地味鉄庵

鉄道趣味の果てしなく深い森の中にひっそりと (?) 佇む庵のようなブログです。

350万アクセス御礼・北陸鉄道3770形

2012-12-18 00:00:00 | 懐かし画像


 いつも当ブログをお楽しみ頂き誠にありがとうございます m(_ _)m
 このたび当ブログは350万アクセスの大台に達しました。アクセス解析を眺めてみるにつけ、最近は鉄コレ・模型関連で検索のうえ当ブログをご覧になられる方が多いようで、その結果アクセス数も「このような、鉄道趣味界の如何なる利権や声誉とも結びついておらずマイナーなはずの個人的ブログが何故……」としか思えないほどのものとなっておりますが、こうしてアクセスされたところで載っているのは自己流の車両画像とヘタクソな模型いじりの結果に過ぎず、検索で期待された方には大変申し訳ございません (^^;)。ともあれ、今後もあくまで個人的な鉄道趣味活動&偏屈な思い入れの備忘録として淡々と綴って行くのみですが、不正確や偏見をも笑い飛ばしてお楽しみ頂ければ幸いでございます m(_ _)m
 というわけで、今回の記念画像は……鉄コレ16弾の北陸鉄道6000・6010形が素晴らしい出来だったのを記念しまして、石川線の3770形をアップしてみましょう。



 この3770形は以前にもアップしましたが、当時使っていたフィルムスキャナはキヤノン製で結構高かったにもかかわらず、所詮フィルムスキャナ黎明期のボロ。青息吐息の動作で、しかもジャジャ馬な画像しか取り出せず、結局1枚スキャンしてレタッチするにも疲れ果てるという……(-_-;)。というわけで、最近巷で流行 (?) の、ポジフィルムをライトボックスに乗せてマクロレンズで接写するというお手軽スキャンは本当に便利ですし、これまで未スキャンだった画像をこうして紹介しようという気分にもなるものです。
 それはさておき、3770形は元はといえば1928年に愛知電鉄 (現・名鉄名古屋本線の三河ゾーン) のデハ3300形として登場し、一時は特急「あさひ」として日本一の俊足を誇った伝説の大型車。ただ、HL制御であったために3700系列に下回りを譲って廃車となり、近似の車体ながら7年後に登場した名岐800系 (AL車の元祖) とは対照的な運命をたどっています。そして車体は北鉄石川線・豊橋鉄道・大井川鉄道に流れ、北鉄石川線ではモハ3770形2両 (当初3両ながら1両は早い段階で事故廃車)・クハ1720形4両が7000系導入まで活躍したという経緯があります。
 というわけで高校時代の私は、まさにこの3770・1720形目当てで2度石川線を訪ねているのですが、いや~、3770形のこの車体!ニス塗り白熱灯車内!……本当に至福のひとときだったのを思い出します (*^^*)。準急サボ・行先サボともども、毛筆体なのがさらにグッと古豪の魅力を引き立てていますね……☆ そして1720形は、窓の上段がHゴム支持に改造され、車内はペンキ塗りとなっていましたが、これはこれで「窓が小田急1800っぽい (?)」という悦楽がありましたし、何と言ってもラッシュアワー用に仕立てられた2M1T編成も、石川線が「石川総線」と呼ばれていた頃の威厳を雄弁に物語って余りあるものがあります♪
 というわけで、「しらさぎ」「くたに」に引き続く北陸鉄道車両の鉄コレ化推進を夙に願っている私としましては、何よりもまずこの3770・1720形の鉄コレ化を切望しているのです……! 名鉄3300 (初代)・豊橋モ1800 (初代)・大井川モハ309というバリエーション展開もバッチリですし♪ しかし……鉄コレ第14弾で名鉄3800系出自車両が余り人気ないらしい様子を眺めるにつけ、その機会もかなり遠い先になってしまうのではないかと危惧しております。ト○ーテック様、何卒製品化を宜しくお願い申し上げます……m(_ _)m 

