地味鉄庵

鉄道趣味の果てしなく深い森の中にひっそりと (?) 佇む庵のようなブログです。

秩父7506F・長津田からの旅立ち (デヤ編)

2012-01-26 00:00:00 | 事業用車両


 東急8095F改め秩父7506Fが先日完成して恩田から長津田まで送られたことにつきましては、既に当ブログでも熱くお伝えしましたが、一昨日にはかねてから鉄道雑誌でも伝えられている通り長津田からの甲種輸送が実施され、武蔵国の南から北へと帰らぬ旅に踏み出して行きました。個人的にこの7506Fは、恩田での出発前日入換、そして長津田送り本番という最重要シーンを目撃したこともあって、すっかり思い入れの対象となってしまいましたので、一昨日は夕方の用務以外の予定をいじることが出来たことから、DE10によって授受線から横浜線側へと引き出されるシーンも見逃せない!と思い、底冷えの長津田界隈へ向かったのでした。
 まずは定期的な医者通い (足のリハビリ運動) を終えたのち、田都末端部で少々撮り鉄をしまして (いずれアップします♪)、車内から授受線の様子を見下ろしたところ……あれれ?従来長津田から出発する甲種車両は当日朝の時点で授受線に押し込まれていたはずでは?と記憶していたのですが、7506Fの姿形は全く見当たらず……。そこで、もしやすると雪の影響で甲種輸送はウヤが決まってしまったのだろうか?という不安に襲われたのでした。



 とはいえ「やはり鉄道雑誌には今日出発と明記されているはず。まぁとりあえずは空腹を満たして時間をつぶそうか。運が良ければ何かしらのシーンが見られるはずだべぇ」と思い直しまして、長津田界隈のラーメン屋「○つ屋」で博多ラーメンを賞味して暖をとったのち、徒歩で恒例の恩田ウォッチへ (笑)。恩田からこどもの国線に乗って再び長津田に戻ってきたのでした。
 すると……何と!こどもの国線列車とデヤ+7506Fが同時に長津田駅に進入! (笑) やったー!これで甲種ウヤは絶対になくなりました♪ そこで、小走りで駅西側の陸橋に向かいまして、デヤが7506Fを授受線に押し込むシーンの撮影に成功! (*^^*) さらにしばし待ち、いよいよデヤが下り本線に戻るという頃合いになりますと、突如淡い光が差し込む中で雪が一気に舞うという最高にドラマチックな展開に! これから永遠に東急から旅立つ7506Fのためにデヤが降らせた別れの名残雪であるかのような雰囲気すら感じられ、あるいは間もなく引退しようとしているデヤのために用意された最高の花道のようにも思われたのでした……。
 何はともあれ、このときこの瞬間まで、私自身は7506Fの授受線押し込みシーンを撮影できるとは全く思っておりませんでしたので (朝までに押し込み終了→それがなければウヤ……とほとんど思い込み)、それをこうして記録出来たのは余りに幸運なことであったとしか言い様がありません♪

鉄コレ身延線62系をJRC色化する (上)

2012-01-25 00:00:00 | 超へっぽこ模型製作


 JR東海といえば、先日公式HPにて119系の今春全車引退が明らかにされました……。飯田線旧型国電を全廃に追いやった時点で子供心に強烈に「新車」イメージを見せつけられた119系も、そもそも下回りの一部は101系等の部品を流用しているはずで、しかも鋼体も約30年となっていますので、新幹線によって莫大な収入を得て車両置き換えの余力があるJRCにあっては、むしろ想定以上の長寿を十分享受して今や然るべく引退の時を迎えたと見るべきなのかも知れません……。いやはや、本当に時間の流れは無常です。
 そこで、ここに来て趣味界においては国鉄末期の1M電車に注目が集まっているようで、RP誌では来月号にて特集が組まれるほか (楽しみ!)、鉄コレでも飯田線119系 (東海色) と福塩線105系 (黄+青帯) がリリースされるとか! いや~マイクロのを買わずにいて良かった♪ (とくにマイクロの105系は超腰高ですので……)
 そんな国鉄型1M電車は、極度の赤字を抱えた国鉄末期・1980年代において、地方線区のサービス向上を目指して生み出された苦心の作品ですが、いっぽう同様の目的を掲げて1970年代に登場したのが、73系の車体載せ替え版であるモハ72970及びクハ79600、そしてモハ62・クハ66といったグループです。個人的には、これらの車両が大増殖していれば、中途半端な存在として早々に消え去ることにはならず、その後1990年代まで国鉄・JRでもそれなりに釣掛の旅を楽しむことが出来たのではないか?と思うのですが、結局「同じ金欠でも長い目で見れば新性能車で用意した方がマシ」という方針となったことこそ口惜しけれ……(あ、でも1M新性能車は大好きです。釣掛ならもっと良かったなぁ~ということで ^^;)。



