熟年の文化徒然雑記帳

徒然なるままに、クラシックや歌舞伎・文楽鑑賞、海外生活と旅、読書、生活随想、経済、経営、政治等々万の随想を書こうと思う。

ウクライナ戦争:平和日本の幸せに感謝

2022年03月07日 | 政治・経済・社会
   この口絵写真は、今日のニューヨークタイムズ電子版のトップページの写真である。
   Russian forces fired on evacuees, killing four people outside Kyiv. A photojournalist for The Times witnessed the attack, which left a mother, her two children and a family friend dead. Lynsey Addario for The New York Timesとのキャプションが付けられている。
   避難しようと逃げていた親子3人と知人をロシア兵が殺害したという実に慚愧に堪えない悲しい写真である。
   もう一枚の次の写真は、ワシントンポストの、戦時下での結婚式の写真で、
   The bride wore fatigues. The wedding party carried rifles and RPGs. By Siobhán O'Grady and Kostiantyn Khudov
   花嫁は戦闘服を着ていて、 結婚式のパーティーはライフルとRPG(対戦車手榴弾)を持っての参列である。
   
   日々、心を痛めて注視しているウクライナの惨状を思うと、心から、平和な日本に生活している幸せを痛いほど痛切に感じて、感謝に堪えない。

   私の人生最初の記憶は、やっと物心つき始めた頃の第二次世界大戦の末期の経験で、今でも微かに覚えている。
   当時、西宮のえびす神社の近くに住んでいたので、空襲警報はひっきりなしで、その後伊丹に転居してからも終戦の日まで防空壕での生活が続いた。
   空襲警報のサイレンが鳴ると、電灯にシェイドをかけて暗くして、急いで防空頭巾を被って防空壕に駆け込む。
   警報のサイレンが止んで外に出ると、漆黒の闇夜である筈の、大阪や神戸方向の空が、真っ赤に染まっていた。米軍の空襲で、大阪や神戸の街が焼けていたのである。
   昼の空襲では、米軍機に打ち落とされた日本軍の航空機の破片が、ピカピカ光りながら舞い落ちてくるのが目に焼き付いている。
   伊丹空港や飛行機工場が近くにあったので、終戦後に、破壊された飛行機の残骸を見て悲しかった。
   大分経ってから、JALの一番機が伊丹空港に着陸するのを空港に出かけて仰ぎ見たときには涙が零れた。

   終戦直後でも阪急電車は動いていたのであろう、無残にも焦土と化した焼け野原状態の梅田の光景を覚えているのだが、大都会は惨憺たる状態で、その後、戦災から免れた伊丹と宝塚で生活したが、田舎であっても、食料に困る極貧生活を続けていたように思う。
   復興期の日本は、日本人すべてが必死で頑張っていた。貧しくて苦しい生活であったが、日本人すべてが同じ状態で、毎日の生活が少しずつ良くなって行く予感を感じていて、それ程苦には感じていなかったような気がしていた。
   欠食児童は当たり前で、食うや食わずの生活の連続であったが、そんな幼少年時代を経て、少しずつ日本経済が回り始めて、いつの間にか神武景気岩戸景気と、戦後復興期を脱し始めた。
   苦しかったと思うが、何も言わずに、両親は、京大へ通わせてくれた。東京オリンピックの前の頃の話である。
   その後会社に入って、留学生としてフィラデルフィアの大学院でMBAを取得して、ヨーロッパに渡って切った張ったのグローバルビジネスに邁進し続けた。
   苦しかったが、希有な経験の連続であり、知盛の心境で、見るべきものは見つという思いで、逝けそうだと感謝している。

   さて、そんなことよりも、私にとって幸せであったのは、自由で民主主義の国日本に生まれて、その恵まれた環境下で思う存分活躍できたという何にも代え難い生活経験である。
   尤も、ヨーロッパでは、丁度、チェルノブイリ原発事故やイギリスの狂牛病が猛威を振るっていた頃であり、ベルリンの壁の崩壊、ソ連の終焉と冷戦の終結など、世界は激動に揺れ風雲急を告げる状態の時期で、決して安全ではなく危険と隣り合わせの生活をしていたのだが、何故か、Japan as No.1の威光を背負った日本人であると言う誇りもあってか、危険だと感じたことはなかったので、それ程の危機意識はなく、かなり自由に仕事をしていた。怖いものなしで、チャールズ皇太子にも臆することなく会話が出来た。
   その前後、10数年間、欧米のみならず、アジアや中東、南米などでも仕事をしていたが、若気の至りであろう、危険意識が希薄で自由に振る舞っていた。
   いずれにしろ、今思えば、無思慮無分別も良いところだが、事故に遭わなかったのが幸いで、この方面でも日本人であったと言うことが、随所で救いになったような気がしていて感謝している。

