地味鉄庵

鉄道趣味の果てしなく深い森の中にひっそりと (?) 佇む庵のようなブログです。

第三ヤンゴン熱鉄記 (13) 日本製旧客BDTXZ1350

2015-05-26 00:00:00 | ミャンマーの鉄道


 ミャンマー国鉄における雨樋付き4ケタナンバー日本製旧型客車、お次はヤンゴン環状線用3扉ロングシート車であるBDTXZ1350形 (?) です。この車両は恐らく登場当初、ボックスシートの急行用オーディナリー客車であったと想像されますが、後に新客車が続々と現れる中で、ヤンゴン環状線や地方の混合列車用としてロングシートに格下げされたものと推測されます。扉の数は最初から3扉?
 にもかかわらず、LBT・LBTXを名乗らず、登場時からのものと思われるBDTXZを名乗っているのは不思議ですが、まぁいずれにしてもオーディナリーであることには変わりません。今回ご紹介した画像の車番は1370で、他に1365の存在を確認しておりますので、多分1350形なのではないかと推測しているのですが、正式な番号区分は謎であることを申し添えます (滝汗)。



 一方こちらは……BDTX1513。形式名は1500or1510形でしょうか。雨樋や小型ベンチレータが存在しないため、1950年代日本製という基準には合致しないものと思われます。それでも、車番が4ケタということで、他の客車と比べても非常に特殊な存在であることから、敢えて紹介させて頂きます。何やらクラシカルな台車、そして登場時はアッパークラス・コンパートメント寝台であったことを何となく匂わせる窓割り……ということで、BDTZ10300 (オーディナリー)やBDUEZ10700(アッパークラス)と同じく、ビルマ国鉄国産初期グループに属する客車なのではないかと推測しておりますが、リベットが全くない優美な車体であること、そして紛れもなく4ケタナンバーであることから、果たして日本製とビルマ国鉄初期型のいずれに分類すれば良いのか全く判然とせず……眺めれば眺めるほど謎は深まります。
 ただ一つ言えることは、ロングシート車が最初からこのような窓割りで登場するはずはなく、歴史上のある時点で格下げ・ロングシート化されたということでしょう。この手の、元は高貴だったと思われる客車の成れの果てという姿は、実に趣味的な好奇心をかき立てずにはいられないものがありますが、私は所詮、ミャンマー国鉄内部にある設計図・車歴表を眺めうる立場にはない通りすがりの鉄ヲタに過ぎませんので、将来どなたかが本格的にミャンマー客車事情調査を進められた暁にあらゆるナゾが判明する日を待望しているところです (汗)。


 マラゴン持ちのNa運用が、こんな超ボロボロ混色編成で来た頃が懐かしいです……。

北陸の消えゆく車両と色 (6) 松任の赤415

2015-05-25 00:00:00 | 国鉄型車両


 北陸本線の金沢以北三セク化によって、新造間もない521系のかなりの車両が新会社に譲渡され、413系も5編成ほどが新会社に譲渡、残りの413系は基本的に廃車とならず引き続きJRW所属車として活躍しているとのことですが、その一部が七尾線の運用に回っているため、七尾線用茜色の415系800番台に廃車が発生しつつあります。413系&一部クハ455にどんどん茜色を塗りつつあるということで、JRWとしては鋼体が新しい413系を活かそうということなのでしょう。



 まぁそもそも113系800番台については、113系の非ユニット窓初期車に、「雷鳥485→北近畿Xゾーン183」転用で発生した交直流装備をくっつけたシロモノである元の車体が既に相当老朽化しているのは否めない事実でしょう。113・115系の非ユニット窓車が激減した今日、よくぞ今まで残っていたものだ……お疲れ様、というのが正直なところです。
 しかし、個人的には北陸というとどうしても富山と福井ばかりで、折角七尾線にこんな車両がゴロゴロ走っているのを今まで撮り逃しておりました (滝汗)。日中は1時間間隔ということで、鉄道利用。・駅撮り派の私にはちょいとツラいものがありますので、高速バスで早朝金沢着、または前泊で、何とか日の長い季節のラッシュアワーを撮りたいものです。
 とはいえ、それも何時になるか未定です (汗)。とりあえずは松任工場で廃車待ちの姿ながらも800番台トップナンバー最後の雄姿を記録できただけでも満足です。

南東北鉄周遊2015 (2) 飯坂線の3連

2015-05-24 00:00:00 | 地方民鉄 (東北)


 朝の福島駅に降り立つとき、勿論福島交通の古参バスも大いに興味をそそられるところですが、個人的には東急ステンレスカー派である以上、最大のお目当ては同じく福島交通の鉄道部門である飯坂線の7000系ということになります。とくに平日のラッシュアワーは、全国に散らばった東急7000系のうち最後の原型中間車となったサハ7300を含む非冷房の3連が動き、たとえ改造のっぺら顔であるとは言っても極めて貴重なシーンであることは疑いのないところです。
 ただ、そんな非冷房3連も個人的に御無沙汰になってしまいましたし、非冷房であるだけに果たして何時まで走るか全く不透明でしょう。日比谷線03系と東武20000系の大量廃車が近いうちに始まれば、この両形式が東急7000・7200の後継を待望する全国地方私鉄の垂涎の的となると思われるわけで、この福島交通3連もそれまでの運命と推測せずにはいられません……。だからこそ、改めて機会を見つけて乗って撮るとともに、東横線での7000系現役時代を知りようもない甥っ子に、是非7000系非冷房車を見せてやりたい……と思い、飯坂線をチョイスした次第です。



