プルワカルタの廃車放置会場にて、辛うじてオンレールであったHolecに感激しつつ、さらに機関庫の残骸に向けて歩いて行きますと……何と、4両固定編成が放置されているかに見えたHolecは実は2両+2両であり、機関庫側の2両はHolec最初期の車両である1994年製でした! このグループは一部がオランダで製造され、その後インドネシアのINKA (鉄道工業会社) で組み立てたグループが量産されたわけですが、この94年製グループの特徴は正面が四角張った雰囲気であること。個人的には、ギョロ目の2次車以降のグループと比べ、こちらの方がイケメンであると思います……(^^;
そんな1次車の生き残りであるこの車両 (先頭車はKL3-94214)、側面の表示を見ておりますと、一応2008年に検査を受けた旨が表記されています (MRI=マンガライではなくYADと記されていましたが、YADとは何処? ^^;)。しかし、2009年に初めて訪問した際には、こんな色のHolecは見たことない……。恐らく、2008~2009年の間に致命的な故障が生じて運用を離脱、以来最近プルワカルタ送りになるまでマンガライ工場の奥深くで放置されていたものと推測する次第です。というわけで、そんなHolec初期車の旧塗装姿につきましても、長年マンガライに秘められていて部外者には縁が遠かったところ、最後の最後にそのオンレール姿を激写出来てラッキーだったなぁ……と思う次第です。
【お断り】今回の連載にあたり、閲覧者の方から「某大学鉄研のサイトで、自分の友人の会員が海外鉄道の用地内無断撮影画像をアップしたところ、別の会員から『立入禁止箇所での撮影は断じて許せない。関係部署に通報する』と猛抗議され、止むを得ず記事を削除したことがある。その厳格な彼は海外鉄道にも興味があるようで、一体どんな人が見ているのか分からないので、立入禁止とされている場所の画像アップについて気をつけられたし」という懇切なメールを頂きました。誠にありがとうございます。
言うまでもなく、今日の日本において、本来関係者以外立入禁止の場所で撮影したものを公開しようものなら大問題となることは言うまでもありませんし、私も日本国内ではそもそもそのような場所で撮影しません。
しかし東南アジア(あるいは中国の地方鉄道・専用線や台湾の田舎の保存鉄道)では、線路用地内立入禁止という大前提はある一方、実際には地元民が線路を往来に利用していたり、あるいは観光客が線路に降りて記念撮影をしていたり、はたまた地元の鉄ヲタや日本人鉄ヲタが線路用地内で撮影していても全く文句を言われず、むしろ鉄道職員氏や保線員氏が気さくに声をかけて来たり、あるいは前照灯点灯などで歓迎してくれることもしばしばです。
但し、もちろん原則は立入禁止ですし、とりわけ駅の秩序維持や危険回避(今回アップの廃車置き場は地元のガキの遊び場と化して明らかに危険であった)のためにガードマンが配置され、怪しい人間を排除するよう任務が課されている場合には、その原則が優先されることになります。カメラを持ってウロウロしている人間は真っ先にその対象となることは言うまでもありません。
ただ同時に、自分の持ち場で問題が起こるのを避けたいというのが、彼らの第一の関心事ですので、基本的には……彼らの存在に気づいて大人しく撮影を止め、その場から立ち去れば、それ以上追いかけて来ることはありません。いっぽう、撮影禁止・立入禁止を咎められても、日本から来た趣味者であることを伝えて平身低頭して謝れば、これまでのところその場で放免です。場合によっては「趣味者ならOK」ということになって、もう少々撮影させてもらえる場合もあります。
いっぽう、そもそも鉄道撮影自体が厳格に禁止されている国では厳しい処罰が待っています。黙認または選択的許可に変わった国でも、橋梁や隧道の撮影、あるいは外国人に開放されていない地域での撮影などは厳しく禁じられたままであることも珍しくありません (韓国やミャンマー、あるいは中国の軍事上特に重要な橋・地域など)。