 そんな73系のアコモ改造車、いよいよ仙石線のモハ72970・クハ79600が目出度く鉄コレで発売となりますが、身延線のモハ62・クハ66が既に第9弾及びオープンパッケージとして発売されていることは未だ記憶に新しいところ (?) です。そして個人的には、東武7300系を長大編成として楽しむために第9弾を4箱買い、その結果モハ62・クハ66を2編成 (のちにオープンパッケージを加えて計3編成) 所有しておりますが、ここにきて、そんな国鉄型1M電車をめぐる状況を耳目するに及び、ある妄想が沸々と……。「そうだ、かりに73系のアコモ改造車が大量に用意され、1980年代以後もしばらく地方幹線・ローカル線の主力として君臨し、113・115系などと伍していたとしたらどんな感じだろうか? そして、国鉄の負債返還の重荷のためにJRCの経営が現実ほど良くないため、おいそれとモハ62・クハ66を廃車にすることは出来ず、冷房化のうえ1990年代まで活用するという選択をとったとすれば、果たしてどんな感じになるのやら……?」(^-^;) 
 というわけで、手持ちの1編成を妄想改造の種車に供することにしまして、手始めとしてクハ66にJRC標準色を塗り、名物の分散インバータクーラーを搭載してみたのが1枚目 (爆)。個人的には長らく、113・115系にもJRC色は似合うのではないか?と思っておりましたので、実際に妄想模型として再現してみた結果確かにイケてます! (笑)。最近、国鉄型電車への新たなJRC色塗装として、リンク頂いている『Asian Railway Plaza』様のインドネシア鉄道への提案が見事に採用されたという事例がありますが、そう、JRC色がナウなのですよ、きっと! (^^;;) しかし妄想はあくまで妄想。原理主義的JRC党の皆様には心よりお詫び申し上げます (笑)。
 それはさておき、幕はトミックスの113系湘南色セット付属の静岡幕を貼り、釣掛サウンドをバリバリに響かせながら天下の東海道線をブッチ切って飛ばす姿を妄想しているのですが、とりあえずあと3両塗らなければ……と思うと気が重いですね (^^;)。しかもこの塗装、デカールは使わず全て缶スプレーで塗っているのですが、マスキングの位置決めが非常にシビアで眼と指先が疲れます……(@o@)。あと当面の課題として、床下に手を付けざるべきか、はたまたJRCらしくグレーに塗装すべきか選択する必要がありますが、1990年代半ばには廃車になるという筋書きとし、黒のまま何も塗らない (→グレー化は90年代半ば以降) という安直さに流れる可能性大です (汗)。スカートぐらいはグレーにしても良いかな……と。

JR東海のステンレスDCを撮る@新宮

2012-01-24 00:00:00 | JR発足後の車両


 205系の富士急譲渡にあたりふと思ったのですが、全然新車だと頭の中で思い込んでいたにもかかわらず、実は意外と車齢が高くなってしまい、廃車が始まる……という事例は、1980年代以後・ビードプレス世代のステンレスカーに結構多いような気がします。東急9000系然り、JR205系や211系然り……。そして今や、1990年代に入ってから製造された車両も車齢20年の大台を超える頃合いとなってしまいました (滝汗)。というわけで、90年代製といえども油断していると「カッコ良いと思いつつも結局撮ったり乗ったりせずにいつの間にか廃車」という事態になってしまいかねません。
 個人的に、そうなる可能性がこれまで高かったのはJRCのキハ85。名古屋駅等でDC特急らしく強烈なエンジン音を吹かしている光景を眼にする度に「そのうち乗りたい!」と思いつつも、高山線はこれまで越中八尾以北で普通列車に乗ったのみ (乗りつぶし派ではないもので……^^;)。紀勢線JRCゾーンも、悠長な旅をするだけのヒマがなくなってしまった結果、一体何時以来乗っていないだろうか……と (確か10数年前に18きっぷで乗ったのが最後)。というわけで、キハ85は何のかの言って乗ったことはなかったのでした (^^;; →撮影は以前山科で「ひだ」を撮影したことあり)。しかし昨年末の出張ついでに奈良交通・八木新宮線を走破したあとは、南紀8号~のぞみ乗り継ぎで一気に帰宅したことから、目出度くキハ85に初乗車♪ もう日が暮れた後でしたので、折角のワイドビューを堪能することは出来ませんでしたが、快適な車内と激しいエンジンの唸りのコンビネーションを満喫したのでした♪



