地味鉄庵

鉄道趣味の果てしなく深い森の中にひっそりと (?) 佇む庵のようなブログです。

第六ジャカルタ炎鉄録 (21) 一等客車考

2015-05-19 00:00:00 | インドネシアの鉄道


 極めて標準的なArgo-Eksektif客車。2001年製。



 驚愕の1954年・東独製 (多分)。原型を留めないものの、異様に高い屋根は今も!



 元は多分非Argo青胴Eksektif→塗装変更。1984年製でボロ椅子。当たると悲劇。



 元は多分は2等=Bisnisの1965年製。小窓&冷改改造でArgo-Eksektif化。

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 少々間が開いてしまいましたが、昨年8月のインドネシア遠征ネタの続きは、ミャンマー国鉄客車特集と連動して、インドネシア国鉄が誇る1等=Argo Eksektif塗装車の百鬼夜行ぶりを扱ってみることに致しましょう。先日ネットをつらつら見ていたところ、バングラデシュのメーターゲージ用インターシティ客車の体質改善用として、アジア開発銀行 (間違ってもC国が胴元のAIIBではありませんぞ!) の低利融資のもと、インドネシアの鉄道車両メーカーINKA社が冷房車を大量に受注したようですので、その祝賀も兼ねております (笑)。

 さて、インドネシアの鉄道と一口に申しましても、不朽の名作として今後長く語り継がれて行くであろう落花生。様の近著『インドネシア鉄道の旅』でも幅広く触れられております通り、ジャワ島を行く特急列車やジャカルタの電車シーンから、田舎の製糖工場鉄道、さらにナゾ極まりない森林鉄道に至るまで、実に多彩な姿を魅せているわけですが、その中でも本来であれば中核的地位を占めるべきであるはずなのに、不思議と注目が集まらないのが、KAI所有の膨大な客車群であります……。落花生。様やパクアン急行様といった、インドネシアご在住のハードコアな面々に伺いましても、地元鉄の関心は圧倒的に罐に向かいがちであり、ジャカルタの電車すら実は現地鉄道趣味の主流ではなく(それでも近年は勢力急増中とか)、客車については全然まともな研究書やHPが見当たらないのだとか。このことは、そもそものはじめの一歩は電車目的であっても、やがて目の前を行き交う客車についても自然と興味が湧いてしまう私のような人間にとって、何とも歯がゆくもどかしい限りです。

 もっとも、このような状況になってしまうのには一定の理由もありそうです。基本的にインドネシアの客車の付番方法は、旧車番の客扱い車両の場合「K○[1~3の数字。等級を表す]・□□△△△[□は製造年の下2ケタを、△は製造ロットを表す]」といった要領で、3~4年前に導入された新車番の場合「K○ 0 [0は客車を示す。ちなみに電車は1] □□ △△」といった要領となっておりますが、この結果、車番は全て「何年の何両目に造った何等車か」を示すだけに過ぎず、形態分類によって形式と番台を明らかにしたうえで客車の来歴を研究するという余地が極めて乏しくなってしまうという問題があります。これに加えて、客車の基本的なフォルムは等級云々に関係なく基本的に同じで(INKA車が同じ台枠と車体構造の車両を安いコストで生産し続けるには大いにプラスに作用しているでしょうが)、製造年が非常に古い客車であっても、恐らく台枠を除いて車体を全面的に作り直していたり、あるいは台車の振り替えを行っていたり、さらに最近は小窓化を推進していたり……ということで、車番から来歴を明らかにしてしみじみとした境地に浸ることを全く許さない世界に近いという……。

 そこで、昨年8月の訪問時に落花生。様とご一緒させて頂いて、某駅の客車だまりをウロウロした際にも、「どうにもこうにもインドネシアの客車は趣味的に食えない」ということで意見が一致してしまいました (^^;)。
 しかし、少なくとも20m・1067mmの客車ということで、少しずつ研究してみたい欲求が湧かなくもありません。というわけで、まずは手当たり次第に入換中の客車を撮影! ……う~ん、小窓改造済で新しそうな車両が実は古参車であったりと、実にわけの分からんカヲスです (汗)。いっぽう台車に眼をやると、新しそうな客車のくせに古そうな台車を履いていたり、裾周りの雰囲気がビミョーに台枠の厚さと関連していたりすることが分かります。
 う……む。こういう形態分類は、台湾の復興号客車(旧型客車からの改造を多数含む。但し現存するのはほとんど新造車だけでしょうが、とにかく昔は乗り心地の悪い車両が結構組み込まれていました)と通じるものがあるはずです。とはいえ、落花生。様曰く、とにかくKAI本社にある設計図を見ないことには何とも言えないようです。

 ところが、究極の存在があり……それは1954年製と表記された客車! 屋根が他の車両と比べて明らかに高く、落花生。様によりますと東ドイツ製とのこと。なるほど言われてみれば、確かにトンガリ具合など、DR客車に似ている……。そして歴史的背景を思うに、バンドゥン会議を翌1955年に控えた当時のスカルノ政権は基本的に非同盟を旨とし、ソ連東欧圏ともそれなりの付き合いがあったわけで、当時社会主義コメコン経済圏の先進国であった東ドイツから車両を購入、いや援助してもらっていた可能性が大です。勿論、1965年の9.30事件によって反共へと急旋回してからは、社会主義国との技術協力が断たれ、INKA製の客車は恐らく日本からも技術協力を得て標準構造の客車を新造してきたと思われるのですが、まぁとにかくここらへんの考証は、落花生。様ご自身、著書の中で最も尽くせなかった部分の一つであるとのことですので、引き続きのご研究の成果を、ヲタの一人としてのんびりお待ち申し上げたく存じます (^^;;)。
 なお、1等Argo Eksektif塗装車の研究はまだ続きます (爆