ミャンマー国鉄の客車を勝手に分類するシリーズ、お次は1950年代に日本で製造されたグループです。この日本製旧客、基本的な車体寸法は他の客車と同じく17~18m程度ですが、雨樋の存在・屋根上小型ベンチレータの存在・窓枠上部のR・一枚板のように見える台車 (ヘンな表現ですみません。箱根登山モハ3形の台車をもっと平べったくしたような雰囲気……^^;) といった点を明確な特徴としており、車番も後で述べる例外を除いて4ケタが付番されています。では、何故日本製と分かるのか?……「ビルマ・客車・輸出」とGoogle検索をかけてみると、輸出元メーカーの社内誌における紹介記事が出て来ますので、この特徴を持った車両は日本製であろうと確信できる次第です。一部の車両の台車は、既にDT21風の新しい台車に換装されていますが、何はともあれタイ国鉄の同年代日本製客車ともども、未だに後生大事に用いられているのはありがたいところです。
ただ、タイ国鉄の1949~1950年代日本製客車は2・3等座席車を中心としており、その分大量に現存しているのに対し、ミャンマー国鉄の1950年代日本製客車は主にラングーン(→ヤンゴン)~マンダレー間の最速急行列車「ダゴンマン」で使うことを前提としていたようで、優等車両がそれなりに投入されたのであろう……ということは、現在でもアッパークラス寝台・座席車でしばしば見かけることにもつながっているようです。上記メーカー社内誌でも伺い知ることが出来る豪華絢爛な内装は、その後約60年を経て他の客車と同じレベルになってしまっていますが、雨樋・通風器・窓上のRが醸し出す重厚で優雅な雰囲気を眺めるにつけ、この日本製旧客だけで組成された「ダゴンマン」はさぞかし圧倒的な存在感を放っていたのだろう……と想像せずにはいられません。
今回の画像のうち、1枚目の画像はアッパークラス寝台のBNUEZ 10790 (?) 形 (10800番台もあり)、2枚目の画像はアッパークラス座席のBDUEZ 1190 (?) 形ですが、他に4扉豪華コンパートメント寝台車としてBNCXE 1700形、窓割りが大幅に異なるアッパークラス寝台としてBNUXEZ 1730形が存在しているのを確認しております。但し1700・1730形につきましては、個人的にヤンゴン界隈で目撃したことがなく、RBE迷様から以前内々にお見せ頂いたマンダレー~ミッチーナ間の夜行急行に大量に連結された寝台車の画像から現存を確認している次第です。マンダレー~ミッチーナ間は、北部カチン州へ向かう重要ルートではありますが、他の地域と比べて山深くハイウェイが未整備なため、ミャンマー国鉄最大のドル箱として毎日4往復が走っており、うち1本は寝台車中心の組成なのだとか。ミャンマー客車研究の泥沼に突っ込もうと思うのであれば、ヤンゴンだけでなくマンダレーにも行かなければならないということでしょうか。
それにしても、BNUEZ 10790形のみ何故5ケタ番号なのか……。もしかすると、日本製旧客と全く同じデザインorノックダウンで国内製作したグループが少量存在し、その場合には5ケタを振ったのか、それとも単に改番しただけなのか……全く詳しい事情は分かりません。悪しからず (^^;)。
なお、今回の画像は以前アップ分の再掲です m(_ _)m
※8:20補記……今朝の日経新聞によると、この1950年代日本製客車を製造したH立が、ヤンゴン~マンダレー間(とりあえず第一期工事分)の信号システム全面更新を受注し、2017年6月までに納入するとのこと。何やら壮大な話が再び始まりつつあると感じるとともに、ヤンゴン~マンダレー本線の如何にも20世紀前半的な信号システムが今すぐ消えるとはなかなか信じられない気分でもあります。