 しかし……この日は仙台方面でも活発に乗り撮り鉄する計画でしたので、飯坂線での持ち時間は1時間15分ほど! (爆) その間に効率良く3連の乗車と激写を兼ね合わせようと思うと、飯坂線の時刻をダイヤグラムに起こしてじっくりと研究する必要があります。そこでシコシコとダイヤを描いたところ……をを何と! 朝8時過ぎの最混雑アワーに2本連続で3連が福島に到着するようになっており、その後飯坂温泉まで1~2往復したのち桜水に入庫という運用が組まれています。そこで、3連に乗って花水坂に向かい、最大の撮影地である鉄橋にダッシュすれば、3連を2回(うち1本は後追い)撮影することが出来、さらに花水坂駅にダッシュすれば再び3連に乗って福島駅に向かうことが出来るという……。 
 というわけで、実際に花水坂まで原型そのまんま!な非冷房サハの車内を満喫したのち、甥っ子に「撮り鉄は走ることも必要だ」とそそのかして鉄橋までダッシュしたのですが、甥っ子の方が全然速く、四十路のヲッサンはヘトヘト……(笑)。ただ、その甲斐あって、無事飯坂から戻って来た3連を激写でき大満足♪ 甥っ子も、中学受験成功記念で私が譲ったミラーレス一眼を使っていますので、コンデジではないカメラで初めて走行中の列車を激写して満足していました(その記念すべき一発目が東急7000とは……マニアックな叔父さんが仕組んだ罠 ^^;)。
 こんな感じで3連を2度撮ったあとは、再び花水坂までダッシュして福島に戻ったのですが、その結果 (1) 残りの距離ごく僅かな飯坂温泉までの再完乗 (2) 甥っ子の飯坂温泉初到達 (3) はなもも編成の撮影……といったことがお預けとなりました (^^;)。まぁ甥っ子は、将来飯坂温泉まで完乗したくなったら、自分で来れば良いわけです。
 それにしても残念なのは、朝しか走らない3連であってもパチ屋の広告がドア脇に貼られてしまっていることです。前に訪れた際には、3連だけはパチ屋の広告を免れていましたので、何という不覚……。

タイ国鉄・東本線鈍行の旅 (下)

2015-05-23 00:00:00 | タイの鉄道


 昨日の日経新聞では、懸案であったバンコク~チェンマイ間の高速鉄道案件を日本が請け負うことになることがほぼ決まった旨が報じられていました。採算性の問題は引き続き大きな課題として残るでしょうが、まずは目出度い話です。
 そんな折も折、先日たまたま東京で、タイ人と酒を飲みながらタイの現状について思う存分話をするという貴重な機会があったのですが、とりわけ鉄道については以下のような意見で、なるほどなぁ……と思いました (その人は極めて明確な反タークシン派。但し非鉄)。覚えている限りの内容を備忘録として記しておきます。

 * 鉄道インフラは本来、タイ国家の根幹をなすべきである。それが現状のような、時間が数十年来止まったかのような陣容であるのは何とも残念な限り。
 * しかし長年タイの鉄道は、極めて安定した国営部門であったため、想像を絶する縁故採用によるコネの泥沼と化しており、なかなか自己変革がなかった。
 * そこにタークシン派のポピュリズム政治が加わったこともあり、国鉄運賃が他の物価と比べて不当に安く抑えられすぎている(このことは確かに、乗ってみれば明らか)。しかも普通列車運賃国民無料化政策とは! 貧民に迎合しすぎて設備投資するカネもなかなか無く、高速バスに客を取られるばかりで、まともに競争力のある鉄道産業が育たなくなってしまっている。利用客も利用客で、列車に乗ったら後は目的地に着いてくれれば良いという期待しかないため、遅れについては全くどうでも良く、それがなおさら国鉄の奮起を促さないことにつながる(事業者も客も揃ってマイペンラ~イ……というやつか!! ^_^;;)。
 * 日本の技術でバンコク・チェンマイ間に新幹線を整備したり、アランヤプラテート~バンコク~ダウェー間の東西回廊を物流ルートとして整備するのは最高に大歓迎だ。いっぽう雲南~ラオス~イーサーン地方~バンコク間の高速鉄道は中国ということになりつつある。軍政は大型インフラ案件で日本と中国を競わせ、日中ともにその競争に乗っかっているわけだが、これはタイを地政学的な草刈り場として荒らしてしまう危険なゲームになってしまうので歓迎できない。日中どちらかにしてくれ。自分はもちろん日本派。中国の高速鉄道なんて、ただでさえ衝突したら土に埋めておしまいだというのに、それをタイに輸出したらますます無責任な劣化品を安く造っておしまいだろう。



