かねてから東武業平橋駅・貨物ヤード改め朝夕専用ホームの跡地と、さいたま新都心のあいだで綱引きが行われていた新東京タワーの建設予定地選びが、先日ついに業平橋に決定したのは多くの方がご存じのことと思います。
いま業平橋界隈を電車で通過しますと、古~びた東武本社、すっかり草が生い茂る野原の中に申し訳程度に広がる保線基地、かつてのセメント輸送華やかなりし頃を思い出させるセメント貯蔵庫、それに主に長距離列車が昼寝をしている電留線……といった光景が広がり、さらにその周りを取り巻いているのは下町の風景。まさにこの一帯は、昭和の鉄道風景の名残りを感じさせるものです。
しかし、これからはタワー建設作業開始に向けて、東武本社の移転も含めて一気に風景が変わって行くのでしょう。さらには、タワーの玄関口になる押上駅をパワーアップして特急の発着も可能なようにし、ひいては老朽化した浅草駅の扱いに決定的な動きが起きたりしないか……という妄想も湧かないでもありません (^^;)。
そんな業平橋、はじめて78系目当てで東武伊勢崎線を訪れた中1の頃、ヤードにセメントタキ・ホキの類がゴロゴロしていて、東武ってこんなに貨物もあってすごい会社だなぁ……という印象を受けたものですが、それも今は昔。有名な葛生はもとより、かつてはそれなりに貨物列車を見かけた東上線でも、貨物輸送をやっていた面影を探すことすら難しくなってしまいました。そして、北館林への石油タキ輸送も陥落して貨物輸送は全廃……。
というわけで、先日logitanさんのコメントへのレスで東武貨物昔話をちょろっとしたことと、かつての東武貨物の総本山・業平橋が東京で最もナウ (死語) な空間へと脱皮するはこびとなったことをムリヤリ結びつけることによって、古いネガの中に残っている東武貨物のカットをご紹介することにしましょう。
とは言っても……実は伊勢崎線ではなく東上線 (爆)。伊勢崎線で貨物を撮ったのは、数年前に館林にてタキ編成を休車中の5050系とあわせて最後尾から撮っただけです (^^;;
まず↑の画像は、越生線の西大家駅から高麗川の日本セメントへ向かって延びていた専用線を行くED5012です。中学時代、この付近で73・78系を撮ったあとでこの専用線の踏切を歩いていたところ、突然警報機が鳴り出して単機が姿を現したため、大急ぎでカメラを構えて見事にうまくいってしまいました (^o^)。ネットなどまず想像すら出来ない時代の何も知らない中学生にとって、今は跡形もない (?) この専用線を記録できたこと自体が奇跡でした! 確かこの専用線から下板橋までセメント列車が走っていたのですが、肝心のそちらについては記録なしです (^^;
そしてこちらは坂戸駅にて。もちろん、73・78系を撮りに行ったついでに越生線ホームから撮影したものです。きつ~い影で完全につぶれてしまった部分をムリヤリ補正しようとしたら何やら真っ青になってしまったのはご容赦を……(^^;)。それはさておき、セメントの他にもこんな砂利列車が走っていたわけですが、何処が起終点かは分かりません (^^;)。
ただ少なくとも、チャリで気軽に行ける相模大塚の米タン輸送を日常的に眺めていた濃いぃ趣味の中学生にとって、こういう茶色い電機+アヤシイ車掌車+黒い貨車という組み合わせは、ミョ~に親近感が湧くものであったことは確かです (*^^*)。所詮ド下手写真とは言っても、こうやって何でも撮っておくと、後でとんでもなく貴重なものとして感じられるようになるのが鉄道撮影の奥深さなのかも知れません (^^
ともあれ、東武の車扱貨物は既に記憶の中に消えていったわけですが、今やJRFでもセメントタキが激減の一途をたどっているとは……本当に寂しい世の中になったものです (-_-)。そして、すみだタワーが完成したあかつきにはますます、東武が貨物輸送をやっていたことを思い出す人もいなくなり、思い出すよすがも消え去るのでしょう。それが時代の流れ、諸行無常というものでしょうか (ボソッ)。