   とにかく、コロナコロナで、巣籠もり生活の連続で、晴耕雨読の毎日、
   しかし、思う存分好きな本を読んで真善美も求め続けて、誰に遠慮することもなく、自由にものを考え、好き勝手にこのブログを書いている、
   庭に出ては、綺麗な季節の花々を愛でながら、自然の摂理に感動する。
   自由と平和、そして、民主主義、独善と偏見かも知れないが、貴重な共有財として存分に享受してきたと思っている。。
   何と幸せなことか、そんな幸せを噛みしめながら、ウクライナの悲劇を憂い続けている。
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NT プーチンに近づきすぎか?ロシア人芸術家をチェック

2022年03月06日 | 政治・経済・社会
   ニューヨークタイムズが、Too Close to Putin? Institutions Vet Artists, Uncomfortably と言う記事を掲載した。
   「プーチンに近づき過ぎか?組織が、芸術家たちを調査する、不快にも」と言うことであろうか。
   看板スターとも言うべき超弩級の大スターのロシア人ソプラノ・アンナ・ネトレプコが、プーチン大統領を非難することを拒否したので、メトロポリタン歌劇場が決別したと報じている。
   先日、NHKが、BSニュースで、METが、公演に合わせて、オペラ歌手達が舞台に列んで、ウクライナ国家を合唱するのを放映していて、オペラ劇場も、反ロシア、ウクライナサポート一色であることが分かった。
   24日のロシアのウクライナ侵攻直後に、ニュースで、カーネギホールのコンサートで、ヴァレリー・ゲルギエフの指揮がキャンセルされたと報じられていたので、プーチンの熱烈な支持者であるギルギエフは当然だとしても、ロシア人芸術家にも広範にボイコットが、これほど急速に伝播するとは驚きである。

   ロシアのウクライナへの攻撃に対する世界的な非難が高まるにつれ、文化施設は驚くべき速さで動き、ロシアの芸術家にプーチンから距離を置くよう圧力をかけている。芸術機関は、過去にプーチンを支持した芸術家が、演技の前提条件として彼と彼の侵略を明確に非難することを要求し、他のロシアの芸術家には、戦争について論争の的となる発言をしていないことを確認するために、名簿をチェックし、ソーシャルメディアの投稿を調べている。ポーランド国立オペラは、「ウクライナの人々との連帯」を表現するために、ロシアで最も偉大なオペラの1つであるムソルグスキーの「ボリス・ゴドゥノフ」の製作を中止した。と言う。

   しかし、政治など全く念頭になく、地政学的な専門知識が乏しい芸術管理者が、ここ数十年で最も政治的に起訴された問題に直面している。ロシアの芸術家に対して厳しい姿勢を取るという圧力は、これまで何十年にも亘って育まれてきた文化交流を終わらせるリスクがある。ロシア人芸術家が果たしている役割が如何に大きいかを考えてみれば、その損失は一目瞭然である。

   メディアでは、サッカーやオリンピック関係などスポーツでのロシアとベラルーシ選手のボイコットは派手に報道されていたが、これらの関係以外にも、おそらく、多方面に亘って、両国の関係者達の排斥運動が進んでいるのであろう。
   世界全体、一部の国を除いて、グローバルベースで、ロシアとベラルーシの孤立化が鮮明になるのであろう。

   第二次世界大戦後では、ヘルベルト・フォン・カラヤンが、ナチ党員であったと言うことで、興行界を握っていたユダヤ人達の抵抗を受けて、アメリカでの公演が、長い間実現しなかったというのは有名な話である。
   最近では、むしろ、大家と言われる指揮者が多い程だが、ヒトラーがワーグナーを愛したと言うことで、ユダヤ系の指揮者が、ワーグナーを指揮しなかった時期が長くあったのを覚えている。
   ナチに蹂躙された筈のユダヤ系オランダ人のベルナルド・ハイティンクなど、ワーグナー嫌いでも不思議ではないと思ったのだが、ロンドンのロイヤルオペラで、ワーグナーの楽劇の多くの舞台を指揮したのを観て不思議に思ったこともある。
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PS ジョセフ・ナイ:ウクライナ後の核抑止力

