地味鉄庵

鉄道趣味の果てしなく深い森の中にひっそりと (?) 佇む庵のようなブログです。

関西大雨鉄2015夏 (3) 近鉄2610系

2015-07-25 00:00:00 | 大手民鉄 (近鉄)


 南海なんば駅で目出度く7000系旧塗装鉄コレをゲットした後は、なんばの長~い地下街を歩いて近鉄大阪難波駅へ。いやはや、南海公式HPの最新情報によりますと、旧塗装2連もついに完売したとのことで、恐らく先日の堺即売会の際のついで購入で在庫が切れたものと推察されます。したがって、当日堺宿泊で、朝方なんばを通らなかった私の場合は、前日に買いに来なければ完全アウトであった可能性が高いわけで……。いや~前日に鉄活動する時間的余裕があって良かった良かった♪
 それはさておき、近鉄はこの日の夜の京都での用務後、西大寺経由で大阪難波まで乗るつもりでしたので 、昼間は大して乗らずに鶴橋で下車。キムチ臭い空気と折からの暗い湿気が組み合わさった凄惨な空気感 (爆) のもと、しばし近鉄撮影に興じてみました。



 個人的に近鉄を撮影するとすれば、最近は京都出張ついでに京都・奈良線を撮影することが多かったため、たまには裾絞りではない大阪線の古参2410・2430・2610系を撮りたいなぁ~と思ったのですが、それにしても天気が極悪すぎて光量が引き続き少ない……。ISO1250で1/320、f7.1という微妙なセッティングが続きます。撮像素子がデカいデジ一眼でなければ、画面は超ザラザラになってしまうのではなかろうか……と思います。しかも、お目当てのボロがなかなか来ないうちに、光量はさらに減る気配……。1枚目の区間準急を撮影した時点ではまだましでしたが、2枚目の普通を撮った時点ではシャッタースピードを稼げぬ! (滝汗)。超望遠側に振って辛うじて見かけのスピードを遅くし、何とか撮影した次第です。しかしそれだけでは単に暗く凄惨なカットになってしまいますので、鶴橋名物・楽しそうな80年代レトロ (爆) 御一家が描かれた市場の看板を一緒に写してみました (^^;)。
 それにしても、3.11以後の省エネ対策のためか、近鉄大阪線の昼間の普通・区間準急は、すっかり4連中心になってしまったようで……。そろそろ久しぶりにラッシュアワーの長大編成でも撮ってみたいな~と思っているところです。
 ちなみに、上で記した、京都用務後の近鉄経由・難波への移動は、単に、京都線で8000系急行に乗り、奈良線で大阪行きの空いている列車に乗り、ゆったり難波まで移動してから堺に行きたいという腹づもりであり、加えて夜でも混んでいそうな京阪間のJR移動を避けたかったからでもありますが、この日の晩のJRW大混乱を後で知るにつけ、いや~本当に近鉄経由で良かった!♪

南東北鉄周遊2015 (9) 架線下の陸羽東線キハ110

2015-07-24 00:00:00 | JR発足後の車両


 仙石線の長らくの運休区間は高城町~陸前小野間となっていましたが、代行バスの運転区間が何故松島海岸~矢本間だったのかと言えば、単に乗換のしやすさによります。しかし今回は折角の機会。陸前小野で折り返す陸羽東線カラーのキハ110を撮影したいものですし、何と言っても大勢の乗換客とともに矢本駅で待つよりも、一足お先に陸前小野駅で悠々のんびりと石巻行車内のボックスシートに収まる方が良いと思いましたので、一足お先に陸前小野で代行バスを下車、100数十mを歩いて陸前小野駅に向かいました。
 ところが……既に代行バスの車内で覚悟していましたが、空はかなり暗くなり、凄まじい勢いでにわか吹雪が吹き付けまくり……。震災当日やその直後もこんな天気だったようですので、津波に流されてしまった大地をバスで横切りつつ、期せずして4年前のその日の情景を追体験してしまったことになります。そして風の強さは代行バスの停留場から駅に行く途中にMAXに! 駅舎を目前にして、体が飛ばされそうなほどの突風が襲い、体感温度は零下10数度以下となってしまったという……。私自身は登山や海外バックパッカーとしての経験から、これくらいの気候の急変は何てことありません。しかし、甥っ子は完全に参ってしまい、駅の売店 (乗降客がまだまだ少なかったのに営業中!) で菓子をかってやった後は戦意喪失、待合室でヌクヌクすることになったのでした。



