矢口タートルズVCは2020年に創部しました。 #小学生バレーボール #脳科学 #教育 #マインドマップ
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「さびしさと愛 新美南吉の人生」(小学生用自作教材)
2010-12-05
/
授業
「ごんぎつね」を学習した後に、学年で学んだことを生かして、まとめの学習を行う小学校4年生のために、作者である「新美南吉の人生」を資料を元に書き下ろしてみました。小学校4年生の国語のまとめ学習では、「ごんぎつね新聞」を作ったり、紙芝居を作ったり、音読劇をしたりと、様々な活動が考えられますが、作者のことを知ることも物語の読解には大きな力となる。私はそう考えています。
このブログに載せることで、目にした4年生担任の先生方や4年生のお子様のいる保護者の方々にコピーしていただき、子どもの学習資料としていただける。そんなことを期待しています。
********************
(以下の文章はコピーフリーです。万が一、記述に間違えがあった場合は、お手数ですがコメント欄でご指摘下さい。)
『さびしさと愛 新美南吉の人生』 井上光広 作
「ごんぎつね」の作者である新美南吉は、小さい頃の名前を「渡辺正八(わたなべしょうはち)」といいました。今から97年前の1913年(大正2年)、愛知県半田市のたたみ屋の父・渡辺多蔵(わたなべたぞう)と母・りゑ(りえ)の子として生まれました。りゑは正八を生んだ後、体が弱くなってしまい、入院することが多かったので、正八の世話をすることがむずかしかったのです。そして、正八が4才の時、29才でなくなってしまいました。
【2013年に新美南吉生誕100年を迎える】
お母さんがいなくなってしまった正八は、近所の森はやみさん(小学校4年生)に子もりをしてもらいながら育ちました。6才のころ、お父さんは新しいお母さんとして、「志ん(しん)」をむかえました。そしてすぐに弟の「益吉(ますきち)」が生まれました。
【南吉の生家】
1920年(大正9年)、正八は半田尋常(じんじょう)小学校へ入学しました。おとなしい子でしたが、勉強はとてもよくできました。小学校2年生の夏のこと。正八は、なくなったお母さん(りゑ)の生まれた家がおばあちゃん(志も)一人になってしまったため、後つぎになるために養子(ようし)にさせられました。名前は「新美正八(にいみしょうはち)」と変わりました。
おばあさんの家は、村の一番北のさびしい場所にありました。家のうらには深い竹やぶがあり、まわりは畑ばかりで、となりに一けんの家があるだけでした。家の中はがらんとして大きく、うら口を出たところには、まっくらな井戸があり、子どもの正八には不気味(ぶきみ)なふんいきでした。おばあちゃんは、このような家でずっと一人で生きてきたためか、正八がそばによっても心の温かさを感じさせることはなかったようでした。
正八は、あまりのさびしさからノイローゼ(心の病気)のようになってしまいました。そのため、半年後の12月にはお父さんのいる家に帰りました。
【南吉養家】
【南吉養家の井戸】
【南吉養家の庭から】
正八は頭の良い子どもでした。小学校の成績はずっと学年トップでした。先生からは作文をほめられ、
「正八はきっとおとなになって、小説家(しょうせつか)になれるだろう。」
と言われていました。
中学生になったころから、童謡(どうよう)や俳句(はいく)などをたくさん書くようになりました。
1929年(昭和4年)、16才のころには、「新美南吉」というペンネームを使い始めました。中学校の友だちと協力して、「オリオン」という雑誌(ざっし)をつくって、童話や詩を発表していきました。南吉は日記にこのようなことを書いています。
「わたしの作品は、私の理想をふくんでいる。今から何百年、何千年たっても、私の作品がみとめられるなら、私はその時代にまた生きることができる。だから私はじつにしあわせだと言える。」
1931年(昭和6年)、18才の南吉は、先生になるための師範学校(しはんがっこう)を受けました。しかし、体が弱かったため、不合格となってしまいました。その時の気持ちを短歌にあらわしています。
体かくの 検査にわれは はいられず
電車の火ばな 見つつ帰るも
(身体検査の結果、私は入学することができなくなり、電車が走るときに出る火花を見ながら、悲しい思いで家に帰った。)
しかし南吉は、その年の4月、母校の半田第二尋常小学校の代用教員(正式の先生ではない)となることができました。小学校の先生になった南吉は、担任している2年生のために、次々と童話を書いていきました。6月には、自分が作った「ごんぎつね」を子どもたちに話して聞かせました。
代用教員であったでの、半年後の8月に、小学校をやめました。
1932年(昭和7年)、南吉が19才の年です。「赤い鳥」という童話雑誌の1月号に「ごんぎつね」がのりました。日本中に新美南吉の童話がしょうかいされたのです。この年の4月に、南吉は東京にある「東京外国語学校」に入学することができました。