2022年03月04日 | 政治・経済・社会
  プロジェクト・シンジケートにジョセフ・ナイ教授が、「Nuclear deterrence after Ukraineウクライナ後の核抑止力」を投稿した。
  ロシアのウクライナ侵攻は、我々はまだ核兵器を持つ世界に住んでおり、長期的には備蓄を減らすために努力すべきであることを思い出させる。
  この戦争は、核抑止力に関する多くの疑問を復活させた。長い戦争の結果がどうであれ、それが提起した問題は消えないであろう。と言うことであろうか。
  時宜を得た貴重な論文だと思うが、明確な意思表示でもなく、淡々とした叙述なので、趣旨の曲解を恐れて、つたない訳文(一部省略)の紹介にとどめる。

1994年、ウクライナは米国、英国、ロシアからの安全保障の見返りにソ連から受け継いだ核兵器を放棄した(ブダペスト覚書)。しかし、これらの保証は無価値であることが判明し、ウクライナはNATOのメンバーではないので、米国の核傘の拡張抑止にカバーされていない。
NATOに加盟した旧ソ連のエストニア、ラトビア、リトアニア、またはアジアの同盟国には、米国の拡張抑止は機能した。抑止力が信用できるものになるためには、核兵器が使える必要がある。しかし、あまりにも使える場合には、事故や誤判断は簡単に悲惨な核戦争につながる可能性がある。

効果的なバランスを取るためには、核、従来兵器、その他の武器の適切な組み合わせを考慮し、可能な限り原子力部品を削減する必要がある。例えば、北の核兵器の増大に対する適切な対応がどうであれ、ジョージ・H・W・ブッシュ大統領が1991年に朝鮮半島から撤去した戦術核兵器の再導入を含めるべきではない。
同様に、日本にとって、米国の拡張抑止の信頼性は、核兵器の存在ではなく、そこに米軍を駐留させることにかかっている。日本軍が直面する脆弱性を共有することで、米国は同盟国の放棄への恐怖を減らす運命共同体を確立する。懐疑論者は、ベルリンの米軍の小さな不測の事態には、おそらくソ連に対してその都市を守ることができないと指摘していたが、それにもかかわらず、アメリカの物理的な存在は、抑止と冷戦の平和的な結果に不可欠であることが判明した。(米国がヨーロッパに核砲兵を駐留させた時期もあったが、 コマンドと制御へのリスクのために、これらは削除した。)

米国や他の国々が軍隊の近代化を続けるにつれて、使いやすさの議論は続いている。抑止力は心理学に依存し、一部のアナリストは、使用できる武器の優位性が危機の時に現われると主張している。他の人々は、故コロンビア大学の政治学者ロバート・ジャービスのように、核バランスのすべての措置は、そのような結論に達するのに役立つには粗すぎると主張している。相互保証破壊は条件であり、政策ではない。
実際、歴史は、実存的抑止力を作り出すために高い使用の確率を必要としないことを示している。アメリカの核兵器の圧倒的な優位性にもかかわらず、ジョン・F・ケネディ大統領は、キューバのミサイル危機の時に、エスカレーションを小さなリスクによって抑止されていると感じた。米国や他の国々が軍隊の近代化を続けるにつれて、使いやすさの議論は続いている。今日、小型で正確な核兵器が使えそうなので、通常、それらを扱うようになった。しかし、エスカレーションの危険性は残っており、都市の近くの軍事目標の場所は、危険が持続する。大惨事を避けるためには、標的のドクトリンの変化よりも、意図的で不注意な核戦争のリスクを減らすことに大きく依存している。

リスク低減の最大化に続いて、我々はいくつかの政策を完全に拒否し得る。例えば、戦場の司令官に核発射権限を委任する「打ち上げ警告」プロトコルは抑止力を高めるかもしれないが、不必要な挑発のリスクも高める。防衛タカ派は、自分たちの心理だけでなく、相手の心理に依存することを忘れることがある。
一方、使いやすさのジレンマを免れ、敵対者を和らげるための防衛鳩派の提案は、弱さの印象を作り出し、それによって敵対者がより多くのリスクを取るように誘惑するかもしれない。ドビッシュの原子力戦略家は、経験ではなく計算だけに基づいて精巧な戦略を考案する際に、時には思慮を欠く。
タカと鳩の中間地点を表す防衛フクロウ派は、リスク低減にプレミアムを置く。
ロシアのウクライナ侵攻は、我々はまだ核兵器を持つ世界に住んでおり、長期的には(廃止はしないが)備蓄を減らすために努力すべきであることを思い出させる。

