地味鉄庵

鉄道趣味の果てしなく深い森の中にひっそりと (?) 佇む庵のようなブログです。

南東北鉄周遊2015 (7) 仙石線205系

2015-07-09 00:00:00 | 国鉄型車両


 仙台市営地下鉄初乗車を楽しんだ後は、仙石線との最寄り乗換駅であるあおば通へ。地表に出て仙台市街中心部の何たるかを初見聞するべきだったのかも知れませんが、その後新幹線に乗って帰るまで分刻み (?) の綿密なメニューを組んでおりましたので、「街そのものは逃げない」ということで後回し (笑)。そのまま仙石線に初乗車 (滝汗 ^^;) と相成ったのでした。とりあえず先頭車転クロ編成に当たりましたので、甥っ子と二人で「205系なのにミョーだなぁ~」とアホな会話をしつつ、陸前原ノ町あたりでトンネルを出た後は、仙台市東郊から多賀城市にかけての、如何にも都市近郊住宅街的な風景を眺め、「津波さえ来なければ (来たとしても僅かであれば) 本当に日常そのものなんだなぁ……と思った次第です。



 そんなこんなで多賀城市を過ぎて塩竃市へと入って行くわけですが、初めて乗った路線で単に乗るだけでは面白くないわけで、対向式ホーム、かつ午後の列車に対してド順光になる駅に目星をつけて途中下車 (改札からは出ません)。JREからは急激に減りつつある205系を激写してみることにしました。
 いや~、俄雪が去り澄み切った冬の空気を破るかのようにスロープを下ってくる青帯205系……良いですね~♪ まだ103系が走っていた頃「何かロゴが派手だなぁ~」と思い、結局来なかったのを猛烈に反省しました (^^;;)。
 余りにも素晴らしいライティングでしたので、この後も出来れば数本撮りたかったのですが、その先に待ち構える諸々のことを考えるにつけ、「まぁ仙台からほど近いこともあり、また来れば良かろう。今度は是非仙台臨海鉄道もセットで……」と思い直しまして、この1本だけ連写しておしまい。間もなくやって来た高城町行に乗り、高架の上から復興途上の塩釜界隈を眺め、既に軌道敷設が終わっていた仙石東北ラインのキモ部分=連絡線を車内から眺めてコーフンしたのでした。

中国鉄道博物館の保存SL・前進型と解放型

2015-07-08 00:00:00 | 中国の鉄道


 昨日中国から伝わって来たニュースは、いろいろな意味で黒い笑いがこみ上げずにはいられないものがありました。その一つは、上海証券取引所の惨状……。ここが大暴落すると中国経済に大混乱が生じるわけで、何としてでも暴落を避けようとあの手この手の露骨な介入がなされていたようですが、そうなれば「ここの市場は自由で透明ではないので、何を信用して個別企業に投資すれば良いのか分からぬ」と外部から思われても仕方がなく、外資が猛烈に逃げたと思われる上海B株はグラフが心肺停止状態……(滝汗)。まぁ、偉大で正しい中国共産党が指導する計画経済に戻って行くのが、結局のところ中国人民にとって(そして、荒っぽい膨張に付き合わずに済む世界人民にとって)幸せなのかもな、とも思います。
 いっぽう、そんな偉大で正しい中国共産党様におかれましては、このたびAKB48も真っ青の、世界最大のガールズグループにして共産党公認アイドルである「五十六朶花」(Fifty Six Flowersと訳せば良いのか?……56は漢族と55の少数民族の合計=「中華民族の大家庭 (笑)」を意味) をデビューさせたということで、私も早速ようつべにて謹んでその麗姿を拝見いたしました♪ 「中華児女の健康的な風格」を表現したという、その余りにもダサい雰囲気は、およそアイドルとしての甘酸っぱい魅力を欠いているわけで、これを商業ベースで日本アイドルのライバルにしようとしているのであれば壮絶にアホだな、と絶句するのですが……反面、共産趣味的観点からしますと、これはまさに文革ぢゃぁぁっ!紅衛兵ぢゃぁぁっ!北朝鮮ぢゃぁぁっ♪ とりあえず「我愛北京天安門~♪」「我是龍的伝人~♪」「我的夢想中国夢~♪」などと、愛国主義炸裂の歌詞を歌っているあたり、腹がよじれるほど爆笑させて頂きましたが、今後は是非「向雷鋒同志学習 (雷鋒同志に学ぼう)~tulip」「為人民服務~紀念白求恩 (白求恩=ベチューン同志を記念する)~愚公移山~kirakira」などなど、いろいろイマドキ風にやって頂いてCDアルバムを出して下されば、現代共産趣味運動の奇跡として購入させて頂かないわけには行きません (笑)。つーか服装は人民服を制服とし、市内の移動は黒いチャリンコとせよ。