東京の学校で学んでいた時の南吉は、友だちと映画を見たり、童話について話し合ったりして、楽しくすごしました。そのころ有名だった詩人の北原白秋(はくしゅう)にもめぐりあい、文学について勉強しました。こうして新しい作品を次々と生み出していきました。その中には「手ぶくろを買いに」というきつねの母と子どもの童話も書かれています。
ところが、このころから南吉は病気がちになっていきました。もともと体が弱かった南吉ですが、死ぬことのこわさも感じるようになっていきました。
【手ぶくろを買いにの記念碑】
1936年(昭和11年)、23才で東京外国語学校を卒業した南吉は、東京で英語を生かした仕事につきました。しかし、病気が重くなってしまい、11月には愛知県の自宅に帰って、治療(ちりょう)しなくてはならなくなりました。
1937年(昭和12年)、24才の南吉は、4月から河和(こうわ)小学校の代用教員になりました。子どもたちに勉強を教えることが大好きだった南吉は、その喜びを東京の知り合いへの手紙で、こう書いています。
「ぼくは、4月から河和(こうわ)という海ぞいの小さな町で、代用教員をしています。」
「ここでぼくは、かりそめのささやかな幸せを味わっています。こんなところに、こんな幸せがあろうとは、つゆ知りませんでした。生きていることは、むだばかりではないことが、これでわかりました。」
病気でなやんでいた南吉にとっては、子どもたちといっしょにすごす学校生活は、心のオアシスとなっていたようです。しかし、南吉は、代用教員であったため、7月31日で河和小学校をやめました。その後、会社につとめましたが、仕事に喜びを感じることはできなかったようです。
1938年(昭和13年)4月、25才の南吉は、正式な教員として、安城(あんじょう)高等女学校につとめられるようになりました。1年生56人の担任となり、英語や国語を教えました。南吉は作文を教えることがじょうずで、一人一人の書いた作文にていねいにアドバイスを書いていきました。生徒たちといっしょに詩集を毎月作りあげてもいきました。きっと南吉は、生徒といっしょに学んでいける「心のつながり」を大切にしていたのでしょう。
【矢勝川】
ところが、29才になった1943年(昭和18年)1月、南吉の体はとうとう病気にたえられなくなり、ねこんでしまいました。2月には大好きだった安城(あんじょう)高等女学校もやめなくてはならなくなりました。
思い病気になった南吉は、まるで、その命の最後の灯(ひ)を強くともすようにするかのように、童話を書いていきました。そのひとつに「狐(きつね)」という童話があります。
文六ちゃんという小学3年生が、「夜に新しいげたをおろすと、キツネになってしまう」という迷信を聞いて、自分がキツネになってしまうのではないかと不安になってしまいます。その文六の不安で泣きたくなるような気持ちを、お母さんが、あたたかいふとんの中でいっしょにねながら、やさしく受け止めてあげるという童話です。
幼いころに、実の母をなくし、母の優しさを感じることができずに育った南吉。あたたかくて優しい母にあこがれ、さみしさを分かってもらいたいという強い気持ちから、「優しい母」が登場する童話を生みだしたのかもしれません。
【権現山】
【キツネのはくせい】
【南吉の出身校・岩滑(やなべ)小学校の壁画】
どんどん病気が悪くなり、死ぬことを覚悟した南吉は、知り合いにあてた手紙の中に、こんな言葉をのこしています。
「わたしは、毎日、のどの吸入をかけたりして、正午までねています。」
「のどがわるいので、いっさいのお見まいをおことわりして、ふせっています。たとい、ぼくの肉体はほろびても、君たちがぼくのことを長くおぼえていて、美しいものを愛する心を育てていってくれるなら、ぼくは、君たちのその心に、いつまでも生きていられるのです。」
「医者は、もうだめだと言いましたが、もういっぺん、よくなりたいと思います。ありがと、ありがと。」
3月22日。部屋に太陽がさしこみ始めた午前八時。南吉は実のお父さん・多蔵と育てのお母さん・志んにみとられて、ねむるようにして短い一生を終えました。実の母・りゑが亡くなった年と同じ29才でした。
【新美南吉記念館】
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小学生のためのマインドマップで作文すらすらワーク (ドラゼミ・ドラネットブックス)
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新宿区の小学校で研究発表会 【マインドマップ活用授業】
2010-12-05
/
マインドマップ研究者・普及者活動
12月2日(木)、新宿区立愛日小学校が開催した研究発表会に参加しました。『自らの学びを深める「かく(書く・描く)力」の育成』というテーマで、全教科にわたって研究を深められていました。
