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来月のダイヤ改正ラッシュを控え、いま鉄ヲタ界的にみて最もナウな路線はどこかと言えば……御殿場線と記して異議ありという方は恐らくそれほど多くないでしょう。371系や小田急20000形の引退、それに60000形の試運転や117系観光改造編成出没とあっては、長らく派手な動きとは無縁であったのがウソのようです。
しかし個人的には……御殿場線といえば、むかし御殿場界隈に住んでいた親戚を訪ねる際に乗ったスカ色73系の印象が圧倒的に強く、次いで73系を置き換えた敵役ながらもそれなりにボロく慕わしい存在感があった115系デカ目非冷房車の印象が残っております。他に付け加えるとすれば、彼らの活躍の傍らで名脇役を演じていた急行「ごてんば」165系や、連絡急行(記すにつけ懐かしい種別!)「あさぎり」小田急SSE3000形ですかね~(……って、フツー誰がどう見てもこちらの方が主役で、73系や115系の方が脇役でしょうに。どうせ私は鈍行&ボロ車両命のひねくれ者です。笑)。したがって、211系や313系が跋扈して久しい御殿場線は、最早「オレの心の御殿場線」ではないのであります (^^;)。
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というわけで個人的には、最近にわかに現出した御殿場線ブーム(?)は静観しているのですが、それでも御殿場線という単語を見聞する機会が増えれば増えるほど、山峡にこだまする73系の絶叫や、何とも奥ゆかしく香しいニス塗りの車内に親しんだ幼き日の記憶が熱く蘇って来ずにはいられません (笑)。そこで、流電製作が無事終了した新年におけるスカ色旧国模型製作は、いったん戦前型から離れ、御殿場線73系の堂々8連・王者の風格漂う長大編成をヘタクソながらも再現してみることにしました(とは言え、他に作りかけの戦前型が複数あるのですが……^^;;)。
御殿場線73系は、1968年の電化当初はクモハ60など戦前型3扉車との混成編成を組んでいましたが、他の路線での新性能化により余剰となった程度の良い73系が流入し、その都度小まめな編成替えと老朽車の廃車が進んだという歴史的特徴があります。そこで1979年の新性能化前夜には、半鋼製のサハ78がトイレ付きであることもあって多数生き残っていたのを除き、ほとんどの車両(とくに電動車)は全金属新造車や近代化改造車によって占められていたといわれます。しかし……私が何度も乗ったのを覚えている昭和50年前後には、編成中に占める半鋼製車の比率はまだまだそれなりに高く、各種の書籍やネット記事を通じて73系全盛期の御殿場線を眺めるにつけ、半鋼製73系への思慕はますます募るばかりです。
また、御殿場線の73系を語る上で忘れられないのは、戦時中にサロ45やサロハ46を4扉化したことによって出現したサハ78の存在でしょう。このグループは幼心にも明らかに他の73系と比べて異質で、ゴツすぎるリベット姿は怪獣の皮膚のような凄み (^^;) すら感じられたのみならず、サロ・サロハ改造ゆえのバラバラな窓間隔は、およそ幼稚園児の想像力を遥かに超越していたといっても過言ではありません。しかし、出自が出自だけに、車内の造作や木目の艶には圧倒的な高級感が漂っており、まさに「腐っても鯛」「掃き溜めの鶴」を物語っていた (こーゆー表現は適切なのか? ^^;;) のもこのグループ。幼心にとにかく車内の見事さに驚嘆・狂喜し、国府津を朝9時台に発車する沼津行きが空気輸送8連だったのを良いことに寝台列車ごっこに興じたのも懐かしい思い出です。したがって、サロハ46改をGM板キットから組むのは初心者の手に余りますが、少なくともサロ45改は切り接ぎによって生み出されるべきマストアイテムでしょう。
というわけで、とりあえず切り接ぎしないクモハ73・サハ78 450を各1両組み上げ、ドア窓にバラエティを持たせるために切り接いだ車両の側面や、窓埋めを済ませたサロ45改サハ78の側面もこんな感じで輪郭を現してきましたが……これからヤスリがけ神経すり減りまくり地獄です (笑)。