古くシブい鉄道シーンが新陳代謝で置き換えられて行くのは、国を問わず世の習いというものかも知れません。しかし、中には価値が認められて後世に向け後生大事に保存されるものもあります。ただ、その多くは格段に気合いが入った車両や建築であることが多く、今まで割とありふれていると思っていた昭和の作品が気が付いてみれば消えているという事態は、これまでも多々ありましたし今後も一層増えて行くことでしょう。
そんな折、これまで余りにも当たり前のように思われて親しまれながらもいつの間にか老朽化している存在が、文化財に指定されて今後も永く存続することになった……というニュースを見ると思わずほっこりとした気分になるものです。一昨日付の『神奈川新聞』によりますと、トンガリ屋根が印象的な大雄山線の終点・大雄山駅が、このたび南足柄市の文化財に指定されたとか♪
そこで、たまには大雄山線の車両を取り上げてみることにしましょう~(^^;)。大雄山線といえば自社オリジナルの5000系に統一されて以来、たまにコデが走り、東海道線経由で大場まで入場甲種が走る以外、すっかり趣味的注目が集まらない路線となって久しいように思われます (汗)。甲種輸送にしても、私も含めて圧倒的多数のヲタのお目当てはコデ・JR罐・駿豆線のED31・32であり、5000系を目当てで撮影に来るわけではないでしょうから、5000系というのは何とも不憫な車両と言えましょう……。まぁ、小田原から大雄山までチンタラと走って23分ほど、途中駅も極めて小規模……ということで、大雄山線独自の孤立し完結した雰囲気もなおさら趣味的に地味過ぎる印象を与えるのかも知れません。
しかし、5000系そのものは明らかに西武的雰囲気をたたえた18m車という独特の個性を放ち、少数所帯でありながら編成ごとの差違がけっこうあるという点で、たまに訪ねてみると意外とその都度地味な面白さを感じさせられます。住宅街の裏をクネクネ走ったかと思えば、田んぼの脇を結構飛ばすこともあり。終点の大雄山駅は、如何にもローカル私鉄の終着駅らしい佇まい(そして、大雄山最乗寺への玄関口としての雰囲気)を今も昔も保ち続けているのも魅力だと思います♪
そんな大雄山線、勿論かつては元相鉄2000系を含めて国鉄17m車のなれの果てが終結する濃いぃ世界だったものですが、そこに5000系が忽然と出現して以来、早いもので来年春で30周年!! 当初こそ、オール車内ニス塗り超特選編成であった154+155+183編成を廃車に追いやった5001Fに対して、中1~中2の私は激しく「要らねぇ……」と思ったものですが (^^;)、今やそれも遠い昔話。5000系の中で唯一鋼製であるこの編成が来ると「よっしゃ当たり!」と思うようになったものですから不思議です (汗)。