地味鉄庵

鉄道趣味の果てしなく深い森の中にひっそりと (?) 佇む庵のようなブログです。

秋晴れと東武りょうもう@押上駅前

2014-09-14 13:15:00 | ノンジャンル


 皆様、充実の連休をお過ごしのことと存じます。しかしダメリーマンの私は山のような仕事を自宅に持ち帰りシコシコと。今朝の抜けるような青空を眺めると、ますます出掛けられないことが鬱の種に…。ついに煮詰まって、神電車たる東急8500系にPCを持ち込み救いを求めたところ、果たせるかな神秘のサウンドに脳が刺激されてサクサクはかどりました。8500偉大なり!



 気がついたら押上に到着しましたので、テキトーに外に出て、最高の展望台なのに誰もいない駐輪場ウッドデッキに向かったところ、雲湧き立つ秋晴れとりょうもうの赤帯姿に気分爽快♪ たまには、こんなお手軽ぶらり散歩も良いものです。というわけで、この後の仕事もはかどると良いなぁと思いつつ、都営浅草線に乗ったところ、さらなる驚愕の事態が……。


こーゆーのは待っていても滅多に来ませんが、全く期待すらしないでいると突然やって来るという……。滝汗。



iPhoneは意外と逆光に強いというのは大きな発見でしたが、やはりこういう行き当たりばったりな機会に備えて、ロクに使っていないEOS-Mを常に忍ばせた方が良いかな、と思ったのでした。



乗り換えた都営新宿線も一発でこれとは運良過ぎ♪

西ジャワ鉄道大周遊 (6) 増えゆく二階級列車

2014-09-14 00:00:00 | インドネシアの鉄道


 プルワカルタで廃車の山に圧倒されつつ激写する傍ら、目の前の本線上では時折アメ罐特有の短調な汽笛が鳴り響き、朝風を破って優等列車が行き交っています。インドネシアの客車列車はなかなか風格があり、何度も訪れているうちに自ずと情が移るものですので、遠くから汽笛が聞こえて来ればこれも撮らずにはいられません (笑)。但し一応、駅構内ではセキュリティの兄ちゃんがウロウロしていますので、「列車が来たな……」ということですぐ横の側線に出て入線シーンを激写することは出来ません。それでも、駅構内のバンドゥン側には地元民が利用する正式な踏切があり、ここからであれば文句を言われることなく撮影できます♪
 そこで撮影した列車のうち、1枚目はジャカルタ・ガンビール行のアルゴ・パラヒャンガンですが、腰回りが青い非アルゴ客車が多いため「あれ?」と思われる方もおられるかも知れません。それもそのはず、既存のパラヒャンガンとアルゴ・グデを統合してアルゴ・パラヒャンガンとした際、通常「アルゴ」という名前がつけば全車グレー腰回りの一等車となるべきところ、従来のパラヒャンガン2等車利用客に配慮して、一部の列車に2等車を存続させたためです。そこでこの列車は、青胴とグレー胴の混結となっております (グレー胴のアルゴ1等車は後ろの方で分かりにくいですが ^^;)。なお趨勢として、2等車を連結したアルゴ・パラヒャンガンは減りつつありますので、こんな感じでCC206牽引となった混色アルゴ・パラヒャンガンを激写できるのも果たして何時まででしょうか?



 いっぽう2枚目は、西ジャワ州の州都バンドゥンと、海に面した商業都市チルボンを結ぶ中距離列車「チルマイ」。最近落花生。様がこの列車の乗車レポートを掲載された通り、従来この2都市を結ぶのは山越えのクルマ・バスが主体であり、遠回りな鉄道ではこの二大都市を結ぶ列車が設定されていなかったところ、確か昨年か一昨年あたりから、複線化で新たに生まれた線路容量を活かすために (?) この列車が設定され、利用客も意外と多く生み出されたことから、本数も次第に増えているところです。この列車の場合は1・3等の混結ですが、他にも1・2等の編成もあります。いや~バラバラだ (笑)。なお、1両目の青胴1等車 (最近はかなり貴重?) は、機関車の次位につき誰も乗せない一種の控車扱いとなっています。
 もともとインドネシア鉄道の列車は1・2・3等それぞれのみで組成されている列車がメインであり、たまに混結編成があるとすれば1・2等の混結が多く、3等とそれ以外の混結はほとんどないor非常に少ないという印象がありました。それはひとえに、非冷房で客が多く物売りも現れてカオスな3等車と、そうではない1・2等車を厳格に分けるためだったのではないかと想像します。しかし、今や優等列車であれば3等車でも冷房完備・完全座席指定となり、物売りが分け入る余地が全くなくなってしまい、総じて3等車でも落ち着いた雰囲気があるような印象です。すると、必ずしも1・2・3等ごとに列車を設定するよりも、方面別に柔軟に列車を設定して等級も複数とした方が、多様なニーズに応えることが出来る……という判断がなされ、各路線における複数等級列車の増加につながっているのでしょう。まぁ趣味的には、こういう列車が増えると異なる塗装の客車のゴチャ混ぜが増えて宜しい、と思うわけです (それだけかよ!笑)。

