地味鉄庵

鉄道趣味の果てしなく深い森の中にひっそりと (?) 佇む庵のようなブログです。

マイクロN模型発売記念・京阪5000系

2011-06-25 00:00:00 | 都市民鉄 (近畿以西)


 かねてから発売が予告されていたマイクロエースの京阪5000系、先週目出度く店舗に出回り始めましたね~。私も新塗装と旧塗装の両方を予約しておりまして、ヒマを見て店に出向いて目出度くゲット! いや~ドアがズラリと並んだ圧倒的な雰囲気は、掌の上の模型でも絶妙に再現されており (少なくとも私は満足)、眺めているだけで豪快な走行音が脳裏で反響しまくるかのような心地がします (^o^)。
 というわけで、発売延期が絶えないマイクロ模型としての無事の発売を記念しまして、昨年夏に5000系を撮影したカットをアップ♪ 世間的な人気は圧倒的に旧塗装に傾き、模型の世界でも旧塗装は速攻で売り切れ、新塗装はまだまだ残り多数なようですが、私個人としましてはどちらも大好きです♪ そして、新塗装が巷で不人気となれば、些か不憫に感じて肩入れしてみたくなるというものですので (^^;)、とりあえず新塗装をフィーチャーしてみます~。



 そういえば、この時の撮影は2600系ミュージアムトレインの登場に合わせてのもので、以来約1年ほど京阪は御無沙汰であることを思い出しました (滝汗)。京阪の塗装変更は結構なペースで進んでいるようですので、今度訪れる際には完全に新塗装天国になっているのでしょうか? 個人的には、2600系の新旧塗装混結編成を撮っておきたいのですが、やはりまめに通わないとイカンのでしょうなぁ~(^^;)。
 2600系といえば、マイクロからさらに新造編成 (2630) の新塗装バージョンが出るとのことで思わず予約してしまったのですが、個人的に一番リリースを望むのは、京阪の中でも恐らく最も地味な存在である1000系だったりします (^^;)。ドア間に田の字窓が2つ並んだ直線ボディ……最高です! あ、でもその前に、結局首都圏民には鉄コレ購入のハードルが高かった1900系が、鉄コレのオープンパッケージやマイクロ完成品として出ないものか……と (^^;;)。

変動期の205系 (4) 横浜線早春の雪

2011-06-24 00:00:00 | 国鉄型車両


 ここしばらく実車の画像を全然アップしていなかったことに気づきましたので (撮り貯めてはいるのですが、なかなかレタッチの時間が……^^;)、乗りバスの旅のゴール・橋本駅にちなんで、横浜線205系の画像をアップしてみましょう (^^;)。
 とくに、ここしばらく梅雨らしい気候が続いていたと思いきや、昨日一昨日とイキナリ強烈な蒸し暑さとなりましたので (@_@;;)、せめて視覚だけでも涼味を……ということで、今年の3月に撮影した束の間の雪化粧の模様です。引退を目前に控えた京王動物園線の6000系を撮影した帰りに、高幡不動から八王子を経由して横浜線でも少々撮影したのを思い出しました……。



 たとえ首都圏南西の大動脈である横浜線といえども、橋本以北の分水嶺越え区間に雪が積もりますと、それなりに雪国っぽい雰囲気となりますが (そんなことない? ^^;)、そこを日中行き交う車両が基本的に全て原形の205系であり、しかも6扉車を組み込んでいるというあたり、今や首都圏のJR線の相当部分を走るんです車両が席巻し、6扉車も山手線で急速に淘汰されつつあるという状況もありますので、やけに時代がかった冬景色のように思えて来るのは私だけでしょうか?? (^^;;) つい数年前まではこれといって興趣をそそらなかったはずですが……。しかし今や、横浜線205系よりも新しい京葉線205系が続々と廃車となり、あるいは横浜線205系よりも僅かに古い「田の字窓陣営」も廃車 (青201)・インドネシア譲渡 (203)・富士急譲渡改造中 (田の字205) といった運命をたどりつつあります。そこで、そろそろ横浜線205系も置き換えの可能性が高まっているのだろうか?と思うにつけ、緑の濃淡帯が好ましい印象の205系が直流モーターの雄叫びを上げつつカッ飛ばす光景を、今のうちに味わい尽くしておかなければ……と思う今日この頃です。

祝!神奈中バス90周年・津久井の旅 (下)