書籍やネット上で見られるアジア諸国の鉄道写真(とくにホーム以外で撮影されたもの)は、現地人・外国人が撮ったものに関係なく、総じてほとんどがこのような、原則立入禁止でありながら、撮影していても(あるいは大人しく立ち去れば)文句を言われないというグレーゾーンで撮影されたものであると言っても過言ではありません。
ここでもし厳格に、立入禁止箇所で撮影した写真は全て違法で、削除すべきだ、という原則を貫くのであれば、アジア諸国の鉄道を紹介する画像はほとんどが公の場から消え去ることになるでしょう。しかし今のところそのようにはならず、私が尊敬する多くの先達の方々が楽しい記憶とともに優れた記録を残され、私もそれを参考にして満足の行く趣味生活を享受できているのは、ひとえに現地の文化や人々を尊重し、現地それぞれの空気を読み、常に安全には細心の注意を払い、列車の往来に妨げとなる行為を決してせず、鉄道会社と鉄ヲタの良好な関係に気を配っているからです。
古い画像や映像から判断するにつけ、かつて1970年前後までの日本でも鉄ヲタと鉄道会社の関係はこのようなものであり、鉄道用地内撮影も余程のことがない限り大目にみられたものと推測します。各地でSLが引退した当時の線路内ヲタの多さは仰天レベルです。山科の大カーブを行く往年の名列車の画像も、そもそも鉄道撮影という行為自体、高速シャッターを切れるカメラを所有するごく一握りの富裕エリートの特権であり、天下の東海道線で線路内撮影をしても咎められない雰囲気があったことの賜物だったのでしょう。また線路内歩行も、1980年代前半までは各地で散見されたように記憶しますし(鉄道ストライキ時には半分ヤケッパチで線路を歩くのが「お約束」)、ローカル私鉄の車庫に私のような中学・高校生が突然押しかけてもしばしば歓迎され、記帳一つで構内を自由に歩いて撮影させて下さるのも当たり前でした (さらにその昔、1970年代までは、国鉄の車庫でも押しかけ撮影が可能で、しかも結構歓迎されたとか……)。
しかし残念ながら、その後の世の流れとともに日本では原則が徹底されることになっているのは周知の通りです。写真撮影のハードルが余りにも下がり、上記の「暗黙のお約束」を全く知らない人々までが容易く鉄道撮影に参入する中では、一律に明確な原則でやって行かなければならないのは当然のことでしょう。そして、急速な経済発展(とりわけ鉄道趣味の裾野の拡大)やスピードアップとともに、現在は写真撮影、とりわけ線路内撮影に対して「寛容」な国々でもやがて厳格な原則が適用され、徐々に撮影が難しくなって行くことが予想されます。インドネシアは恐らくその過渡期にさしかかりつつあると言えます。
したがって、多くの先達の方々や私が公開している画像はすべて、その場限りの過渡期のものであり、あくまでお目こぼしのもと撮影できたものに過ぎません。それは厳密には不法行為であるかも知れませんが、これまで処罰の適用対象とされておらず、慣習・黙認のレベルとして問題にされて来なかったということです。したがって、それを参考にされて現地を訪れるとしても、撮影の成功は一切保証出来ず、現地との関係も含めてすべては自己責任・臨機応変の自己判断でお願いしたいことを重ねて申し上げます。何事も一律に原則論・杓子定規でしか考えられない方の場合、もちろん乗り鉄される分には全く問題ないかと存じますが、各国の社会は何事も原則と実際がしばしば大きくかけ離れた世界であり、日本と同じようには事は運びませんので、そもそも海外鉄道趣味はおろか海外訪問には向かないのではないかと存じます。そしてインドネシアの場合、電鉄区間の駅ホームが最も撮影に文句を言われやすい場所なのです。
※なお、この断り書きへのコメントはご遠慮下さい。