地味鉄庵

鉄道趣味の果てしなく深い森の中にひっそりと (?) 佇む庵のようなブログです。

西ジャワ鉄道大周遊 (8) チアンジュール駅

2014-09-20 00:00:00 | インドネシアの鉄道


 プルワカルタでの廃車体見学とスカブミ線乗車という二大イベントをつなぐパダララン~チアンジュール間のバス移動は、基本的にこのルートがバンドゥンとスカブミ・ボゴール方面を結ぶメインルートに当たっていることから、インドネシアのバス旅初心者でもそれほど困るものではありません。ただ、バスに途中から乗る場合、手を挙げればその場で停まってくれるのか、それとも一定の停車位置は決まっているのかはナゾ。街ごとにオジェックだまりがあることから、基本的には後者なのでしょう。
 そこで、オジェックでチアンジュール方面行きバス乗り場まで飛ばしてもらったところ、そこにはスカブミ行きの非冷房2+3シート (爆) の大型バスが停車しており、既に車内は満杯気味。車掌に「ここに座れ」と指示されたのは、3人掛けシートの真ん中の席でした (泣)。シートピッチも相当狭いですし、これはまさに、今から20年前の中国のド田舎長距離バス旅と同じです……。
 ともあれ11時5分過ぎ、チアンジュール方面へ向けバス発車! しかし……さっそくパダラランの中心街で大渋滞にひっかかってしまいました。もしこれが事故か何かのために相当先まで続いているとしたら、チアンジュールからの列車指定券がパーになってしまい、大周遊計画そのものが破産……(@_@)。もっとも、天は我に味方せり! 30分かけてパダラランの渋滞を抜けると、超満員のバスはテンポ良く坂道とカーブだらけの道を飛ばし、ようやく「何とかなるかな……?」という希望が生まれました。そして、天気がスッキリと透き通って晴れるならば奇峰が立ち並んで見事かも……と思われる農村風景を眺める道中となったのでした。但し、この日は強烈にモヤっぽい晴天でしたので (→ジャカルタやボゴールなどでは昼過ぎから夕方まで豪雨に)、ぜーんぜん遠くは見えません(苦笑)。途中の小さな街に着く度、まったりと賑わう商店街を眺めるのみでした (ド田舎な街にもインドネシア資本のコンビニが大量進出しているのにはビックリ)。



 12時半頃、オジェックが数多く待機している街外れの道で停車しますと、車内の多くの客がゾロゾロと下車。そこで車掌に「ここはチアンジュールか?」と訊ねたところ「そうだ」との答えでしたので、私も速攻で下車! さっそくオジェックを捕まえ、チアンジュール駅までバイクを飛ばしてもらうことにしました。結構街外れで下車したため、確か14~15分ほど飛ばしたでしょうか。中心街に近づくにつれて赤いアンコタ (ワゴン型ミニバス)がひしめく中をスイスイとかきわけ、如何にも時間がゆっくり流れている雰囲気の街並みとクルマ・バイクの喧噪の組み合わせに「うほっ、典型的なジャワの田舎街♪」という気分を抱いていると、ついにチアンジュール駅に到着! 時間は12時45分頃ということで、何と1時間少々の余裕を持っての連絡となりました☆ 
 そこで、とりあえず駅舎などを撮った後、しばし先刻通過した商店街界隈を散歩し、さらに運休中となっているバンドゥン方面の線路の状況を確かめて来ました。商店街では、カメラを持ってブラブラしていると「オレを撮ってくれ」と呼び止められたり、オラン・ジュパンだと言うと握手を求められたり、大都会ジャカルタではもう味わえないような素朴な世界が楽しかったですね~。そして休止区間では、線路そのものは普通に錆が生えているだけで良好に保たれていましたが、踏切の上は露天に占拠されておりました (笑)。
 そんな街歩きも、せいぜい20~25分あれば余裕で終了~。まだ発車まで時間があったものの、切符を見せれば早々に構内に入って良いということでしたので、チアンジュール駅に佇むCC206と客車の編成を激写し、ついにスカブミ線もこんな1+3等混結編成で運行されるようになったのだなぁ……という感慨に耽ったのでした。そして、あれほど日本中古冷房車がジャンジャン行き交うボゴール線のその先に、当面の終点としてこのチアンジュール駅があるのだなぁ……ということを思い出し、余りにも閑散とした雰囲気に「ジャカルタは遥か遠くだなぁ……」と思ったのでありました。実際、13時50分にここを発車して、宿があるジャヤカルタ駅に最終的に降り立って日帰り大周遊を終えたのは19時50分頃。さらに6時間の旅が続きます……。