 なお、八木新宮線・南下第一便の新宮到着から南紀8号の時間までは2時間弱の待ち時間があり、しかも新宮駅の目の前に都合良く踏切がありますので、ついでに日が暮れるまでの間に発着する南紀5号と多気行き普通列車を撮影してみました。
 まずキハ85ですが……余りにも当たり前過ぎることではありますが、今こうして貫通バージョン (100or200番台。バリアフリー対応車は+1000) を眺めてみますと、薄幸の名優・名鉄→会津キハ8500を激しく思い出しますね……(*^^*)。昔は大して趣味的に関心が向かなかったはずが、今やこうして会津キハ8500という存在を媒介として、キハ85貫通顔にもメロメロになってしまったという……。人の好みはいつどうなるか全く分かったものではありません (笑)。そして新年に入ってからは、近所の模型屋のセールでKATOのキハ85を買ってしまったのでした (ひだですが。^^;)。既にN化改造を済ませたアンレール製キハ8500 (鬱) と並べることも出来ますが、マイクロから発売予定のキハ8500と競演させるのが楽しみです☆
 いっぽう2枚目は、JRC名物キハ11のうちステンレス製の少数派である300番台。キハ11の中では希有なトイレ付き車両であるため、基本的には伊勢所属車の長距離運用……というわけで紀勢線鈍行に多用されているようです。まぁ紀勢線鈍行といえばキハ40・48に当たる方が全然良いですので、このカットは貧乏くじではあるのですが (^^;)、キハ11の鋼製車がいつの間にか車齢20年を超え、キハ40系列ともどもそれほど先は長くないと思われる中 (JRCの車両更新の勢いは、近い将来基本的に国鉄から継承した車両を廃車にしてしまうようで……)、こうして鋼製車と混結されているシーンも行く行くは歴史のひとこまになって行くのでしょう。

富士急6000系2本目・Mc化改造車御尊顔

2012-01-23 00:00:00 | 貨物列車 (甲種輸送)


 JRE205系改め富士急6000系は、大月駅富士急ホームの有効長や利用客数に鑑みて3連となっており、2M1Tという構成であればあのジェットコースターのような急勾配の連続でも余裕の力強い登りを発揮するものと思われます。まぁ国鉄型車両のパワーは115・165・201系等で十分実証済みですから、205系もブレーキさえ万全であれば特に問題ないのでしょう (私は文系人間なもので車両技術については暗いのですが、これまで平坦地での活躍がほとんどであった205系を、「パーミル会」の一員であるほどの超!山岳路線に持って行くにあたっては、抑速ブレーキ的なものを増強しているのかも知れないですね……)。
 しかし205系の3連化・ローカル線転用にあたっては、制御電動車を生み出すために必ず中間電動車を改造しなければならないという金のかかる問題が (まぁこの点は東急8000・8090系も然りですね)。そこでJREでは南武支線としてクモハ204・205-1000番台 (クモハがない阪和線用1000番台とは全く無関係)、鶴見線用としてクモハ204-1100番台という珍車を生み出していますし、今回富士急6000系を生み出すにあたってもモハ205がクモハ化改造されています (富士急での呼称は単にモハとなるでしょうけど)。