 というわけで、私一人で再び待合室の外に出て、ホームを挟んで反対側の公道へ! 石巻から架線下を走って到着する陸羽東線という、間もなく (そして目出度く) 消えようとしている光景を確実に記録することが出来たのでした。その後は、折り返し時間が限られているため速攻で駅に戻り、甥っ子とスカスカな車内に収まって石巻を目指したのですが、いや~~外気との体感温度差が激し過ぎて、そして無事プラン通りに仙石線乗継&撮影をこなすことが出来たことで、一気に疲れが襲ってきました。
 その後矢本にて、予想通りに代行バスからの客がドドッと乗って来たあとは、復興途上の街を眺めつつ石巻へラストスパート!……とはいっても駅間がさほど開かないこともあり、飛ばしはしません。次にこの沿線風景をDCの車内から眺めるとすれば、仙石東北ラインの車内からだな……と期待しつつぼんやりとしていると、やがて天気は夕晴れとなり、あの極寒な悪天候は何だったのか……と呆然。しかしまぁともあれ、石巻焼きそばの何たるかを味わいにやって来た遠来の客を、この急に回復した天候が歓迎してくれているなぁ~と思いつつ、古き良き雰囲気を残した石巻駅に到着し、駅近くの店でたらふく焼きそばを激賞したのでした。
 このあと仙台への帰路は、これまた仙石線全通によって消えた「直通快速」に乗ったのですが (右下にショボい駅撮り画像を載せました)、小牛田駅で留置線に入って乗務員交替するため停車扱いにならないのは面白いなぁ~と思いつつも、東北線内でのダイヤが完全に寝ていて何だかガックリ (^^;)。とはいえ、そんな過渡期の列車に乗った上で、その後の新たな歴史を目睹する足がかりとなったわけですから、これはこれで貴重な機会と思わなければいけません。
 とまぁこんな感じで、最後は『はやぶさ』に乗って大宮に戻ったのですが (大宮からさらに上野東京ラインで横浜へ)、甥っ子はハードな撮り乗り鉄の一日ですっかり疲れ切っていたためか、一番期待していたはずの「はやぶさ」でウトウトしてしまったのでした (夜だしなぁ~)。まぁまた乗って景色を見たければ、自分でお年玉でも貯めて乗り給え (笑)。

 以上で、3月の南東北鉄レポートは終了。いつの間にか寒い季節から酷暑となってしまいましたが、ご覧頂き誠にありがとうございました。



第三ヤンゴン熱鉄記 (22) Ordinary標準客車急行色

2015-07-23 00:00:00 | ミャンマーの鉄道


 BDTEZ 12018。ヤンゴン東郊Na運用にこの客車が入ること自体が経済発展。



 BDTEZ 12027。ヤンゴン (チミダイン)~ピィ鈍行のため、車体が汚い。



 BDTEZ 12086。これはマンダレー本線の急行列車で運用されていました。



 BDTEZ 12252。ヤンゴン環状線特別車・運賃200ksステッカーがポイント。

-------------------------------------------
 先日発売されたRP誌の最新号では、いつもお世話になっております斎藤幹雄様によるヤンゴン環状線紹介記事が載っており、私も勿論ゲット致しました♪ 今やミャンマーに転じた日本中古DCのみならず、ミャンマーのオリジナル車両陣も詳細に雑誌で紹介される……すなわち載せてもブーイングが起こらない程度にジワジワと注目が集まるほどになったかと思うと、誠に感慨深いものがあります。何せ、斎藤様談によりますと、民主化開始以前の軍政バリバリ時代においては、撮影許可を得たRBEではない車両にカメラを向けようものなら、即座に軍人に文句を言われたそうですから……。そんな時代が長く続けば、一般の車両事情が紹介されないのも道理。しかし今や、私も含めて我も我もとヤンゴン詣でするようになり、いつの間にか現地車両にも興味を持ってしまった結果がネットで豊富に紹介されるようになりますと、なるほどこちらも面白い……ということで、今回の執筆依頼&掲載につながったものと愚考します。

 というわけで、少々間が開いてしまいましたが、ミャンマー国鉄客車概観の続き。今回は、急行から鈍行まで縦横無尽に活躍する、12000台を付番された標準オーディナリー客車です。
 ノーシルヘッダーのミャンマー国鉄標準客車の中でも、オーディナリーは自ずと最も多くのタマ数となっているわけですが、このうち初期の日本製は車齢の古さゆえに急行運用には余り入らない旨につきましては前回記した通りです。しかしたま~に、日本製の10400台が急行塗装に改められて急行列車で活躍しているのを見かけることもあります。
 これに対し、急行用オーディナリーの圧倒的 (?) 多数を占めているのが、現在進行形で新造が続く12000番台の車両です。一部、ウリナラの大宇重工(現在は現代精工と合併してロテムに)製もあるようですが、多くはMRのミンゲ工場で生産されているようです(一部部品をウリナラから輸入するということはあるでしょう)。10400台とはなかなか見分けがつきにくいかも知れませんが、12000台は心なしか屋根の盛り上がり方が薄くなっています。最も明瞭な違いは……12000台ではトイレ・洗面台の窓がHゴムになっていることでしょうか。
 なお、確か1年半~2年ほど前から、ヤンゴン環状線5~6連の中2両が12000台に置き換えられ、運賃200ksの特別車サービスが提供されていますが、ロングシート・扇風機無しのボロ客車と比べれば、たとえプラ製のゴツゴツボックスシートであっても破格のサービスであると思います。しかも問答無用でガーッと扇風機が回っていますし……♪ 運賃300ksながらも札幌スペックのクーラーではサバンナ気候の酷暑に対して完全に焼け石に水なJRHキハ40と比べても、個人的には200ksボックスシート車の方が100倍快適であると思います (笑)。とはいえ、同じ300ksで利用出来るキハ181と比較するとダメダメであることは言うまでもありません (とゆーか、キハ181が豪華すぎるのです☆)。そんなヤンゴン環状線での運用車は、新造時からただちに環状線に投入されただけあっての特別仕様で、トイレと洗面台が省略されています (そのスペースは単なる空洞に)。

関西大雨鉄2015夏 (2) 南海6200系

2015-07-22 00:00:00 | 都市民鉄 (近畿以西)


 天気が悪すぎて余り人が乗っていない大和路快速を新今宮で見送ったあとは、階段を上って南海のホームへ。こんな天気でもデカいザックを担いだ白人バックパッカーの姿が散見されるあたり、南海も新今宮も本当に変わった……と思いつつ、とりあえずは南海7000系旧塗装鉄コレをゲットするべく難波に向かうわけですが、そのついでにこんな土砂降りの中でも力走する高野線のステンレスカーを撮ろうと思いまして、まずは改札を入った目の前の高野線下りホーム先端に陣取ってみました。しかし……高野線は雨のためかダイヤが乱れ始めており、なんば行が全然来ない一方で、下りはどんどん来るという……。しかもこういう時に限って6000系が……。「しまった、上りホームなんば方で待ち構えていれば良かった」と激しく後悔しつつ、とりあえずやって来た6200系を激写したのでした。



 う~む……この雨といい、なんば発の6000系を立て続けに逃してしまったことといい、今日の高野線撮影運は全然ツイていない……。というわけで、なんばから来た列車をもう1~2本撮ってから、さっさとなんば行に乗ってしまおうと思いまして、さらなる強雨のもと、ホーム屋根の下で辛うじて雨宿りしつつ構えていたところ、ちょうど絶妙な位置で6200系どうしの離合となりました。とにかく雨が降りしきり、光量も少ない極悪な天候ですが……まぁこれも記録というものでしょう。ジャカルタでついに新8039Fが離脱し、デポックの廃車候補コーナーで放置となったという今日この頃だけに、東急8000系近似顔の南海6200系がこうして大都会のど真ん中を頻繁に行き交い離合するということ自体、いかなる天候であれ激写しなければなりません……。
 とまぁこんな感じで撮影した後は、人が反対ホームで構えていないときに限ってやって来る6000系に乗りまして、ついに南海本線では絶滅寸前となった片開き21m車の堂々たる車内を楽しみつつなんばへ。そのまま、2階コンコースのサービスセンターに向かい、目出度く鉄コレ緑ツートン2連をゲットしたのですが、そのとき周囲にいた人々はほとんど中国語圏からの客ばかりで、日本語が全く聞こえて来なかったことに、これまた時代は変わった……と思いました。何でも、関空から新疆ウルムチ行き (山東航空・毎日・青島経由) や対北朝鮮国境の延吉行き (中国東方航空・週2便・直行) というフライトも出来たそうな……(@o@)。

祝ヤンゴン輸出・広島電鉄3000形!

2015-07-21 00:00:00 | 路面電車


 ヤンゴンのダウンタウン住宅街や港湾地帯をめぐる臨港線、2年4ヶ月前に初訪問した際には、果たして何時貨物小運転が来るのか全く分からない、半分終わったも同然の極マイナー路線に過ぎなかったものですが、そこに昨年から三陸鉄道36形が走り始めたというニュースは本当に腰を抜かすものがありました。途中交換駅がなく、閑散極まりないダイヤは、利便性云々よりも単に日本人ヲタを集めるだけとしか思えない……(^^;)。実際、今年3月に乗って撮ってみたところ (そういえば、乗車記録は未だアップしてないや……滝汗)、深刻化するダウンタウンの交通渋滞に対する切り札とは到底いえない超長閑~なムードに、逆に極めて強いマニアックな喜びを感じたものです。
 しかしミャンマー国鉄は、これだけではまだ飽き足らないためか、それとも長期的な思惑があるのか……。かねてから電化の噂が流れていましたが、ついにそのヴェールは剥がされ、港湾地帯に沿った三線レール部分が電化されて (それとも本線の駅=パズンダウンとチミダインまで電化するのだろうか??)、広島電鉄の中古電車が輸出されることになりました! 



 この話題は各方面で既報済みですので、既に新鮮味はないかも知れませんが、とりあえず記念としまして、2008年に撮ったきりお蔵入りになっていた (側面に広告があるからというショーもない理由……^^;)、今回の輸出対象・3000形の画像をHDの奥から引っ張り出してみました。確か3005・3006編成が行くということで、3006編成の画像につきましてはこちらをご覧ください。
 それにしても、この電車自体が西鉄からのもらい物であり、既に相当の車齢となっている以上、過酷な気候のミャンマーでそう長い間走れるとは思えません。短期間のみミャンマー初の電車として話題を提供し満員御礼になったところで、そこですぐに壊れて廃車ということであれば、一体何のために高い船代を払ったのか……という批判も集まることでしょう。そこで個人的には、今回の輸出には必ず深慮遠謀があるのではないかと睨んでおります。すなわち、今後の環状線等における電車の運転に備えて、まずは構造が簡単な釣掛式電車から慣れておこう (しかも臨港線なら本数も少なく、いざ何か問題が発生しても呆気なく運休に出来る) ということなのかも知れません。
 うーむ、今後臨港線の電車旅客営業が軌道に乗れば、さらに本格的な新車が入り、この車両もさっさと廃車ということになりかねませんので、やはり来年春にまた再訪しなければならないのか……と思い始めているところです。しかし臨港線はその前に、三線レールや電化区間を港湾地帯の外側に延ばすのか、そして交換設備をつくるつもりがあるのかないのか、気になり過ぎて夜も眠れなくなりそうです (笑)。