地味鉄庵

鉄道趣味の果てしなく深い森の中にひっそりと (?) 佇む庵のようなブログです。

札沼線キハ40・48の甲板上シーン (頂き画像)

2014-09-25 00:00:00 | 頂き物画像


 昨日アップしたキハ52をはじめ、ミャンマーへ行った日本の中古車両の動向につきましては、数年来・幾度もの訪問を通じてミャンマー国鉄と独自の信頼関係を構築された斎藤幹雄氏によるRP誌への投稿記事が、単にアーカイブ的な記録として極めて貴重なものであるだけでなく、私を含め多くのファンに絶大な印象をもたらしてきたものですが、そんな記事群のひとつとしてRP誌の2013年5月号に掲載された「ミャンマーへ行った日本型気動車2013」がこのたび、鉄道友の会の権威ある賞「島秀雄記念優秀著作賞」の定期刊行物部門を受賞されました!! 斎藤様からいつもお世話になっている者として、これほど目出度い話はございません! 御受賞誠におめでとうございます!! 
 とりわけこの記事は、運転台をもがれて首無し状態になったキハ183や、改造を途中で放棄された24系客車など、さまざまな怪奇シーンもいつになくてんこ盛りで、読者の好奇心を大いにかき立てるだけでなく、裏を返せば暗中模索を繰り返すミャンマー国鉄の姿を余すことなく記録する貴重な歴史的資料であるとも言えましょう! というわけで、今後も末永く (?)続き、ミャンマーと日本の関係をも照射し続けるレポートを、今から大いに楽しみにしているところです。



 そんな斎藤様から、このたびこれまた極めて貴重な画像 (1枚目) を頂きました。これは……何と!ミャンマー国鉄関係者の方から頂いた、札沼線キハ40 330番台・キハ48 1330番台の甲板上シーンとのことです!! ティラワ港に到着し、これから水切りするという直前に撮影された画像を斎藤様がまず関係者の方からプレゼントとして入手され、そのうえで当ブログにてご紹介する機会を与えて下さったということで、誠にありがとうございます!! いやー当たり前の話ですが、キハ40の顔がこれほど密着して並んでいますと圧巻ですね~♪ そしてこれらの車両は、ヤンゴン環状線で冷房特別車として既に運行を開始しており、約1ヶ月来極めて順調に走っているようですので、いや~良かった良かった♪ まぁ恐らく日中は、冷房で涼みたい沿線住民のピクニック会場になっていることでしょうが……(笑)。
 それはさておき、急行「天北」の特急格上げで運用を失ったキハ400・480のうち、3両はお座敷車両に改造され、残りの6両が札沼線用ロングシート車となったわけですが、5両はこうしてヤンゴンでデビューした一方、キハ40 333のみ未だに苗穂にいるということで、何とも奇妙な話です (2枚目の画像は私が撮影しました)。さらに追加でヤンゴンに行くことになるのか、それともこのまま苗穂で朽ちて解体となるのか……。とりあえず現在のJRHはキハ261と733系の新造、そして新幹線の開業準備に追われ、しばらくキハ40系列の出物はないと思われるだけに、追加購入を期待しているミャンマー国鉄は出物のなさにガッカリしているのかも知れません。次回はこのキハ40 333だけを購入し、わざわざこの1両のために船を仕立てるとは到底思えないですし……。


懐かしの (?) 神奈臨キハ52甲種 (07年9月)

2014-09-24 00:00:00 | 貨物列車 (神奈臨)


