東武野田線。その名を聞いて思い出すものといえば、勿論人によって様々でしょうが、幹線にしてはローカル線らしさも随所に見え隠れしながら首都圏北東外郭部の街をのんびりと結ぶ長大路線……といったところでしょうか。総延長が62kmを超えるにもかかわらず、秩父鉄道にすら存在する急行列車が一本もなく (^^;)、住宅街や田んぼの中を如何にもチンタラと走るかと思えば、単線区間のハイライトとして江戸川を越える川間鉄橋前後のダッシュがあり、某巨大醤油メーカー本社の脇を走るところでは香ばしさが漂い……。そしてヲタ的視点から野田線とその歴史を振り返ってみますと、各駅停車しかなく高い加減速性能も要求されないということで、21世紀に入ってからも釣掛式電車の楽園であったことが熱い記憶として残っております。嗚呼……住宅街の静寂を突き破るナナハチの轟音を21世紀に至っても鑑賞することができたとは、今となっては半ば信じがたいことですが、この悦楽を求めて一体何度野田線の5070系に乗りに行ったことでしょうか!
周知の通り、いくら8000系と同レベルの車体を載せた5050・5070系といえども、さすがに各私鉄でVVVF車が圧倒的な存在感を見せるようになった2000年代にあっては、乗客・沿線住民の手前さすがに使い続けるわけには行かなくなり、半直に備えた30000系の増備に伴う転配作戦のあおりで、ついに2004年10月に野田線からは完全撤退……。もっとも、5070系を廃車にする目的を兼ねていた30000系が余りにも優秀な車両であり、田都利用者にとっても感動的な存在であり続けていることからして、5070系を廃車に追いやった30000系を恨むつもりは一切なく、ただただ壮絶な釣掛サウンドを発する電車が東京から至近距離で8年前まで存在し続けたことの奇跡を思い続けるのみです。それに、跡を襲った8000系は8000系で実に玄人好みのシブさが漂う車両であることは言うまでもありません。
というわけで、個人的に野田線といえば5000系列(3000系列が大量に走っていた時代に訪ねておくべきで、実際に中学生時代に初めて乗った快速6000系[6050系ではないのがポイント!]の車内から春日部停車中の3000系列を眺めた記憶もありますが、車体更新車は注目していなかったため後の祭り ^^;)、そして色と箱が同じ8000系(ほとんどの車両でマスクが変わっていますが)の印象が余りにも強いまま今日に至っておりまして、多忙のため野田線とは御無沙汰気味な最近でも、今後もしばらく白に青帯の鋼製車の時代は続くのだろう……とばかり思っておりました。さすがに最近は、私鉄版103系の異名を持つ8000系のことですので、JR103系が続々と引退しているのと同じく、野田線の8000系のうち状態が悪い車両も東上線からの転属組によって置き換えられていたわけですが、今後その役割を担うのは順当に言って10000系列となるのだろう、と予想しておりました。野田線の変電所と10000系列の相性が悪いという問題もあるそうですが、まぁ設備投資ぐらいするだろう……と (^^;
しかしあに図らんや! 昨日東武が発表したところによりますと、野田線に全くの新車として60000系を投入するとは!! 野田線に新車だなんて、ひょっとすると総武鉄道の時代以来ン十年ぶりのことなのではないかと……(^^;)。スカイツリー創業の勢いに乗って、野田線のイメージも革命的に転換しようということなのかも知れませんなぁ……。総じて50000系の延長線上にあるのっぺりとした側面?と思う反面、外観・車内ともに斜め方向の線を見てとれなくもなく、とくに車内のデザインからして……「これはE233-2000や小田急新4000などと兄弟と呼ぶべき車両なのではなかろうか?? 634型改造の経緯からして、東武と総合車両が接近か?」という気がしなくもありません。実はやっぱり日立製で、乱視近眼の私は眼医者に行け!ということになりそうですが (^^;)。
こんな驚くべきニュースに合わせて、とりあえずブログ開設前の撮影につき長らくアップしていなかった野田線5070系の画像を引っ張り出してみました。清水公園行きなんてのも30分間隔で走っていたのですよね……懐かしい。