関西には節分になると海苔巻きを無言でイッキ食いし、途中で言葉を発すると縁起でもないと怒られるという風習があるようで、それはそれで地域色ある昔ながらの風習であるかと思います。しかしここ2~3年来、海苔巻きの消費に目を付けた食品業界がメディアを巻き込み、関東人に向けて「え?そんなのも知らないの?常識でしょ?」と言わんばかりの売り込み宣伝を仕掛けるにつけ「何だかなぁ」と思うのは私だけでしょうか (アラフォーのヲッサンになって初めてそんな風習を知りました)。そういえば、本来は外つ国における殉教の聖人を慕うはずの日が、いつの間にやら巧克力の互譲行為から排除されることによる孤独を不安に思わせることによって巧克力の消費を煽るという訳の分からん一日になっているということもありますし。所謂한 流とやらについても、全然興味ない人間に向けて「隣国のイケてる美男美女をちやほやするのは友好を願う隣国の良心として当然」と云々すること自体、何か下心でもあるのではないか?と根暗な私は疑ってしまうのであります。
思うに、そもそも普遍的に良きもの・楽しいものは、派手な宣伝など打たなくとも、その魅力が自然にジワジワと広がって行くはずでしょう。あるいは、特殊で普遍的でなくともそれなりにマニアックな喜びがあるものは、違いが分かる人間の自己満足 (笑) として共有されてくるはず。
こんな問題意識を現下の鉄道趣味界に当てはめてみますと、所謂「鉄道ブーム」なるものによって氾濫した軽くてチャラいものは、所詮人目を惹くだけの底が浅いもののように思えて仕方がないような気がします。そして、そんな風潮と完全に軌を一にするかたちで急に目立ち、貴重なローカル線にも浸食を図ろうとしているのが○○ーカの本質ではないかと思います。あまつさえ、到底万人ウケするとは思えないロゴベタベタ・客席をつぶしておもちゃ&絵本コーナー設置、そしてコチコチな木製椅子の設置を以て「鉄道車両の《○しい》デザイン」云々を宣っていることに至っては(以下自粛。冒頭からここまでの関するコメントはご遠慮下さい)
鉄道車両は本来、長年の技術や美意識の蓄積によってデザイン的にも熟成されてくるものであるはずで、一旦産声を上げて世に送り出された車両は、そんなさかしらすぎるコテコテ小細工など加えなくとも、時間の経過とともに燻し銀の輝きとともに魅力を放ち続けるはず。そしてそんな名車たちには、たまにある塗装変更に際してもあくまでシンプルなものこそが相応しいはずでしょう。
というわけで、本題とは全く関係ないかも知れない内容で恐縮ですが、間もなく京阪宇治線から去ろうとしている京阪2600系は、そんな根暗な関東人の心にもジンワリ沁み入るシブい老雄だと思いますし、新塗装を塗ってもやはりシブいものはシブく、それもまた卵車体の完成度の高さと京阪車両陣&経営陣の色彩センスの水準を示しているのでしょう。昨年夏の訪問時に偶然 (?) 遭遇出来て思わず内心「よっしゃぁぁ!」と叫んでしまった混色編成の画像を掘り返すにつけ、そんなたわごとが頭の中をグルグルと……。いかん、仕事の多忙が続いて疲れているのでしょうか……(滝汗)。そういえば、そんな電車が走る京阪の魅力を発信するキャラクターが、優しくピュアな雰囲気で押しつけがましくない「おけいはん」(*^_^*)であるというのもまた、京阪という会社の良心なのだろうと思います。