鉄コレ東武2000系をN化する

2012-12-17 00:00:00 | 超へっぽこ模型製作


 怒濤の鉄コレ攻勢が続くこの秋から冬、やっぱり恒例の年中行事として出て来たのが、東武商事限定の東武2000系! しかし……個人的には、急速に増える手持ち在庫に対してなかなか整備が進まず、ある種の「鉄コレ疲れ」が生じていたことに加え、いくら東武好きと言っても、2000系に乗ったのは日比谷線内での1度きりしかございません (※)。そこで「うーん、東武の過去の車両では最も思い入れが薄い一品で来たか……。これがもし顔・屋根・下回り違いの3000系列であれば、かつて栃木ローカルを訪ねた際、車体更新車であることを理由に「ハズレ」「○ソ」だの何だのと内心文句を飛ばしたものの (中坊の私は本当に浅薄なバカでした ^^;)、今となっては乗って撮ったこと自体やはり激しく懐かしい車両であることには変わりないので、全力でミクリ大行列に加わり超ゲット!なのだが……」と思い、結局ミクリイベント訪問を見送ったのでした。たまっていた仕事を家でする必要もありましたし……(仕事を家に持ち帰るダメ人間です ^^;;)。
 とはいえ、ゲットされた方々のレポートをネット上で拝見するにつけ、心は激しく揺さぶられまくり (^^;)。何と申しますか、他の車両と並べると、その車両が非常に引き立つのみならず、2000系自体も豆腐のようでシンプルな車体がとても魅力的に見えるのです! とりわけ、リンク頂いております『Nゲージ鉄犬』様にアップされている、営団鯨・東武2000・東急7000の並びは悩殺レベル……。



 そこで、あくまで最低限の投資により、とりあえず動力は入れずN化だけ済ませておく置物としようと思いまして、去る13日の通販開始10時きっかりに「ポチっとな」(爆)。3箱6両を購入し、中間に運転台が入るインチキ編成ながらも見映えはそれなりにする6連とすることにしまして、ブツの到着後はチャチャっと分解して手持ちのGM8000・5000系用銀インレタ (一番下に 東 武 鉄 道 の4文字が入るヤツ。数字を1文字ずつ拾うのは疲れますなぁ~!) を貼り、半光沢を吹いて再び組み立てた次第です。行先は、東武伊勢崎線沿線の中でも古き良き東武沿線らしさが未だに濃厚に残り、かつ駅ラーメンが激しく食欲をそそる春日部に敬意を表しまして、一つ隣のキカスとしております (笑……そういえば、80年代はもう黒地に白字でしたっけ? 汗)。パンタはGMのPT43Nをポンと乗せました。まぁ総じて、セイジクリームが少々青っぽいかな?という点を除いて良く出来ていると思いますが、鉄コレ用のウェイトを挿入すると途端に嵌り具合が悪くなるのは困ったものです。椅子レリーフ板のうち、ウェイトと干渉する部分を思い切って入れるとスンナリと嵌るようになりますが、この点は自己責任で宜しくお願い致します (って、こんな初心者ブログを参考にされる方はいないか。笑)。
 こんな感じでとりあえず4両が落成しましたので、いろいろ並べてみたところ……むふ~ん、時計の針が一気に30年遡ってメロメロです♪♪ やっぱり東武2000系も動力を入れようかなぁ……と (^^;)。しかしまぁ、鉄コレを入口に模型を始めて間もない頃に購入しN化した東急7000系は、見事にナンバーが入っておらず恥ずかしい限り (滝汗)。鉄コレ東武73系にしても、サボを付けた方が絶対に見映えがするはず……。というわけで、今後は模型趣味超初心者として入門した頃に購入した車両のドレスアップも課題として行かなければなぁ~と痛感したのでした。