 瀟洒な雰囲気のチアンジュール駅。



 客が少ないことを思わせる横断幕……。



 街の中心では馬車タクとアンコタが共存。



 昔ながらの極彩色な生鮮食料品商店街。



 バンドゥン側休止線の踏切は八百屋の屋台が占拠 (笑)。


さよなら、東急&JALITA・8613F!

2014-09-19 00:00:00 | インドネシアの鉄道


 長津田から恩田に廃車回送された直後、8613が長野へ行った8624と並ぶ。



 2009年のデビュー間もない頃、ボゴールで日本製非冷房抵抗制御車と並ぶ。



 幕を残した神編成8607Fと並ぶ。この頃が一番カラフルで楽しかったなぁ~。



 2011年の全検・塗装変更直後、チキニでメトロ7121Fと並ぶ。KCJの新イメージをこの当時最も (?) 代表していた2編成が両方とも短命に終わるとは……(7121Fはスルポン線ビンタロ踏切衝突炎上事故の当該。恐らくこのまま部品取りで再起しないでしょう)。

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 周知の通り、急速な経済発展の中でジャカルタでの冷房電車サービス拡充に努めてきたインドネシア鉄道及び子会社KCJでは、これまで東急8000系列が絶大な存在感を持ち、その安定した性能には深い信頼が寄せられ、ほとんど終日フル稼働で八面六臂の活躍が続いて来ました。しかし、去る8月に敢行したジャカルタ遠征の際には、205系の大増殖やメトロ6000系の全面復活の影で、東急車の影が著しく薄くなった印象がありました。
 その一つの理由は、過去数年来の凄絶な酷使の中でクーラーの劣化が激しくなり、大幅修繕や終日運用への充当回避などもあって余り見かけなくなったためでありましょう。しかし同時に、いつもお世話になっておりますパクアン急行様が「故障があっても何が何でも修理して使おうという気概が205系激増の影で薄れたのではないか」と指摘されており、確かにそんなところもあるのかも知れません。
 あるいは、そもそも東急で一時のジャカルタ大量移籍の波が過ぎ去ったのち、例のJAL問題や副都心線対応もあって8500系の廃車が全く出ず、8090・8590系の廃車分は恐らく秩父&富山ということで、KAI・KCJとして見込んでいた東急8500系中間車廃車部品補充という目論見が全く成り立たなくなってしまい、急速に「壊れたらそれっきりになる可能性もあるので、余り使いたくない、騙し騙し使いたい電車」という位置づけに変わってしまったのかも知れません。
 そんな流れをあからさまに示すかのように、このたびついに8613Fが廃車回送されたとのこと……。パクアン急行様のブログにアップされた、深夜マンガライを通過するプッシュプル廃回編成の画像では、ドアが全開となり魂が抜け果てた表情のままゆっくりと走り去るさまを見て取ることが出来ます。
 もともとこの編成は東急時代から余り調子が良くなかったといわれ、しかも末期には長津田検車区の奥の方で数ヶ月間塩漬けにされていました。しかしインドネシアにて2009年にデビューした際には、KCJ発足後最初の編成として、まさにインドネシア版歌舞伎たる「JALITA」となり、一転前途は洋々たるもののように思われました。それでもやはり調子は悪かったようで動かない日が多かったといわれ……2011年にはイメチェンして復活を告げるも約半年で完全離脱、結局ジャカルタでまともに動いたのは2年程度だったのではないかと推察されます。そして、昨年8月の訪問時には、デポックの広大な留置線の中で、徐々に部品をもがれて荒れる一方となっていました。
 要するに8613Fは、元々薄幸だった運命なのですが、結局東急からの追加部品供給を受けることなく再起が断念され、「東急ジャカルタ線時代の終わりの始まり」を象徴する編成となってしまったのは本当に残念なことです。ジャカルタの東急8000系列の中でも最も鮮烈な存在であり、COMMETカードをはじめ電車のシンボルサインとして採用された存在でもありますので……。
 しかし、こうなってしまった以上仕方がありません。まずは、長年の活躍本当にお疲れ様でしたと申し上げつつ、残る編成が一日でも長く活躍することを祈るばかりです。ありがとう8613F、さようなら!