蒸し風呂南海散歩 (2) ハッピーベアル

2014-09-13 00:00:00 | 都市民鉄 (近畿以西)


 この夏の日本列島、とりわけ西日本は天候不順でしたので、西の方に遠征された方は大変な思いをされたかと存じます。しかしようやくこの3連休は好天ですね♪ そこでふと、約1ヶ月半以上前に京都出張ついでに南海鉄コレ購入のために南海を訪問し、どんより曇って猛烈に蒸し暑い中をヒーヒー言いながら撮影したことを思い出した (そして、ロクにアップせず放置していたことに愕然とした) のですが、とにかく雨模様でないだけでも全然マシであったことを痛感せずにはいられません。
 そんなこの夏の南海撮り鉄、花の複々線区間で「やっぱ南海はええのぅ~」とつぶやきながら撮影していたところ、何と!泉北5000系の珍編成・ハッピーベアルがやって来ました。この編成、個人的には初撮影でしたので、しっかり気合いを入れてみた次第ですが、この編成が折良くやって来たこと自体、泉北高速鉄道にとって大きな歴史的転機の直後にまことに相応しい……と思わずにはいられません。



 周知の通り、もともと泉北は第三セクター「大阪府都市開発」が運営していたところ、某H知事 (当時) が府所有の株を全て放出して民営化するという計画をブチ上げて以来、泉北をめぐる情勢は二転三転右往左往……。そもそも南海が建設運営する計画もあったとかで、改めて南海が株購入・完全子会社化を目指し、中百舌鳥での高野線乗換大幅割引 (市営地下鉄への対抗もあるでしょう) も掲げて沿線自治体の理解も得つつあったはずが、某H市長は少々高い買い取り額を示したハゲタカファンドに固執、その過程では地元議会をはじめ相当のてんやわんやがあったと側聞します。しかし結局は南海の子会社化に落ち着き、Hを除くほとんど全員が総じてハッピーになるという結果となったようで、御同慶の限りです。
 というわけで、本来この5000系「ハッピーベアル」編成は、堺市に出来た府の子供向け施設の館長がデザインし、期間限定でラッピングされたとのことですが、その後10数年にわたり好評のうちに期間更新を続けているうちに、泉北高速の新たなハッピーな将来を象徴しているように思われるのはヨソ者の私だけでしょうか?
 ちなみに、泉北5000系は全編成8両固定ですので、客の少ない日中は光明池の車庫で昼寝モードに入ってしまいます。土曜休日の場合は新今宮10時過ぎ発の和泉中央行でもやって来ますが、案の定その後は入庫してしまいましたとさ。総じて日中、5000系に限らず泉北高速車は大量に昼寝し、運用に入っているのは3編成程度しかないという印象ですので、泉北高速の電車を撮り貯めたいという場合には平日の朝が一番良いのかも知れません。


西ジャワ鉄道大周遊 (5) 廃車体巨大山脈

2014-09-12 00:00:00 | インドネシアの鉄道


 嗚呼横倒し、そして山積み……。



 日本製の鋼製抵抗制御車によるピラミッド。



 このままやがて蔦がからまるのでしょうか?