------以下の補足は極めて個人的なエピソードですので、閲覧は自己責任で-----
 (※) 東横沿線に住んでいた幼稚園までの頃、東京には全く不案内な親に連れられて行くところといえば横浜でしたし、その後中学生になって鉄活動を本格化させてからも、東武でお目当ての車両といえば73・78系であり、2000系には目も暮れず (爆)、日比谷線はほとんど無縁な生活……。
 2000系の晩年にして、かつ個人的には非鉄バックパッカーをやっていた1990年、上海からパキスタンまで陸路旅行を目論み、広尾のパキスタン大使館にビザを取りに行ったのですが、このときにたまたま2000系が現れ、ごく短時間のみ「クソ暑ちぃなぁ~」と言いながら、あのオレンジ系統で固められた車内に濃厚な東武的気質を感じたものです (遠い目)。ちなみに中国ビザは、近所の中国大使館ではなく「鑑真号」船内での発行 (90年代の半ばになると、中国大使館でも個人ビザを一時期受け付けており、結局日比谷線なんて、その頃中国大使館領事部に何度か行く際に乗って以来、数年前に仕事で乗るまで超御無沙汰 ^^;;)。なおこの旅行自体は、当時たまたま東トルキスタン[中国名・新疆ウイグル自治区]で政情不安が起こったため途中で引き返し、結局パキスタンのビザは無駄に。まぁ無料だったので良いですけど……。何のかの言ってこのプランを再び試みるヒマとカネはなく、中央アジアきっての商都カシュガルの地を未だ踏まず、パキスタン北部も今やアルカーイダ残党の巣になってしまったことこそ悲しけれ。後悔ばかりです、私の人生……(苦笑)。先週土曜、NHK BS3でやっていた『シルクロードの旅』を見て、「嗚呼……やっぱ行きてぇなぁ~」と、改めて嘆息です。をっと、全然東武2000系及び日比谷線の話題から脱線してしまいましたので、これにて終了! (しかしとにかく、個人的に日比谷線といえば、貧乏旅行の準備にまつわる思い出なのです……^^;)。

東急恩田通信・秩父7800系 (?) 完成編

2012-12-16 00:00:00 | 大手民鉄 (東急)


 一昨日の恩田訪問は、1003F8連復活シーンだけでも大いなる驚きでしたが、一応の大本命はデハ8490+8290改め秩父デハ7801+クハ7901の完成シーン♪ 出て来たばかりでは即座に陸送されることはないだろうというわけで、取り敢えずこれまでの7000・7500系完成シーンを恩田で眺めている以上、7800系 (?) についてもなるべく早めに観察しておかなければ、というつもりで訪れたのですが、到着するまで内心ヒヤヒヤ。3両程度が収まる留置線に置かれていれば、高台及び奈良川脇の両方向から激写でき、かつ明るい曇りであれば、架線ビームの影がベロ~ンと顔にかかるのを避けることが出来ますが、この2つの条件が満たされなければ、さらには手前に入場したばかりの5050系がカブってしまえば「アチャー」と思ってしまうわけで……。しかし今回はツイていました☆ 無事上記の条件が揃い、究極の魔改造車を屋外で眺める機会がついにやって来たことに感無量です……(*^O^*)。



 ともあれ、秩父鉄道に500系全廃以来久々の2連が登場したということで、今後の注目は果たしてこの7800系 (?) が何本用意されるのかということに移るのでしょう。先日も記しました通り、とりあえずは1本のみということで、影森から先の末端部で機織り運用されることになるでしょうが、本数が増えれば逆に閑散時・閑散区間用ではなく、黄金週間・埼玉県民の日・秩父夜祭といった繁忙日の最重点列車に2+2の4連として運用されることも予想されるわけで (久々の秩父所属4連復活!)、Wパンのブツ4という編成を脳裏に思い描くにつけドキドキワクワクしますね♪
 いっぽう、こうして秩父7800系 (?) が出て来た代わりに、8692Fの先頭2両の姿が見えなくなりました……。かといって、陸送されたという話は聞きません。やはり、何もいじらずそのまま陸送というのは廃車解体車両やインドネシア行き車両のみで、およそ他社に譲渡される車両はテクノに一旦入るということなのでしょうか? うーむ、8692Fの先頭2両も、どちらかを電装解除してクハにSIVまたはMGを搭載し、秩父7800系 (?) に組み入れるとしたら、7800系 (?) のバリエーションが早くも生じ、秩父を訪ねる面白さがさらにアップするのですが……。とにかく、再び屋外に現れる日が楽しみです。

