先日、新井 紀子の「AI vs. 教科書が読めない子どもたち」の中での指摘で、読解力が偏差値決定の最も重要な要件であることについて書いた。
御三家と言われる中高一貫教育の超名門校の生徒は、既に、12歳で最高の読解力を備えて入学してくるので、どんな下手な受験教育をしても、東大に通るのだということで、その教育方針が、教育改革をする上で何の参考にもならないと言うことであった。
この国語が大切だと言うことは、私自身、もう半世紀近く前のことになるが、長女が、ブラジルのサンパウロの日本人小学校に通っていたときに感じている。
「太陽がカンカン照りつけている」という表現で、「カンカン」という意味が分らないといわれて、彼女の頭には、「缶」がカンカンとなる音以外には認識がないことが分ったのである。
日本に居れば、殆ど日本語ばかりであるし、街を歩いても日本語の看板で溢れていて、意識しなくても日本語漬けなので、「太陽がカンカン照りつけている」の「カンカン」など、どんな子供でも、教えなくても知っている。日本語が比較的通じるサンパウロでも、環境総てがポルトガル語であって、日本語学校に通って日本語で授業を受けているとしても、日本語に対する露出が、日本の小学生と比べて著しく劣るので、日本語理解に大きな落とし穴が随所にあるのである。
この時に、国語の理解が十分でないと、新井教授が指摘するように、教科書の理解が十分ではなくなって、算数にしても、理科社会にしても、その教科の理解や解釈判断が十分ではなくなるのではないかと感じたのである。
これには伏線があって、恥ずかしい話であるが、私自身、フィラデルフィアのウォートン・スクールの学期試験で、やはり、英語力の不足で、設問の意味が十分に分らなくて、教授に質問してコトなきを得てホッとしたことがあるのである。
外国で、外国語の授業を受けて大学院を卒業するというのは大変なことだが、困難の過半は、やはり、言葉、読解力のハンディがあることだと感じている。
長女の場合には、論理的な読解力以前の意味そのものに対する知識の不足であって、日本語と言うよりもボキャブラリィの不足なのだが、どちらにしろ、国語の読解力が不足すると、国語のみならず、教科学習全般の理解力が落ちて、勉学の進行に齟齬を来すことが分ったのである。
危機感を感じて、まず、本を読ませることだと思って、何が良いと考える前に、全国学校図書館協議会の選定図書、確か40冊ほどあったと思うのだが、至急、航空便で取り寄せて、長女に読ませた。
教育図書であろうと何であろうと、税関でトラブルを起こされてスム―ズに処理されず、受け渡し窓口では公然と賄賂を要求されるなど、とにかく、ブラジルへの郵送荷物の受け取りは大変だったのを思い出した。
この長女は、幼稚園は、日本と米国とブラジルで、それぞれ違った言葉で過ごしていて、小学5年の冬に帰ってきて日本の小中を終えたのだが、高校1年の時に、私の赴任でオランダのインターナショナル・スクールに移り苦労させてきた。
卒業後は、ヨーロッパに残らずに、大学は日本にしたいと望んで、上智大学に入って、一人だけ日本に帰った。
勿論、オランダの時も、出張などで帰国時には、沢山の本を買って帰ったし、インターナショナルスクールの時には、幸い、私が米国の大学院を出ていたので、英語の教科書を読んで彼女の勉強を助けたのだが、泣き言も言わずによく頑張ったと思っている。
次女の方は、逆の話で、小学校初年はオランダ語だったが、その後日本人小学校に移ったのだが、イギリスに五年間も住んでいて、英語が十分に喋れないのは恥だと言って、カンタベリーのケント大学と大学院に行って勉強した。
次女が、イギリスで勉強していた頃には、我々は日本に住んでいたのだが、親しくしていたイギリス人の友人たちが、サポートしてくれたこともあって、それ程不安は感じなかった。
今となっては、不如意で、二人の娘には何の財産も残せないのだが、苦労させたのは申し訳ないが、唯一、副産物として、英語の力を身につけさせることができたのをせめてもの慰めとしている。
これも、先に論じた読解力の問題で、少しは、英語の読解力がついたであろうから、多少は、ないよりはマシな人生を送ることができるのではないかと思っているのである。
