朝起きると、真っ先に、コーヒーを煎れる。
朝食をスコーンとコーヒーにしているので、必要なのである。
コーヒーは少し変っていて、大きなマグカップに、シロップ漬けのブルーベリーをたっぷりと入れて、牛乳を少し加えて、コーヒーを注ぐ。
この朝のコーヒーは、時間をおくと酸化してダメだということのようだが、コーヒーメイカーで煎れているので、歳が行くと全く気にならず、午前中くらいは、そのまま、使っている。
若かりし頃は、コーヒー豆は、必ずブルーマウンテンをミルで碾くなど拘っていたが、それが、ブルーマウンテンの粉になり、なければ、それなりに上等な粉になり、最近では、アマゾンでコーヒー店仕様の粉を定期便で買っており、ミルはたまにしか使わないし、コーヒー煎れにも、手を抜いてぞんざいになってしまっている。
コロナで外出を控えているので、殆ど、喫茶店に行くこともなくなってしまったので、コーヒーを楽しむのは、自宅と言うことになる。
私の場合は、書斎でパソコンに戯れたり、和室や庭に出て読書をしたりすることが多いので、必然的に、コーヒーカップを持ちこむ。
マグカップでも良いのだが、その時の雰囲気で、お気に入りのコーヒーカップを適当に選んで、気分転換を図っている。
コーヒーカップは、欧米では、セットで販売されている食器の一部である場合が多いので、コーヒーカップ単独として製作されている和食器の方が、遙かに趣味も良くて味があって良いと思って愛用している。口絵写真は、鹿児島の沈壽官窯の椿の絵付けのカップで、私の好きな作品である。
庭は、自分好みの花木を植栽するなど気を使っているので、それなりの雰囲気があって、一寸した喫茶店よりムードがあるのではないかと自賛している。
今は、非常に季候が良いので、天気の良い日には、庭での読書は楽しいし、シェイクスピアやジョン・ボルトンのトランプ暴露本などを紐解いていると、小鳥たちが囀り初める。
和室からは、季節の花木が癒やしてくれ、こんな時に、本の手を止めて、コーヒーを喫する。
また、楽しからずや、である。
さて、余談だが、コーヒーについては、色々な思い出がある。
最初にコーヒーを飲んだのは、恥ずかしい話、大学に入ってからである。
東京の高校を出て京都に来た同級生が、お茶を飲みに行こうと言って連れられて行った喫茶店で、初めて、コーヒーたるものを飲んだのである。
その後は、ブラジルのサンパウロで4年間もいて、コーヒー漬けの生活をしてきたし、海外生活足かけ14年、歩いた国は40カ国以上になるので、ところ変れば品変るで、色々な国のコーヒーを喫してきた。
ブラジルのコーヒーなどは、エスプレッソも良いところで、デミタスカップに砂糖をたっぷりと入れて、その上に、濃いコーヒーを注いで、甘さが嫌ならスプーンを一かき、甘いのが好みならスプーンを掻き回す回数を調整して飲むと言う途轍もなく甘くて濃厚なコーヒーで、訪問先毎に出されるので、付き合っていると体を壊すのはテキメンである。
トルコやアラビアのコーヒー、ウィーンのコーヒー、イタリアのエスプレッソやカフェオレ、・・・
忘れられないのは、半世紀上も前にフィラデルフィアで飲んだ不味い白湯のようなアメリカンコーヒー、
当時は、アメリカは何処へ行っても総てこのアメリカンコーヒーで、喫茶店などと言う粋な場所もなかったし、まともなコーヒーを楽しもうと思えば、高級なレストランへ行く以外にないという、アメリカは実に貧しくてお粗末なコーヒー文化であった。スターバックスコーヒーが誕生するのは必然であったのだが、あまりにも遅すぎたのである。
ドラッカーが、スターバックスはイノベーションだと言うのだが、イタリアや日本のコーヒー文化を見れば、イノベーションでも何でもないマネである。
「ドトール」も、創業者はブラジルで住んでいたようで、当初の店舗方式は、ブラジルの街角に必ずある止まり木スタイルのバールの喫茶方式の模倣で、100円だったからヒットした、
あの1000円散髪のQBハウスも、アメリカなどの散髪屋の「カットオンリー」スタイルを日本流にアレンジしたもので、経営学者は、これもイノベーションだと説くが、どうであろうか。
いずれにしても、発想は模倣であろうと何であろうと、「魔の川」「死の谷」「ダーウィンの海」を突破して、事業化に成功すると言うことは大変なことで、凄いことではある。
話が横道に逸れてしまったが、コーヒーについては、クラシックに装飾された王朝風のウィーンのカフェで飲む「ウィンナ・コーヒー」、イタリアの高級レストランや洒落た街角のカフェで飲むエスプレッソ、水から煮立てて上澄みだけを飲むトルココーヒー、ポットを高く引き上げて手品師のようにカップに注ぐコーヒーの故郷アラビアコーヒー・・・
色々な世界のコーヒーを味わってきたが、それぞれに、貴重な文化や伝統など歴史の凝縮したコーヒー文化があって面白いのだが、
先年、中国に行ったときに、粋な川縁りの瀟洒なカフェで、スターバックスと日本風の喫茶店をミックスしたような感じの雰囲気で、国籍不明の美味しいコーヒーを飲んで、文化伝播の一端を垣間見た。