東急恩田通信・復活1003F構内試運転編

2012-12-15 00:00:00 | 大手民鉄 (東急)


 いよいよあと3ヶ月後に迫った東横線の大変革により、日比谷線直通運用を失う1000系は全車離脱し、短編成化のうえ池多摩線への転属や地方私鉄への譲渡が大々的に進められることが誰の目にも明らかな今日この頃ですが、既に1000系日比直用8連は運用減に伴い一部が離脱していたのも周知の通りです。その当該編成のひとつである1003Fは、元住吉を離れて約1年。リンク頂いております『Kereta Api』様と『Kereta dan Kucing』様により、先頭車は一時テクノに入場していたことが伝えられるなど、てっきり地方私鉄向け改造が進んでいるものと思われました。しかしその割には、恩田留置線の奥の方に眠る1000系の数が減らず、「テクノの改造能力もあるにせよ、随分と長い放置だな」と思ったものでした。ところが豈に図らんや!……1003Fが約1年の離脱から復活し、再び8連を組む日が来ようとは!!



 その背景にあるのは恐らく、あと3ヶ月で日比直が終了するのを前に検査切れで離脱する編成が現れるため、その代役として1003Fに復活の白羽の矢が当たったということなのかも知れません。それはあたかも、8039Fが廃車前提の長期休車の憂き目にあったものの、予備車不足解消のために不死鳥の如く蘇ったというストーリーを思い出させるものです……。というわけで、昨日恩田を訪れたところ、たまたま復活を控えた構内試運転シーンに遭遇し、猛烈にアツいものを感じて激写しまくった次第です (^O^)。しかも、恐らくこれが1000系8連最後の恩田構内試運転?!
 もっとも、出場を控えた光景とは言っても、屋根・クーラー・下回りは汚れた状態であり、「とりあえず最低限の点検整備を施し、あと3ヶ月問題なく走ってくれれば良し」という方針を見てとれるのも事実。まぁそりゃそうでしょうか (^^;)。そして3ヶ月を経た後、改めて恩田に入り、いよいよ転属・転籍に向けた新たな動きに入るのでしょう。何はともあれ、こうして奇跡の復活を遂げた編成を交えつつ、東横線大変革に向けたラストスパートの期間が始まろうとしています……。

晩秋関西鉄2012 (2) JR103環状オレンジ

2012-12-14 00:00:00 | 国鉄型車両


 先日の秩父1007F引退により、首都圏で国鉄型鋼製4扉通勤型車両という最高に馴染み深い車両を拝むことが出来るのは残り10両を切ってしまったわけですが (-_-;)、大阪を訪れればまだ辛うじてそれなりに走っています♪ というわけで、あっという間に約1ヶ月の話になりつつある関西出張鉄の成果として (汗)、お馴染みの環状線オレンジ103系をアップすることにしましょう~。環状線・森ノ宮所属103系の残存車は、某テーマパークラッピング車を含めて相当数がN40延命工事車となり、駅のホームで側面を眺めるだけではしばしば201系と見間違える機会も増えていますが (正確にはドア窓の大きさに違いあり)、こうして先頭車だけでも田の字窓を温存した編成が来ると嬉しいですね~!



 とはいえ、そもそもオレンジ103系を撮影できる機会そのものが、運次第では衝撃的なほど減ってしまったような気がします……。所属数の減少と、内回り・外回りの違いにより、運が悪ければ自分が構えているお目当ての向き (内or外回り) とは反対の向きでグルグル回っている編成が複数……(激鬱)。というわけでこの日、思い通りに撮影出来たのはこの1編成のみ (泣)。内回りは2~3編成入っていたんだけどなぁ……。まぁ何はともあれ既に、晴天時に環状線で103系を撮影すること自体、恐ろしくギャンブル化してしまったということです。曇りの日であればまだ多少は救いがあるでしょうが。
 しかしそれでも、一発大逆転……と申しますか、晴天時に短時間で複数編成を撮り貯めるという大穴を狙って、またそのうち訪ねてしまうのでしょうか (^_^;)。