地味鉄庵

鉄道趣味の果てしなく深い森の中にひっそりと (?) 佇む庵のようなブログです。

06年初春の平凡なDLシーン (5) 千鳥町

2006-03-24 18:24:00 | 貨物列車 (神奈臨)


 当ブログでたびたび、地味~な臨海鉄道シーンの代表格としてご紹介している (と申しますか、私が単に気に入って通っているだけ ^^;) かなりん千鳥町界隈ですが、今回は千鳥町のヤードではなく、その手前の風景を行く日常のシーンをアップしてみたいと思います。
 ↑の画像は、午前中の列車で千鳥町に入線してそのままヤードに留置されていた化成品タンク積載コキを午後の列車で再び連結し、途中の旭○成工場に押し込むために引き連れて行くシーンです。逆光ではありますが、触媒工場のプラントの中をくぐり抜けるように通過するところは如何にも千鳥町らしい風景で、お気に入りのアングルです (^^
 こんな感じで、沿線の至るところで濃厚な雰囲気を味わえる千鳥線、おすすめです (まあ余り人が増えても困るのですが、1日2往復の貨物列車に付き合いたいと思う方はほとんどいないでしょう ^^;)。

 それにしても、以前からたびたびアップしているかなりん画像をご覧の方でしたらお気づきの通り、最近私がかなりん川崎地区を訪れると、何故かやって来るのはDD5515ばっかり……。他に数輌のDLがあるはずなのですが……。
 特に、最新鋭のDD601は、何度も通っているのに未だに千鳥町で撮影できていません (T_T)。運に見放されていますね (爆)。
 ※DD601@千鳥町の画像は、リンク頂いております「ロジ担」さんをご覧ください。

わ鐵寄り道記 (1) 主力車わ89-310

2006-03-23 15:42:53 | 地方民鉄 (関東北東部)


 すでに1ヶ月以上前の話ではありますが (^^;)、たまにはのんびりとしたローカル私鉄の話題をとりあげてみましょう。
 東武佐野線の5050系を追い求めた一日は、同時に桐生線での5050系乗車を楽しんだのですが、そのついでにかねてから訪れたいと思っていたわたらせ渓谷鐵道 (わ鐵) に少々寄り道してみました。一応今回は時間の関係上、車庫がある大間々までで、そこから先の風光明媚な区間はお預けでしたが……(^^;
 足尾線を第3セクター経営に転換したわ鐵は、開業当初は如何にもレールバス然としたLE-Car (大型ボギー車バージョン) を中心として出発したようですが、その後1990年代に増備したLE-DCの「わ89-310型」が主力になっているようです。マルーン一色を基本とし、特殊な装飾はせいぜい動物をかたどったステンレス (?) 板を貼っているだけというシンプルなデザインは、なかなかシブいです……(^^
 ↑は東武桐生線との乗換駅である相生にて。雪をたたえてバックに聳える袈裟丸山との組み合わせがうまく決まりました (^_^)。
 ちなみに、他に類似車として、開業当初に用意されたオール転クロ車・わ89-300型があるようですが、今回は時間が少なかったこともあって、走っているシーンを見かけませんでした (^^;)。

祝すみだタワー (?)・東武貨物の佳き時代

2006-03-21 17:19:28 | 懐かし画像


 かねてから東武業平橋駅・貨物ヤード改め朝夕専用ホームの跡地と、さいたま新都心のあいだで綱引きが行われていた新東京タワーの建設予定地選びが、先日ついに業平橋に決定したのは多くの方がご存じのことと思います。
 いま業平橋界隈を電車で通過しますと、古~びた東武本社、すっかり草が生い茂る野原の中に申し訳程度に広がる保線基地、かつてのセメント輸送華やかなりし頃を思い出させるセメント貯蔵庫、それに主に長距離列車が昼寝をしている電留線……といった光景が広がり、さらにその周りを取り巻いているのは下町の風景。まさにこの一帯は、昭和の鉄道風景の名残りを感じさせるものです。
 しかし、これからはタワー建設作業開始に向けて、東武本社の移転も含めて一気に風景が変わって行くのでしょう。さらには、タワーの玄関口になる押上駅をパワーアップして特急の発着も可能なようにし、ひいては老朽化した浅草駅の扱いに決定的な動きが起きたりしないか……という妄想も湧かないでもありません (^^;)。