 というわけで、ただでさえモハ205の先頭化は他に南武支線にしか見られないレアなものであるだけでなく、新たに取り付けられた顔はのっぺらな完全新品ではなく廃車クハからの流用品 (?) であるという点で、富士急6000系のMcは非常に興味深い存在だと思われるのですが、さらに「これでもか!」と言わんばかりに霜取り用 (?) ちょんまげ前パンが装備され (*^O^*)、しかも今回輸送された第2編成は田の字窓の量産先行車だというのですから、超絶珍車度はここに至れり! 地味でも濃いぃ車両を愛玩して止まない私のハートはもうメラメラと熱く煮えたぎり、降りしきる氷雨もなんのその、頭から湯気が立ち上るほどの (んなわけない ^^;) 興奮とともにひたすらシャッターを押し続けたのでした! (笑)
 しかし……帰宅して画像をチェックしたところ唖然……。1枚目のシーンではちょうど御尊顔の右側・横浜線ホームの端に変なジ○イが写っている……(ブルサンが切り離されてからDE10が連結されるまでの超限定シーンであり、しかも私の場合は横浜線ホームから移動してこの位置で構えてからDE10の連結まで僅か10秒ほどでしたので、全く気づかなかったという……T_T)。というわけで、レタッチ時に消去していることをお断りしております (^^;)。
 入換が一通り終了した後は大月方のDE10が切り離され、こんな感じで道路のすぐ脇に留置されておりましたので、フェンスの上にカメラを出して撮影してみたのですが、ちょんまげ前パンが写っていないと今ひとつフツーですね (^^;)。とはいえ、この車両について正面のみ帯がないという状態を撮影出来るのはこの日が最初で最後でしょうし、長期間長野工場住まいだったことを物語る車体の汚れや、何故かスカートにグルグル巻かれたガムテープ (?) など、如何にも怪しい風体であるのも甲種輸送時ならではでしょうから、これもこれで貴重なカットです♪
 今後は、果たしてどんなカラーリングを纏うかが最大の焦点といったところでしょうか。そして、3月にはいよいよ鉄コレで南武支線2連がリリースされるでしょうから、鉄コレで富士急6000系2種 (一段下降窓・田の字窓) がリリースされるのか否かも要注目でしょう。そして……6000系は観光列車ではないでしょうから、個人的には水戸岡デザインとならないことを激しく期待しております (ミトーカ化されたら写欲がゼロに近くなりそう……)。

富士急6000系2本目甲種輸送・八王子入換

2012-01-22 00:00:00 | 貨物列車 (甲種輸送)


 富士急では従来からの主力であった京王5000系改め1000系の老朽化に伴いJRE205系を購入するはこびとなり、さらに最新特ダネ (『47News』) として小田急20000形RSEを購入したい意向であることが伝えられるなど、ここに来て一気に車両事情が激変しつつあります。そんな中この週末は205系改め6000系の2本目となる甲種輸送が実施され、長野から一旦梶が谷に送られた6000系は梶が谷→新座→西国分寺短絡線というルートで方向転換されたのち八王子に到着~。深夜の富士急入りを控え、八王子駅を利用する多くの客の注目を浴びて (?) おりました。
 そこで私も、今回輸送されるのは田の字窓車であるうえ、足の具合も入れ換えシーンの機動的撮影が十分可能な程度まで回復していることから、「こういう貴重な機会を逃すべきではない」と思いまして (^^;)、勇躍八王子駅へ向かったのでした。雪の期待が一転、氷雨という最悪の天候でしたが、まぁ光線はフラットですので、様々なアングルから撮影可能だろうという期待とともに……(笑)。



 今回甲種輸送の牽引を主に担当しているのはEH200であり、遠くからブルサンと田の字窓205系の組み合わせが姿を現した瞬間「今や甲種輸送もブルサンの時代か……」と少々腰を抜かしたのですが (^^;)、編成の最後尾には大月での押し込みに備えるためかDE10 1566が連結されており、新鶴見所属の常連原色系罐の御登場に「をっ来た来た!」と気分も盛り上がります♪ そこで、入線直後に中央線ホームから撮影したのち、跨線橋を渡って横浜線側からも撮影し、赤い罐と京葉帯のコンビネーションを満喫したのでした☆ 
 その後ほどなくして、切り離されたブルサンの代わりに貨物色のDE10 1748が大月方に連結され、DE10のプッシュプル編成が出発進行! これはひとえに、深夜まで無架線地帯に6000系とDE10 1566を留置しておくために実現した、束の間の夢の編成であると言えましょう……(*^^*)。
 こんな感じで、常に他の撮り鉄よりも早め早めにDE10の動きを読みつつ機動的に動き回り、最高に貴重なシーンをゲットした後は、氷雨に打たれてすっかり冷えた体を暖めるのを兼ねて、遅い昼メシとして改札内の駅蕎麦へ。恐らくはNRE系蕎麦屋なのでしょうが、そういう店で心から美味い!と思ったのは、まさに激写のあとでナチュラルハイになっていたためなのでしょう (^^;)。
 ※21日夕方にアップしておりますが、22日付の記事とさせて頂きます。

【FUJIKYU Series 6000 (former JR East 205) 2nd formation has rollout and sending to Otsuki by JR Freight】Fujikyu Line runs the southeast area of Yamanashi Prefecture, and it is very famous because of the view of Mt. Fuji and hard slope from Otsuki (junction with JR Chuo Line) to Lake Kawaguch constantly continues 40‰. The main cars of Fujikyu has been Series 1000 (former Keio 5000), but they became too old. Now, Fujikyu decided to buy JRE Series 205 and the restoration to adapt Fujikyu Line is now on work in JRE Nagano Workshop, then yesterday the 2nd foemation was send to Fujikyu.