2年前、N校長先生とH研究主任の先生のお二人が、「マインドマップを活用した授業を見てみたい」ということで、私の学級まで足を運んで下さり、道徳の授業を公開させていただきました。その後、H研究主任の先生が校内の若手教員を連れて、「マインドマップ体験会」に参加してくださいました。こうした関係もあったので、発表会にはどうしても授業参観しなくてはならないと思っていたのです。
教室に行くと、かわいい2年生が「こんにちは!」とさわやかなあいさつ。
担任である研究主任のH先生から、「ポニョのマインドマップをくださった先生です。」と紹介していただきますと、子どもたちからは驚きの声。「ポニョの先生が来てくれた!」「ポニョのマインドマップありがとう。」と声をかけてもらいました。すごく嬉しいものですね。子どもたちに認識してもらえるってことは。
授業は2年生の生活科。「しゅうかくさいをしよう」という活動の中で、自分たちがやってきたことを1年生に伝えるためにどうするかを考える内容でした。
さすがH先生の授業は素晴らしい!何の授業をするにしても基本となるのは「学級経営」です。これがしっかりしていることに深く感心しました。子どもたちの学習態度が整っているのです。その中でも最も注目したのが『聴く姿勢』です。先生が話を始めると、全員がスッと前を向いて姿勢を正す。そして静かに話を聴く。強い指導でこうなっているのではなく、H先生の個性であろうと思われる優しい指導、褒める指導でこの集中した姿勢を取れる子どもたちに育っている。若手の先生方はこういう学級を見て、自分の学級経営の参考にしたら良いのだと思える“お手本”でした。
そして、授業の中でのマインドマップの活用もとても参考になりました。
授業の流れはこのようなものでした。
【前時】
本時でマインドマップをかいている時間はないので、前時で自分たちがやってきたことをふりかえるためのマインドマップをかいておく。授業の効率化と子どもたちの思考がぶれないようにするために、セントラルイメージを4本の「指定ブランチ」からふりかえらせる。
【本時】
(1)前時にかいたマインドマップやこれまで書きためてきた観察カードを見ながら、1年生に教えたいことや伝える方法を「小カード」にたくさん書く。つまり思考を広げる活動を行う。(個人作業)
(2)広げた考えの中から、一番伝えたいことを「中カード」に書く。このカードに書く内容は、文字でも絵でもかまわない。(研究テーマが「かく(書く、描く)力の育成」ですから、ここで絵に描く力が発揮されます。)
・・・・・(1)(2)の個人作業を15分間。
(3)4人グループで、みんなが意見を書いた「小カード」を分類しながら「グループカード」に貼っていき、発表の方法まで話し合って決める。この活動で学び合いが生まれる。
(4)考えたことを班長が発表する。
「マインドマップ」と「分類カード」を組み合わせ、思考の格散と収束を効果的に行わせている。これならば小学校2年生でも十分に自分の考えを整理することができます。「マインドマップ」は日本での授業活用のスタート地点に立ったばかりですから、今回のH先生の実践は、とても素晴らしい前例となって、これからの授業開発に結び付くだろうと感じます。
さて、研究発表会というのは、どこの学校でも体育館での全体発表会が行われます。そして著名な方に1時間ほどの講演をしていただくのが習わしになっています。この日の講演は、女優の冨士真奈美さんが講師でした。
冨士さんは「俳句」の楽しさについて語ってくれました。
その話の中でも、「句会」を開くことで得られる「句友」のつながりが、人生をとても豊かにしてくれることをしみじみと語ってくれました。
実は私の学校でも、つい先日、職員室内で句会が開かれたのです。
教職員全員が秋の俳句を詠み、誰が読んだか分からないようにまとめた投票用紙で、全員で選句を行い、「天」「地」「人」の三賞を選んだのです。三賞に選ばれた先生には校長先生がスポンサーとなって「校長賞」が出されることになっていたので、みんな一生懸命に考えて創っていました。
この「職員室句会」は忙しい仕事の合間に、心の潤いをくれましたねぇ。みんなの笑顔を引き出してくれました。俳句の句会は、確かに人生を豊かにしてくれると体験できました。ちなみに私の創った俳句は「地」賞に選んでいただけました。すご~く嬉しい気分でした。こんな句です。
秋の雲 高さ測れし スカイツリー
来年度から国語の教科書でも俳句が大きく取り扱われますので、学校としても「俳句指導計画」を今年度中に作り上げ、来年度から全校をあげて取り組んでいけるようにしたいと準備をしています。
読んでいただきありがとうございます。
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ここはどこ―時に空飛ぶ三人組 (文春文庫)
岸田 今日子,冨士 真奈美,吉行 和子
文藝春秋
わたしはだれ?―桜となって踊りけり
岸田 今日子,冨士 真奈美,吉行 和子
集英社
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