御三家と言われる中高一貫教育の超名門校の生徒は、既に、12歳で最高の読解力を備えて入学してくるので、どんな下手な受験教育をしても、東大に通るのだということで、その教育方針が、教育改革をする上で何の参考にもならないと言うことであった。
この国語が大切だと言うことは、私自身、もう半世紀近く前のことになるが、長女が、ブラジルのサンパウロの日本人小学校に通っていたときに感じている。
「太陽がカンカン照りつけている」という表現で、「カンカン」という意味が分らないといわれて、彼女の頭には、「缶」がカンカンとなる音以外には認識がないことが分ったのである。
日本に居れば、殆ど日本語ばかりであるし、街を歩いても日本語の看板で溢れていて、意識しなくても日本語漬けなので、「太陽がカンカン照りつけている」の「カンカン」など、どんな子供でも、教えなくても知っている。日本語が比較的通じるサンパウロでも、環境総てがポルトガル語であって、日本語学校に通って日本語で授業を受けているとしても、日本語に対する露出が、日本の小学生と比べて著しく劣るので、日本語理解に大きな落とし穴が随所にあるのである。
この時に、国語の理解が十分でないと、新井教授が指摘するように、教科書の理解が十分ではなくなって、算数にしても、理科社会にしても、その教科の理解や解釈判断が十分ではなくなるのではないかと感じたのである。
これには伏線があって、恥ずかしい話であるが、私自身、フィラデルフィアのウォートン・スクールの学期試験で、やはり、英語力の不足で、設問の意味が十分に分らなくて、教授に質問してコトなきを得てホッとしたことがあるのである。
外国で、外国語の授業を受けて大学院を卒業するというのは大変なことだが、困難の過半は、やはり、言葉、読解力のハンディがあることだと感じている。
長女の場合には、論理的な読解力以前の意味そのものに対する知識の不足であって、日本語と言うよりもボキャブラリィの不足なのだが、どちらにしろ、国語の読解力が不足すると、国語のみならず、教科学習全般の理解力が落ちて、勉学の進行に齟齬を来すことが分ったのである。
危機感を感じて、まず、本を読ませることだと思って、何が良いと考える前に、全国学校図書館協議会の選定図書、確か40冊ほどあったと思うのだが、至急、航空便で取り寄せて、長女に読ませた。
教育図書であろうと何であろうと、税関でトラブルを起こされてスム―ズに処理されず、受け渡し窓口では公然と賄賂を要求されるなど、とにかく、ブラジルへの郵送荷物の受け取りは大変だったのを思い出した。
この長女は、幼稚園は、日本と米国とブラジルで、それぞれ違った言葉で過ごしていて、小学5年の冬に帰ってきて日本の小中を終えたのだが、高校1年の時に、私の赴任でオランダのインターナショナル・スクールに移り苦労させてきた。
卒業後は、ヨーロッパに残らずに、大学は日本にしたいと望んで、上智大学に入って、一人だけ日本に帰った。
勿論、オランダの時も、出張などで帰国時には、沢山の本を買って帰ったし、インターナショナルスクールの時には、幸い、私が米国の大学院を出ていたので、英語の教科書を読んで彼女の勉強を助けたのだが、泣き言も言わずによく頑張ったと思っている。
次女の方は、逆の話で、小学校初年はオランダ語だったが、その後日本人小学校に移ったのだが、イギリスに五年間も住んでいて、英語が十分に喋れないのは恥だと言って、カンタベリーのケント大学と大学院に行って勉強した。
次女が、イギリスで勉強していた頃には、我々は日本に住んでいたのだが、親しくしていたイギリス人の友人たちが、サポートしてくれたこともあって、それ程不安は感じなかった。
今となっては、不如意で、二人の娘には何の財産も残せないのだが、苦労させたのは申し訳ないが、唯一、副産物として、英語の力を身につけさせることができたのをせめてもの慰めとしている。
これも、先に論じた読解力の問題で、少しは、英語の読解力がついたであろうから、多少は、ないよりはマシな人生を送ることができるのではないかと思っているのである。