 機関庫脇のもうひとつのピラミッド……。

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 プルワカルタでは辛うじてHitachiとHolecがオンレールであるという嬉しい光景を眼にしたものですが、基本的にここに運び込まれた車両はことごとくこのような巨大山脈の一部分となってしまいました。これはこれで圧巻で、世界的にも珍しい鉄道風景であることは間違いないですが、とくに日本製の抵抗制御車は保守さえしっかり行えば未来永劫走れそうな堅牢この上ない存在であっただけに、嗚呼勿体ない……の一言です。松尾芭蕉の「夏草や」の句は、かつての武家の栄華が消えたところに立って無常観を詠んだものではありますが、いずれここプルワカルタの廃車体も蔦が絡まり緑に包まれて行くにつれ、20世紀的な産業遺産をしのびながら「夏草や……強者どもが夢の跡」というしみじみとした境地にひたる場所となることでしょう。
 なお、フェンスが厳重に張り巡らされた状態となっている場合にはこのような撮影は不可能ですが、とりあえず駅南側の踏切やホームからでも全体像を望むことは可能です。右下からどうぞ~。


 結構広い機関区跡地は全てこんな感じ、廃車体で埋まっています……。



 ホームから見るとこんな感じ。流線型改造車も廃車……(T_T;;)。
 なお、ホームからの撮影は改札実施から入線までの間のみ可能です。


西ジャワ鉄道大周遊 (4) Holec青顔

2014-09-11 00:00:00 | インドネシアの鉄道


 プルワカルタの廃車放置会場にて、辛うじてオンレールであったHolecに感激しつつ、さらに機関庫の残骸に向けて歩いて行きますと……何と、4両固定編成が放置されているかに見えたHolecは実は2両+2両であり、機関庫側の2両はHolec最初期の車両である1994年製でした! このグループは一部がオランダで製造され、その後インドネシアのINKA (鉄道工業会社) で組み立てたグループが量産されたわけですが、この94年製グループの特徴は正面が四角張った雰囲気であること。個人的には、ギョロ目の2次車以降のグループと比べ、こちらの方がイケメンであると思います……(^^;
 そんな1次車の生き残りであるこの車両 (先頭車はKL3-94214)、側面の表示を見ておりますと、一応2008年に検査を受けた旨が表記されています (MRI=マンガライではなくYADと記されていましたが、YADとは何処? ^^;)。しかし、2009年に初めて訪問した際には、こんな色のHolecは見たことない……。恐らく、2008~2009年の間に致命的な故障が生じて運用を離脱、以来最近プルワカルタ送りになるまでマンガライ工場の奥深くで放置されていたものと推測する次第です。というわけで、そんなHolec初期車の旧塗装姿につきましても、長年マンガライに秘められていて部外者には縁が遠かったところ、最後の最後にそのオンレール姿を激写出来てラッキーだったなぁ……と思う次第です。