 そして、次回訪問時には……もし解体されていなければ、放置されたJALITA・8613Fを訪ねて西ジャワ州の田舎に出向くことが決定です (爆)。
 但し問題は……廃回先のチカウム (Cikaum) 駅は列車が停まらず(とにかく田んぼのど真ん中のド田舎)、極めて行きにくいこと。検索を駆使して何となく調べた方法は以下の2通り。
 (1) 早朝ガンビールを出る「Argo Parahyangan」でプルワカルタへ。さらに路線バスで40kmほど東のスバン (Subang) へ。そこでオジェックを約20km北上。
 (2) 早朝パサールスネンを出る3等急行「Kutojaya Utara」に乗ってジャワ縦貫本線のプガデン・バル (Pegaden Baru) へ。駅前でオジェックを雇い、ジャカルタ方向へ1駅分戻る (直線道路がないため、多少遠回りして15kmほど?)。
 (3) 鉄道にこだわらなければ、ジャカルタのカンプン・ランブータンBTとスバンの間に長距離路線バスが走っているようですが、非冷房でトロい模様。
 ……一応、ジャカルタからの日帰りは十分可能で、とくに (2) はプガデン・バルに7:05到着後、9:27発車でジャカルタに戻る「Tegal Arum」があります。いっぽう (1) は、プルワカルタとセットの周遊が可能 。まぁいずれにしても面倒……。

蒸し風呂南海散歩 (3) 泉北高速初乗車記

2014-09-18 00:00:00 | 都市民鉄 (近畿以西)


 去る7月の関西出張ついで・南海鉄コレ販売記念南海訪問にあたっては、前回アップしましたように「ハッピーベアル」を初撮影したこと、そして他でもなく泉北高速鉄道が南海の完全子会社となったことを記念しまして、中百舌鳥から和泉中央まで初乗車を果たしてみることにしました (←お前それでも民鉄ファンかよ! ^^;……いえいえ、私は乗り潰し派ではないもので……滝汗)。勿論、泉北高速の電車そのものは高野線内で何度も乗ったことがありますが、やはりヨソ者関東人にとって、行き止まり線路のニュータウン路線というのは乗ろうという欲望を余りかき立てる要素はない、と言わざるを得ません。とはいえ、近年たまに仕事で多摩ニュータウン界隈に通うにつけ、京王相模原線の過激な飛ばしっぷりにつくづく惚れ込まざるを得ないことから (笑)、それでは成立時期的に多摩ニュータウンと似通った泉州ニュータウンをブチ抜く泉北高速の走りっぷりは果たしてどうよ?という素朴な関心が……。また関西では、鉄道がダイレクトに結んでいるわけではないものの、主要駅間であれば連絡バスが発達していることから、和泉中央から阪和線・南海本線方面に出るのもいとも容易いことだろうと思いまして (この点はまさにその通りでした)、行き止まりの袋小路という印象は脇に置くことにしました。