2011-06-23 00:00:00 | 濃いぃ路線バス&車両


 やまなみ温泉界隈での乗り&撮りバス、そして夢見心地の入浴&生ビールbeerを楽しんだ後は、14時57分発のバスに乗って道志街道の要衝 (?) 東野へ向かいます。何と約3時間もやまなみ温泉界隈に滞在したことになりますが、慌ただしい日常からみて何という贅沢……(*^^*)。
 東野へ向かうバスは篠原行と同じく日野ポンチョでありますが、篠原への往復と比べ最大の違いは……一応ハードな狭隘路は存在しないということでしょうか。やまなみ~篠原間の道も県道だったりするのですが……(汗)。というわけで、ところどころ現れる急カーブもポンチョにとっては全く苦ではなく、時折集落が現れて学校帰りの小学生や温泉帰りの老人を降ろして行くごとに、目の前には巨大な丹沢山塊の本体が迫って来ます。そして最後に道志川の谷底に向けて高度を下げ、実に古めかしい道志ダムの本体の上を通り、周囲の険しい山々から見れば猫の額ほどにごく僅かな平地を申し訳程度に走りますと、目指す東野(ひがしの)に到着~。ここまで所要約20分で、運賃は200円ポッキリ也。



 津久井湖から枝分かれする相模川の支流・道志川は、山中湖の東の分水嶺に源を発し、丹沢山塊裏側に険しい峡谷を形作りながら流れ、主に横浜市の水源として利用されていますが、その水質の素晴らしさは、横浜港で積んだ水がとにかく腐らないことから、世界の海運業界にも広く知られるところとなっているとかいないとか。また、そんな険しい清流のほとりにはごく僅かながら集落が点在し、それらを繋ぐ細く険しく長い道は古くから道志街道と呼ばれ、神奈川県北部から富士五湖に至る裏技ルートとして割と良く利用されてきたという歴史があります。そこで、この街道には人口密度の低さにもかかわらず昔から路線バスがそれなりに運行され、津久井町の中心・三ヶ木→東野→県境の月夜野という順序で神奈中バスと富士急バスを乗り継げば、橋本駅から山中湖・都留市・富士吉田まで野趣あふれるバスの旅を満喫することが出来た……はずでした。とくに、手許にある1980年代初頭の全国時刻表を繙きますと、このルートの神奈川県側の時刻(約60~90分間隔)が掲載され、山間部の生活の足としてしっかりと機能していたものでした……。また、山屋としての視点からみますと、小田急の渋沢駅から神奈中バスで15分ほどの大倉を振り出しとして丹沢山塊の主脈を縦走しますと、東野または三ヶ木~東野間の西野々がゴール地点となることでも知られています。私もかつて山屋をやっていた10年以上前、朝6時過ぎに大倉を出発して夕方東野に到達するというハードな縦走を敢行し、帰りは東野から三ヶ木へ向かったものです (健脚だったなぁ……遠い目 ^^;)。
 というわけで、道志川の峡谷にぽっこり開けた東野にて発着する神奈中の路線バスは、地域の貴重な足にして山屋愛用の路線だったはずですが……時代は流れて道路が相当整備され、沿線民の外出は自家用車に流れ、山屋も縦走ではなく自家用車利用・林道駐車のピストン山行が主流となり……ついに数年前、神奈中は伝統の三ヶ木~東野~月夜野線の廃止を打ち出したのでした。しかし確実に沿線人口は存在し、とくに通学生や公共交通派の山屋にとって大打撃となることから、辛うじて平日6往復、土曜休日2往復 (!) が相模原市の補助金によって命脈を保っているのが現状です。あるいは、単に東野からであれば、やまなみ温泉乗り換えで藤野へ出る方が、鉄道へのアクセスという点で有利なことは否めず、しかもやまなみ~東野間はもう少々本数が多いため、三ヶ木~東野線の価値が低下したのも事実……。
 今回神奈中バス・津久井の旅を敢行したのは、やまなみ温泉界隈のバスシーンを楽しんでみるのもさることながら、まさに廃止の危機にある三ヶ木~東野線を、存続しているうちに(そして二段窓エアロミディが走っているうちに)一度乗っておかなければ!と思ったためでありました (汗)。そして当日は期待通り、二段窓エアロミディが御登場! (^O^) 東野集落中心街 (?) との組み合わせ(1枚目) も良い感じに決まりました……(^_^)v そして三ヶ木までの約40分間、ところどころ現れる未整備区間の狭隘カーブや、新道から分かれて狭隘路の集落に入って行くところを楽しみつつ、下り坂の連続ながらも響き続ける重厚なエンジン音に酔いしれたのでした……☆
 そして16時45分、ついに津久井神奈交バスの本拠・三ヶ木に到着! バスターミナル脇の車庫には何と!二段窓エアロミディが並んで休息しているという、今や神奈中では最高に貴重なシーンが待ち構えていたのでした♪ その後は津久井湖経由の橋本駅北口行バスに乗って、17時30分頃橋本駅にゴール!! 橋本駅は近年、相模原市北部の一大人気エリアとして大型マンションやSCの類が林立しつつあるところであり、しかもリニアの駅が設置される可能性が高まっているなど、飛ぶ鳥を落とす勢いで発展しつつあるスポットですが、ここからすぐそばに津久井・裏丹沢の深い山並みが広がっており、その中を零細な路線バスが辛うじて走っている……という事実が全く信じられないという気分で横浜線の客となったのでした (^^;;)。

