。度胸のあるやつだなあ。」と言うと、くず屋に、「あんな銀杏拾いみてえな顔じゃねえやなあ。」と言わせている。また、金の押し問答で窮地に立っているくず屋に、お金に執着のない二人にかこつけて、「そうかと思うと、金ばかり欲しがっている、大阪のほうのどっかの庭に赤い学校を建てたやつがいるけれども。ああいうやつに聞かせてみてえな。」とカレントトピックスを交え、最後に、高木の嫁取り話で、「男は身を固めてからこそ一人前だ。だから昇太は半人前だ。」と茶化している。
「紺屋高尾」は、花魁道中の高尾を見て恋煩いに寝込んだ紺屋の職人九蔵が、3年間必死に働いて貯めた9両と親方に1両足して貰って10両を持って吉原に行くのだが、高尾に、「裏はいつでありんす?」と聞かれて、「三年経ったら必ず参りますんで」と答えると、「みとせ?気の長い話で」と問い返されたので、切羽詰まって、身分を白状して、しがない職人であり3年頑張らないと来られないんだと真情を吐露する。感極まった高尾は涙を流し、来年二月に年季が明けるので、おかみさんにしてくれと言う。九蔵に嫁いだ高尾は、80歳の天寿を全うしたという。傾城に真なしとは誰が言うた。
実に、良い噺である。
さて、その晩は、ご亭主以上の扱いを受けて、烏かあーで夜が明けます。・・・あの正直なことを言いますと、あたくしは今まで喋った時間よりも、夜が明けるまでをみっちりと喋りたいんですが、実は、この辺りは警察が大層喧しくて。・・・後は皆様方のご想像にお任せします。
とにかく、人間国宝に推挙されずに逝った不世出の噺家歌丸の高座が、彷彿と蘇る面白い本である。
「井戸の茶碗」から始まって、「紺屋高尾」までで、私が、歌丸を聞いたのは、晩年の5年くらいで、噺を聞いたのは、この二つと、「竹の水仙」だけだが、圓朝ものなども結構聞いており、国立演芸場へは、歌丸が登場すると殆ど間違いなしに聴きに行った。
まず、冒頭の「井戸の茶碗」は次のような噺、
正直者のくず屋の清兵衛が、清正公脇の裏長屋で、身なりは粗末だが、品のある娘に呼び止められ、浪々の身で赤貧芋を洗うがごとしのその父千代田卜斎から、仏像を200文で買い受ける。仏像を荷の上に乗せ、細川邸の下を通りかかると、若い家来の高木佐久左衛門が仏像を見つけ300文で買いとる。
高木が、あまりにもすすけて汚れているので、ぬるま湯で仏像を洗っていると、台座の紙が破れ中から50両が出てきた。高木は、清兵衛に、「仏像は買ったが50両は買った覚えはない」と、50両を卜斎に返せと言われて、清兵衛は、50両を卜斎の家に届けに行くが、「売った仏像から何が出ようとも自分の物ではない。その金は受け取れぬ」という。再び高木の所へ行くが高木も受け取らない。困った清兵衛は、卜斎の長屋の家主に相談し、その仲裁で、卜斎と高木に20両づつ、清兵衛に10両とし、卜斎は20両のカタに普段使っている汚い茶碗を高木に渡す。この話を聞いた細川の殿様に、高木が茶碗を見せると、丁度居合わせていた目利きが「井戸の茶碗」という世の名器だと言ったので、殿様は300両でこれを買い上げる。高木が、清兵衛に半分の150両を卜斎に届けさせるが、卜斎は「その金は受け取れぬ」。清兵衛が、「高木にまた何かを差し上げて150両もらえばよい」と言ったので、卜斎には、もう高木に渡す物がないので、150両を支度金として娘を高木氏に貰ってもらいたいと言う。喜んだ清兵衛が、早速この話を高木に伝えると、高木は、母から嫁を貰えとせっつかれており、卜斎の娘なら間違いないと承諾する。
清兵衛 「今は裏長屋に住んでますからくすぶってますけどね、こちらに連れてきて磨いてご覧なさい、いい女になりますよ」
高木 「いや、もう磨くのはよそう。また小判が出るといけない」
このように書いてしまうと味も素っ気もなくなってしまうが、歌丸のしっとりとした滋味のある温かい語り口の人情噺は格別で、歌丸の声音と語りを反芻しながら、これらの噺を読んでみると、自然と、じわっと、笑いがこみ上げてきて、人情の温かさがじんわりと滲み出てきて、実に懐かしいのである。
この噺のように、登場人物がすべて善人で、まっすぐな人たちばかりの何との言えない会話と交流に触れると、一層、落語の人情噺の良さが感じられて気持ちが良い。
高木が、金を返すために清兵衛を探そうと、通るくず屋の首実検をするのに、あるくず屋に、「お前の先祖は小遊三か、その顔で表を歩くのか。度胸のあるやつだなあ。」と言うと、くず屋に、「あんな銀杏拾いみてえな顔じゃねえやなあ。」と言わせている。また、金の押し問答で窮地に立っているくず屋に、お金に執着のない二人にかこつけて、「そうかと思うと、金ばかり欲しがっている、大阪のほうのどっかの庭に赤い学校を建てたやつがいるけれども。ああいうやつに聞かせてみてえな。」とカレントトピックスを交え、最後に、高木の嫁取り話で、「男は身を固めてからこそ一人前だ。だから昇太は半人前だ。」と茶化している。
「紺屋高尾」は、花魁道中の高尾を見て恋煩いに寝込んだ紺屋の職人九蔵が、3年間必死に働いて貯めた9両と親方に1両足して貰って10両を持って吉原に行くのだが、高尾に、「裏はいつでありんす?」と聞かれて、「三年経ったら必ず参りますんで」と答えると、「みとせ?気の長い話で」と問い返されたので、切羽詰まって、身分を白状して、しがない職人であり3年頑張らないと来られないんだと真情を吐露する。感極まった高尾は涙を流し、来年二月に年季が明けるので、おかみさんにしてくれと言う。九蔵に嫁いだ高尾は、80歳の天寿を全うしたという。傾城に真なしとは誰が言うた。
実に、良い噺である。
さて、その晩は、ご亭主以上の扱いを受けて、烏かあーで夜が明けます。・・・あの正直なことを言いますと、あたくしは今まで喋った時間よりも、夜が明けるまでをみっちりと喋りたいんですが、実は、この辺りは警察が大層喧しくて。・・・後は皆様方のご想像にお任せします。
とにかく、人間国宝に推挙されずに逝った不世出の噺家歌丸の高座が、彷彿と蘇る面白い本である。