 ……とまぁこんな感じで、私もタイとの密接な関係がますます強まると良いなぁ~と思うのですが、そんな将来の日泰協力の目玉の一つになりそうな東本線は、当面イタリアの援助で軌道改良が進みつつあるとはいえ、依然として昔ながらの雰囲気です。アランヤプラテート駅の雰囲気も機回しシーンも、あくまでのんびり、超まったり……。線路に下りて写真を撮っていても文句を言われないどころか、帰りの列車の検札時には1度「ああ君ね」と確認したあとは顔パスになってしまいました (あくまで今回はこうだった、ということで……常にそうだとは限らない旨をお断りしておきます)。撮り鉄・乗り鉄している限り、軍政のグの字も、戒厳令のカの字も感じられないのがタイという国です。
 しかし、往路のアランヤプラテート行と比べ、復路のクルンテープ行では、一般の客に対する身分証チェックが入るようになりました。その一因はカンボジア人の出稼ぎ密入国対策でしょうが、別の一因としてベトナム~カンボジア~タイ~マレーシアというルートが、中国新疆から逃れて来たウイグル人の亡命ルートになっているからではないかと思われます(したがって、顔立ちがウイグル=トルコ人と似ている西洋人もかなり綿密に調べられていました)。
 そんなピリピリした雰囲気も、鉄道警察や乗務員による改めが済めば何処吹く風。午後のどうしようもなく暑い車内にも、やがて3時を過ぎると涼しい風が吹き始め、個人的に熱帯の旅で一番好きな時間……夕暮れとなりました。製造から約65年となった半鋼製の車内はオレンジ色の斜光線に照らし出され、車内の人々は暑さに疲れた体を夕風に委ねて心地良い眠りに……。そしてひたすら、乾いたジョイント音が車内に鳴り響きます。そう、この旅情あふれるひとときを全身で感じるために、まる一日ハードな炎天下の汽車旅に耐えてきたというものです!
 やがてチャチュンサオを過ぎると、周囲はすっかりパステルブルーに染まり、屋台の裸電球が線路脇を照らすバンコク市街地に入ると短距離の帰宅客も乗り込んで人口密度が上がります(アランヤプラテートからの帰路は、往路よりも全然空いていたのですが、それはまぁ恐らく、「移動は涼しい午前中に」という人が多いためなのでしょう。そういえば昨年泰緬鉄道に乗ったときもそうだった)。そして19時40分、定刻と大して変わらないタイミング (タイ国鉄にしては珍しい)でマッカサンに到着! 残り僅かな道中となった列車が発車するのを見送りつつ、徒歩10分ほどで空港鉄道のラーチャプラロップ駅界隈にある宿に着き、怒濤の一日を締めくくったのでした。

鹿児島熊本鉄バス録 (11) 熊本バス旧塗装

2015-05-22 00:00:00 | 濃いぃ路線バス&車両


 熊本バスセンターに雲集する路線バスのうち、熊本電鉄はその字の如く鉄道会社であると分かりますが、もう一社、「隠れ元鉄道会社」として熊本バスが大きな存在感を示しています。社名は「バス」なのに……ということで、そのココロは、かつて熊本近郊にて気動車を運行していた熊延(ゆうえん)鉄道の名残とのことです。熊延鉄道はその名の如く、熊本から険しい山岳を越えて延岡までの路線を建設するという野望もあったようですが、結局資金不足で実現することはなく、豊肥線の南熊本から枝分かれして南南東に向かう28kmちょいの路線を細々と走らせて1964年に廃止となり、鉄道車両は主に江若鉄道に移ってバス部門が熊本バスと改称し今日に至っているとのこと。



 その路線網は往年の名残で、熊本市からみて南東方向に重点が置かれていることから、熊本電鉄との接点はバスセンター界隈に限られるということなのでしょう。そんな熊本バスのシンボルカラーはオレンジということで、何やらチ○ンラーメンの包装の色を濃くしたような (^^;) 旧塗装車を初めて眼にした瞬間、思わず「昔気質の田舎バスって感じでサイコー!!」と鼻息が荒くなってしまいました。いや極端なことを申しますと、熊本バスの旧塗装車を撮りたいと思ったからこそ、熊本市電撮影もそこそこにバスセンターに密着したという次第です (笑)。
 ただ、旧塗装車は何のかの言って旧塗装車。頻繁にやって来るわけではありません。一番激写したかったのは、熊本駅から藤崎宮前へ向かう途中に目撃した西工二段窓ボディの旧塗装車だったのですが……。というわけで、1枚目の96年製いすゞジャーニーを激写出来ただけでも御の字かと思っていたのですが、バスセンターでの持ち時間の終盤近くになって超目玉な車両が!! 91年製の三菱エアロバスとは……!! うーむ、つまらん鉄道車両よりもシブいボロバス……という言葉が脳裏をグルグル駆けめぐってしまったのでした (^^;;)。