 個人的非鉄期の90年代を挟んで、中坊であった1980年代前半以来、購入する鉄道雑誌と言えば基本的にP誌、ごくたまにRM・DJという、何とも枯れ果てた私ではありますが、先日かれこれ30年以上ぶりにF誌を購入してしまいました。その理由は中身が雄弁に語るところであります。そしてふと、00年代に入って鉄道趣味の道に復活した頃合いとネットの急激な普及の中でのいろいろな出会いがまず私を神奈臨へと誘い、川崎市営埠頭で激写した輸出車両への関心がさらに東南アジア訪問の道へと誘い、そこでの更なる出会いがますます出会いを呼び……その結果、いつの間にかこのような超個人的ヘタレブログにもそれなりの情報量が蓄積しているのだなぁ~ということに思い当たりました。これもひとえに、わらしべ長者的な出会いの積み重ねの中でお世話になった皆様のおかげでございます m(_ _)m



 というわけで、先日神奈臨の銀座線甲種をアップしたこともありまして、久しぶりに外付けHDの中の東南アジア輸出甲種画像のことを思い出し、約7年前に輸送されたミャンマー向け盛岡DCの第一陣であるキハ52 108・109の未アップ画像をレタッチしてみました。この2両は現在ピィンマナ機関区に所属し、ネーピードーを拠点に動いているようですが (転配が小まめにあるため、再びヤンゴン地区に舞い戻ってくる可能性もあり)、まだこの時点ではキハ52自身、厳寒の北上山地・八幡平界隈とはまるで違う暑熱の地に向かうことも、そして車高引き下げ改造を受けることも想像だにしなかったことでしょう。
 あ~それにしても、まだこの頃は西群線ヤードに背の高い柵はなく、参集したヲタも最近の壮絶な混み具合が全く想像できないほど少なく、それなりにまったりと (?) 撮影したのを思い出します。同年12月の2度目の輸送は一気に10両ほど輸送されたこともあり、凄まじい人出ではありましたが……。そもそも最近のJRE車両の輸出は新潟に運ばれる習わしとなってしまいましたので、このような情景がもう展開されないだろうと思うと、些かの寂しさを覚えるのも確かです。

西ジャワ鉄道大周遊 (9) 豪華?鈍行シリワンギ

2014-09-23 00:00:00 | インドネシアの鉄道


 ジャカルタから西ジャワ州の州都バンドゥンへは、活火山のパンランゴ山を挟んで2つの鉄道ルートが蘭印によって建設されました。このうちチカンペックでジャワ縦断本線と分かれて南に向かい山登りをするルートは、1906年に完成して以来今日まで一貫して特急街道として利用されています。しかし、いち早く1884年に完成していたボゴール・スカブミ経由のルートは、ただでさえ線形が悪く時間がかかり、利用客がバスに客を取られて激減したのみならず、相次ぐ崩落などのため運休が相次ぎ、数年前の時点ではボゴール~スカブミ間がやっとこさ再開しても1日1往復 (ジャカルタからの日帰りには不適)、スカブミ~チアンジュール間が運休、チアンジュール~パダララン間で1日2往復という凋落ぶりとなっていました。その後、ボゴール~スカブミ間は2往復に増え、私も乗りに行って「楽しいなぁ~」と思ったものの……DCの故障のため長期運休 (滝汗)。
 しかし、最近のKAIの積極的な経営方針のもと、とくに風光明媚な南廻りルートを観光路線として盛り上げ、あるいはボゴール~スカブミ間の潜在的に旺盛な移動需要に応えるためでしょうか、路線全体の再整備が積極的に進められ、昨年11月ついにボゴール~スカブミ~チアンジュール間で定期旅客列車の運行が再開! 但し、約100kmほどの距離に、スカブミでの長時間停車を含めて4時間かかるという「飯田線もびっくり」な世界ですので、鉄目的での訪問は十分な時間を確保しなければなりません。まぁ時間をかけた分、雄大な緑の大自然に包まれたジャワの田舎の風景を堪能することが可能ですが……。



