地味鉄庵

鉄道趣味の果てしなく深い森の中にひっそりと (?) 佇む庵のようなブログです。

東急8500系・急行久喜ゆき

2006-03-18 22:15:36 | 大手民鉄 (東急)


 ついに3月18日……首都圏各地でダイヤが激変し様々な車両が運用を離脱して姿を見せなくなる日を迎えてしまいました。本当に、カレンダーが1日進んだだけなのに、昨日と今日とでは全く違う世界のような気がします。東海道線東京口の113系も小田急9000系も (そしてポジをスキャンするヒマがないため当ブログではまだ扱っていない常磐103系も) 記憶の中へと去って行ったのですね……。
 しかしまた今日から、いとおしい車両たちが現役でたくさん走っている限り、丹念に記録を続ける日々が始まります。

 というわけで今日はさっそく、激変した東武本線系~東急田園都市線ダイヤの中でも個人的に一番楽しみにしていた、東急8500系の急行久喜行き運用を見に行ってみました (^^
 本来ならば中央林間から一気に久喜へ、というところでしょうが、久しぶりに相鉄星川界隈と東横線で撮影したあとですので、まずは中目黒から日比谷線で小菅へ。さっそく姿を現した急行久喜行きを激写しつつ (^^)、東武本線系において「急行」という従来一番マイナーだった名称が突然一番メジャーになったという事実の重みをかみしめたのでした……!
 しかし、小菅での撮影の後から空が急激に真っ暗になったため、新田で撮影したカットは失敗して号泣もの……(ToT)。いくらノイズが少ないC社の一眼デジカメといえども、ISO800にセットするとノイズがそれなりにすごいので、ISO400で頑張ろうとしたのですが、1/320秒・F4なんて……猛スピードで複々線を走る列車を撮るには過酷すぎるというものです (案の定被写体ブレと、被写界深度の浅さ・オートフォーカス性能のボロさによるピント外れの複合が……-_-)。
 そこでさらに北上し、トブコにてゆっくりと進入するシーンを撮影。その後、停車時間のあいだに急いで階段を昇降し (^^;)、いよいよお楽しみ・久喜へのラストスパートを体験しました。どこまでも続くかのような冬枯れの大地を結構なスピードで飛ばす8500系の走りは素晴らしいの一言! 北千住以北の全線についても言えることですが、今回のダイヤ大激変を期に、東武はランカーブを変更してスピードアップを図っているのではないか?と思わずにはいられません。発車後一気に加速して、90km/h以上でひたすら走るというのは、これまでの東武では特急や快速でしか体験したことがなかったもので……(今まではチンタラと加速して、80km/hに達するとノッチオフというパターンばかり ^^;)。
 途中、和戸に停車。どこまでも続く水田地帯の中の小さな田舎駅としか思えなかった和戸に、いまこうして東急8500系の10連が停車するようになったというのは、何とも言えず痛快なものを感じます (^^;)。今回は天気が悪く既に暗かったので写真を撮っていませんが、そのうち田植えの頃を迎えたら、淡い緑の中を吹き抜ける初夏のさわやかな風を感じつつ、の~んびりと和戸周辺での8500系撮影を楽しんでみたいな~と思わずにいられません (^^)。
 そして久喜に到着! ダイヤ激変初日ということで、ホームでは係員の方が乗り換え誘導にてんてこまいのようでしたが、大きな混乱はなかったようです。新しい列車案内表示がバグだらけ……(^^;

 折り返しは17:06発の急行中央林間行きに乗り、8500系のシャープな走りとともに2時間の旅を満喫しました。以前、ミクリから中央林間まで8500系の区間準急に乗ったときは、トブコ・キカス・せんげん台・草加・北千住……と、やたらと数分停車が入り、しかもトロトロ走るため、押上に着く頃には疲れてしまいましたが (^^;)、新ダイヤではさすが「急行」だけあって、キビキビと飛ばしていつの間にか押上に到着したのは素晴らしい!の一言でした。
 こうして半直急行メインとなった東武本線系の新ダイヤ。少しでも早く沿線乗客に浸透して商売繁盛となることを祈っております (^^

 それにしても……時間帯によっては東急8500系ばかりが10分間隔で次々に姿を現すので、東「急」伊勢崎線だなぁ、こりゃ……とすら思えました (^^;;)。東急車が大手を振ってバンバン飛ばしている中を、東武車の6両編成区間準急が20分間隔で遠慮がちにやってくるさまは……東武ファンという観点からみれば少々切ないものがありますね。東急ファンと東武ファンをかけもちしている立場としてはツラいところです (^^;

さよなら東海道線東京口113系!