朝食をスコーンとコーヒーにしているので、必要なのである。
コーヒーは少し変っていて、大きなマグカップに、シロップ漬けのブルーベリーをたっぷりと入れて、牛乳を少し加えて、コーヒーを注ぐ。
この朝のコーヒーは、時間をおくと酸化してダメだということのようだが、コーヒーメイカーで煎れているので、歳が行くと全く気にならず、午前中くらいは、そのまま、使っている。
若かりし頃は、コーヒー豆は、必ずブルーマウンテンをミルで碾くなど拘っていたが、それが、ブルーマウンテンの粉になり、なければ、それなりに上等な粉になり、最近では、アマゾンでコーヒー店仕様の粉を定期便で買っており、ミルはたまにしか使わないし、コーヒー煎れにも、手を抜いてぞんざいになってしまっている。
コロナで外出を控えているので、殆ど、喫茶店に行くこともなくなってしまったので、コーヒーを楽しむのは、自宅と言うことになる。
私の場合は、書斎でパソコンに戯れたり、和室や庭に出て読書をしたりすることが多いので、必然的に、コーヒーカップを持ちこむ。
マグカップでも良いのだが、その時の雰囲気で、お気に入りのコーヒーカップを適当に選んで、気分転換を図っている。
コーヒーカップは、欧米では、セットで販売されている食器の一部である場合が多いので、コーヒーカップ単独として製作されている和食器の方が、遙かに趣味も良くて味があって良いと思って愛用している。口絵写真は、鹿児島の沈壽官窯の椿の絵付けのカップで、私の好きな作品である。
庭は、自分好みの花木を植栽するなど気を使っているので、それなりの雰囲気があって、一寸した喫茶店よりムードがあるのではないかと自賛している。
今は、非常に季候が良いので、天気の良い日には、庭での読書は楽しいし、シェイクスピアやジョン・ボルトンのトランプ暴露本などを紐解いていると、小鳥たちが囀り初める。
和室からは、季節の花木が癒やしてくれ、こんな時に、本の手を止めて、コーヒーを喫する。
また、楽しからずや、である。
さて、余談だが、コーヒーについては、色々な思い出がある。
最初にコーヒーを飲んだのは、恥ずかしい話、大学に入ってからである。
東京の高校を出て京都に来た同級生が、お茶を飲みに行こうと言って連れられて行った喫茶店で、初めて、コーヒーたるものを飲んだのである。
その後は、ブラジルのサンパウロで4年間もいて、コーヒー漬けの生活をしてきたし、海外生活足かけ14年、歩いた国は40カ国以上になるので、ところ変れば品変るで、色々な国のコーヒーを喫してきた。
ブラジルのコーヒーなどは、エスプレッソも良いところで、デミタスカップに砂糖をたっぷりと入れて、その上に、濃いコーヒーを注いで、甘さが嫌ならスプーンを一かき、甘いのが好みならスプーンを掻き回す回数を調整して飲むと言う途轍もなく甘くて濃厚なコーヒーで、訪問先毎に出されるので、付き合っていると体を壊すのはテキメンである。
トルコやアラビアのコーヒー、ウィーンのコーヒー、イタリアのエスプレッソやカフェオレ、・・・
忘れられないのは、半世紀上も前にフィラデルフィアで飲んだ不味い白湯のようなアメリカンコーヒー、
当時は、アメリカは何処へ行っても総てこのアメリカンコーヒーで、喫茶店などと言う粋な場所もなかったし、まともなコーヒーを楽しもうと思えば、高級なレストランへ行く以外にないという、アメリカは実に貧しくてお粗末なコーヒー文化であった。スターバックスコーヒーが誕生するのは必然であったのだが、あまりにも遅すぎたのである。
ドラッカーが、スターバックスはイノベーションだと言うのだが、イタリアや日本のコーヒー文化を見れば、イノベーションでも何でもないマネである。
「ドトール」も、創業者はブラジルで住んでいたようで、当初の店舗方式は、ブラジルの街角に必ずある止まり木スタイルのバールの喫茶方式の模倣で、100円だったからヒットした、
あの1000円散髪のQBハウスも、アメリカなどの散髪屋の「カットオンリー」スタイルを日本流にアレンジしたもので、経営学者は、これもイノベーションだと説くが、どうであろうか。
いずれにしても、発想は模倣であろうと何であろうと、「魔の川」「死の谷」「ダーウィンの海」を突破して、事業化に成功すると言うことは大変なことで、凄いことではある。
話が横道に逸れてしまったが、コーヒーについては、クラシックに装飾された王朝風のウィーンのカフェで飲む「ウィンナ・コーヒー」、イタリアの高級レストランや洒落た街角のカフェで飲むエスプレッソ、水から煮立てて上澄みだけを飲むトルココーヒー、ポットを高く引き上げて手品師のようにカップに注ぐコーヒーの故郷アラビアコーヒー・・・
色々な世界のコーヒーを味わってきたが、それぞれに、貴重な文化や伝統など歴史の凝縮したコーヒー文化があって面白いのだが、
先年、中国に行ったときに、粋な川縁りの瀟洒なカフェで、スターバックスと日本風の喫茶店をミックスしたような感じの雰囲気で、国籍不明の美味しいコーヒーを飲んで、文化伝播の一端を垣間見た。