 そんな業平橋、はじめて78系目当てで東武伊勢崎線を訪れた中1の頃、ヤードにセメントタキ・ホキの類がゴロゴロしていて、東武ってこんなに貨物もあってすごい会社だなぁ……という印象を受けたものですが、それも今は昔。有名な葛生はもとより、かつてはそれなりに貨物列車を見かけた東上線でも、貨物輸送をやっていた面影を探すことすら難しくなってしまいました。そして、北館林への石油タキ輸送も陥落して貨物輸送は全廃……。

 というわけで、先日logitanさんのコメントへのレスで東武貨物昔話をちょろっとしたことと、かつての東武貨物の総本山・業平橋が東京で最もナウ (死語) な空間へと脱皮するはこびとなったことをムリヤリ結びつけることによって、古いネガの中に残っている東武貨物のカットをご紹介することにしましょう。
 とは言っても……実は伊勢崎線ではなく東上線 (爆)。伊勢崎線で貨物を撮ったのは、数年前に館林にてタキ編成を休車中の5050系とあわせて最後尾から撮っただけです (^^;;
 まず↑の画像は、越生線の西大家駅から高麗川の日本セメントへ向かって延びていた専用線を行くED5012です。中学時代、この付近で73・78系を撮ったあとでこの専用線の踏切を歩いていたところ、突然警報機が鳴り出して単機が姿を現したため、大急ぎでカメラを構えて見事にうまくいってしまいました (^o^)。ネットなどまず想像すら出来ない時代の何も知らない中学生にとって、今は跡形もない (?) この専用線を記録できたこと自体が奇跡でした! 確かこの専用線から下板橋までセメント列車が走っていたのですが、肝心のそちらについては記録なしです (^^;

 

 そしてこちらは坂戸駅にて。もちろん、73・78系を撮りに行ったついでに越生線ホームから撮影したものです。きつ~い影で完全につぶれてしまった部分をムリヤリ補正しようとしたら何やら真っ青になってしまったのはご容赦を……(^^;)。それはさておき、セメントの他にもこんな砂利列車が走っていたわけですが、何処が起終点かは分かりません (^^;)。
 ただ少なくとも、チャリで気軽に行ける相模大塚の米タン輸送を日常的に眺めていた濃いぃ趣味の中学生にとって、こういう茶色い電機+アヤシイ車掌車+黒い貨車という組み合わせは、ミョ~に親近感が湧くものであったことは確かです (*^^*)。所詮ド下手写真とは言っても、こうやって何でも撮っておくと、後でとんでもなく貴重なものとして感じられるようになるのが鉄道撮影の奥深さなのかも知れません (^^

 ともあれ、東武の車扱貨物は既に記憶の中に消えていったわけですが、今やJRFでもセメントタキが激減の一途をたどっているとは……本当に寂しい世の中になったものです (-_-)。そして、すみだタワーが完成したあかつきにはますます、東武が貨物輸送をやっていたことを思い出す人もいなくなり、思い出すよすがも消え去るのでしょう。それが時代の流れ、諸行無常というものでしょうか (ボソッ)。

東海道・宴の後……次は185系か?

2006-03-20 10:01:22 | 国鉄型車両


 東海道線東京口から113系が走り去ってしまい、何とも言いようのない虚脱感が続く今日この頃ですが、抵抗制御の国鉄型車両らしいどっしりとした走りっぷり自体はまだまだ楽しむことが出来ます。……そう、いつの間にか最古参になってしまった185系です。

 185系と言えば、登場当初は斜めラインの外観+茶色系を主体とした車内が余りにも新鮮で (113系も165系も椅子は青と決まっていましたから ^^;)、営業一番列車の時刻 (初運用は普通列車でした) が新聞に載っていたのを良いことに、藤沢と小田原の間を往復したものです。これで急行「伊豆」の165系はなくなって行くのか……と思いつつも、当時165系は急行「東海」や大垣夜行で残ることが明らかだったので、余り危機感めいたものはなかったですね (^^;
 この電車、急行として走り続けたなら非常に素晴らしい電車だったと思うのですが、あとで京阪神や名古屋圏で117系の新快速・快速というものを体験するにつれ、こんな転クロで「特急」ってちょっと……バブリーな世の中ということで、放っておいても客は乗って来ると足元を見ているのではないか?という思いが強まったことから、個人的に185系を利用するのは基本的に普通列車オンリーということが長らく続きました (ま、大学生の頃までは、自分の金で特急に乗るなんて考えられないほどビンボーな18きっぱーだったからですが ^^;)。