2006-03-17 21:31:46 | 国鉄型車両


 先週中頃から4種類の記念HMを掲げて最後の力走を続けてきた東海道線・東京口の113系。特に去る土日は、沿線の各撮影スポットや車内ともに大変な人出だったそうで、とてもさよなら気分には浸れないほどの状況も見られたとか……。
 そんな中、私はまず週末が仕事だったのに加え、わざと小田急江ノ島線沿線から藤沢まで遠回りして東京への往復に使おうにも「これはとても通勤ついでのお別れ鉄どころではないだろう」と予想したことから、敢えて東海道線沿いには近づきませんでした (^^;)。同じさよなら期間に立ち会うのなら、あくまで静かにしみじみと……というのが理想であり、それが (私鉄に比べて極端に「鉄」の数が多いJRということもあって)難しい状況であるのならば、日常的な風景のみを記憶にとどめておくのも悪くはないな……と思いまして。
 それでも、やはり東海道線の113系は、物心ついたときから実にいろいろな思い出ととともに愛用してきた最高に思い出深い車両のひとつです。そこで、僅かでも良いので記録できないものか……そして最後の力走を心に留めておきたいものだ、という想いも止みがたく、平日ならば恐らく撮り鉄・乗り鉄の数が減って日常的な雰囲気が増すだろうと予想しまして、昼から出勤することになっていた13日 (月) を選んで、超定番な駅撮りスポットにて申し訳程度にお名残撮影をしてきました。
 まず↑は藤沢にて。この列車が入線する直前に小田急で到着し、既に何重にも出来上がっていた人垣の後ろから望遠レンズをサッとかざしてうまく撮影できました (^^)。こういう時だけは、背の高い人間に生んでくれた親に感謝ですね……。藤沢駅は、何のかの言って東海道線を利用する際に最も多く利用して来ましたので、そんな馴染み深い駅でこうしてお別れシーンを決めることが出来て感無量です。
 このカットを撮影後は、そのままこの列車のモハに乗り、魅惑のMT54サウンドを横浜まで心から堪能しました (*^_^*)。車内はあくまで東京・横浜に向かう通勤列車の雰囲気なのが良いんですよね……。



 次はこれまた定番の新子安……ですが、一番人が多く集まる鶴見寄りのホーム先端は既に満杯で、しかもロープが張られていたり「三脚の使用は不可」というアナウンスがしばしば流れたりと、かなり緊張した雰囲気が漂っていたため、ホームがカーブを描いている横浜寄りの位置にて下り列車を後追いすることにしました(ここは私を含めて3人のみでのんびりムード)。通過時、京浜東北線の北行電車がカブリ続けていて「駄目かも……」と思ったのですが、ちょうど京浜東北線が発車した直後に最後尾が通過してくれましたので、何とか成功! (↑の画像は、ドアップ気味にトリミングしています。悪しからず……)
 こうしていつものように走り去って行く113系を眺めながら、当たり前過ぎた、それでいて常に慕わしかった113系の力走が、ダイヤ改正からはもう永遠に見られないことに、しばし悄然とせずにはいられませんでした……。春なのに……と唱う、かの名曲の気分そのものです (T_T)。

 改めて思い出してみると、箱根や伊豆への家族旅行、18きっぷ旅、神奈川県民としての日常的な区間利用……などなど、いろいろなシーンで113系とつき合ってきたものです。そして仕事が忙しくなってしまったここ数年は、深夜に確実に座って (しかも小田急や田都よりも速く) 帰宅するために、距離的には遠回りなのを承知で113系の通勤快速に乗り、品川から大船までノンストップというブッチギリの激走をやってのける113系の力強さに、一日の疲れも忘れて酔いしれたものです (^^)。

