インドネシアで活躍する日本製電車のうち非冷房車といえば、MT54とMT55を足して2で割ったようなサウンドも高らかに突っ走る抵抗制御車が圧倒的な存在感を持っており、2扉と3扉・鋼製とステンレス製、各種混結し合って凄まじい混雑をさばいています。しかし、日本製非冷房車の中には1997年に日立で製造されたVVVF車 (現地の通称もHITACHI) があり、1990年代製VVVF車の標準的 (?) なサウンドを響かせながら日々活躍を続けています。ただ、如何せんタマ数が少ないため、昨年の初訪問時には乗ることがかなわず、去る8月の2回目の訪問で初めて乗車。下回りは至って今ドキなスペックであるにもかかわらずドアを全開にして走るというのは、やはりどうもミョーな気分であります (^^;)。車内妻面の雰囲気、とくに貫通扉が如何にも日本の国鉄型車両風であるあたり、やはり血は争えません (笑)。
そんな日立、昨年の夏には8連 (4連+4連) が2編成ほど運用されているのを見かけましたが、今夏には3日間撮影して1編成しか見かけず……。少数派であるだけに、検査入場のタイミングと自分の訪問が重なれば自ずと遭遇する可能性も減ることは否めませんが、別の可能性として何となく……VVVFがらみの機器劣化、および少数派=部品在庫僅少といった問題が重なって、ヘタった編成を離脱させて部品取り用に回し、まともに動く編成を辛うじて残しているのだろうか、という悲観的な推測をしておりました。それはどうもその通りだったようで……RP誌最新号に載っている斎藤幹雄氏の現地取材レポートによりますと、やはり24両中16両が保留車扱いとなっているとのこと……。うーむ、どうやら今回化粧直しした姿を撮影し、かつ初乗車を果たせたのは相当ラッキーなことだったのかも知れません。
ネット上であれこれジャカルタの電車に関する昔話や昔の画像を目にしておりますと、日立は入線当初押しも押されぬスターであり、車内はセミクロスシート (→これは他の抵抗制御非冷房車も同じ。98年のアジア経済危機を境にジャカルタへの人口集中が激化した結果ロングシートに変えられたのだとか……)、そして都営6000系の入線間もない頃は6000系検査時の急行「パクアン」代走用 (あるいは日常的に補完用?) として日々ボゴール線を激走していたようです……。しかし、そんな日立が僅か10年少々で風前の灯火となるとは……やはり抵抗制御車とVVVF車ではメンテナンスと寿命の関係が根本的に違う、ということを痛感させられます。