おかげさまをもちまして、当ブログはこのたび10万アクセスの大台を迎えました。約2年前にオープンして以来、鉄道趣味の主流である華やかな車両の話題など何処吹く風という感じで「地味~に濃く」をモットーにお送りして参りましたが、いつしかこんな趣旨でもお楽しみ頂ける多くの方々にお越し頂くようになりました。改めて、みなさまの変わらぬご愛顧に心よりお礼申し上げます。m(_ _)m 今後も時間が許す限り、いろいろな話題をアップしたいと考えておりますので、よろしくお願い申し上げます。m(_ _)m
さて、そんな10万アクセスの記念として、ちょうど今から20年前に行われた上田交通 (鉄道部門は現在上田電鉄と改称) の1500V昇圧直前、旧型車にとって最後の夏の模様をアップしてみましょう。20年前とは……昇圧もついこの間だったという気がするのですが、もうそんな昔の話になってしまったのですね……。
当時の上田交通では、上田温泉電軌時代以来の生え抜きである丸窓電車こと5250形 (昭和初期の名作!) をはじめ、長野電鉄の地下化で上田に引っ越してきた5260形 (元モハ200形)・5270形 (元モハ610形)、そして小田急クハ1650を電装化した5370形といった電動車が活躍していました。
そして、それぞれ制御方式が異なるこれらの電動車に連結するためにクハ各種が在籍しており、これがまた百鬼夜行状態 (*^^*)。上田と別所温泉での入れ換え作業が面倒な「ぶらさがりサハ」を置き換えるため、東急5000系のサハを種車に先頭車化したクハ290とか (5250形への連結用。上田交通ではたしか僅か3~4年の活躍だったはずです……)、神中鉄道→相鉄のガソリンカーを改造したクハ252 (5370形への連結用) とか……。
また、朝のラッシュ時には、東急からの助っ人として入線した3300形が、グリーン塗装のまま上田~中塩田間を往復していました。
さらに、そんなシブい役者たちを引き立てていたのは、沿線の駅舎や風景が織りなすワビサビ的な情景のあれこれ……。中野~舞田間 (上の画像) では、今のように新しい家屋が背景に建て込んでいるわけではなく、古い民家と田んぼばかりの長閑な風景が広がっていましたし、今は更地になっている上田原の車庫 (下の画像。許可を得て撮影) も、ほとんどポキッと折れそうな細さの側線上で旧型電車が昼寝をしていたり……。
というわけで当時の私は、国鉄消滅を控えて一世を風靡していたネームドトレイン群には一切興味を持たず、もっぱらこんなシーンにはまっておりました。それだけに、休眠期間を経てここ数年来撮り鉄の道に復活してからも、こういう原風景の残像を求めて、各地のマイナーながらも濃いスポットを巡礼して回るようになってしまった……というわけです。ほとんど宿命ですね (^^;
もう一つ非常に懐かしいのは……これだけワビサビ的に素晴らしい鉄道情景が間もなく消滅してしまうというのに、沿線では他の撮り鉄の方を本当にチラホラとしか見かけず、これらの古豪たちがあくまでのんびりとした日常風景の中を走り続けて最後を迎えたということです (最終日はさすがにそれなりの人出だったと思います)。むかし、ローカル私鉄というのは、本当に注目を浴びない、知る人ぞ知る地味な存在だったのです……。
ともあれ、こうして上田交通の旧型車たちは最後を迎えたわけですが、サービスを大きく改善し、かつ車種を減らして保守コストを大幅に下げたという点では、東急5000→7200系への転換は英断だったと思います。個人的には、こんな素晴らしい旧型電車の王国の最後数年間に3回も訪れることが出来たのは幸せだった……と思うのみです (*^^*)。今日、5250形が3両とも静態保存で現存するのは素晴らしいことですが、いっぽう同時代の類似車両・琴電1000・3000形が現役ですので、今後も琴電の旧型車に上田交通の姿を重ね合わせて見守って行きたいと思っています。