研究授業「ごんぎつね」

12月15日の水曜日は校内で研究授業でした。

授業を行うのは私の学年・4年生。教員全員が参観する授業はお隣の組に任せ、私が授業する時間は公開授業として、参観可能な教員のみ見に来てくれました。

授業は「ごんぎつね」を教材として行いました。なぜこの時期に4年生の最終単元である「ごんぎつね」なのかというと、校内研究が物語文の読解ということなので、2~3月に行う「ごんぎつね」を前倒しして授業したのです。

我が校の今年の授業研究は、江東区の国語教育に関して長い間指導をし続けてこられた進藤猛先生に年間を通して講師をお願いし、指導をいただいてきました。6月から始まった研究授業も、この12月で6回目となります。進藤先生の指導の中でキーワードとなっているのが「同一パターンのグレードアップ」なのです。つまり、学習方法はまったく同じやり方をしているけれども、その内容が時期によってレベルアップしていくことこそ、本当の読解力が身についていくのだという考え方です。確かにその通りだと私も思います。いろいろな学習方法を行うのではなく、ひとつのことを徹底的に指導していくことで、子どもたちは高い実力を身につけるにちがいありません。


さて、学校として6回目の研究授業となると、これまでの5回の授業の反省を活かして、レベルアップさせた授業をしなくてはならないわけです。そういう意味では、私たち4年生の担任2人にはプレッシャーが小さくはなかったわけです。進藤先生の指導の特徴は、「学習シートブック」という自作教材を使って授業します。その流れは以下の通りです。

(1)前時に学習した文章を黙読し、学習をふりかえる。

(2)本時に学習する文章を「微音読」し、見通しを立てる。

(3)何人かに音読させ、本時に学習する文章の区切りを意識させる。

(4)本文に「人物の気持ち」「情景」が分かるところにサイドラインを引かせる。

(5)自問自答しながら本文に書き込みをする。

(6)書き込んだことを元に、発表をして学び合う。

(7)学び合ったことを活かして、登場人物の「日記」を書く。

(8)本時の学習のふりかえりをする。

これは「一読総合法」から派生した指導方法です。


私たち4年生の担任は、今回の研究授業に向けて、一読総合法に対峙する方法を用いました。事前に宿題として徹底的に「音読」させるという方法を試しました。そのわけはひとつ。授業をしている担任でさえ、「ごんぎつね」を何十回も読み込んで読解しているわけです。それを小学4年生の子どもが「1回読んだだけで深い読解ができるわけがない」という考え方です。そこで、「暗記するくらいに音読をしなさい」と指導徹底しました。そこまで読み込めば、授業をしていても、「ごんが兵十と加助の後についていった場面」とひと言いえば、子どもたちがすぐに分かる状態になるでしょう。そうなれば、授業も加速化すると判断したのです。つまり教科書がなくても授業ができるくらいに読み込むという効果は大きいと訴えたいのです。

次に努力したのが、ごんぎつねの作者である新美南吉の研究に全力投球したことです。
私自身が愛知県半田市にある「新美南吉記念館」に日帰り弾丸ツアーまでして、南吉の人生に迫っていきました。そして、学年担任二人で毎日、新美南吉のことを語り合いました。今日はこんなことが分かった。昨日こう思っていたことは実はもっと深い事実があった。連日発見に次ぐ発見があり、研究授業をするのが楽しみでなりませんでした。
こうした活動を通して、担任二人は新美南吉作品に惚れ込んでいったわけです。
このように、指導者が「作品に惚れ込む」ということが、子どもたちに与える影響力はとてつもなく大きいのです。

新美南吉童話の本質と世界
北 吉郎
双文社出版


さらに担任二人の話ははずんでいきました。
南吉記念館で購入した研究紀要を読んでいくと、「ごんぎつね」の授業をしている先生の例がありました。その授業は、「ごんのことを悲劇で終わらせないようにするために、兵十がしたことを考えてみよう」というテーマの事後談授業でした。私たち担任は、子どもたちの実態(良いアイデアを思いつく子が多く、話し合いも活発に進む)を考えて、「この授業は面白い!」と判断しました。
この問いかけからは、おそらく「ごんのためにお墓を作ったと思います。」というような答えが出ると予想しました。そこで、それだけでは終わらせず、「では、どこにお墓を作ったの?」とどんどん突っ込んでいく授業をしようと考えました。この“突っ込み”によって、子どもたちの思考は一歩深まり、「兵十は自分の家の近くにお墓を作るだろう。なぜなら毎日お参りがでいるから。」「村の真ん中に作るだろう。村の人にごんの真心を伝えるために。」「ごんの住んでいた山の中に作るだろう。静かに眠らせてあげるために。」といった深まりのある授業ができると判断しました。


そんな授業を学年2学級で共に行いましたが、ここでは私の学級の反応を紹介しておきます。

「兵十はおかあさんのお墓にごんもいっしょに入れたと思います。なぜなら、ごんがうなぎを逃がしてしまったことで、兵十のお母さんが死んでしまったとごんは思っていて、そのおわびに、くりやまつたけを兵十の家に持ってきたのだから、おかあさんのお墓に入れてあげることで、ごんもおわびができるからです。」

「兵十のおかあさんのお墓に入れてあげる理由はまだあります。おかあさんのお墓に入れてあげれば、兵十は毎日おまいりができます。」

「お墓の中には火縄銃も入れたと思います。それはもう動物を殺さないという兵十の気持ちを込めて入れたのです。」

「兵十は、村の人たちにも、ごんは悪いキツネではなかったと話したと思います。」

「もしかしたら権現山にお墓を作って、ごんをすみかにもどしてあげるかもしれません。」

「手紙にごんへあやまる文を書いて、お墓にいっしょに入れたかもしれません。」

「ごんが毎日くりやまつたけを持ってきてくれたように、兵十も毎日、死んだごんへ、くりやまつたけを持って行ったかもしれません。」


このように、なかなか深い意見がかわされました。



今回の研究授業を通して、担任はかなり頑張って学びました。授業が終わった時には、スーッと力が抜けるような、心地よい疲れを感じていました。もっともっと子どもたちの力を引き出してあげられたかもしれないね、という反省の会話もしましたが、楽しく新美南吉のことを学べましたし、着実に授業力をつけることもできたと感じています。

担任がこう感じているということ=子どもたちも学ぶ力を高めることができたはずです。

きっと思い出に残る学習になっただろうと思っています。

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