 というわけで、新今宮での撮り鉄中にやって来た南海6000系の準急なんば行に目を付けまして、折り返して来た準急和泉中央行の最前部ヲタシートに座ってレッツゴー! (乗ったのは今回アップの泉北7000系ではないという……^^;) 車齢半世紀近くという老雄ぶりも何のその、高野線の下町界隈を軽快にかっ飛ばして行く6000系の、片開きドアにズラリと2段小窓が並ぶ贅沢極まりないインテリアに改めてしみじみと幸せを感じつつ、いつの間にか堺東・三国ヶ丘と進み、やがて中百舌鳥に到着~。土曜の午前中ではありましたが、ここで御堂筋線から乗り換えて乗る客も結構おり、泉北ニュータウンの沿線人口の多さやそれなりに商圏があることをヨソ者にも何となく見せつけているかのようです。そこで、「さぁ果たしてどんな感じになるのか、ワックワク♪」などと子供じみた期待をする間もなく、6000系はフルノッチで高野上り線をくぐるトンネルに突っ込んで行き、さらに全速力でスロープを駆け上がって高架へ! 
 すると……最初の深井は「まぁこんなもんかな」という雰囲気の駅でありましたが、ここからがスゴい……! 如何にも昭和40年代的な「未来の都市計画」っぽい雰囲気が線路の両側に展開しまくりではありませんか! 片側何車線もある都市計画道路の上下線に挟まれる中をジェットコースターのように飛ばして行くのは、ある意味「カ・イ・カ・ン……」かも知れません (笑)。そして、堀割の中でカーブを描いた一見ショーもない駅のように思われた泉ヶ丘で客がドドッと下車するのに驚いたのですが、何とここには高島屋があったりするのですな……。 そんなこんなで栂・美木多、光明池と進み、車庫に昼寝中の編成がズラリと並ぶ偉容に「泉北高速って駅の数が少ないのにこれほど車両を持っているなんてスゲぇなぁ……」と腰を抜かし (^^;)、とにかく未体験ゾーンの連続に息つく暇もなく (笑)、終点の和泉中央に到着しました。ここは終点とはいえ、外側通過線らしきものに転用できそうなスペースもあり、「このまま終点にするつもりではない設計ではないか?!」と驚いていると、案の定先日何となく眺めてみたハッピーベアルのツイッターで「貝塚方面に線路が延びるかも知れないクマ」とあるではありませんか! 勿論、採算が合う合わないが今後問題になるでしょうが……。
 とまぁこんな感じで、初めて乗る前は「駅ごとにバンバン運賃が上がってコワイ鉄道」という先入観があった泉北高速も、駅間が非常に長く大いに飛ばすこと、そしてトータルでみれば距離が似通ったなんば~和泉中央間となんば~河内長野間で大した違いはないことから、別にコワくも何ともなく「如何にもニュータウンな鉄道で結構面白い」という印象に変わりました。ただ、途中駅はどこも撮り鉄しづらそうな構造であるのが玉に瑕……。泉北高速の車両を撮るのであれば、やはり高野線内で撮るのがベストであるのでしょう。