核抑止が我々の道徳的生活に及ぼす心理的影響は、考慮すべきもう一つの重要な長期的な結果である。神学者ポール・ラムジーはかつて、交通を遅くし、交通事故で失われた命の数を減らす手段として、赤ちゃんを車のバンパーに縛り付けることを核抑止力になぞらえた。しかし、その比喩は道徳的な否定を扇動するのに役立つが、今日の人々はラムジーのシナリオで期待するような不安に苦しんでいないので、正確な描写ではない。不安の欠如は、もちろん、自己満足を保証するものではない。
長期的な変化を予測する努力はほぼ確実に不満を感じるであろうが、技術的にも政治的にも常に驚きを持って、もっともらしい将来のシナリオの大まかな概要をスケッチすることができる。これまで、技術の精度の向上により、核兵器の収量と量を削減することが可能になった。しかし、指揮統制システムへのサイバー攻撃、衛星へのレーザー攻撃、自律兵器システムの増加に伴い、まったく新しい問題が発生している。これらは、予測、理解、および削減を目指す必要があるリスクである。
政治も変化する。冷戦中、イデオロギーのアンタゴニストは、それぞれが核戦争を避けることに関心を持っていることを認識したので、暗黙の規則と明示的なルールの体制をゆっくりと開発した。今日の中国とロシアとの戦略的競争は、将来的にいくつものターンを繰り返す可能性がある。
変化や驚きに適応するに当たって、われわれの決定が、核戦争のリスクを減らすという長期的な目標に対してどのような影響を与えるかを引き続き検討する必要がある。
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わが庭・・・椿:たまありあけ・唐錦・フルグラントピンク

2022年03月02日 | わが庭の歳時記
   ちらほらと椿が咲き始めてきた。
   玉之浦の日本生まれの仲間のたまありあけが、大きな花を開いた。
   玉之浦の勾配種が多いのは、やはり、紅地に白覆輪のコントラストの美しさであろうと思うが、さらに、一重だったのが八重になったり、唐子咲きや獅子咲きなど複雑な花形になると豪華さが増し、それが、咲き続けるにつれて、花形が微妙に変化するのも魅力なのであろう。
   
   

   先に咲いていた唐錦やフルグラントピンクも咲き続けている。
   
   
   
   

   クリスマスローズも咲き始めた。
   鉢植えであったのを、すべて庭植えにしたのだが、消えてしまった株もいくらかあるのだが、うまく根付いた株は、大きく育っていて、毎年、大きなヤツデ型の葉陰から、茎をのばして花を咲かせてくれる。
   しかし、殆どの花が、下向きに咲くので、鑑賞しづらいのが玉に瑕である。
   
   
   
   

   蕗の薹が、一斉に芽吹き始めた。
   少し苦いが、春の味覚で、天ぷらにして酒の肴にする。
   
   
   
   ますます、悲惨さを増すウクライナの戦争を思うと、おそらく春の喜びを待ってスタンドバイしているウクライナの花々も、踏みにじられてしまうのであろう。
   崇高な自然の営みに背を向けて、愚かさをさらけ出して破壊に突き進むプーチンの暴挙、
   宇宙船地球号の幸せを一挙に葬り去ろうとしている。
   実に哀しい。
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PS ジェイソン・ファーマン:ウクライナ戦争の経済的帰結

2022年03月01日 | 政治・経済・社会
   ハーバード大学のジェイソン・ファーマン教授が、プロジェクト・シンジケートに「The Economic Consequences of the Ukraine War」を投稿した。
   先に紹介したルービニ教授とは、一寸違った切り口から論じているので、興味深い。

   ロシアのウクライナ侵攻は、急激であり劇的であったが、グローバル経済へのその帰結は、実際の影響は、より緩やかで、明確ではない。しかし、ウクライナよりも、この攻撃によって、はるかに、最大かつ長期に亘って被害を被るのは、ロシア自身である。と結論づけている。

   省略形だが、経済的帰結の要旨は、ほぼ、次の通りである。

   世界の金融市場は敏感に反応して、一時株価が暴落した。ロシアの株価も攻撃後一気に暴落したが、西側の経済制裁は、即時に劇的な効果を与えたようには見えない。
   むしろ、ロシアは、他国と違って制裁には強い対抗力がある。ロシアは、巨大な当座勘定の増額を重ねており、現在、$630 billion の外貨準備を保有しており、殆ど2年間の貿易をカバーできる。ロシアはヨーロッパへの輸出収入に頼っており、ヨーロッパはロシアの石油と天然ガスに頼っていて、短期での代替は難しい。
   しかし、長期的には、ロシアが、この紛争からの最大の経済的敗北者になる。ロシアの経済およびロシア人の生活安寧は、2014年のクリミア併合以来、米欧の経済制裁によって停滞し続けている。今回の更に大規模な攻撃によって生じる崩落は、かってなかった程の打撃となろう。経済制裁が、徐々に効き始めて、ロシアが世界から孤立し、投資家の信用を落とし、貿易や経済的連携を弱めていく。同時に、ヨーロッパが、ロシアへの化石燃料への依存を削減することが期待出来る。