 しかし、バブル崩壊以後伊豆に行く人が激減し、特急踊り子も見かけるたびにスカスカという状態が続き……SVOとのスペック的な落差は特急料金の差以上に目も当てられないものに……。さすがにこれではサービス上まずいとJRも思ったのか、リクライニングシートに改造されてからは「まあ乗ってやっても良いか」ということで、北関東方面にたまに出かける際には利用したものです (高崎線普通列車にサロがなく、ロングの211系が余りにも多いのに閉口していたこともありまして ^^;)。そして最近個人的に、深夜の「湘南ライナー」をたまに利用するようになってからは、東海道線でも乗る機会が増えました。
 そんな185系も、既に房総特急がE253・E257系化された今日、窓が狭いこともあって、又しても「特急」としては明らかに見劣りするようになったように感じられます……。下手に窓が開くのも災いして、最近ではたまにすきま風も感じますし (爆)。
 というわけで、ひょっとすると波動用として残っている183系以上に、185系の先行きは長くないのでは……という気がする今日この頃です。個人的に写真を撮る場合、かつての斜めラインと今の塗装はどちらも余りお好みではなく、新幹線リレー号用として登場した車両のグリーン横一本帯塗装が一番良かったな~と思っているのですが、この際ゼイタクも言っていられず (^^;)、東海道線をここ20年以上走り続けたもう1つの主役であった185系もぼちぼち記録強化しなければなぁ……という気がしています。ともかくまあ、何事も「お別れ」が始まる前の地道な訪問が大事ですね (^^;

東武・過渡期の区間快速【会津高原】ゆき

2006-03-19 17:56:24 | 大手民鉄 (東武)


 東急8500系の久喜行きを撮るべく伊勢崎線を北上し、トブコの上りホームで待ち構えていたところ、浅草発15:50の区間快速・東武日光&会津高原尾瀬口行きが入線して来ました。昨日駅撮り態勢に入っていたときにやって来た新種別・区間快速はこれが最初でしたので、「区間快速……ここトブコから各駅停車とはあんまりな話だけど、水色地に白字の種別幕は結構シブいかもなぁ……」と思ってしまいました (^^;)。
 これだけでしたら、今後の日常的な光景に初めて触れたというだけですが、さらによく見てみると、何と浅草寄りの先頭車が前パンで (^o^ →前パン6050系ファンの方、ご参考ください。まぁ、今は運用激変過程の真っ直中と思われ、落ち着いたらどうなるか分かりませんが ^^;)、しかも行先幕の交換が間に合わなかったためか、行先が新駅名の「会津高原尾瀬口」ではなく「会津高原」のまま……!! 
 そこで、これはもう過渡期の珍現象だ!というわけで、横に停車している8000系区間準急とからめて、思い切り気合いの入った撮影となったことは言うまでもありません (^^

 まあもっとも、改称された会津高原尾瀬口駅を利用するのは、もっぱら尾瀬や会津駒ヶ岳に入山する山屋サン、それに檜枝岐などの秘湯につかりに行く温泉党、あるいは「スノーパル23:55」利用の人々くらいのものでしょう。「尾瀬口」の三文字があろうとなかろうと、こういうワケ知りな人種が「あれ?会津高原尾瀬口行きじゃないの?」迷うとはとても思えませんので、敢えて交換する必要はなさそうだ……というのが率直なところです (笑)。
 もちろん、いきなり国鉄会津線時代の駅名「会津滝ノ原」に戻したとしたら、かなりの混乱が起きそうですが (でもそんな幕を見てみたい ^^;;;;)。

 それにしても、ダイヤが激変した東武本線系を訪れて改めて痛感するのは、「区間」の二文字が増えたなぁ……ということです。特に、普通とごく少数の快速を除けば、地上専用車の全ての列車が「区間」の2文字を冠した種別で走っていますので、昨日も触れました通り、 半直急行・準急がバリバリの主役となっているのに対し、本来の東武電車が継子扱いを受けているような……そんな感じです。
 やはり、まだダイヤ激変直後ということもあってか、準急と快速が並んでいる方が東武本線系としてはしっくり来るんですよね (^^;)。