西ジャワ鉄道大周遊 (7) 3等急行スラユの旅

2014-09-16 00:00:00 | インドネシアの鉄道


 今回の西ジャワ鉄ヲタスポット大周遊にあたっての一番のキモは、プルワカルタとチアンジュールの間を如何に効率よく連絡し、午後13時50分にチアンジュールを発車するボゴール行の「シリワンギ→パンランゴ号 (スカブミで長時間停車し列車名変更)」に間に合わせるかということ。そこで、プルワカルタで廃車体激写大会と長丁場の移動に備えた簡単な腹ごしらえ(駅前の小さな食堂でミーアヤムをすする)を終えた後、9時15分発の急行スラユ (ジャカルタ・コタ7時40分発→バンドゥン方面を経由してプルウォクルト行) を利用して、ボゴールからの線路が合流するバンドゥン西郊の街・パダラランに向かいました。
 この急行スラユの良いところは、レバラン(断食明け)帰省ラッシュ繁忙期などでもない限り、必ずと言って良いほど空いていること♪ (そのこと自体は、中~長距離輸送の需要を長距離バスに食われてしまっていることを意味しているわけで、余り喜ばしいことではないのかも知れませんが……。インドネシアの鉄道でもかつてのJNRと似た現象が起こっている可能性が高いということです) 全車3等ボックスシートということで、普通の外国人観光客でしたら尻込みしてしまうかも知れませんが、実際には全車指定席が徹底しているだけでなく、総じて長距離急行用の3等客車はかつての日本の43系客車やDC・電車急行のボックスシート車がそうであったように、鈍行用車両と比べて遥かに良好に整備されています。しかもインドネシアの急行用ボックスシートは日本のそれと遜色ないほどのシートピッチがありますし、クッションも良く効いていますし、何と言っても最近搭載された家庭用クーラーも大型で、鈍行の3等客車と比べて俄然良くクーラーが効いています (その代わり全く窓が開きませんが……)。



 というわけでこの急行スラユは、あくまで昔の日本のガラガラな急行列車に乗るのと全く同じノリで利用すれば良いのです♪ 今回も、指定された車両は平均して1ボックス0~1名しか乗っておらず、指定された席ではない別の席に移動しても一切問題なし! プルワカルタ~パダララン間は急峻な山岳地帯を急勾配・急カーブ・巨大鉄橋で克服して行くという、インドネシアの鉄道の中でも有数の絶景ゾーンでもありますので、ボックスシートを独占し、窓外にあふれるジャワの大自然と棚田の風景に酔いしれながら、客車の乾いた走行音に惚れ惚れする……という至福のひとときを過ごすことが出来るのです♪ 同じ車内にウルサイ会話の客さえ乗っていなければ……(鬱)。 
 なお、5年前に初めてパラヒャンガンで通過したプルワカルタ~パダララン間では、何と!複線化&全面線形改良工事が進行中でした。蘭領時代の険しい隘路では最早平行する高速道路に太刀打ちできないため、一気に複線化・高速化を図ろうということなのでしょう。そして、一部の区間は既に完成して駅間で離合したため、進行方向右側に座って「今でも単線だろ」と思い込んでいた私は吃驚しました。しかしそれは同時に、昔ながらの趣がある大鉄橋や山間の小駅が次第に放棄されて行くことを意味するわけで、沿線ではインドネシア人撮り鉄の姿を散見しました。ジャカルタ~バンドゥン間で古き良き山越えの風情を楽しもうと思ったら、まさに今が最後のチャンスかも知れません。
 そんなこんなで10時50分過ぎ、定刻から僅かに遅れてパダララン着。本来でしたら発車シーンを見送りたいところですが、セキュリティが多数見張っていて「早く駅から出ろ」と言いたげな表情をしていましたし、何よりも残り約2時間50分以内にチアンジュール駅に向かわなければなりません。距離的には40~50kmといったところで、路線バスでも2時間以内に移動出来るかな?と見積もっており、事前に落花生。様に伺ったところでも、バンドゥン空港近くからチアンジュールまで路線バスで約2時間程度とのことでしたので、さほど心配はしていなかったのですが、渋滞・事故による大遅延など不測の事態も有り得ます。そこで、パダラランの駅舎を出ると、駅舎の写真を撮る気分的余裕もなく速攻でオジェック=バイクタクシーを捕まえ、「テルミナル ビス ク チアンジュール!」(チアンジュールに行くバスの発着所に行ってくれ!)と一言告げてブッ飛ばしてもらったのでした (言われ値そのままで10,000ルピア)。  
 なお画像は、CC201牽引のスラユをプルワカルタ駅と、翌朝ブカシ線内で撮影したもの。以前と比べますと赤スカートになっています。


 プルワカルタの駅舎内。



 改札が始まり、スラユの到着をホームで待つ。



 棚田がいっぱい。



 小駅周辺の田舎の風景もまたをかし。チカドンドンという駅名が微笑ましいです。



 高速道路は大渋滞。これなら鉄道にも再びチャンスが?



