一昨日盛大にさよなら運転を行った東急旧デヤ、もう1両のデヤ7290は……一見デヤ7200と全く同じデザインでありながら、「ありがとう」ではなく「さようなら」と記されたHMを掲げており、HM製作者の芸の細かさには思わず感じ入らずにはいられません……。肝心の前シングルアームパンタは上がっていませんでしたが、その分だけフレーミングしやすかったのもまた事実です (^^;)。まぁデヤ7290はゴツゴツと様々な機器が載っているだけでも十分絵になるということでしょうか?
そんなデヤ7290の前照灯点灯シーン(=こちらに向かって来る)は、かつて中学生の頃7200系の短編成を撮影した池上線内で思い切りキメることが出来ましたが (1枚目)、この2・4本前には7600系の現役編成2本が相次いでやって来まして、あたかも去りゆく同輩のために露払いをしているかのようでした。今後も池多摩線でダイヤモンド顔は残りますが、このド派手顔とはお別れと思うと寂しさが募ります……。いっぽう目蒲線、もとい目黒線で撮影したカット (2枚目) は、奥沢出庫・発車直後に一気に加速して行くシーンということで、無駄に俊足さを誇る (?) デヤの走り屋ぶりに最後までファインダーを覗く視線は緊張しまくりでしたが (というわけでカツカツ……冷汗)、同時に気づかされたのは、今やここが目蒲線であったことを偲ばせる存在は中型車・7200系のデヤを擱いて他にはないということ。大型車6連ばかりなんて……分かってはいますが未だに慣れないですね (^^;)。そんな、かつての目蒲線を思い出させるデヤも引退し……まさに目蒲線はこの事実によって完全に目黒線になって行くということなのでしょう。
こんな感じで、いろいろな感慨とともに去りゆくデヤをファインダー越しに見送った私でしたが、とにかく人が多すぎたのには心底参りました (@o@)。事業用車の引退、約1週間前の発表、撮影スポットのキャパシティがそれなりにある田都・目黒・池多摩線内での走行といったことに鑑み、それほどヲタが一カ所に集中することもないのではないか?と甘い予想をしていたのですが、現実にはさにあらず、沿線のいやしくもカメラを構えることが出来そうなところはどこもかしこも凄絶なカメラの大放列……。個人的には幸いにして常に一手・二手と先を読んだ行動で、何とか撮りやすい位置をキープすることが出来ましたが、僅かな判断の遅れで美味い位置を確保出来ずストレスを抱えることにもなりかねず、本当にヒヤヒヤの連続でした。ふだん東急沿線ではまず見かけない巨大三脚・脚立・バズーカ砲(明るい超望遠レンズ)が多数見受けられたのみならず、自分では重くて持ちきれない機材を持ったヤツがタクシーで移動して目の前で下車する光景を目の当たりにするに及んでは、線路沿いの道をブラブラ歩いて撮る場所を探す東急ファンの撮影スタイルとは異なること甚だしく……(苦笑)。泣く子も黙る天下のJRE様におかれましては、毎週末にはSL+旧客列車をはじめとする超人気列車をビシバシ多数運転して頂きますよう、何卒伏してお願い申し上げたいものです (鬱)。あと、基本的に譲り合いの精神がみられた中、一部団塊オーバージジイの遠慮無く傍若無人な振る舞いは異常。日本のために早く……(以下略)。
おっと話題が逸れてしまいましたが、これだけの展開になりますと沿線民の皆様の関心も高いわけで、私も幾度となく「これって一体?」と訊かれることもしばしばでした。しかしその都度「へぇ~なるほどね♪」と納得してエールを送って下さる方ばかりであったことは、さすが言葉の正しい意味での東急沿線クオリティ、沿線民の文化資本の高さなのだろうと思った次第です。
奥沢で菊名方面へ走り去るデヤを見送った後は、相当疲労がたまってしまったことに加え、東横線内は撮りやすいスポットが限られ自ずと激しいカヲスになることが予想されたことから、早めに下り田都の客となりまして長津田で途中下車。デヤサンド撮影などの前後にいつもメシを食べた「○つ屋」にて博多ラーメンを食し、デヤ7200・7290との別れを改めて食感からしみじみと味わったのでした……。
何はともあれ、地味だけど派手な仕事人、デヤ7200・7290の長年の活躍どうもお疲れ様でした! そして、この2両及びファンのためにいろいろとご尽力下さった東急関係者の皆様に、この場ながら心より御礼申し上げます。m(_ _)m