 【お断り】今回の連載にあたり、閲覧者の方から「某大学鉄研のサイトで、自分の友人の会員が海外鉄道の用地内無断撮影画像をアップしたところ、別の会員から『立入禁止箇所での撮影は断じて許せない。関係部署に通報する』と猛抗議され、止むを得ず記事を削除したことがある。その厳格な彼は海外鉄道にも興味があるようで、一体どんな人が見ているのか分からないので、立入禁止とされている場所の画像アップについて気をつけられたし」という懇切なメールを頂きました。誠にありがとうございます。
 言うまでもなく、今日の日本において、本来関係者以外立入禁止の場所で撮影したものを公開しようものなら大問題となることは言うまでもありませんし、私も日本国内ではそもそもそのような場所で撮影しません。
 しかし東南アジア(あるいは中国の地方鉄道・専用線や台湾の田舎の保存鉄道)では、線路用地内立入禁止という大前提はある一方、実際には地元民が線路を往来に利用していたり、あるいは観光客が線路に降りて記念撮影をしていたり、はたまた地元の鉄ヲタや日本人鉄ヲタが線路用地内で撮影していても全く文句を言われず、むしろ鉄道職員氏や保線員氏が気さくに声をかけて来たり、あるいは前照灯点灯などで歓迎してくれることもしばしばです。
 但し、もちろん原則は立入禁止ですし、とりわけ駅の秩序維持や危険回避(今回アップの廃車置き場は地元のガキの遊び場と化して明らかに危険であった)のためにガードマンが配置され、怪しい人間を排除するよう任務が課されている場合には、その原則が優先されることになります。カメラを持ってウロウロしている人間は真っ先にその対象となることは言うまでもありません。
 ただ同時に、自分の持ち場で問題が起こるのを避けたいというのが、彼らの第一の関心事ですので、基本的には……彼らの存在に気づいて大人しく撮影を止め、その場から立ち去れば、それ以上追いかけて来ることはありません。いっぽう、撮影禁止・立入禁止を咎められても、日本から来た趣味者であることを伝えて平身低頭して謝れば、これまでのところその場で放免です。場合によっては「趣味者ならOK」ということになって、もう少々撮影させてもらえる場合もあります。
 いっぽう、そもそも鉄道撮影自体が厳格に禁止されている国では厳しい処罰が待っています。黙認または選択的許可に変わった国でも、橋梁や隧道の撮影、あるいは外国人に開放されていない地域での撮影などは厳しく禁じられたままであることも珍しくありません (韓国やミャンマー、あるいは中国の軍事上特に重要な橋・地域など)。
 書籍やネット上で見られるアジア諸国の鉄道写真(とくにホーム以外で撮影されたもの)は、現地人・外国人が撮ったものに関係なく、総じてほとんどがこのような、原則立入禁止でありながら、撮影していても(あるいは大人しく立ち去れば)文句を言われないというグレーゾーンで撮影されたものであると言っても過言ではありません。
 ここでもし厳格に、立入禁止箇所で撮影した写真は全て違法で、削除すべきだ、という原則を貫くのであれば、アジア諸国の鉄道を紹介する画像はほとんどが公の場から消え去ることになるでしょう。しかし今のところそのようにはならず、私が尊敬する多くの先達の方々が楽しい記憶とともに優れた記録を残され、私もそれを参考にして満足の行く趣味生活を享受できているのは、ひとえに現地の文化や人々を尊重し、現地それぞれの空気を読み、常に安全には細心の注意を払い、列車の往来に妨げとなる行為を決してせず、鉄道会社と鉄ヲタの良好な関係に気を配っているからです。
 古い画像や映像から判断するにつけ、かつて1970年前後までの日本でも鉄ヲタと鉄道会社の関係はこのようなものであり、鉄道用地内撮影も余程のことがない限り大目にみられたものと推測します。各地でSLが引退した当時の線路内ヲタの多さは仰天レベルです。山科の大カーブを行く往年の名列車の画像も、そもそも鉄道撮影という行為自体、高速シャッターを切れるカメラを所有するごく一握りの富裕エリートの特権であり、天下の東海道線で線路内撮影をしても咎められない雰囲気があったことの賜物だったのでしょう。また線路内歩行も、1980年代前半までは各地で散見されたように記憶しますし(鉄道ストライキ時には半分ヤケッパチで線路を歩くのが「お約束」)、ローカル私鉄の車庫に私のような中学・高校生が突然押しかけてもしばしば歓迎され、記帳一つで構内を自由に歩いて撮影させて下さるのも当たり前でした (さらにその昔、1970年代までは、国鉄の車庫でも押しかけ撮影が可能で、しかも結構歓迎されたとか……)。
 しかし残念ながら、その後の世の流れとともに日本では原則が徹底されることになっているのは周知の通りです。写真撮影のハードルが余りにも下がり、上記の「暗黙のお約束」を全く知らない人々までが容易く鉄道撮影に参入する中では、一律に明確な原則でやって行かなければならないのは当然のことでしょう。そして、急速な経済発展(とりわけ鉄道趣味の裾野の拡大)やスピードアップとともに、現在は写真撮影、とりわけ線路内撮影に対して「寛容」な国々でもやがて厳格な原則が適用され、徐々に撮影が難しくなって行くことが予想されます。インドネシアは恐らくその過渡期にさしかかりつつあると言えます。
 したがって、多くの先達の方々や私が公開している画像はすべて、その場限りの過渡期のものであり、あくまでお目こぼしのもと撮影できたものに過ぎません。それは厳密には不法行為であるかも知れませんが、これまで処罰の適用対象とされておらず、慣習・黙認のレベルとして問題にされて来なかったということです。したがって、それを参考にされて現地を訪れるとしても、撮影の成功は一切保証出来ず、現地との関係も含めてすべては自己責任・臨機応変の自己判断でお願いしたいことを重ねて申し上げます。何事も一律に原則論・杓子定規でしか考えられない方の場合、もちろん乗り鉄される分には全く問題ないかと存じますが、各国の社会は何事も原則と実際がしばしば大きくかけ離れた世界であり、日本と同じようには事は運びませんので、そもそも海外鉄道趣味はおろか海外訪問には向かないのではないかと存じます。そしてインドネシアの場合、電鉄区間の駅ホームが最も撮影に文句を言われやすい場所なのです。
 ※なお、この断り書きへのコメントはご遠慮下さい。