 右遠方の鉄橋からここまで、谷を見下ろしグルッと。


何でもスカ色に塗ってみよう (1) GM123系

2014-09-15 00:00:00 | 超へっぽこ模型製作


 かつてはGMやガレージキットメーカーの独壇場であったというマイナー車両の世界がマイクロや鉄コレによって切り崩されて行き、ついには123系までもが鉄コレとなる御時世でありますが、そんな急速に立ち位置を失っている板キットにもなかなか上手くできない苦しみ創る楽しみはいっぱいあるはず。先日、次の板キット工作の仕込み目的でアキバGMストアを訪れたところ、これまで製作未経験の123系板キットが、限りない斜陽の如き哀愁を漂わせつつ売られているのを眼にしまして、ふと魔が差して「鉄コレに追われる前に一丁作ってみようか」と思い……そのままレジにてお買い上げ (汗)。
 少ない模型いじりの時間の中で他にいろいろ手掛けたいネタは多々あるのですが、「魔が差して買ってしまったものを本当に作らなければそのまま死蔵となってしまう……」と思いまして、一切余計な加工を加えず「The素組み」という感じで速攻で作ってしまうことにしました。



 しかし、どうせ実車として身延線で存在した各種形態及び塗装は、長い目で見て全て鉄コレとしてリリースされるわけで、進歩のシの字もなく相変わらずヘボい工作でそれらに対抗しようとしても無駄なことは火を見るよりも明らかです。というわけで、最初からウソ電的考察を交えたフリーランス的存在として作った方が幾許か面白いはず。身延線では新性能化後もスカ色が踏襲され続けたというインチキストーリーをでっち上げ、仕上げにスカ色を塗ってみました。
 すると何と言うことでしょう……。そもそもGM板キットの123系は金型設計が割と新しいようで (6年前に板キットの道に入ったという、まだまだヘタクソ初心者ですので、何時発売となったのか分からず恐縮です)、自分で塗ることによるヘボなアラが出るのを除けば、GM板キット全体の中ではなかなかシャープでリアルな見映えの部類に属すると思うのは私だけでしょうか? 実際、組むときも丁寧にバリを落としさえすれば「スッ、スッ」という感じでストレスなくキレイに箱が出来上がって行きます。そして最も吃驚したのは……スカ色が似合いすぎ!! (*^^*) まぁ似たような雰囲気の車体の釣掛荷物電車にもスカ色があることから、123系に塗っても良い感じだろうな……と予め想定していたのですが、まさかここまで地味な田舎電車らしい雰囲気と国鉄ローカル線っぽさが滲み出て来るとは……。
 嗚呼、何故こういう車両が全国の電化ローカル線用としてもっと増えなかったのかと思います。もちろん、123系実車のように座り心地の悪いロングシート車ばかりが増えたらイヤだっただろうと思いますが (笑)。
 
 何はともあれ、毎年今頃の時季を迎えますと、生まれて初めて塗装済み板キットに手を出して東急8000系を作った6年前を思い出すのですが、まぁ時間が無い無いと言いながらもささやかにMy板キット6周年を祝うヘロヘロな一品になったかな、と思っております。と申しますか……相変わらずヘタクソなりに結構カワイイ一品となりましたので満足です♪ 少なくとももう1両製作し、2連を組んでみたいなぁ……と (こうしてますますドツボに ^^;)。
 そして、実車でスカ色という記録が全くないものの、実は塗ってみたらスカ色が似合っている車両を、愚かにも発掘して愛玩しようというシリーズを立ち上げてみることにします。さて次は何をスカ色に塗ってみようか……(滝汗)。