 そしてもちろん、東海道線を利用した人の数だけ、113系にまつわる思い出もあるのでしょう。高度成長期から今まで40年以上にわたり、さまざまな悲喜こもごもを乗せながら、天下の東海道線の第一人者として大きな事故もなく黙々と(しかしモーター音は賑々しく) 走り続けたその功績は、余りにも偉大だったと言わなければなりません……。

 さようなら。そして今まで本当にどうもありがとう。

さよなら小田急9000形!・HM編

2006-03-17 00:01:00 | 大手民鉄 (小田急)


 僅か3日間だけさよならHMを取り付けて、最後の営業運転に入っている9704F。小田急全線のどこで運用されていてもおかしくないことから、期待通りに出勤時などを狙って身近な江ノ島線で撮ることはまず不可能だろう……と諦めていました。ところが昨晩、いろいろネットを閲覧した結果、何と昨日 (16日) は自分の出勤時間にドンピシャに合わせるかのように、江ノ島線内各停運用に入ることが判明!! まさに千載一遇のチャンス、撮らない手はありません……!
 そこでまずは桜ヶ丘にて途中下車し、後追いながら完璧な順光で撮影しました。他の車両たちが、多くの場合忽然と運用離脱してひっそりと解体されて行ったのに比べ、非常に立派なHMも輝かしく最後の力走を続ける9407Fは本当に幸せな編成だと思います……。
 その後、1本あとの列車で北上し、相模大野で折り返してすぐに江ノ島行としてやって来る9407Fを中央林間で待ち構えました。何ともうれしいことに、ちょうど空が薄曇りに……! 影が出来るピーカン天気ですと、午前中の江ノ島線下り電車はまずうまく撮れませんので、このようなカットを撮ることが出来て本当にラッキーとしか言いようがありませんでした。
 そして9407Fは、かん高い走行音とともに軽やかに去って行きました……。車体のあちこちが本当に満身創痍であるにもかかわらず、それを感じさせない優美な姿を最後まで保ったことは、まさに9000形ならではのプライドなのでしょうか。
 一時代を築いた私鉄電車の星・9000形、その輝きは永遠に……!

さよなら小田急9000形!

2006-03-16 17:15:00 | 大手民鉄 (小田急)


 いつも当ブログをご覧頂きましてありがとうございます。おかげ様をもちまして、当ブログは4万ヒットを数えるに至りました。あくまで管理人が個人的に思い入れている鉄事情を放談しているに過ぎない、いわばお気楽な自由放送のような内容に過ぎませんが、これからもぼちぼちネタがあり次第更新につとめたいと思っております。

 さて、先日ついに小田急から、9000形がダイヤ改正を控えた17日を最後に運用を離脱する旨のプレスリリースがありました……。3000形の増備ペースから言って、最後まで残っていた9401・9404・9407Fも多分ダイヤ改正前に全車離脱するだろうと予想していたのですが、やはりこの読みは間違っていなかったようです。9000形と言えば、この手の正面デザインを初めて導入することによって、その後の鉄道車両に革命的な影響を与えた車両ですが、それにもかかわらず引退直前まで正式な運用離脱に関するアナウンスがなされず、記念HMを掲げて走るのもたったの3日だけというのは、ちょっとあんまりではないか、という気がしなくもありません (-_-)。まあ、早めに正式告知をすると、特に最近の週末の東海道線のように、沿線は大変なことになってしまうことが明らかですので、2600系旧塗装復活のときに懲りた (?) 小田急としては、わざと離脱直前のアナウンスにしたのかも知れないなぁ、と思っています。
 う~ん、果たして今日を含めたあと3日以内に、うまい具合に江ノ島線の運用に入ったところを撮影出来るのだろうか……。恐らくそういう人が多いでしょうから、5月のさよなら運転&唐木田公開撮影会は大変なことになりそうな予感がします (まあそこのところは、既に海老名での車庫公開でテキパキとした来客整理の経験値を高めている小田急ということで楽観視していますが)。
 ちなみに、一応個人的には既に偶然に恵まれてお別れ乗車を済ませています。さる月曜の夜の帰宅時に思いがけずデハ9401に乗車し、さらに昨15日夜の帰宅時にも奇跡的にデハ9407に遭遇! そして「まさか壊れはしないだろうな」と思うほど猛烈なコンプレッサー音を立てながらの力走に感動の嵐でした……。自宅最寄り駅にて、高らかな走行音を響かせながら暗闇の中に消えて行く赤いテールライトを見送りつつ、小田急、いや日本の鉄道界における一つの時代をつくった電車がこうしてひっそりと去って行くのか……という感傷にひたったのでした (T_T)。
 思い出せば、9000形は90年代初め頃まで千代田線直通運用の花形であり、千代田線内で遭遇すると営団6000系や国鉄103系1000番台→203系と比べて非常に明るい雰囲気を振りまきまくっていたのが印象的でした。音は国鉄・JR車ほどではないにしても盛大でしたが (^^;)。その代わり、江ノ島線のようなショボい路線に入線してくれることは余りなく、ごくたまに2400形や4000形に交じってやって来るのを見かけると「奇跡か??」と思ったものです (笑。ちなみに80年代の江ノ島線では2600形も珍しい部類でした……)。しかし月日は流れ……いつの間にか9000形も江ノ島線の主役のひとつとなり、残り少ない9000を確実に見たければ江ノ島線、というのが定番になって今日に至りました。上の画像のような小田原線急行としては、確率の問題ゆえになかなかやって来ませんでしたが (たまたま夕暮れ&相模川鉄橋との組み合わせが撮れて大はしゃぎ ^^)、江ノ島線では、今はなき9409Fをはじめ、少なくとも2~3本が走っていました。
 何はともあれ、超花形としてもてはやされながら、やはり他の小田急通勤車両と同じように江ノ島線を中心とした運用 (?) で最後を迎えた9000形、本当にお疲れさまでした……。江ノ島線の真っ直ぐな線路をかっ飛ばす走行音をもう楽しめないと思うと、寂しいですね……。