 というわけで、チアンジュール13:50のボゴール行「シリワンギ」号が発車! この列車は途中スカブミでチアンジュール行と交換するついでに長時間停車を行い (その最大の理由は、ボゴールとチアンジュールのいずれも保守管理上の基地スペースがなく、スカブミで給水等を行うためであることが観察から判明)、そのついでに列車名も活火山の名前にちなんだ「パンランゴ」と変わります。編成は、タマ数が極めて限られた日本製2等DCを使うのを止めて客車化したため、編成構成に自由度が生じ、1等1両 (2両のときもあるようです)、電源車兼3等合造車 (事実上乗務員と車販の基地) 1両、3等車4両となっており、他の路線で見られるようなアリンアリン (Google検索をかけると「ファサード」という意味の模様。衝突事故時に機関車次位の客車の破損が多いために連結された控車的存在の無人客車) は、そもそも鈍足運転&列車本数の少なさのため省略されています。
 でもって個人的には、今回の西ジャワ大周遊のハイライトとしてこの列車を位置づけ、気合いを入れて1等車の切符を購入していたのですが……実車を前にして愕然としました。何と……窓と椅子の配置が全くかみ合わず、私の席は真横が壁……(激鬱)。しかも斜め前方の窓は、石を投げられて割れたあとの亀裂が極めてナゾな円形状に走っているという、究極のトホホ席……。他の窓も相当汚れたりキズが入っているものが多く、辛うじて綺麗な窓を探すのも一苦労。まぁ、発車後スカブミまではガラガラでしたので、自由に移動して窓外の景色を撮影できましたが……。さらに椅子自体も、小柄なインドネシア人には丁度良いかも知れませんが、大柄な私には超トホホ……。折角風流なバティック柄のシートカバーもかかっているのに、アチャー!という気分です。
 この客車、アルゴ1等塗装ではあるものの、どう考えても元はボロい青胴1等車であり、当初寝台車として製造されたものを座席車に改造したとしか思えない……。さらに車端部の壁面には、旅客サービスの一環として最新鋭のビデオが設置され、何と『暴走機関車』を上映中……(爆汗)。列車に乗ってこんな映画って一体どうよ??と激しくギモンでしたが、後でスカブミ発車後天気の悪さもあって暗くなって来ると、思わず見てしまいましたぜ旦那……(^^;)。
 これに対して3等車は、1段窓に改造されたばかりの窓が極めてクリアで美しく、大音量ビデオ放映なんてものも当然ありませんので、この列車に乗るのであれば3等車がオススメですね!! (苦笑) 


 スカブミ周辺伝統のバティック模様が施された電源3等合造車。



 4両の3等車は冷房改造と窓の一段固定窓化の直後でピカピカ♪



 1等車は……窓と椅子の不揃いぶりと汚い窓と音量ガンガンビデオに絶句……。



 しかも私が指定された席は……真横が壁。斜め前の窓は奇妙な割れ方。こんなんでボゴールまで4時間乗るのかよ……。3等車にしとけば良かった! ウワァァン! (号泣)

富山地鉄紳士録 (6) デキ12021

2014-09-22 00:00:00 | 事業用車両


 昨年から今年1月にかけて計3回訪れた富山地鉄・鉄道線のネタも一応締めくくりとします。そこでアップする隠し球は名物の凸型EL・デキ12021!
 周知の通り、もともとこのELは黒四ダム建設にからむ貨物輸送のために用意されたものです。しかしその後貨物輸送が廃れるにつれ、除雪・保線資材輸送・稲荷町の入換・上市とのあいだでの新車&廃車輸送といった事業用に特化して久しくなっています。



 というわけで、東急から部品取りとして持ってきたデハ8181と連結されているシーンといい (しかも今やデハ8181は稲荷町の上滝線寄りに移動してしまったようですので、工場入口線でこんな感じで連結されているシーンというのは未来永劫ないのかも……超貴重!)、上市送りを控えた10023Fが後ろに移っているシーンといい、まさにこのELが昨年の稲荷町の激動を見届けてきたという佳き記録であると言えましょう♪
 それにしても、とりわけ戦前・戦時中に花開いた東芝凸型ELの系譜が余り長続きせず、このELが昭和33年に登場し、その後南海ED5201 (→三岐ED301) が昭和38年に登場したのが希有な事例となったわけですが (他にありましたっけ ^^;)、この優雅なボディを眺めるにつけ……もっと量産されて全国に散らばっていればどんな貨物シーンが各地で展開されていたのだろうかと思います。