 というわけで、個人的にはそんな中国もすっかり御無沙汰になってしまったわけですが (まぁネットがあれば、ダーティーな空気を吸わずとも手に取るように雰囲気が分かってしまうという……)、こんなニュースに触れたばっかりに、思わず昔撮った分のHDをガサゴソと漁ってしまいました。というわけで、未だアップしていなかった画像として、北京の中国鉄道博物館にて保存されているSLのごく一部をアップしてみましょう。
 1枚目は、泣く子も黙る中国最大のSL・前進型 (QJ……Qian Jinの略) の第一号機。重量級貨物列車用として、ソ連製の友好型をモデルとして設計・製造されたこのSLは、登場したときには和平型を名乗ったものの、間もなく中ソ冷戦へと真っ逆さまに陥ってしまいしたので、アメリカ帝国主義とソ連修正帝国主義の両者を打倒せよということで「反帝型 (FD……Fan Diの略)」と命名されたわけですが、やっぱ露骨すぎるネーミングだったためか、文革の黒幕の一人だった林彪が墜落死し米中接近が見え始めた頃から、無難かつ「発展」の観念に照らして問題のない前進型となって今日に至っています。しかしまぁ個人的には、反帝型でも良かったと思うのですけどねぇ~。略称のFDは、何やらキヤノンFDレンズみたいでカッコ良いですし☆ (そういう問題かよ! ^^;)
 ただ残念ながら、個人的な付き合いは薄かったです。90年代にバックパッカーとして中国を旅行したときには、各地にまだゴロゴロしており、とりわけ90年代初頭では田舎の路線で急行列車を牽引することもありました (たとえば蘭州~西寧間でQJが牽引する直快に乗ったものです)。しかし、鉄道写真撮影原則禁止と思っていたもので、撮らなかったことこそ口惜しけれ……。
 今や前進型は全中国でほぼ失職し、現役で残るのは集通鉄路(内モンゴル自治区の草原を横切る集寧~通遼間の路線)の動態保存機程度とされ、最近観光列車として動き出したとのことですが、ネットで画像を拝見するにつけ、専用の客車にラッピングをしているのが何ともダメダメ過ぎますなぁ~。
 いっぽう2枚目は、満鉄が生んだ超傑作・ミカイ改め解放型 (JF……Jie Fangの略)。余りにも性能が良いため、日本が大陸から手を引いた戦後もしばらく新造が続き (まぁどうせ、強制的に留用した日本人技術者に造らせたに違いない)、さらに貨物用の建設型や入換小運転用の上游型のベースとなったわけですが、嗚呼……これも90年代初頭にはあちこちで煙を上げていたわけで、返す返すも、90年代前半に撮影がほぼ自由であると知らなかったこと、そして当時まだデジカメが存在しなかったことを残念に思うばかりです。

梅雨時の超妄想フリーランスまつり2015 (続)

2015-07-07 00:00:00 | 超へっぽこ模型製作


 余りにも鬱陶しい雨続きの日々、余りにも悶々とするあまり脳内はいよいよ根腐れを起こし、指先はますます妄想に任せてシコシコと動き……去る先月末にアップしたヘンテコ車両群いじりはさらに少しずつ進展している状態です。とりわけ、スハフ42の17mバージョン (妻面と屋根はクハ76……80系用でも多分OK) のようなシロモノにつきましては、雨樋とシルヘッダーを全て削り落としたうえで、400番→1200番ペーパーで「アチョーー!」とヤスリがけしまくったところ、かなり完成イメージに近づいて来ました♪ 勿論、これで下地づくりはおしまいではなく、プラ線で小細工を加える予定です。



 一方こちらは、湘南顔の17m級ヘロ電。当初切り接いだ段階では雨樋を残していましたが、やはり完成度の高さを目指すべく、雨樋も削ってしまいました。そのうえで、180→400→1200番ペーパーでシコシコとこすりまくったところ、をを~見事にのっぺら♪
 今後の問題は……果たして元の位置に雨樋を再設置するべきか、あるいは張り上げ屋根にすべきか……。またウインドシル及びヘッダーも、再びプラ線で表現すべきか、ウインドシルのみ再現するのか、はたまたノーシルヘッダーながらもヘロい存在感の車両を演出するのか……。田舎電車テイスト炸裂するフリー電車を作ろうにも、いろいろと選択肢がありすぎてますます脳内がグルグルしてしまいそうです (爆)。それでも、次回にアップするあかつきには、完成時のイメージを容易に想像しうるような段階=塗装直前に持って行くつもりです。