鶴見線・減る一方の大川行

2006-03-15 13:23:16 | 国鉄型車両


 私鉄電車の話題が続いておりますので、たまにはJRダイヤ改正に関連して、鶴見線ネタでも……(^^;
 最近は103系引退騒動でかなり殺気立っていたという鶴見線も、ふだんはあくまで沿線の事業所に通勤するサラリーマンや国道・鶴見小野あたりの住民を乗せての~んびり走っています。しかし、各企業の人員整理、さらには工場地帯自体の新陳代謝 (重厚長大な工場の老朽化→土地売却→別業種の進出) の進行にともない、あるいは路線バスの方が便利なエリアもあって、年々乗客数は減る一方のようです……。
 その最たるものが大川支線でしょうか。既に朝夕のみの運行になって久しいですが、この改正からは土日の運行が1日3往復になります。大都会の片隅にして、岩泉線と同じレベルの本数!!
 この数字だけを見れば「鉄」趣味的に見てさびしさもひとしおですが、大川地区への通勤客や、大川貨物を撮りにしばしば通っている鶴見線貨物「鉄」の立場から見てみますと、ほとんど全くと言って良いほど困らないのが実情……です (^^;)。何と言っても、大川には平日の場合ラッシュ時15分間隔、昼間30分間隔、土日朝夕20分間隔、昼間1時間間隔で川崎駅からの臨港バスがありますし、そもそも武蔵白石駅からのんびりダラダラ歩いても10分もあれば大川に着いてしまいます (笑)。
 そういうわけで、土日の列車は削減されるべくして大削減され、僅かに「終着駅目当て乗り鉄御用達列車」が細々と走る、ということなのでしょう。
 今回の画像はもちろん最新のものではなく、04年9月に撮影したものですが、この頃まではまだ他にほとんど誰も撮り鉄を見かけず、ホントにのんびりと撮影できたものです (^^)。何事もたくさん走っている間に記録に励んでおくのがベストですね。
 しかしその後、鶴見線でも大変な騒ぎになったのは周知の通りでして、もし弁天橋に1編成だけ残る103系がさよなら運転をしようものなら大変なことになるのでしょう (-_-)。この残り1編成には再起不能な故障が発生しているらしい、というウワサもネット上でまことしやかに語られているようで、私にもどうなることか全く分かりませんが……。でもまあ、もしさよなら運転が実施されるとしても、私はこれらの画像で大満足につきパスするつもりです。ガラ空きで閑散としているのが鶴見線103系の味わいの真骨頂だ!という佳き記憶を壊したくありませんので……。