神奈臨千鳥線・メトロ銀座線甲種を撮る

2014-09-21 00:00:00 | 貨物列車 (神奈臨)


 昨晩は、いつもお世話になっております「あまのじゃく」様のお声がけのもと、あまのじゃく亭におきまして軍団総決起集会 (=ただの飲み会)が開催されました! 会場には、様々な鉄道会社で驚異のハイパーマシンを暴走させまくり(=そんな気持ちで鬼の安全運転励行)な運転士の皆様や、線路脇で凶悪な飛び道具(=ヲタ御用達カメラとレンズ)を振り回しゴキゴキに連写しまくりな皆様が参集され、「なめんなよ」とばかりに激濃ヲタトークを展開させまくりなのはいつも通りでありまして、まぁ私としましても忙中閑あり、大いに気晴らしとさせて頂きました♪ あまのじゃく御夫妻をはじめご参加の皆様にはどうもお世話になりました!
 といふわけで、あまのじゃく様をはじめご参加の何人かの方と仲良くさせて頂くきっかけとなりました神奈臨の画像を久しぶりにアップしたく存じます。現在割と定期的に(?)運行されている銀座線甲種です。



 周知の通り、都内に黙っていても客が雲集するゴールデンルートの数々を擁し、飛ぶ鳥を落とす勢いの黒字を計上し続ける東京メトロでは、そのあり余る経営資源をさらなる省エネ車両の導入へと振り向け、とにかく出来るだけ電力消費を減らそうとしているわけで、現在その重点が置かれているのが銀座線1000系ということになります。そもそも01系にしても、80年代に今をときめく最新省エネ電車として登場したというのに、一体何という時の流れの早さ、そして世の移ろいでしょうか。
 そこで、日車で新造された1000系は、その都度東海道を上って川崎貨物に至り、さらに短距離陸送に備えた台車交換のため、川崎市営埠頭に向かうことになります。最近は個人的にとにかく多忙のため、神奈臨沿線に通うこともままならず、通常の列車を撮影したのは正月に川崎大師を参拝したついでが一番最後となってしまっているのですが、やはりせめて一度くらいは銀座線甲種も撮らなければ話にならないよなぁ~と思いまして、去る初夏のとある日の朝に運行された市営埠頭行を撮影したのでした。
 個人的に一番のお気に入りスポットである西群線ヤードは、背の高いフェンスが設けられて以来非常に撮りづらく、しかも銀座線甲種そのものも1~2ヶ月に一度走り珍しくないことから、ここで撮るヲタは余りいないだろう……と思いきや、昔よりも全然人多過ぎというのは一体……。JRでヲタを集客する列車そのものが激減したため、そういう列車が走らない限り場末の神奈臨にこうして人が押しかける現象が強まり続けるのか……と思うとヤレヤレです。そういえば昨年初夏の神奈臨本牧イベントも凄いことになっていましたし……。
 とまぁそんなことを思いつつも、上手く撮れれば文句はありません (笑)。さてと……いずれ復活旧塗装罐を撮っておかなければならないとは思うのですが、何時になることやら。
 いっぽう、銀座線1000系はだいぶ増えたはずですが、個人的にたまに銀座線を利用しますと、いつも01系ばかりが現れ、1000系は一度しか乗ったことがありません……。ま、そのうち全て1000系になる以上、今のうちに01系に当たって結構なことではないか、というお叱りを受けそうですが、個人的には01系、とくに興味ないんですよね……(滝汗)。以前『おんぷちゃんねる』に画像が上がっていた、何故か遠路はるばる筑紫に運び込まれた車両が、果たしてどのような用途に化けるのかには興味津々ですが (^^;)。