地味鉄庵

鉄道趣味の果てしなく深い森の中にひっそりと (?) 佇む庵のようなブログです。

タイ国鉄・東本線鈍行の旅 (上)

2015-04-20 00:00:00 | タイの鉄道


 首都バンコクに古き良き頭端式の一大ターミナルを擁し、DLが昔気質の(日本人好みのデザインな)客車を牽引し、南北に細長い国土と首都を結んで走り続けるタイ国鉄……。しかし、そんなタイ国鉄が今後も変わらずに牧歌的な雰囲気であり続けるわけではなく、首都に関して言えばクルンテープ駅からバーンスー駅に拠点を移す構想があるほか(進展度は不明ながら確実)、未だ営業運転は始まっていないらしいものの中国罐の大量導入が始まり、客車についても中国製が間もなく100両以上入る予定であるなど(今回のロットは寝台車中心の模様。もし13・14レに依然として24系が用いられているとしても、中国客車の運用入りで確実に息の根を止められるはず……)、「ほとんど注目されてはいないものの、今のうちに味わえるものは味わっておけ」という状況となっています。さらにタイ軍政は、日本と中国を天秤にかけて、高速鉄道をなるべく有利なコストで造りたいと思っているわけで、10~20年というタイムスパンでみれば、首都の発展とは余りにも対照的に旧態依然としたタイ国鉄も大きく変わって行くのでしょう。 
 そんなタイ国鉄の路線網のうち、カンボジアに通じる東本線は、ポト派の苛政に由来する長年来のカンボジアの大混乱、タイとカンボジアの関係の宜しくなさ(とくにプレアビヘア寺院周辺をめぐる国境紛争)などもたたり、国境手前のアランヤプラテートで断絶して以来長い年月が経っておりました。プノンペンに通じるカンボジア側の鉄道も、国境のポイペトからシソポンまでは完全に不通、シソポンからバタンバンまでは稀に貨物のみ、バタンバン~プノンペンは混合列車が毎週1回のみ……という状況であったところ、山賊の出現による運休やら軌道保守の放置やらで、混合列車は完全運休となって数年が経ったとのこと……。



 しかしこのプノンペン~バンコクルートは、さらに東へ延ばしてベトナムのホーチミンシティ(城舗胡志明)、西へはミャンマーのダウェーへと結ぶことによって、東南アジア大陸部を東西に縦貫する一大物流ルートとして脱皮することが期待されています。勿論、既にハイウェイが明確に整備されつつある道路網に一日の長があるのは否定出来ないでしょうが、コンテナを大量輸送するならば鉄道にも商機があるわけで、とりわけ日本企業にとって、通関時間さえ短縮できればミャンマーやタイからの一大輸送路として有望株になる……云々と言われています。
 というわけでそのあかつきには、現在バンコクからカンボジア国境まで毎日2本の鈍行列車が走るのみの東本線も、激しく変貌を遂げることでしょう。あるいは、既に変貌が始まっているのかも知れず……。しかし少なくとも、旅客列車が日本製(一部ノックダウンでマッカサン工場製)旧客で走っているうちに、昔ながらの風情を味わっておくに越したことはありません。
 先日アップしました、クルンテープ駅のドーム下に佇む12・14系ラッピング車の姿は、アランヤプラテート行の東本線鈍行客レに乗るついでの撮影……(^^;)。アランヤプラテート行は早朝5時の時点で既に車内に入ることが出来、とりわけクッションが効く椅子を装備した車両から長距離利用のタイ人乗客で早くも埋まって行きつつあるため、12・14系を撮影したあと罐の連結シーンを撮影し終えるまでに、他の板張り座席車 (1950年前後に日本で製造)のボックスが埋まってしまわないかとヒヤヒヤものでしたが、5時半前に罐が連結され、しかも4100形DLのトップナンバーが本務機ということでガッツポーズ! その後も首尾良く、基本的に北側となるボックスをゲット! 一息ついたところで持参の菓子パンを頬張り、古き良きホームの雰囲気と徐々に混雑し始めた車内(発車間際に、カンボジアへと抜ける白人老若男女バックパッカーがワンサカと乗車……あんたら金持ってるくせに貧乏旅行好きやねぇ~。笑)をぼんやりと眺めつつ、5時55分の発車を待ったのでした (つづく)。
 
 ちなみに、クルンテープ発午後のアランヤプラテート行は日本製ディーゼルカーのTHN系で運転され、しかも4連ですので非常に混雑します(客レは6連)。客車鈍行で東本線を乗り通したい場合は、クルンテープ早朝発が唯一の選択となります。
 あと、この撮影は三脚不使用。フルサイズデジ一眼の高感度対応能力に感謝!