熟年の文化徒然雑記帳

徒然なるままに、クラシックや歌舞伎・文楽鑑賞、海外生活と旅、読書、生活随想、経済、経営、政治等々万の随想を書こうと思う。

晩秋の大和路を歩いてみたい

2020年10月25日 | 生活随想・趣味
   先日、百科事典を整理していて、書棚の陰に積ん読で埃を被っていた英書の中に、何故か、児島健次郎&入江泰吉の「飛鳥天平の華」という本が埋もれていた。
   この本は、1994年刊なので、25年も前の本なのだが、一度通読しただけで、時々、奈良散策の時に、引っ張り出していたのであろうが、久しぶりにページを繰って、若かりし頃の奈良を歩き回った思い出に浸っていた。

   入江泰吉が、亀井勝一郎の「大和古寺風物詩」に触発されて、故郷の古寺を訪ねてみようと思ったと言っているように、私も、この本と和辻哲郎の「古寺巡礼」が、奈良散策のバイブルであった。
   これらの本が引き金になったのは、受験勉強で、度々それらの文章が登場して、大和の古社寺に魅せられた筆者の情熱が強烈に印象に残っていて、憧れを感じたということもあったと思う。
   今では、おびただしい奈良関係本が出版されているが、当時は、観光ガイドブックくらいしか、参考になる本はなかったのである。

   写真については、やはり、入江泰吉の写真に触発された。
   大学に入って、安いレンジカメラを買って、最初に写したのは、破れた土塀の合間から頭を覗かせる薬師寺の東塔、
   そして、まねをして、西塔の柱跡の水溜まりに映る東塔の姿、
   勿論、写真などは残っていないが、イメージだけは鮮明に覚えている。

   歴史散歩と銘打って古社寺散策を始めたのは、自由になった大学入学後のことであるが、大学が京都で、最初の一年間は宇治分校で、宇治に下宿をしていたので、散策場所は、宇治周辺と京都が主体であったので、奈良に頻繁に通うようになったのは、もう少し後になってからであった。
   残念ながら、高野山や熊野へは行けていないのだが、吉野から伊賀上野、湖東湖西、道成寺で囲まれる奈良及び周辺の古社寺は殆ど廻ったと思う。
   もう、何十年も前のことなので、電車とバスを乗り継いで、徒歩で古社寺を訪れるのが普通で、奈良の田舎道に迷い込むのなど、むしろ、楽しみであった。
   飛鳥に出れば、結構たんぼ道を歩くのも面白いし、甘樫丘から大和のまほろばを展望し、石舞台から山の中に入って談山神社に抜ける道も良い、
   若くて元気であったので、近鉄の室生大野口で下りて、弥勒磨崖仏(大野寺)を観て、室生寺へ歩くのも面白かったし、浄瑠璃寺や岩船寺、また、柳生の里など、奈良から離れると、ぐっと、懐かしい昔のふるさとの雰囲気が残っていて楽しかったのを思い出す。

   この本では、四半世紀の時が経っているので、入江泰吉も逝ってしまっているし、薬師寺の玄奘三蔵院の平山郁夫の壁画も完成していなかったし、最近の唐招提寺の金堂の平成の大修理などにも触れていないのだが、時代を超越した奈良文化の息吹を伝えていて、飛ばし読みも楽しい。
   
   この2月に西ノ京と奈良を訪れたが、最近は、ぐっと奈良行きの機会が減ってしまって寂しい限りだが、これから、気の遠くなるような秋色が深まると、澄み切った秋晴れに、極彩色に紅葉して野山を荘厳する素晴らしい季節が訪れる。
   綺麗に色づいた落ち葉をサクサク踏みしめながら、奈良の田舎を歴史散歩に明け暮れていた昔が、無性に懐かしい。
   鎌倉に住んでいて、何を贅沢を言うのか、と言われそうだが、鎌倉は鎌倉であって、全く、晴朗でオープンな奈良の秋の懐かしさ奥深さ、その何とも言えない人恋しい独特な雰囲気は、私にとっては、全く違った世界なのである。

   今日は、良い天気だし、近鉄に乗って、奈良へでも行こうかと、気楽に言えなくなった。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする