地味鉄庵

鉄道趣味の果てしなく深い森の中にひっそりと (?) 佇む庵のようなブログです。

第六ジャカルタ炎鉄録 (28) 東葉高速1060F

2015-07-04 00:30:00 | インドネシアの鉄道


 今年に入って急激に置換が進む南武線205系は、計120両がインドネシアに行くことがかねてから明らかでしたが、いつもお世話になっております『Asian Railway Plaza』『JABODETABEK COMMUTERS NEWS』様によりますと、先日ついに第一陣の30両がジャカルタのタンジュンプリオク港に到着! 編成替えで8連が15本登場する予定といわれ、既に都営6000を運用せずとも十分間に合っているほど車両不足も解消しているようですので、一部は今後のダイヤ改正による増発分やチカラン&ランカスビトゥン電化開業分に回るとして、果たして何本が既存車の置換に回るのか、非常に気になるところです……。



 そこで、8連1本のみとなった103系の命運は非常に気になるところですが、加えて東急8000系列やメトロ5000&東葉高速1000も廃車が加速する (部品を取って残存編成の温存に充てる) ことになるのかも知れない……と改めて強く思います。2009年に初訪問した際の雰囲気を楽しむのは、まさに今年が最後の潮時なのかも知れない……と武者震いです。
 というわけで、メトロ5000シリーズの続きとしまして、黄色額縁フェイスと東葉高速社紋→ガルーダマークが非常に印象的な1060Fの画像をアップしておきます。この編成、初訪問時は黄緑フェイスが非常に印象的で、東京では東西線系統に普段ほとんど縁がない私であっても「来れば大当たり」と感じていたのを懐かしく思い出します。その後、正面の黄色部分にはバティック模様入りの青黄→バティック無しの純粋な青黄カラーに変更となったものですが、昨年撮影した際には踏切事故か何かで1060のマスクが破損していました (2枚目の画像)。そこで、毎年訪れてこの編成を撮った際の熱い記憶が蘇って来つつも、一方で長年の酷使による疲れを感じ取らずにはいられなかったのも確かです。。南武線205系が2~3ヶ月後 (?) に運用開始となった後、果たしてこの編成もどうなるか分かりませんが検査切れで廃車の模様ですが、なるべく長寿であることを祈るばかりです。

第六ジャカルタ炎鉄録 (27) メトロ5000系67F

2015-07-03 00:00:00 | インドネシアの鉄道


 去る6月12日の大統領令を以て、日本パスポート所持者が観光目的でインドネシアの五大国際空港から出入国する場合のビザ免除が始まって約20日(注意!……ビジネス目的の場合は依然としてアライバル・ビザが必要。詳しくは落花生。様のブログを!)。ジャカルタのスカルノ・ハッタ空港に着くと、まずあのカオスになりがちなビザカウンターの行列に並ばなくて済むかと思うと、本当に素晴らしいの一言です♪ まぁその代わり、余り広くない入国カウンターフロアにて、多少は待たされる可能性もありますが……それでもビザ取得の待ち時間よりは短くなることでしょう。まぁそもそも、鶴丸航空の飛行機が、オランダやドバイあたりからの便の直後に到着するというスケジュールでなければ、ここまで待たされることもないのですが。
 そして同時に、ビザ代の35ドルが浮くことも素晴らしいのですが、これはまぁ最近のインフレで値上がりした宿代を補う分に回り、円安のためメシ代やタクシー・電車代を含めた全体的な訪問費用はややアップ、といったところでしょうか。



 というわけで、昨年8月のジャカルタ画像の続き、メトロ東西線5000系67Fです。基本的にジャカルタのメトロ5000系は、緑帯となって走り始めた当初は3編成とも共通仕様となっていたものですが、のちに電車運行の主体がインドネシア鉄道=KAI(100%国が株を保有するので事実上未だに国鉄)のジャボタベック事業部から、KAI子会社であるKCJ(直訳すればジャボデタベック通勤電鉄)に移管されましたので、メトロ5000系もKAI所属車を示す青+黄帯に変わりつつも、運転席真上にあるジャボタベック事業部のロゴを無くして今日に至っています。このうち、59Fはそもそもプレートを外し、66Fについては新たに「Djoko Vision」プレートを取り付けているわけですが、この67Fについては単にジャボタベック事業部プレートを脱色したのみ。そうなった当初「これも長くは続かず、そのうち丸ごと外されてしまうだろう」と予想したものですが、あに図らんや、その後今日までプレートそのものは残り続けています。
 嗚呼ジャボタベック事業部のロゴ……! 09年に初訪問した当時、ジャカルタ首都圏の通称は「デ(デポック市)」を含まないジャボタベック(ジャカルタ+ボゴール+タンゲラン+ブカシ)だったわけですが、当時既にデポック市のベッドタウンとしての発展は目覚ましかったわけで、やがて「デ」が入り、急行が停まらない駅の中間層利用も増えてエコノミAC電車がどんどん増えて行き、急行もデポック市内を中心に停車駅が増えて行き、ついには急行廃止と完全冷房化……! ジャボタベックからジャボデタベックへの変遷を考えるとき、こんな激動の電車事情が脳裏をよぎるものです。
 しかし今や、ジャボタベックだった頃の名残は僅かにこの編成のプレートに残るのみ。そして今や、都営6000系が事実上ほぼ完全離脱した旨がパクアン急行様のブログで伝えられているのに次いで、メトロ5000系も全検を通さずに引退して行く可能性が高まってきました (また、東急8000系の動きもかなり怪しくなっているとか……)。もちろん、メトロ5000+東葉1000のうち一部が残り続けることを期待しますが、来る8月の訪問は、純正メトロ5000の営業運転を目撃する最後の機会になるのかも知れないことを前提としたものになりそうです……。

東急8007F「伊豆のなつ」10周年

2015-07-02 00:00:00 | 大手民鉄 (東急)


 世の中しばしば「光陰矢の如し」と申しますが、とりわけ鉄道事情に触れていますと、ふとした契機でそんなことを痛感します。今やメトロや西武や東武が大手を振って走る東急東横線がまだまだ渋谷止まりながら、既にみなとみらい線は開業していた約10年前、やがて始まる副都心線直通を見据えて5050系の増備が加速しはじめ、そのあおりで8000系が急激に離脱し、一部は伊豆急やインドネシアに転じたものでした。そんな8000系にとっての花道イベントの第一弾が、伊豆急帯をまとった8007Fによる「伊豆のなつ」特別運行!!



 そして本日は、そんな8007Fが梅雨時の東横線にて華麗に舞う最後の1ヶ月が始まってから、ちょうど10周年の節目にあたります。先日、昔撮ったカットをおさめた外付けHDを漁っていた際にこの事実を思い出し、思わずHD内の諸々のカットを眺め返して「ををを……神秘的すぎる!」と感嘆の声を上げてしまったのでした。その後毎週のように、正面の各種掲示をコロコロと変え(プラスして行き)、その都度沿線に集った東急ファンを大喜びさせた8007F……。その後のインドネシアにおける活躍、そして8007と8039の車番差し替えという衝撃の事実まですべて脳裏にあるだけに、「全てはここから始まった!!」という感慨を新たにしております。
 それにしても、「伊豆のなつ」運行初日は、私が幼い頃住んでいた急カーブの脇には、私を含めてせいぜい3~4人しかいなかったものです。その後最終日に近づくにつれ、急激に混雑していったのは一体何だったのか……。そもそも幼稚園の頃、まさかここが後に有名撮影地になろうとは、想像だにしなかったものですし……。どれほど5000・7000・7200系がジャンジャン行き交っていても、撮っている人なんて見たことありません。まぁ「撮り鉄」という言葉もなかった当時、ただでさえ高価なフィルムは多くの場合SL撮影に注がれ、私鉄沿線を訪れる向きは本当に少なかったのでしょう。

頑張れ東海道新幹線。技術と人の調和万歳

2015-07-01 00:00:00 | JR発足後の車両


 昨日、東海道新幹線の新横浜~小田原間で起こった放火事件は、より環境負荷が少なく快適な大量輸送機関としての鉄道という存在に信頼を寄せ、かつ愛する者にとって、非常に衝撃的で腹立たしく悲しい出来事でありました。巻き添えで亡くなられた方のご冥福をお祈りしますとともに、巻き込まれた方に御見舞い申し上げます(私も乗っていたらと思うと他人事ではない)。
 そして、突発的事態にあっても冷静に対処され、被害と混乱を最小限にとどめたJRC関係者の皆様に心より敬意を表したく存じます。



 とはいえ一方、新幹線車両の難燃性が実証され、地震ではない非常時にあってもなるべく安全が確保されたということで、新幹線、そして日本の鉄道システムのハードとソフト両面の凄みを、期せずして確認することにもなったのではないかと思います。そして今後……もし乗客一律の荷物検査義務化ということになったら何だかなぁ……と思います。しかし一方、大量の乗客が超頻繁運転の列車を利用する中で、果たして空港のようなX線検査や開封検査は可能なのか、という問題もあります。最終的には、あのような凶行に走る人物が生まれないような調和ある社会をつくることが、究極の安全対策なのだろうと愚考する次第です。
 というわけで、ガラにもなく (^^;) 撮影したきり当ブログでは未アップだった、新横浜~小田原間での撮影画像を貼っておくことにします (既に別サイトにて別HNで貼っており、そういう意味では再掲)。1枚目のカットは、手前がドン曇りで暗く、奥がドピーカンの絶景ということで、レタッチには相当苦労しました (汗)。