第三ヤンゴン熱鉄記 (21) Ordinary標準客車鈍行色

2015-07-06 00:00:00 | ミャンマーの鉄道


 恐らく最初期に製造されたBDTEZ 10404。2Down Mailに連結。



 これも最初期か? BDTEZ 10407。2Down Mailに連結。



 ヤンゴン東郊鈍行Na運用のためか車体汚れ多め。BDTEZ 10417。



 これもNa運用。BDTEZ 10439。

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 1970年代末に日本から輸出されたグループを端緒とするミャンマー国鉄のノーシルヘッダー標準客車は、文字通り標準・主力の存在として、客車列車が運行されている路線ではどこでも目にすることが出来る存在となっていますが、このうち1970年代末~1980年代初頭製の車両(日本製または日本からのノックダウン)につきましては、恐らく車齢が古いという理由によるのでしょうか、オーディナリー車両(10400番台を振られています)のほとんどの車両 (?) は「クリーム+青帯+茶」の急行塗装ではなく「青+白帯+茶」の格落ち列車用塗装に塗られています。もちろん、例外(?)として急行塗装となっている車両も見かけましたが(当連載の次回ご紹介)、少なくとも今年ヤンゴン界隈で撮った車両はそうだった、ということで……。
 このうち、ヤンゴン~マンダレー間のミキストメイルや、ヤンゴン~ターズィー間のミキスト準急(正式種別はパッセンジャーとなっていますが、急行ほど速くないものの鈍行でもないということで、テキトーに個人的に準急と呼んでいます ^^;)に連結されていた車両は、よく洗車されて堂々とした雰囲気でした。しかし、ヤンゴン東郊へ向かう輸送力列車(Na運用)に従来用いられていた客車が余りにも極悪な状態だったために新たに挿入された車両につきましては、転属前にド田舎路線で余程使い古されたためか、塗装がイマイチハゲ気味だったり、さらには車内も相当ボロボロ……。まぁ、ペンキが相当剥げて木肌むき出しな半鋼製の車内は、これはこれでヘロヘロ鉄道趣味ゴコロを思い切り満足させてくれるものでしたが……。まぁ、そんな車両でも、基本的な鋼体の状態は古い車両と比べて全然マシに見えますので、今後は手を入れられることになるでしょう。超ボロな車内がなくなるのは少々寂しいですが (^^;)。

国鉄京都初夏 (上) ウグイス103系

2015-07-05 00:00:00 | 国鉄型車両


 南武線205系がジャカルタに到着し、間もなく103系が運用を終えると予想される昨今、どうやら世界最後の103系はここになる可能性が高いのではないか……ということで、奈良線の103系をアップしてみます。(加古川・播但があった ^^;)
 最近、1~2ヶ月に一度京都に出張し、「ついで鉄」活動に勤しみますと、どうしてもJRWに吸い寄せられてしまいます。勿論その一因として、京阪8030系や阪急2300系が既に引退し、近鉄京都線も12200が今すぐに消えるというわけではなく、私鉄車両の動きが一段落しているということもあるのですが、それ以上に京都界隈に残る国鉄型車両の帰趨がいよいよ強く懸念されるようになったからです。とりわけ103系につきましては、最近環状線用323系の詳細なスペックが明らかになり、阪和線につきましても1~2年以内に103系を完全に消す宣言がなされていますので、この省エネによる電気代金カットとイメージアップに賭けるJRWの本気がいよいよ炸裂すれば、森ノ宮や日根野だけでなく、奈良の103系も気が付けばひとたまりもない……と思うわけです。



 しかし幸いにして、今のところそのような危機感を抱いているヲタは僅少なようで、奈良線は何時訪れても他にヲタを見かけることもなく、自分一人だけで駅ホーム端を独占したり、城陽以南のド田舎ゾーンを激走するガラ空き車内で強烈な走行音を満喫出来たりしています♪ 恐らく、今のところ奈良の103系といえば、関西の国鉄型ヲタの皆様の関心は環状線に直通する区間快速8連にあるということなのでしょう……。前にもアップしました通り、撮影地の駅にヲタがいない朝は多分ないものと思われます (汗)。
 そんな奈良線の103系運用も、実際には出庫から入庫まで増解結が一切ないこともあり、割と221系の代走となることが多くなっているような気がします。最近221系画像をアップした際にも記しました通り、普通列車で連チャンで221系が来たりしますと、本当に参ってしまうのです……。「折角ここでド順光で撮ろうと思ったのに、なかなかその目的を果たせないばかりか、太陽の位置までどんどん変わっちまうじゃねーか!!」と……(激鬱)。
 恐らくあと2~3年以内に必ず何らかの大きな動きがあると思われる奈良線の103系。まったりと103系ヲタの極楽を享受できるのは、果たして何時までなのでしょうか……。その運命の時までは何度でも再訪し、全身全霊で103系のアツい魂に触れ続けたいと思うばかりです……。