   (他の情報によるると、ロシアの国家債務率は、高々20%代位のようで、財政的には恵まれていても、今回の経済制裁のように、SWIFTからの追放や中銀との取引中止等国際金融部門の関係を絶たれてしまったら、殆ど役に立たないし、まず、ルーブルの暴落と輸入禁止が国民生活を直撃するであろう。中国やブラジルなど、プロロシアの国が、どれだけ、サポートするかによるが、今回のロシアの戦争で、一気にロシアの信用が地に落ちて、特に、米日欧など民主主義先進国は、ロシア抜きの経済体制を築いて行き、結果的にロシアの窮乏化をさらに進めていくであろう。)

   ロシア以外の世界の国の長期的な帰結は、ロシアほど深刻ではないが、為政者には、更に対応が迫られるであろう。更に激しい短期的なインフレーションが、インフレ期待を呼び覚ますであろうリスクがあり、これが起こると、既に困難な問題に直面している中央銀行に更なる過重を課すことになる。
   加えて、軍事予算が、ヨーロッパやアメリカ、そして、他国で増額されて、グローバル環境を一層危険な状態に追い込む。GDP成長が鈍化し、人々の生活安寧を害し、防衛に多くの資源が投入されるので、消費や教育、変更、インフラ等への投資へ振り向ける原資が枯渇する。

   ウクライナに対するロシアの戦争に関する中長期的な影響は、選択次第である。ロシアは侵略を選び、米欧や他国は、経済制裁を選択した。しかし、ロシアがどのように反応するのか、他国が更なるペナルティを課すのかは未定である。米欧等の経済制裁とロシアの反応がエスカレートする程度に応じて、まず、最初にロシアに対して、そして、グローバル経済の他国に対して、コストが増大して行く。
   グローバル経済は、ポジティブ・サムである。ロシアの隔離は、ポジティブ・サムの小さな削減である。もっと悪いことには、不確定は経済にとって決して良くないと言うことである。
   
   しかし、世界が、ロシアの侵略に関わり続けて行けば、GDP懸念は、比較的マイナーな問題となる。世界中の人々にとってもっと重要になるのは、平和で安全であると感じることである。世界のリーダー達が目指すべきはこの問題以上の使命はない。

   以上が、ファーマソン教授の論旨だが、経済的帰結よりも、平和が問題だと言うことには異存はない。

   第二次世界大戦以降、紛争地帯での小競り合いや代理戦争などは、結構各地で頻発していたが、グローバルベースの平和は、維持されてきた。
   超大国アメリカが、ヴェトナムとイラク、そして、アフガニスタンで、直接手を下して戦争を行ってきたが、まだ、覇権国家として超大国としての国際的影響力を維持していたので、グローバルベースで深刻な問題を引き起こすまでには至っていなかったが、今回のロシアは、軍事大国であったとしても、国力と国際的影響力は、弱体な経済力同様に、陰りを見せていて、そのインパクトは桁違いに低い。
   今回のウクライナ戦争で、ロシアは、ハードパワーを使い尽くして、築き上げてきたソフトパワーも犠牲にして、ジョセフ・ナイ教授が説く国力の根幹であるスマート・パワーを、総べて棒に振ろうとしている。
   国際法を完全に無視して、グローバル秩序をズタズタに破壊して、世界平和を窮地に追い込んだロシアの暴挙を、世界の良識は許すはずがない。いかなる状況になろうとも、ウクライナの戦争が、米欧が何らかの形で加担して介入したり、あるいは、ゲリラ戦争化したりして、長期化する可能性は非常に高い。
   アメリカのGDPの14分の1(2020年)しかない経済弱小国のロシアの国力が、それに、堪えられるはずがなく、まして、米欧日の先進国に対峙できる能力など更々なく、ロシアのプーチニズムの実現前に、ロシアの落日が訪れる。ソ連が崩壊したのは、軍事に入れ込みすぎて、過大な軍事支出に圧殺されたと言う単純明快な教訓さえ失念した愚かさを笑うには、あまりにも代償が大きすぎる。
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