鉄コレ中央東線クハ76を茶坊主化する

2011-06-22 00:00:00 | 超へっぽこ模型製作


 飯田線や大糸線の旧型国電をGM板キットからシコシコと製作を続けている私の脳裏では旧国ブームが吹き荒れ状態 (笑)。先日も、いつもお世話になっている模型屋にて入荷したばかりの中古品を眺めていたところ、ふと鉄コレ中央東線70系4連 (しかもN化パーツ取り付け済) が売っているのを発見しまして、「さて部品取りにするか……それともテキトーに塗り替えて遊ぶか……」という出来心が生じてお買い上げと相成ったのでした。
 そこでとりあえず、Hゴム顔のクハ76をバラして車体をシンナー池にドボン! かつて京阪神緩行線の主力として独特の存在感を放ちまくりであったといわれる「茶坊主」葡萄色2号塗装を施してみました (^^;;)。また、中央東線対応として低屋根となっているモハ72850につきましては、昭和30年代半ばまでは葡萄色2号だったとのことで、他にも複数の路線で葡萄色2号を纏い使用されたことから、様々な路線の編成を楽しむために丁度良い塗装として、これまた葡萄色2号に (汗)。



 ただ、鉄コレの旧型車両のうち、窓の表現が車体側ではなくガラスパーツ側となっている車両を塗装変更する場合、窓ガラスパーツの色の付いている部分にマスキングを施さなければなりませんので、この最高にちまちまとしたマスキング作業にヘロヘロ……(@_@)。とはいえ、近いうちに飯田線・大糸線のクモハ43・クハ68 (クロハ59改) がリリースされ、さらに今後続々と鉄コレで旧国が展開されて行くだろうと予想するにつけ、車両を自分で塗装変更して遊ぶにあたり、窓ガラスパーツの塗装変更テクニックに慣れておくことは欠かせませんので、まぁ我慢我慢 (^^;;)。どれほど注意深くマスキングしても、何のかの言って元の色が残っていることが少なくなく、かといって余り上から塗る塗装の面積を増やしても不自然に窓枠が太く見えてしまうことにもなりかねませんので、どのようにバランスをとれば良いのか難しいですね……。
 ともあれ、こうして葡萄色2号を施した2両ですが、GM板キットから製作した73系と併結しても車体の大きさが異なりすぎ混結はためらい……。一方、連結相手として丁度良さそうな (?) 手持ちのTOMIX73系ハイグレード車は、残念ながらモーター無しの付属編成であるだけでなく、全車ボディマウント式TNカプラー装備ですので、かりにモハ72850に鉄コレ動力を仕込んでもTNカプラー装着化改造を施さない限り混結できず……。というわけで、とりあえずは鉄コレのクモニ13に引かせ、庫内入換or小運転での回送という雰囲気としております (^^;;;)。

成田空港・最新の表情(鉄分ゼロ・鶴丸目撃)

2011-06-21 09:54:00 | ノンジャンル


 成田空港はたとえ羽田と比べて遠く、周辺国・地域のターミナル空港に比べて貧弱といえども、とりあえず新型京成スカイライナーの登場により心理的にグッと近くなり使いやすくなったのも事実。そして個人的には、震災翌日に京成の超寿司詰め普通→北総→印旛日本医大乗り換え成田スカイアクセスを乗り継いでやっとのことで到達し、店の商品がことごとく棚から落ち、ところどころの天井が壊れ、籠城を強いられた外国人旅行者が使った段ボールが散乱する中、キャセイ航空に乗って出国したという強烈な記憶が残るところでもあります。
 


 昨日は、そんな成田空港が震災後100日を経て何とか平常を取り戻した姿を、小学校の父親参観日の代休だという甥っ子を連れてちょこっと見物してきました。いつの間にか小3となった甥っ子は、金をかけずに出来る鉄道趣味として、初めて利用する駅のポケット時刻表をゲットしてクリヤケースにコレクションするという、まるで朱印帳集めのような方向に走っているのですが (汗)、そんな甥っ子が私に「月曜は平日休みかどうか」を電話で訊いてきて、そうだと分かるや否や強硬に「どっか連れてって~」とせがんだもので……(馬鹿な叔父さんだなぁ →慣れない○キの相手で今日は疲労困憊 ^^;)。
 というわけで、まずは別のとある濃いぃスポットを訪れたのち、京成成田から芝山鉄道をめぐり、東成田駅から恐怖の (笑) 連絡地下通路を通って空港第2ビルへ。成田空港そのものは、節電していることと震災に関連したディスプレイを除けばほぼ日常を回復していましたが、人の少なさは6月の夕方ということもあって如何ともし難いものがありました。夕方のスカイライナーも、40分間隔に間引かれてもなお余裕あり過ぎな乗車率でしたし……(-_-;)。最大の儲けは、復活した「鶴丸」を目撃したことですが (*^o^*)、数年後には珍しくも何ともなくなっているのかも。